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82歳からの旅

私の記録

私の友達

2012年10月26日 07時43分50秒 | 友人

     10月26日金曜日晴れ
  私には今忘れられない友人がいます。其の友人は

    今躁鬱病で施設に保護されて、其処で生涯を過ごす

    ような状況です。
     そう言う状態の中で彼は悩みながら、憲法9

    条を守る会の会員として・戦争の放棄 軍隊を持たぬ

    を柱とした、切り貼り新聞を自費発行しています。 
    そうして彼は自分には、今選挙権がないと言って

    悔やんでいます。
     その上にたった一人の大学出の息子に、自殺され奥さん

    も同じ施設に、入所している状態です。
    中学・高校
・と何時も成績はトップでの彼が、どうしてそ  

    んな病気になったのか私には想像できます。彼はとても真面

    目で正直です、しかし小心でしたので、それが彼を狂わせた  

    のです。
     彼は教師として奉職して、真面目に勤務しました。組合活

    動が厳しいころに、組合運動に忠実でした。その為に職場で

    子供中心の仕事に忠実で、組合の進める雑務拒否を忠実に

    守ったのです。雑務拒否をおし通していくと、困ってしまい 

    ます。
     保護者から○○○○はどうなっていますかと尋ねられると、

    彼はそれは校長の職務だから、校長に聞いて下さい。

    と・・・こんなことが重なって、どうにもならなくなりまし

    た。(私の推察)
     こんな事を伝え聞いた高校の友人が、集まって彼と何度も

    話し合いました。その時は納得して帰るのですが、職場に帰 

    ると巧く出来ないのです。彼は融通が利かないのです、決め

    た事は、きちっと守らないと、自分が納得できなくて困るの

    です。(之も私の推察です)

     何度も私は彼と会って話し合い、忠告しましたが私と話し

    ている時は納得するのです。しかしとうとう病気になってし

    まいました。とても残念ですがどうにもなりません。
     彼が躁の時にクラス会の案内状を一人で計画して、 

    皆に発送しました。いよいよ当日彼は、鬱になりクラス会に

    来ませんでした。参加したクラスのみんなは、唖然としまし

    た。それで彼を信用する人は、誰もいません。クラス会に熱

    心な彼が不憫でなりません。
     私はそんな彼の、唯一の友達でいます 
     



 「母」 高田好胤著 ~父母恩重経を語る~  元薬師寺管主(故)

2012年10月24日 18時14分52秒 | 読書
10月24日 水曜日 晴れ

三々五々…のご先祖様

 私たちはみんな、お父様、お母様から生まれてきました。お父様、お母様もまた、ご両親から生まれてこられました。
 
 こうして25代(仮に一世代を30年として750年)さかのぼりますと、私たちのご先祖の数は3千3百54万4千4百32人になります。それが28代さかのぼりますと、何と2億6千8百万人になります。 (25代さかのぼると・3千3百54万を三々五々と覚え54万4千4百32人と覚える)

  ですから、自分の生命は自分だけの生命だと思うのは現在人のとんでもない思い上がりであります。
 私たちの生命はこんなに大変な数のご先祖さまが、今私たち一人一人の生命になってくださっているのであると言う事を自覚せねばなりませぬ。・・・・略・・・・
 
 大変な数のご先祖さまの喜び、悲しみ,その他…私たち一人一人の血の中に流れて、そのお蔭で生かしていただいているのです。
 
 こうしたご先祖に対する私たちの先祖孝行の道が「まつりごと」であります。そこで一番身近な先祖であるお父様、お母様に感謝の誠を捧げる姿、が親孝行であります。
 父母も またその父母も 我なりき
   我を愛せよ 我を敬せよ    二宮尊徳翁 此の歌のように、ご先祖を敬愛することは、実は自分自身を敬愛することになるのです。
          父母恩重経の一部抜粋  元奈良薬師寺管主(故)ゆっくり何回も読んで自分の家の先祖の供養に少しでも役立てばと・・・・・     
  

私の健康

2012年10月23日 21時15分38秒 | 日記

     10月23日 火曜日晴れ
 私の健康方はは事です、朝20分位を目安に2000歩~2500歩位ます。10分ぐらいて交差点で信号待ち程度休みます。速さは約1000歩を10分位の  でます。

 毎日といいのですが、気分屋の私はそうはいきません。朝庭に出て鯉を眺め初恋の少女を想いだしているうちに、その日の行動が決まるのです。庭の草取りになるか・畑仕事になるか・バイオリンの唄に成るか~事になるか後はその他ですよ

 の運転にがあって車の運転が巧く出来るように、私の毎日の生活も遊び心で生活するのです。心豊かに優雅にして、心をルンルン気分で生活を楽しむのです。
 後どんなに頑張っても20年も生きることなどできませんもの、人はどうあれ自分は最高に満たされて毎日を過ごすことです
 くよくよなんかするもんか・ 楽しいことは一杯あるぞ ・ 呆けても探すこともない、愉しいことや幸せせは私の心のなかにあるー ・バイ バイ バイ 今日はもうこれくらいにしーておこー  

           
 


私のこれからの ブログの タイトルについて

2012年10月22日 21時43分19秒 | 雑学

    10月22日 月曜日 晴れ     
  私はブログ全体のタイトルを「82歳からの心の旅路」を

  ~ 私の心の墓場まで歩み ~ と今はしたい気持ちです。

   そして其の内容はどんな内容になるのかは、私にもわか

   りません。

    若いころの私は、ややもすれば自分の気持ちに沿

   って走り、思ったことを行動に、そういうタイプの人間で

   あったと思う。それが歳とともに、だんだん衰えて何かし

   ら気力の無い、穏やになった様な気がします。

    それが生きて行く、一人の人間の姿なのか、それと

   もやはり私の心の中に、若い血がまだ燃えているのかを見届

   けたいからです。と言っていたずらに「まだ私

   は若いのですよ」、と言って、力んでしまって行動すると

   「若い元気の良い人がいくらでもいるのに・80過ぎの爺さん

   が又出てきて」と成るのを恐れるからです。

    それで私はいろいろな役職を、みな断わってきているのです

    若い時に活躍し・良く勉強もした、多くの先輩の人達を見て

    きたからです。「老兵は去るのみ」の諺のごとくに

     こうして人間はやがては社会の中から、気が付いて

    見れば、みんな消え去って行くのかもしれない。そうでない

    まだまだ先は長いんだよ 頑張れ と自分に鞭打ちな

    がら 

     


私の多忙な一日

2012年10月21日 21時15分12秒 | 日記

      10月21日日曜日晴れ 
   今日日曜日」午前中椎田の道の駅「おこしかけ」

   に行きました。そこで我が家の池の鯉をと、手頃の値段

   の鯉がいましたので買い求めました。
    家に帰って携帯電話を見ると、おむすび苑(弟が

   入所)している施設から電話が入っていました。それで電

   話をしました。弟との初めての、電話ですが上手く会話は

   出来ませんでした。それでおむすび苑に、行く事にしまし

   た。

    おむすび苑に行って見ると、弟は椅子に腰かけて一

   生懸命に、パズルをしていました。気を付けて見ると、とて

   も姿勢が悪くて、おかしいので部屋に行き姿勢を正しました。  

     腰の辺から、くの字に曲がって、それが治ら

   ないのです。そこで一緒に歩いてみると、今にも転びそうです

    入所している苑でも、何回も転んでいるとの電話で知らせて

   いる其の訳が、わかりました。

    痴呆のある弟は可哀そうに、中々治せません。私も涙が出そ

   うになるのをこらえて、何回も練習しましたが、仕方がないと

   諦めて持って行ったおやつの餅を、食べさせました。  

    家に帰って夕食時に、巨人と中日の野球の試合をテレビ

   で見ました。巨人フアンである私は一投・一打に、ひやひやし

   ながら9回迄、仕事が手につかずに終わりまで見ました。

    巨人が9回のうらに、勝ちました。明日も野球が見れるの

   で、とてもラッキイーでした。 明日も勝って日本シリ

   ーズに、残ればいいなー、これが私の今日の一日でした