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82歳からの旅

私の記録

 母 髙田好胤著・父母恩重経を読んで 薬師寺

2022年07月29日 17時39分28秒 | 心に栄養を

令和4年7月29日 三々五ゴ…の御先祖様 私達は皆お父様・お母さま

ご両親から生まれて来ました。こうして25代(仮に1世代を30年として750年)さかのぼりますと。私達のご先祖さまの数は、3355万4432人になります。それが28代さかのぼると何と26800万人にもなるのです。ですから自分の生命は生命だと思うのは、現在人の思い上がりです。

 ご先祖様の孝行の道が「まつりごと」です。父母も又其の父母も我なりき「我を愛せよ・我を敬せよ」此の先祖孝行の心は・実は自分自身を敬愛しているのです。そしてご先祖孝行が「子孫孝行」に成るのです。

 たらちねの親に仕えてまめなるは、人の誠のはじめなりけり。明治天皇御製・・・垂乳根・・親に対しての枕言葉、垂乳根-母親が胸に

飾る勲章です。1997年9月1日 武義記す 令和4年7月29日、古い記録を整理して・・・


 古い記録の整理

2022年07月29日 16時25分32秒 | 日記

令和4年7月29日晴れ 古い記録から

私が3歳の頃の事、まだよちよち歩きの時と思う?。母に手を引かれて

母親の里稲光(いなみつ)に、行った時の事です。山口から稲光にいくには、往還【県道】を通って行くのですが、近道の田んぼの畦道を通っていきました。冬前の寒い時でした時 幼な心にも・私はうきうきした気持ちと、気ぜわしさを感じていました。母も同じ心だったと思う。 畦道の途中に一寸した溝があって、私は怖くて躊躇していました。すると母は振り向いて、私を抱て其の溝を跳び越してくれました。其の時の記憶が60年ごの今、蘇ってくるのです。其の時の母ちゃんの胸のぬくもり・と優しさが伝わってきます。

 母は今この世にはいませんが私の心の中に、はっきりと生きています。母とくのがへら(私の家の山)に、薪とりに行った時のことです。母の薪の中に、ムカデが居て二人で騒いだこと。私が薪を担ごうとすると重くて、担げませんでした。それで私の薪の一部を母の薪に入れました。すると母も重くて、担げませんでしたが何とか私も手伝ってやっとの思いで担ぎました。 そうして二人で休み休みに、我が家に帰り着きました。 

 高2年の時・父が無能だと父に言いました。其の時父は私に何も言いませんでした。すると母は目に涙をいっぱい貯めて、私に言いました。 父ちゃんが朝は1番に起きて、田んぼの見回り・牛の餌かりに行き、冬の人の働かない時山で炭焼きをして、売ったそのお金で子供を皆中学・高校まで学ばせているのよ。周りを見てごらん、山口でそんな家がどこにあるか?。と言って私を諭しました。

 現在の私が在るのは、父の無言の教えと、母の目に光る涙が私を育てたのです。父は子どもの時に丁稚奉公に行き、其処の手伝いをして

豊津中学に行っていました。がその苦しさに耐えきれずに、中学を止めて、家に帰って来たのです。後で其れをどんなにか、後悔したと思います。其の後悔を自分の子には、絶対にさせなかったのです。 

 私が高校生の時に、農繁休暇を知らせず遊んでいました。家に帰って見ると親友の岡君が、母親と家に手伝いに来ていました。其の時も父は私に、何も言いませんでした。 二季秋の忙しい時には、猫の手も借りたいと言います。