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82歳からの旅

私の記録

 ~ 鹿児島の妹へ ~

2020年05月01日 16時11分54秒 | 生活

           令和2年5月1日 金曜日    

  便りの葉書が届きましたので、追加のブログ一行「自分史後編5月22日

完成す。今回は二色刷りで、有り金をはたいて出版しました。

 今回は前編とは趣が違い、学校の事が中心です。それであまり面白くあ

りません。本の題は「美しい門司の自然の中で・私を・生かし育てた優しい

人達」で書きました。

 一つは、高田家の人達への遺言です。もう一つは私を育てた人達への

御礼に、私が残す「萩ガ丘小」学校への渾身の教育です。」

 此れが終わると、高田家の歴史の一部をと思っています。これは私が。

パソコンで書いて、本に纏めようと思っています。それが出来るかね??

 以上です。 

  


 ~ 夏も近ずく八十ハ夜  ~

2020年05月01日 14時08分06秒 | 生活

         令和2年5月1日金曜日     

 今日は八十八夜、で小学唱歌「茶摘み」作詞・作曲者共に不明。

子供の頃に、女の子はお手玉で良く歌っていました。

 夏も近ずく八十八夜トントン、野にも山にも若葉が茂る。トントン 田舎

の綺麗な風景を思い出します。

 其れと遊び友達を、思い出します。けれど遊び友達は殆んどいません。

「若き日・早夢とさり ・わが友皆世を去りて ・あの世に楽しく眠り

遥かに我を呼ぶ オオルド ブラック ジヨウ

 我も行かん 早老いたれば かすかに 我を呼ぶ オオルド ブラック ジヨウ

幼き日の思い出は、遠くにありて、今はうら悲しい、思い出です。後戻りしたい

そんな気持ちです。 

 いやそんなに遠くなくても、4~5年前でも良い、 後戻りしたい気持ちです。

                    

今日の老々のじ爺の、うら悲しい涙の日記です。 お わ り また思い出した時に


 ~ この春を乗り越えて ~

2020年04月09日 12時28分45秒 | 生活

       令和2年4月9日木曜日    

 今日も小春日よりで、家の中で過ごすのは勿体ない気がします。

それで朝から裏の畑で、土いじりをしていました。今まで草の

生え放題で、草取りをしなくてよいような、庭にしたいと思って

います。

 僅かな土地でも草の生えない、庭にするには土を固めて草が生

えない様にするのです。子供の頃わが家の庭も、本家の庭も皆そ

の様に成っていたの思い出したからです。

 米が取れそれを庭に干していたことを、思い出したのです。

が90歳になって、やっと気が付いたのです。

 


一つの給料袋  生活が

2020年01月14日 17時54分10秒 | 生活

 令和2年1月14日火曜日

 手取り1万3千円位の時に結婚してから、あしかけ4年になる。

「1つの給料袋では生活がむつかしいよ。」と言ってくれた友達

いたが、私は共稼ぎの家庭生活に、魅力を感じることが出来

なくて1つの給料袋でスタートした。

 今手取り2万円といくらかで、親子3人暮らしをしている。全

ささやかな暮らしをしているが、今はやりのレジャーに深入

りしようものなら、、忽ち家計は赤字を出してしまう。

 それでも大きな貯金もなく、借金もなくやってきたわけだが

のあたり先生の給料の「限界」と、言うものが有りそうだ。

 世間では先生は共稼ぎが多いし、それが常識の様になってい

る。

 それはそれでいいとしても、もっと「1つの給料袋に」関心を

もってほしい。

 1つの「給料袋」で生活していくには、扶養手当の増額と、住

宅手当の支給、それに通勤手当の増額が必要である。

 毎朝妻の見送りを受けて学校に来るのは、気持ちの良いもので

ある。毎夕打ち水した玄関に1歩入れると、1日の疲れが吹っ飛

んでしまう。此の満足した意識が1、「1つの給料袋」から味わえ

るのも現実なら、親子3人のレジャーが計画倒れになるのも「1つの

給料袋」「なるが上、の現実である。「先生は共稼ぎをすれば

生活ができる。」から「先生は1つの給料袋でも生活できる。」と

言うっ状態に進めて行きたい。」これから「1つの給料袋で結婚」

しようと考えている先生の為に。       

              

昭和36年11月の記事です


 ~ 令和の今年もよろしく ~

2020年01月01日 17時45分07秒 | 生活

    令和2年1月元旦水曜日 

 皆さん新年あけましておめでとうございます。今年

こそ幸せな年になることを、望みながら皆さんどうぞ

よろしくお願いいたします。・・・。

 私は今年九十歳を迎え家内も米寿を迎えるめでたい

年であります。それで正月の祝いとかねて子どもとお

いをしようと思っていました。

 子どもや孫も来るので、と思っていたら長男の孫娘

は仕事で来れないし、長女の子の甥はアルバイトでそ

の日から仕事で別府に帰るのでした。

 ではまたの機会にと、三家族で冷和の正月を祝う事

にしました。 

 雨も降らず応接室で箱根駅伝を横目で見ながらの、お

正月のお祝いになりました。

 老齢の私たちにとって、孫の成長が一番のお祝いであ

りました。 2日がかりの年初めの、ブログになりました。

 昨年は橋本首相が、国会で総理推薦の桜見の参加者?を?、

知らない?覚えていない?の蚊答弁して・・・

 日本中の人が、総理大臣のごまかし答弁に、あきれて心を

引き締めて怒こっていました。私に来ました年賀状の中に

腹が立ってしようがない、と書いてきた人がいました。

そのとうりだと思います。

 今年こそ全国民が、腹を抱えて笑えるような年になります

ように、何とか皆でしましょうよ。しましょうよ。これは

変人の願いでしようか、一ッパンの庶民の願いです。

 T・V、新聞では朝日新聞がこのことを真剣に報道して

いましたが、他の新聞には私の目が悪くて見えませんでした。