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82歳からの旅

私の記録

 ~ 亥のこ餅 ~

2013年12月04日 09時36分18秒 | 雑学
          12月4日 水曜日  

 コメントを書いていて、亥の子餅のことが出てきました。 辞書によると
「亥の子の祝いに食う餅」とあり平安時代に中国から伝わり、今日でも各
 地で祝われている祭り。

  旧暦10月の亥の日に行なう。とあり その日に餅を食べると病気をし
 ない、と言う中国の古い俗信から、平安貴族の間に……省略……民間
 でも この日を収穫後の祭日として祝うようになった。
 
  亥の子祭りの形式は多彩だが、西日本では、子供の行事として、亥の子
 突きがある。子供達が石に縄をかけて土をついてまわり、歌や唱えごと
 をして、家々から、餅をもらいあるく。……

  私の故郷では、その日の夕方には家庭でご馳走を作り、庭にお供えし
 ます。それを子供達は亥の子槌(藁を束ねて作る)を持って、行く家の
 玄関で槌でたたきながら……「亥の子餅つかんもの鬼生め・蛇生め・角
 の生えた子生め」とはやし、ながら 庭に供えたご馳走をとって食べる
 のです。
 
  何軒も回っていたのですが、そんなに沢山食べられたのか?今は覚え
 ていません。家でもご馳走を作っていたのですが……ただ楽しかった事
 は懐かしく思いだされます。

  今はどう成っているかは?、でも残して欲しい伝統行事です。

          

食うか食はれるか その2

2012年11月12日 21時36分14秒 | 雑学
            11月12日月曜日 
 
 人間は如何にして、動物のトップになりえたか。
 
 人間が他の動物と同じ様にドングリや,椎の実を食べて海辺で貝を採って食べていた頃から、集団で狩りをし農作物を作って食べるようになる迄にどんな生活の変化があったのでしょうか。

 多くの動物はボスを中心に、集団で生活をしています。ボスは集団を守る為に、敵との戦いの先頭に立って勇敢に戦います。集団員はボスに従って皆戦います。

 その代償として食べものはボスが最初に食べます、食べる順序も決まっています。種族を残す為交尾期に成るとメスをめぐって激しいオス同士の戦いが始まり、其の戦いに勝ったものがメスと交尾出来るのです。負けたオスは集団を去るか・ボスに従うしかないのです。

 さて人間はどうでしょうか? 人間は狩りを一人でしても、長期間に亘って家族を養う事はとても出来ないと思います。

 其処で集団生活がされ、役割の分担がされる様になりました。女は子育てや、家庭内の仕事を分担しました。男は狩りや集団を守る為の弓矢を作り、全員で分担を決め厳しく戦い集団を守って来たのです。そうする事によって強い肉食獣等に、に打ち勝ってきたのだと思います。

 若し人間が動物と同じようにボスを中心に、女性を巡って死にもの狂いで戦い其の戦いに勝った者がボスになる。女性は自分の妻として集団に君臨すると、狩りの役割分担や集団の掟は守れなくるでしょう。

 交尾期がなくなり・・・・一夫一婦制が定着し、妻は自分の夫に尽くし夫は妻を守り通す。それが今の様に成るまでには色々の確執や変遷があったと思います。

 このように集団の中で役割分担をし、力を合わせ厳しい決まりを守って命がけで猛獣から身を守り戦い、勝ち残って来たのだと思います。



 以上は戸川行夫の著2巻を参考にて、私の雑学で文の内容を構成いたしました。 
  ひとはなぜ助平になったか 性談どうぶつ 戸川行夫著
  ヒトはなぜ子育てが下手か 親子動物記  戸川行夫著 講談社出版 どちらも1200円 を読むとよくわかります        




   

二人分の幸せを生きるには

2012年11月06日 15時51分09秒 | 雑学
          11月6日火曜日

 弟は高校を卒業して上京し、苦学しながら自分生涯の生活の夢見ていました。以来働く事一筋に生きてき、定年退職後は、千葉県の木更津市に家を新築して年金生活をしていました。

  弟は私に比べると几帳面で真面目です、だから自分の身に合った遊びもしませんでした。  

 そんな弟を見ていると、弟が不憫でなりません。運悪く痴呆になって今はグループホームに入所しています。

 何とか普通の生活が出来るようにと、思い色々と努力しました。

  幼児の本や小学生の学習もさせましたが、今はグループホウムで痴呆に合った生活をさせています。

 そこで私は弟の分まで、生きる事を考えました。その為に私一人だけの幸せでなく、弟の分まで幸せに生きようと決心しました。

 私は父母が自分の生活を犠牲にし、私を育てたからには人より2倍も3倍も幸せに生きる覚悟です。その上に弟の分まで幸せに生きなければなりません。

 これは大変な事ですがそれが、父母や弟に対しての私の役目だと考えています。

 弟の分迄幸せに生きる事、これが今後の私に掛けられた課題で在ると思う。





私のこれからの ブログの タイトルについて

2012年10月22日 21時43分19秒 | 雑学

    10月22日 月曜日 晴れ     
  私はブログ全体のタイトルを「82歳からの心の旅路」を

  ~ 私の心の墓場まで歩み ~ と今はしたい気持ちです。

   そして其の内容はどんな内容になるのかは、私にもわか

   りません。

    若いころの私は、ややもすれば自分の気持ちに沿

   って走り、思ったことを行動に、そういうタイプの人間で

   あったと思う。それが歳とともに、だんだん衰えて何かし

   ら気力の無い、穏やになった様な気がします。

    それが生きて行く、一人の人間の姿なのか、それと

   もやはり私の心の中に、若い血がまだ燃えているのかを見届

   けたいからです。と言っていたずらに「まだ私

   は若いのですよ」、と言って、力んでしまって行動すると

   「若い元気の良い人がいくらでもいるのに・80過ぎの爺さん

   が又出てきて」と成るのを恐れるからです。

    それで私はいろいろな役職を、みな断わってきているのです

    若い時に活躍し・良く勉強もした、多くの先輩の人達を見て

    きたからです。「老兵は去るのみ」の諺のごとくに

     こうして人間はやがては社会の中から、気が付いて

    見れば、みんな消え去って行くのかもしれない。そうでない

    まだまだ先は長いんだよ 頑張れ と自分に鞭打ちな

    がら