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82歳からの旅

私の記録

 ~ 私を育てた郷土の自然と人達 ~ 3

2015年10月22日 07時12分39秒 | 転居のための準備

      10月22日 木曜日   

                                  それで国 

 も国民も、戦前の自信を喪失しました。      ~ 中略 ~

社会が乱れ …闇市が堂々と・・・生活物資の不足…とくに食料 

が ・・・・ ~

 そんな戦後の世の中で、働く職もない時代でした。勤勉な国民は

食べられそうなものは、なんでも食べ生きてきました。そうして国の

再建復興を短期間で成し遂げ、世界の国々や人々を「アッ」と驚か

せました。

 この様な波乱万丈の時代に、戦前は軍国少年として育ちました。

然し戦後は戦前とは正反対の、自由・民主主義の教育を受けたの

です。戦前の教えの大部分は、墨塗りをした教科書で学びました。 

・ 働く定職もなく、生きる希望もない…貧しい家庭の子が・・                      

  高校を卒業しても、働く定職は有りません 。それで土木や石割

の仕事、住み込みで精米・うどん打ち・代用教員等を2年間転々と

しました。

 代用教員で働くうちに、この仕事が私の天職であると思いました。

 小作農で収入の少ない家庭に、更に負担をかけるのは心苦しいの

です。でも代用教員で生涯勤める思いを辞め、教員養成の学芸大学

受験を決意しました。

 入学試験に無事合格して、卒業し教師となったのです。昭和31

年6月より平成2年3月退職するまでには、様々な曲折がありまし

た。然し生涯の仕事として、全力で全うすることが出来ました。

               ・・・・ 次回に・・・・

            

 


  ~ 久振りにブログを ~ 心にゆとりがなくて・・・

2015年07月23日 10時25分42秒 | 転居のための準備

                  7月23日 木曜日  

 今日は朝九時過ぎに、妻を病院に送っていきました。

妻からは病院の帰りには電話をして、11時過ぎに迎えに行

くのです。

 午後は私は自由になるので、バイオリンでもと思いましたが

ブログでもと思って、久振りにパソコンに向かいました。

 思えば「翌檜ちゃんが」休んで1年も過ぎたので、半月ばかり

前に翌檜ちゃんの留守電に電話を入れていました。

 するとすぐに電話があって、元気な声で今は「新しく仕事を始

めました」との電話でした。

 大きな病院の「正社員として、又必要な資格も取って」働いて

いるそうでした。

 以前とは違った生活で、でも明るく頑張っているので安心致し

ました。

  生活のリズムが新しくなり、それにゆとりが出来た時には又チ

ャレンジするのではないかと思います。私の推測です?

 私は弟の世話と、過去の整理に追われています。・・・

 
 


 ~ 私の姉の17回忌の法事に参かするにあたって ~ 

2014年04月06日 08時52分08秒 | 転居のための準備
                 4月6日日曜日
 
 姉の17回忌の法要を、5月の18日に営むとの案内を姪から受けました。
其れで私は今姉の76年間の生涯の中で、私と生活した中の一部をコンパクトに纏めています。
 
 父と母の50回忌(今年の3月9日に実施)の時に,父母の生い立ちや結婚後に今の田家を
どの様に作り現在迄維持して来たかを纏めてしおりを作りました。

 3歳で父を亡くした3男の父は、27歳で20歳の母と結婚し伯父の家で10年間同居して生活
していました。
 37歳の時に家を建て・姉・兄・私の誕生と共に伯父の家から分家しました。その後は小作人と
して父母共に協力して良く働き、現在の家を守り6人の子供を育て来たのです。
 その上に働いたお金で,田地を少し宛買って田畑を増やしたのです。

 さらに私を含めて、4人の弟妹を高校迄学ばせたのです。大変な苦労だったと思います。

 其の為に姉は小さい時から私の守をさせられると共に、家の手伝いもして育てられたのです。
其の姉の苦労の一部、私を子守した時の事や、私に勉強を教えてくれた優しい等等を中心にし
て纏めています。

 その一つ・・・ 泣きながら御飯を炊いた「私の優しい姉ちゃん」の思い出

  姉ちゃんが5年生か6年生の時 私は5歳か6歳の時 の思い出です。

  晩秋の稲の取り入れ時の夕方、姉ちゃんはお釜で御飯を炊いていました,するとお釜から
 水がポトポトと漏っているのです.お釜に「ヒビが入っているのです。」お釜に割れ目が出
 来て其処から水が少し宛もれるのです。

  姉はどうしたら良いのか解らず、泣きながら御飯を炊いていました。が途中で止めて泣い
 ていました。

  其処へ父と母が遅くに,お腹をすかせて帰って来ました。姉は父と母を見て急に大きな声で
 泣きだしました,私も一緒に泣きました。 父も母もどうする事も出来ませんでした。

  此の様な思い出を幾つか纏めて、シオリにして子供や孫達に知らせて上げたいのです。又
 今の私を育て,助けてくれた御礼も込めて仏前に供えたいと思います。

  姉ちゃん私を一任前になるように,良く守をしたり,勉強を教えてくれたりして有り難う。
 有り難う。浄土で優しい父や母と一緒に待っていてね,私も後でいくからね。

  







    

 ~ 春のお彼岸 ~

2014年03月24日 07時00分50秒 | 転居のための準備
3月23日 日曜日 

 毎年お彼岸にはお墓のお掃除をして、お花をお供えし母の好きなおはぎ餅と父の
好きなお酒をお供えしています。

 今年は妹の婿の33回忌や・娘の親戚の葬儀などあり、23日の日曜日になっ
た。例年朝速く行ってお墓の掃除をします。が今年は九時頃よりお墓に行った。
自宅よりお墓までは車で、約20分位はかかるのです。 途中スーパーによって
供え物の花やおはぎ餅お酒などを買った。

 此の墓地は家内が退職した時に購入し、父母のお骨を分骨し墓を建てたのです。
 
 お墓の有る場所は眼下に有名な巌流島が見え・関門橋も望める高台にあってと
ても眺めの良いところです。
 処が若い元気な」頃は良かったのですが、後期高齢者になってからは急な階段の
上り下りが大変です。一年に3回(春秋のお彼岸とお盆)でまあ頑張ろうと、決
心してお墓を守っているのです。

 







 バイオリンを始めたわけ

2014年02月02日 20時44分18秒 | 転居のための準備
        2月2日      
 
 私がバイオリンを始めたのは、とても安いバイオリンが入手出来たからです。
其れで遊びのおもちゃのつもりで、買って練習を始めました。 
 
 処が練習をして見るととても、一人では弾けない事に気づきました。先ず音合
わせです、是が中々難しいのです。まだ他にも有りますが省略します……
 其処で朝日カルチャーに、習いに行ったのです。習い初めは自分は練習時間が
十分有るので、他の人より上達は速いだろうと思っていました。処が当ては直ぐ
に外れました。
 
 訳は簡単でした、バイオリンを引く手がごちごちになっているのです。柔ら
かーく弾けないのです。ギイコウ、ギイコウ所謂鋸の目立てでしょう…。
 
 それだけでは有りません、バイオリンをあごでもって左手の指で弦を押さえ
るのが上手く出来ないのです。腕の関節が硬く中々スムースに動かないのです。
 まだまだ有りますが…省略します.年老いて始めても物にはならないのです。
その上に右手で弓を動かすのが、上手く出来ないのです。

 バイオリンも安いので、おもちゃとしては見栄は良いのですが。直ぐに接着
剤のニスが離れて、修理に出さねばなりませんでした。

 其処で買い換える、必要に迫られました。随分悩みましたが私にとっては、
少し高価なバイオリンを買いました。
 処が途中で止めようと思いましたが、止められないのです。私にとって高価
なバイオリンを無駄に、出来ないのです。
 
 ※ 朝日カルチャーには途中で、小学生が入って来ます。すると小学生の子
   供から私は、追い越されるのです。幾ら努力しても無理でした、其れは
   体が言う事を聞かないのです。私の努力が足りないのです、悔しいけれ
   ど仕方がありません。
 発表会の度ごとに何時も、失敗ばかりするのでした.毎回そうでしたが、止
めませんでした。こんな恥ずかしい思いを、連続してした事は有りませんでし
た。

 だから自分で弾ける様になるまで、個人レッスンを受ける様にしたのです。
今では誰も相手がいなくなっても、バイオリンが私の遊び相手をしてくれる様
になりました。一人になっても私は、遊び相手がちゃんといるのです。
 今ではもっと高価なバイオリンを、買っておけば良かったのにと思っている
此の頃です。

        ……人間万事塞翁が馬の例えの様に……

 此の事からも、物事は考え様です、だから他の事も同じように考えて………
思い切って決めることです。