日本キリスト教団竹田教会のブログ

大分県竹田市竹田にある日本キリスト教団竹田教会などのことを尾崎明が書いています。

ガリラヤ湖と教会堂の写真

2009年08月29日 | Weblog
「神に息を入れられた人」


第2第4水曜日19時から20時まで

竹田教会の聖書研究祈祷会で

「創世記」を学んでいる。

第2章「天地の創造」の7節。

主なる神は土(アダマ)の塵で

人(アダム)を形づくり、

その鼻に命の息を吹き入れられた。

人は神さまによってつくられ

息を入れられたことを

忘れない人になろう、

社会にしよう。

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2009年8月29日の「今日のひとこと」より。

写真は ガリラヤ湖と教会堂 2008年6月に尾崎明が撮影した。

(聖書の言葉は(C)共同訳聖書実行委員会 (C)財団法人 日本聖書協会 「新共同訳聖書」より引用。)
大分県竹田市竹田にある日本基督教団竹田教会のホームページhttp://taketa.church.jp/

「憐れみ深い人々は幸いである」  

2009年08月23日 | Weblog

2009年8月23日(日)の日本キリスト教団竹田教会の礼拝説教をもとにして

聖書「マタイによる福音書」5章7節  

説教題「憐れみ深い人々は幸いである」  

説教者 牧師 尾崎明

 皆様 この一週間の間 どのようにお過ごしになられましたでしょうか。困難な課題にぶつかった人もいるでしょう。希望が見出せた人もいるでしょう。人に親切にされた人もいるでしょう。人に親切にした人もいるでしょう。人は人に親切にされた分だけ、人に親切にすることができます。人は受け入れられ赦された分だけ、人を赦し受け入れることができます。人は愛された分だけ、人を愛することができます。

 「マタイによる福音書」5章6章7章にはイエス・キリストがガリラヤ湖の近くの山の上でした「山上の説教」があり 5章に「幸いの教え」があります。今日の「マタイによる福音書」5章7節には 「憐れみ深い人々、は幸いである その人たちは憐れみを受ける」とあります。「憐れみ」とは 神さまのご性質ですが、神の子イエス・キリストは 弟子たちや村人に その人の立場に立って 同情し、憐れみの心を持って接しられました。十字架の上でも 傍らの人のことを心配し 憐れんでくださいました。

  救い主イエスさまに 憐れまれていることを知った人は 人を憐れんでいくことができます。どうか、憐れみ深い人になることができますように。憐れみ深い社会にすることができますように。

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写真 ガリラヤ湖  2008年6月 尾崎明

大分県竹田市竹田にある日本キリスト教団竹田教会のホームページ

http://taketa.church.jp/


戦争で犠牲になられた310万人余の犠牲を無にしてはならない。

2009年08月15日 | Weblog
きょう8月15日は「終戦の日」です。戦争体験者の体験談を聞き 後世に残すことの大切さを痛感します。戦争の悲惨さをしっかりと受け止める日、二度と戦争への道をたどらないようにと誓いを新たにする日、平和の尊さを考える日です。 今日は64回目の終戦記念日、政府主催の全国戦没者追悼式が12時から日本武道館で行われる。
戦争で犠牲になられた310万人余の犠牲を無にしてはならない。

   再軍備反対。核兵器全廃。 

http://taketa.church.jp/

 


「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」

2009年08月02日 | Weblog

8月は各教会でも戦争と平和について考える月です。8月6日は広島に 8月9日は長崎に原子爆弾が投下された日です。  「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を味わいたいと思います。

日本基督教団竹田教会のホームページhttp://taketa.church.jp/ 

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「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」

 わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。

 まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。

 わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。

 明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。

 わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。

 「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛するゆえにこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

 しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。

 まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。

 終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

                1967年3月26日復活主日 日本基督教団 総会議長 鈴木正久