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淡々たる心情を持して(2021/6/16)

2021-06-16 15:18:48 | 明日が不安な時
松永安左エ門著作集3 p12 より

私は西南戦争の2年前に生まれて76年の歳月を空費してきた。賑やかな時代も、不遇の時代も繰り返し、繰り返し通過してきた。えらい仕事にもぶつかった。そして多くはうたかたの水泡のように消えては生じ、生じては消え行く夢のごとき世界であった。今も世は酷烈だ、深刻だ。が、これもそのうちには和やかな楽しい時代に変わり来るであろう。期待をかけるのは人間に叡智があるからだ。人間の力には限りがある。認識が広がるほど迷いも深くなる。ただ淡々たる心情を持して今日を行い、学び尽くすほかはない。

 中国南宋の4年(1177年)に四川省に生まれ、径山に法幢を樹てた無準師範師偈の「花光十梅」と題するそのうちの一偈を掲げて、淡々の意を明らかにしたい。

 淡中在味
半開半合栄枯外 似有似無閑淡中
自是一般風味別 笑佗紅紫闘芳叢

(T社をリストラで去った後、風の便りに、同輩や後輩が役員になったと聞くと、内心動揺した。この漢詩を読むと、気持が鎮まった。中国の国花のボタンの華やかな赤は紅紫闘芳叢か、ひっそりと咲く梅の花は別の味わいがある。今日一日を行い、学びつくすしかない、よっしゃ、これでと、思った。以来17年、畑と釣りの毎日。今はひっそりとした梅の方に心ひかれる。 takeda)
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孔子の弟子、顔回にみる尻つぼみ人生(2021/6/1)

2021-06-01 16:56:30 | 人生楽しく生きる
司馬遷 史記 平凡社訳本 中巻p189

顔回は魯の人である。字は子淵。孔子より三十歳の年少である。あるとき、顔淵が仁について問うと、孔子は答えた。「おのれの私欲にうちかって礼の道にたちかえれば、天下の人々はその仁徳に慕いよってくるだろう」また孔子は言う。「賢人だなあ、回は。たった ねりご(竹製または葦製の食器)に一杯の飯、瓢(ふくべ)に一杯の水で飢えをしのぎ、わびしい裏店住(うらだな)住まいをしている。普通の人ならとても落ちついて生活できないだろうに、回は道を楽しむ心をかえようともしない。私と話をするときには、はいはいと聞いているだけで愚か者のようだが、その家などで仲間と話し合っているのを聞けば、道理をわきまえていて仲間を啓発している。回は決して愚か者ではない。登用されれば出仕して堂々と道をおこない、登用されなければしりぞいて静かに道をまもる。―これができるのは、回よ、私とお前ぐらいだな」
 回は、二十九歳ですっかり白髪になり、若死にした。孔子は大声をあげて泣き、悲しんで言った。「回が弟子入りしてからというもの、他の門人たちもますますわたしに親しむようになったのに」

 松永安左エ門著作集 第五巻 p156
「論語と茶の湯」
  子の曰く、賢なる哉回や 盛り切りの飯に一杯の酒で横町の裏店住まい、ほかの人なら貧乏の苦労にかまけてしまうところを、顔回は相変わらず道を楽しんで勉強している。まことに賢なる哉回やと孔子さんはおっしゃった。
 耳庵(松永安左エ門)思う、知足安分という辞宜以上のものを顔回はもっていた。むしろ足らざるところを楽しんだところに侘道があるのではなかろうか。

(電力の鬼といわれた実業家で、茶道にも造詣の深い松永安左エ門は、その著述で「老いて病んで貧乏したとする。これも止むを得ない自然だ。悔やむ代わりにむしろ楽しむ気になれぬものだろうか。日々是好日、尻つぼみも爽快なる男子の最後の飾りと思うのは無理か」と述べている。この二つを合わせ読むと、意味合いが分かってくるように思う。私も72歳、年を取り、体のあちこちの部品が時々、ポツリと抜け落ちていく感覚、最近は目の部品、笑える。)
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