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フィリピン駐在の友人からのメール(2021/10/16)

2021-10-16 13:37:10 | どん底に落ちたとき
takeda リストラを聞いたマニラ駐在の友人より届いたメール

Live your life with a joyful heart and keep your spirit free.
Stay true and firm to all your dreams and be the best that you can be.
Put God first in everything you do and success will surely follow you!

God brings us into this world from nothing,
but to him we mean something.
So he wants to share with us everything,
because he loves us more than anything.

Happiness isn’t getting what we want but being satisfied with what we have.
The way to be happy is to be grateful even with the small blessings we receive.

Never be discouraged when things do not measure to your expectation.
Always remember that the greatest glory in life is not winning, but rising every time we fall!

Trials don’t come to make us fall,
but rather to look to God to call.
Trials don’t serve as keys to hate,
but rather as doors to gather faith.

Life can give us a hundred reasons to cry, but God and give us a thousand reasons to smile!
God gives us strength to face our problems, not to flee from them.

Never regret a day in your life!
Good days give you happiness, bad days give you experience.
Both are essential to life.

(T社リストラを聞いた、当時フィリピン駐在の友人から17年近く前、メールで送られたもの。フィリピンのクリスチャンの友人達からもらったメールを貯めたものと思われる。どの一節も心に響いた。「人生では決して悔やむことはない。順風満帆の日は幸せを享受し、まずい日々は経験を積むことができる。良い日も悪い日も人生に必要不可欠なものだ。」気持ちが萎えかかると、この最後の一節が力を与えてくれた。その後も数年に一度は、顔面蒼白になる家族の危機に遭遇したが、振り返るといい経験experienceだったと思い知る。)
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自由、幸福ということ(2021/10/1)

2021-10-02 21:34:36 | どん底に落ちたとき
自由、幸福ということ  松永安左エ門 全集第六巻 p381 より

 自由ということは人間の幸福ということだ。しからば人間の幸福とは何であるかというとはなはだ難しくなってくる。人間が金を沢山持っておるのが果たして幸福か。金を持ったことによって自由が失われているならば、これは非常な不幸である。金や衣食を豊富にもっていても、心の自由のない人は不幸な人間といわねばならない。一方、政治上や宗教上の偉人達を眺めてみるに、世間から迫害をうけ、あるときは獄につながれ、毎日の生活はひどい貧窮ぶりであり、ある人は死刑にすらなっている。このように信念や主義主張のために、世俗的には最大の不幸のように見られる事も果たしてこの偉人達にとっては不幸であったろうか。これは決して不幸ではないのである。この偉人達の苦悩によって社会を進歩せしめ、人心を救済している歴史的事実は、偉人達の幸福すなわち真の自由の獲得者であることを実証している。私の貧しい経験からいっても過去に貧乏し、事業に失敗して身代限りも何回かやりあるいは牢に入り、病気にもなったが、この時代を自ら不幸だったと考えていない。こういう打ち続く不幸も私にとっては一種の抵抗力を加えたものと考えている。

 自由を求めるための苦悩は一種の研磨剤だといいうる。肉体的に磨かれている間は苦しいものだが、その間に一歩一歩と自己の人生観をたかめ落ち着きが生じ、さらに人生への勇気が百倍して行ったことが、今日よく分かるのである。だからこれを不幸というよりは幸福といわねばならぬではないか。私はすばらしい金持ちでもなく大臣、高官にもならなかったが、今日の私は非常に幸福である。それは自由を持っている。すなわち心の自由が存在するからである。

(私の思い出深い挫折の54歳でのリストラ言い渡しから実際に去るまでの1年間、社内の元同僚たちの冷ややかな好奇の視線をあびながら「肉体的に磨かれているあいだは、苦しいものだか、その間に一歩一歩と自己の人生観を高め落ち着きが生じ、さらに人生への勇気が百倍した」の一節が、よく脳裏を横切った。振り返ると、気持の成長期で、幸せだったと実感する。3年前の春、心に浮かんだ俳句「金じゃない 心の自由 さくら道」 。
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