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籠城(2021/9/2)

2021-09-02 17:54:01 | どん底に落ちたとき
松永安左エ門著作集6巻414p

明治40年(1907)5月 33歳
 福沢桃助に誘われ、高野山に遊ぶ。「あそこには極楽橋という橋があるが、その橋を渡るときに、これを渡れば罪がみな消えるということですよ、と誰かがいうから、そんならこの橋を渡れば追敷(相場の変動に際し損方の証拠金不足額を追加徴収する証拠金)も取りに来ないかな、と言って嘆声を漏らした。その時分はつまり追敷ということにのみ悩まされていたからだ。桃助さんは逆に追敷を取っていたのだからテンデ敵ではない。私の半生はそれで何もかも片付けられてしまった。」
 過去を振り返ってみると学校を出てから、本を読むこともできないし、趣味を楽しむこともできない。そして元気のあるがままに手段を選ばず、方法を考えずに、金を得ることにのみ驀進し、没頭していた。これから修養もしなければならない。書物も読まなければならない。よしまた今までのままでやって行っても、それで真に偉くなれるとは思われない。今、自分は生涯の転換期に立っているのだ。この頭も作り替えなければならない。立場も変えなければならない。今までのように、如何なる兵器を持っても戦うというのはよくない。戦場も選ばなければならない。無意義な悪戦苦闘を繰り返していてはいけない。
 それからのことを考えると・・・さて私も五十まで生きるかどうかも解らない。・・体も以前のようではなく、神経も極度に疲労してきたが・・・人生五十年を標準として、まだ五十までには十六、七年ある。ここで四、五年休んでもよかろう、と思って、灘の住吉の呉田の浜の家を借りて、二カ年分の家賃を前払いして、籠城する。

( 松永安左エ門は、身代限りを2度やったと晩年書いているが、その当時の様子を綴ったこの文章を読むとさぞ苦しかったろうと言葉もない。その後の籠城して読書と思索に没頭したとの下りには、学ぶところが大きい。 )
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