goo

任小卿(じんしょうけい)に報ずるの書(司馬遷)(2023/4/5)

2023-04-05 16:57:43 | どん底に落ちたとき
任小卿(じんしょうけい)に報ずるの書(司馬遷 史記 平凡社 上p485)

私は怯懦(きょうだ)で、かりそめにも生きていたいとは思いますが、それでも出処進退の分は存じております。どうして、ただ牢獄につながれる辱めの中に沈溺したりいたしましょうか。いったい、下男下女のような賎しい者でも、自決はいたします。まして、追いつめられたわたくしが自決できない筈はありません。それを隠忍して生きながらえ、糞土の中に閉じ込められているような現下の状況に耐えておりますのは、心中に誓ったことを完成しないのが残念であり、このまま死んだのでは、わが文章が後世に現れないのを惜しむからであります。

(紀元前99年に司馬遷が匈奴の捕虜になった将軍の李陵を弁護したため、皇帝の逆鱗に触れ、投獄され宮刑に処せられ、3年後出獄、5年後の紀元前91年に史記を完成させた年に司馬遷によって書かれた手紙。司馬遷と同じ境遇になった、漢の役人の任小卿に宛てた手紙で、司馬遷の心情が偲ばれる。またこうした人材を世に出した中国の底力にも敬服。Takeda)


任小卿については、司馬遷の史記に詳しい(平凡社訳本 下巻p108~)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

内村鑑三 一日一生 7/9日 (2023/3/1)

2023-03-01 13:46:08 | どん底に落ちたとき
内村鑑三 一日一生 7/9日

試練を耐え忍ぶ人は、幸いである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。(ヤコブ書1-12)

栄光は恥辱の後に来る。人に嘲られ(あざけられ)、踏みつけられ、面前にて卑しめられ、悪人として偽善者として彼らの蔑視するところとなりて、しかる後に吾人に栄光は来るなり。しかり、恥辱は栄光の先駆なり、開拓者なり。春の夏に先だつごとく、月欠けて後にその満つるがごとく、恥にあうて吾人に栄光の冠をいただくの希望あり。吾人は喜んで人の辱めを受くべきなり。

(T社を19年前リストラ通告され、1年後、本当にリストラされ、この間の1年間は、世間体が悪い、破門された、手のひらを返すような元同僚・後輩の嘲笑、罵倒、等々腰をかがめて這って進むような、しんどい毎日。当時も内村のこの個所を読んだが、それほど印象には残らなかった。いのちの冠を実感できなかったから。19年後の今は、最後まで裏切らない友達に囲まれて、ピールを酌み交わしながら、釣りだ畑だの愉快な毎日。「喜んで人の辱めを受くべきなり」、の指摘そのとおりだと実感される。)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

破門・破産(2023/1/28)

2023-01-28 14:54:23 | どん底に落ちたとき
松永安左エ門全集 第3 月報 より

 終戦の混乱時、奥村綱雄が45、6の若さで野村證券の社長に就任、得意満面の表情で松永に報告した。すると松永は「人間、その一生涯で病気、失恋、駆け落ち、勘当、落第、破門、破産等等、失敗を一つでも多く重ねた人間でなければ本当の成功は出来ない。君はいま程度の成功を鼻にかけている様では、前途遼遠だ」と言い切った。

(19年前、T社リストラを言い渡された当時、「破門された」が実感。しかし、この失敗は本当の成功への第一歩だとの、この一節は、勇気を与えてくれた。以来、「釣りだ畑だ山登り」と毎日充実した日々で、これで目出度し、目出度しと思っていたら、孫が発達障害だと診察されて青ざめたり、次男が会社を4か月で辞めて我が家に出戻り親子で失敗を重ねることと、なった。それが峠を越えると、今度は長男が病を得たりで、何度か窮地に立たされた。その時は、苦しいが、振り返ると、失敗のたびに目が開かされて日々が充実してきたように思う。takeda)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

黒崎駅近くのカレー屋さんで みかけた絵(2022/12/18)

2022-12-18 14:04:42 | どん底に落ちたとき
 2016/6月のお昼、初めて寄った北九州市の黒崎駅近くの老舗カレー屋(龍)に飾ってありました。気に入ったので写真を撮りました。

「悲しみや 苦しみを 味わった 人ほど 目が優しくなり 言葉があたたかくなる そして 静かな人になる」
 と、言葉が記されている絵。

 今の店主の父上が50年か60年前?友達から書いてもらったものを、代が変わってからも息子さんが大事に飾っているとのこと。
 店の雰囲気も、こざっぱりしてソフトで明るく、何度も寄りたくなるお店でした。
 
 この絵をスマホで撮影し、病気療養中の長男に、メールでこの絵の写真に言葉を添えて送りました。あれから6年、長男は職場に復帰、いいお父さんになったようです。
 
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

現在の瞬間的充実を積み重ねていけば将来は明るくなる(2022/10/7)

2022-10-07 15:06:39 | どん底に落ちたとき
松永安左エ門著作集 第四 p318 より

10年かかって負けたものを取り戻すには20年、30年、もっともっと50年、100年の長いロングランを必要としよう。それにはまたそれだけの手段と方法を選ばなければいけない。あせらぬことだ。おこたらぬことだ。ステップ・バイ・ステップにしっかり足元を踏み固めて行くことだ。

 勝っても負けても、それはもう過ぎた問題である。いつまでくよくよしたり、うじうじしていたって始まらぬことだ。ただ始まるのはいつでも現在からである。勝ったものが負けるのも現在からの踏み出しによろうし、負けたものが勝つのも現在からの踏み出しによろう。現在の瞬間的充実を積み重ねて行けば将来はおのずから明るく開けてくる。日本が負けても決して負けっぱなしにならないのはこれから始まる。

(「現在の瞬間的充実を積み重ねて行けば、将来はおのずから明るく開けてくる。」31年働いたT社のリストラが決まり、しょぼくれた最後の1年の会社への行き帰り、毎日毎日この一節を、繰り返し噛みしめた。今は最後まで裏切らない何人かの新しく得た親友と、田舎の自然に囲まれて、「決して負けっぱなしにならない」と実感しているところです。)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ロールプレーイングだけの人生(2022/8/20)

2022-08-20 16:51:57 | どん底に落ちたとき
http://www.gebata.com/030216.htm より

┃●ロールプレーイングだけの人生●┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 平然と人を殺す加害者にとって生命(いのち)は軽い。同様に被害者にとっても、生命が軽すぎる。この構図はいまや、若者たちに限らず、全世代に広がろうとしているようだ。
 私見では、生命が軽すぎるのは、誰も人生そのものを生きていないからである。制度の下での、あるいは組織に所属しての、ロールプレーイングしかしていない。「教育ママ」に典型的なのだが、そのロールプレーイングこそが人生だという錯覚に陥っている。
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃●鴎外が指摘した「生活不在」●┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 明治の文豪、森鴎外は1910(明治43)年の作品「青年」で、主人公の小泉純一に次のように言わせている(正確に言えば、「青年」の中に純一の日記を登場させている。その日記の一節だから「書かせている」というべきであろうか)。
 《以下引用》
 一体日本人は生きるといふことを知ってゐるだろうか。小學校の門を潜つてからといふものは、一しょう懸命に此(この)學校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思ふのである。學校といふものを離れて職業にあり附(つ)くと、その職業を為(な)し遂(と)げてしまはうとする。その先には生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に劃した一線である。此線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
 《引用終わり》
 ここで鴎外が言っている「生きるといふこと」「生活」こそが、人生そのものであろう。学校を駆け抜けようとし、職業を成し遂げようとするだけの人生こそ、ロールプレーイングとしての似非(えせ)人生である。

(「現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」予期せぬ中国からの帰国を命ぜられ、帰国すると、一年後お前は、リストラと申し渡され、半日、どこがしくじったのかと過去を悔み、これから先、我が家の経済は成り立つのかと、将来をくよくよ。一日後、今日だけの勝負でいこうと決心。そのころ、この鴎外の一文を読み、ヨッシャ、これでいこうと、勇気が百倍しました。勇気の出る文章です。それから19年、今は、一日一日が宝物です。 takeda)

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ヒルティ 眠らぬ夜のために 1月25日(2022/7/20)

2022-07-20 15:02:15 | どん底に落ちたとき
恐怖は常にただしからざるものの前兆である。
これをさがしだして、克服しなくてはならない。
そうすれば、恐怖は、災いどころか、ただしい生活への道しるべとなろう。

 われわれは、完全なものになるという義務を負うている。
ただしく求めさえすれば、われわれは、それに必要なすべての力と洞察を得ることができる。
しかし、たいていの人間は、たとえそれをさずけられても、ある種の、完全性を全然ありがたいことだとは思わない。
かれらのたましいは、あまりにも世俗の塵にまみれているのである。
(マタイ伝5-48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい。
レビ記 19-2 あなたがたの神、主なる私は聖なるものであるから、あなたがたも聖でなければならない)

20歳になったころ、強迫神経症で暗い毎日を送ったことがある。大学の授業中に突然叫ぶのではないかと、気になり、これは精神の異常ではないか、さらに病状が進んで精神的に廃人になるのではと、恐怖感。一年ばかりして、フランクルの時代精神の病理学を読んて、なんだと安心、今に至っている。周りの誰かを社会的に排除したりしては、逆にこちらが傷つく、どうということもない、普通の人に大きな智慧が潜んでいることがあると、この経験から学んだ。ヒルティの「恐怖はわざわいどころか、正しい生活への道しるべ」確かにである。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

一日一生(内村鑑三) 12月2日 (2022/5/7)

2022-05-07 17:22:23 | どん底に落ちたとき
一日一生(内村鑑三) 12月2日

悪しき者の得る報いはむなしく、正義を播く者は確かな報いを得る。正義を堅く保つ者は命に至り、悪を追い求める者は、死を招く。心のねじけた者は主に憎まれ、まっすぐに道を歩むものは彼に喜ばれる。確かに、悪人は罰を免れない。しかし正しい人は救いを得る。(箴言11・18-21)

正義は敗れて興り、不義は勝ちて亡ぶ。これ歴史の恆則(こうそく)にして、過去六千年の人類の実験に徴して明らかなり。暴者一時の勝利は彼の一段の衰滅と堕落とを招き、義者一時の蹉跌はその一層の興起と上進とをうながす。ソクラテス鴆毒(ちんどく)に死して、彼の教旨は時の文明世界にあまねく、キリスト十字架につけられて、十九世紀末期の今日、彼は王の王として泰西億兆の崇敬をつなぐ。倒れて香を放つものは栴檀(せんだん)なり、死して光を揚ぐるものは正義なり。吾人あに務めざるべけんや。

(19年前のT社リストラ以降、わが身の釣りだ畑だ山登りの思わぬ愉快な日々やら、周りから去っていった人々の消息を聞くにつけ、「正義は敗れて興り、不義は勝ちて亡ぶ」を実感します。個人も、国も。 takeda
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

内村鑑三 「続 一日一生」1/31日(2022/3/1)

2022-03-01 14:57:57 | どん底に落ちたとき
内村鑑三 「続 一日一生」1/31日

 「主は心の砕けたものに近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。
正しい者には災いが多い。
しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。(詩篇34・18~19)

人々に臨む艱難は種々さまざまである。
しかして各自に臨む艱難は、その人にとり必要欠くべからざる艱難である。
彼を清め、彼を鍛え、彼をして神の前に立ちて完全なる者たらしめるために、是非とも臨まねばならぬ艱難である。
かくのごとくにして、ある人は家庭の艱難を要し、ある人は病の艱難を要し、ある人は失恋の艱難を要し、ある人は貧困の艱難を要し、ある人は失敗落魄(らくはく)の艱難を要するのである。
人各自の悩む病にしたがい特殊の薬を要するがごとくに、各自の欠点を補うために特殊の艱難を要するのである。
艱難は前世の報いではない。
来世の準備である。
刑罰ではない。
恩恵である。
われはわれに臨む特殊の艱難によりて、楽しき神の国に入るべく磨かれ、また飾られ完全(まっと)うせらるるのである。
されば人は何びとも彼に臨みし艱難を感謝して受くべきである。

(予期せぬ北京の帰国を伝えられ、がっかりして春節の休暇で帰国、我が家の寝室に25年間開かれずに放置していた、内村鑑三の「続一日一生」を開いたとき、最初に目にとまった箇所。以来18年、無我夢中で過ごしてきたら、艱難によりて、磨かれるが実感される。この艱難、津波のように次々くるものらしい。 takeda)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

屈原の「懐沙の賦」(2022/1/31)

2022-01-31 15:31:39 | どん底に落ちたとき
史記 平凡社発行中巻p335

令尹子蘭は、屈原が自分を憎んでいると聞いて大いに怒り、上官大夫に、屈原について頃襄王に誹謗させた。頃襄王は怒って、屈原を流罪にした。屈原は揚子江岸に着いて、ざんばら髪のまま、沢のほとりを沈吟しながら歩いていた。顔色はやつれて、身体づきは枯れ木のように痩せていた。漁夫が見かけて問うた。
「あなたは三閭大夫(楚の王族を司る官 屈原はかつてこの官についていた)ではありませんか。どうして、こんなところに来られたのですか。」
屈原は言った。
「世の中すべてが濁っていて、私だけが澄んでいる。衆人が皆酔っていて、私だけが醒めている。だから放逐されたのだ」
「そもそも聖人は、物事にこだわらず、世の中とともに推移するのです。世の中すべてが濁っているのでしたら、どうして、その濁流に身をまかせて、濁った波をあげないのですか。衆人が皆酔っているのでしたら、どうして、その糟(さけかす)を食べ、そのうわずみをすすって、共に酔わないのですか。なに故に、珠ともまごうすぐれた才能をいだきながら、自分から放逐されるようなことをなさるのですか」
「聞くところによれば、『新たに頭髪を洗うものは、必ず冠をはじいて塵をはらってからかぶり、新たに入浴するものは、必ず服をふって埃をはらってから着る』とのことだ。誰が清潔の身に汚れた埃など受けようか。それよりも揚子江の流れに身を投げて、魚の腹中に葬られた方がましだ。皓々(こうこう)と潔白な身に、世俗のどす黒い塵埃など蒙ることができようか」
 そこで、屈原は「懐沙の賦」(かいさ のふ 沙石をいだいて投身するの賦)をつくった。その辞にいう

「陽気さかんなる初夏
草木はおどろに茂る
わが心いたみて 絶えず悲しみ
南の土地へと急ぐ
瞬きてよく見れど 谷は冥く(くらく)
ひたと静もりて音も無し
心ふさぎて もだえいたみ
禍のいたりて 長く窮す
情(こころ)をなだめて 志を見定め
むりやりに みずから抑えぬ
角なるをけずりて、円やかになすも
定まれる法度は すつるによしなし
初めの道を易えなんは
これ 君子のいやしむところ
計画して墨ひくに
はじめの道を改めず
心なおく性敦厚(さが あつ)きを
大人たたえてやまず
腕利きの匠とて 細工せずば
たれか尺度の正気を知らん
黒き模様の暗処にあれば
盲人は言わん 模様なしと
かの離婁(りる 昔の視力にすぐれたひと)眼をほそめて流し目すれば
彼も盲者と 盲人は思わん
白を変じて黒となし
上をさかしまにして下となす
鳳皇(おおとり)は籠中にあり
雛・雉は空を翔け舞う
玉と石とをつきまぜて
一升に ともに量る
かの党人の賤しくかたくなにして
ああ わが抱く宝を知らざる
荷は重く 載せたるは多く
車落ち込みて動かず
瑾(きん)をいだきて瑜(ゆ)をにぎれども
窮しては誰にか示さん
村犬の群れて吠ゆるは
怪しむとろこを吠ゆるなり
俊れたるを誹り傑(たかき)を疑うは
凡人の常態(つね)なり
外を飾らず質朴なれば
衆人はわが異彩を知らず
削らぬままに材木の多ければ
わが才能を知る人ぞなき
仁をかさね義をかさね
慎みて徳を豊かになせど
かの重華(舜)に逢うことのなくんば
たれか我が本来を知らん
聖君と賢臣 古き世にも並ばぬあれど
そも何故なるやを知らず
湯王・禹王は はるけき昔
漠として慕うによしなし
恨みをとどめ怒りを改め
こころに抑えてみずからつとめ
憂患あれども心動かず
後の世の範とならばや
路を進みて北に宿れば
日は暗くして いま暮れなんとす
憂哀はあれども 口にはいださず
きたるべき死をば待たなん

乱(むすびの歌)に言う

広大なる沅(げん)・湘(しょう)の水
別れ流れて速やかなり
はるけき路 草に覆われ
ゆくては見えず
吟詠してつねに悲しみ
嘆きてやまざること久しきも
世人すでにわが心を知る無く
説くに術なし
真心と素朴な性質をいだけども
証を立てんよしもなし
伯楽のすでに死しては
駿馬の力 たれか量らん
人の生まるるや天命をうけ
おのおの定めに安んずるあり
心根しかと志を広め
われ また などて畏懼(おそれ)れん
されど かさねて傷み哀しみて
長嘆息の絶えざるは
濁りたる世のわが心を知らず
説く術なければなり
死は避け得ずと我は知る
生命惜しまん事なけん
明らかに告げん 世の君子
公らが範とわがなるを

 かくて、石を懐に入れて、ついに汨羅(べきら 湖南省)に身を投げて死んだ。・・・・その後楚は日々に領土を削減されること数十年、ついに秦に滅ぼされた。・・・・
 私(司馬遷)は離騒・天問・招魂・哀えい(全て屈原の楚辞の篇名)を読んでは、屈原の志を悲しむ。また、長沙におもむいて、屈原がみずから沈んだ淵を観たが、涙を流して屈原の人柄を追想せざるを得なかった。

(私が20年近く前、仕事で中国の北京に滞在していたとき、何人もの中国の友人から、端午の節句にチマキを食べる由来を聞かされた。公の事に全力を注いで非業の死を遂げた屈原を偲んで、揚子江流域の住民が郷土料理の餅を川に投げ入れたことに由来すると。中国の誇る政治家であると、皆さん目を輝かせていたのが昨日のことのようです。日本人の私が読んでも、史記に記された屈原の詩は、心に沁みます。屈原が詩の中で、同時代の人でなかったのを残念に思っている禹は黄河の治水に生涯を賭けた紀元前2070年頃の政治家でした。)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
« 前ページ