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黒崎駅近くのカレー屋さんで みかけた絵(2022/12/18)

2022-12-18 14:04:42 | どん底に落ちたとき
 2016/6月のお昼、初めて寄った北九州市の黒崎駅近くの老舗カレー屋(龍)に飾ってありました。気に入ったので写真を撮りました。

「悲しみや 苦しみを 味わった 人ほど 目が優しくなり 言葉があたたかくなる そして 静かな人になる」
 と、言葉が記されている絵。

 今の店主の父上が50年か60年前?友達から書いてもらったものを、代が変わってからも息子さんが大事に飾っているとのこと。
 店の雰囲気も、こざっぱりしてソフトで明るく、何度も寄りたくなるお店でした。
 
 この絵をスマホで撮影し、病気療養中の長男に、メールでこの絵の写真に言葉を添えて送りました。あれから6年、長男は職場に復帰、いいお父さんになったようです。
 
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ヒルティ 眠られぬ夜のために 3月7日(2022/12/4)

2022-12-04 21:26:36 | 人生楽しく生きる
ヒルティ 眠られぬ夜のために 3月7日

 力のゆるすかぎり、不断に有益な仕事をすることは、たえず神の近くにあることとともに、およそ人生が与えることのできることのなかで最もよい、最も満足すべきことである。しかも、ひとたびこの原則をしっかりおのれの生活のなかへ取り入れることができたならば、過度な、不必要な仕事や、あまりに性急な神経質な仕事から、早くより身をまもることができるのである。
 とりわけ、使徒パウロが時を生かして用いる(エペソ人への手紙 5の16)
と名付けたところのことは、これまでからもしばしば、精神的な事柄において、落ち着きのない焦燥奔命を惹き起こす原因になっている。これは、人生についてのキリストの教えた見解とまったく一致しないもので、つねにあわてふためくことばかりに時間をとられてしまって、それ自体では立派な仕事をもなしとげられないという結果になってしまう。(ヨハネによる福音書 7の3)
このような落ち着きのない活動欲は、むしろパウロを通じてキリスト教の中に入ってきたユダヤ的な要素である。だから、パウロの手紙も晩年のものになると、ずっと慰めの力にみち、精神的な内容と深さにおいて、以前のものをはるかに凌いでいるのであるが、これは、かれもついに神の導きによって、彼の気質のなかにはなかった落ち着きを得たがためである。われわれにとっても、あらゆる教会活動や布教運動にも増して、もっと多くキリストの真の精神をみにつけることが、必要であろう。

(同志会という小さいキリスト教系の寮で学生時代暮らしていたが、毎週金曜日の晩に礼拝と感話会に来てくれていた、小西芳之助牧師が、毎回のように小さい目の前の義務を一生懸命すれば、それで良いと話してくれた。大工は大工の仕事、運転手は運転手の仕事。これを守ってきたおかげて、サラリーマン時代の激務も体も心も壊さなかったし、毎日が日曜日の今も、家の掃除やら皿洗い、畑の健康野菜作りやら、釣りやらで時間を持て余すことがない。50年たった今も、小西先生の熱弁が懐かしく思い出される。takeda)
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