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フィリピン駐在の友人からのメール(2018/12/14)

2018-12-14 17:34:10 | どん底に落ちたとき
takeda リストラを聞いたマニラ駐在の友人より届いたメール

Live your life with a joyful heart and keep your spirit free.
Stay true and firm to all your dreams and be the best that you can be.
Put God first in everything you do and success will surely follow you!

God brings us into this world from nothing,
but to him we mean something.
So he wants to share with us everything,
because he loves us more than anything.

Happiness isn’t getting what we want but being satisfied with what we have.
The way to be happy is to be grateful even with the small blessings we receive.

Never be discouraged when things do not measure to your expectation.
Always remember that the greatest glory in life is not winning, but rising every time we fall!

Trials don’t come to make us fall,
but rather to look to God to call.
Trials don’t serve as keys to hate,
but rather as doors to gather faith.

Life can give us a hundred reasons to cry, but God and give us a thousand reasons to smile!
God gives us strength to face our problems, not to flee from them.

Never regret a day in your life!
Good days give you happiness, bad days give you experience.
Both are essential to life.

(T社リストラを聞いた、当時フィリピン駐在の友人から15年近く前、メールで送られたもの。フィリピンのクリスチャンの友人達からもらったメールを貯めたものと思われる。どの一節も心に響いた。「人生では決して悔やむことはない。順風満帆の日は幸せを享受し、まずい日々は経験を積むことができる。良い日も悪い日も人生に必要不可欠なものだ。」気持ちが萎えかかると、この最後の一節が力を与えてくれた。写真は、秋の仲間内のバスハイクに、バイク事故で足を骨折して、車椅子で参加したKB氏のスナップ。痛い災難だったが、ご本人にも周りの皆さんにもいい経験。takeda)
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自由、幸福ということ(2018/12/6)

2018-12-06 12:35:02 | どん底に落ちたとき
自由、幸福ということ  松永安左エ門 全集第六巻 p381 より

 自由ということは人間の幸福ということだ。しからば人間の幸福とは何であるかというとはなはだ難しくなってくる。人間が金を沢山持っておるのが果たして幸福か。金を持ったことによって自由が失われているならば、これは非常な不幸である。金や衣食を豊富にもっていても、心の自由のない人は不幸な人間といわねばならない。一方、政治上や宗教上の偉人達を眺めてみるに、世間から迫害をうけ、あるときは獄につながれ、毎日の生活はひどい貧窮ぶりであり、ある人は死刑にすらなっている。このように信念や主義主張のために、世俗的には最大の不幸のように見られる事も果たしてこの偉人達にとっては不幸であったろうか。これは決して不幸ではないのである。この偉人達の苦悩によって社会を進歩せしめ、人心を救済している歴史的事実は、偉人達の幸福すなわち真の自由の獲得者であることを実証している。私の貧しい経験からいっても過去に貧乏し、事業に失敗して身代限りも何回かやりあるいは牢に入り、病気にもなったが、この時代を自ら不幸だったと考えていない。こういう打ち続く不幸も私にとっては一種の抵抗力を加えたものと考えている。

 自由を求めるための苦悩は一種の研磨剤だといいうる。肉体的に磨かれている間は苦しいものだが、その間に一歩一歩と自己の人生観をたかめ落ち着きが生じ、さらに人生への勇気が百倍して行ったことが、今日よく分かるのである。だからこれを不幸というよりは幸福といわねばならぬではないか。私はすばらしい金持ちでもなく大臣、高官にもならなかったが、今日の私は非常に幸福である。それは自由を持っている。すなわち心の自由が存在するからである。

(私の数少ないの挫折の54歳でのリストラ言い渡しから実際に去るまでの1年間、社内の元同僚たちの冷ややかな視線をあびながら「肉体的に磨かれているあいだは、苦しいものだか、その間に一歩一歩と自己の人生観を高め落ち着きが生じ、さらに人生への勇気が百倍した」の一節が、よく脳裏を横切った。振り返ると、気持の成長期で、幸せだったと実感する。昨年の春、心に浮かんだ俳句「金じゃない 心の自由 さくら道」 冒頭の写真は、せっかく播いたソラマメの種がカラスに残らず食われ、カラスの宴の跡。ガックリだったが、有効な対策も打ち、この失敗のおかげで、畑の知識も増えた。takeda)
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籠城(2018/11/26)

2018-11-26 22:43:49 | どん底に落ちたとき
松永安左エ門著作集6巻414p

明治40年(1907)5月 33歳
 福沢桃助に誘われ、高野山に遊ぶ。「あそこには極楽橋という橋があるが、その橋を渡るときに、これを渡れば罪がみな消えるということですよ、と誰かがいうから、そんならこの橋を渡れば追敷(相場の変動に際し損方の証拠金不足額を追加徴収する証拠金)も取りに来ないかな、と言って嘆声を漏らした。その時分はつまり追敷ということにのみ悩まされていたからだ。桃助さんは逆に追敷を取っていたのだからテンデ敵ではない。私の半生はそれで何もかも片付けられてしまった。」
 過去を振り返ってみると学校を出てから、本を読むこともできないし、趣味を楽しむこともできない。そして元気のあるがままに手段を選ばず、方法を考えずに、金を得ることにのみ驀進し、没頭していた。これから修養もしなければならない。書物も読まなければならない。よしまた今までのままでやって行っても、それで真に偉くなれるとは思われない。今、自分は生涯の転換期に立っているのだ。この頭も作り替えなければならない。立場も変えなければならない。今までのように、如何なる兵器を持っても戦うというのはよくない。戦場も選ばなければならない。無意義な悪戦苦闘を繰り返していてはいけない。
 それからのことを考えると・・・さて私も五十まで生きるかどうかも解らない。・・体も以前のようではなく、神経も極度に疲労してきたが・・・人生五十年を標準として、まだ五十までには十六、七年ある。ここで四、五年休んでもよかろう、と思って、灘の住吉の呉田の浜の家を借りて、二カ年分の家賃を前払いして、籠城する。

( 松永安左エ門は、身代限りを2度やったと晩年書いているが、その当時の様子を綴ったこの文章を読むとさぞ苦しかったろうと言葉もない。その後の籠城して読書と思索に没頭したとの下りには、学ぶところが大きい。写真は、日本一細長い半島、佐田岬半島の先端近くの佐田岬漁港。籠城にはこうした海辺の町がいい。Takeda )
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史記 二人の布(2018/11/17)

2018-11-17 16:52:57 | どん底に落ちたとき
司馬遷 史記(平凡社 下巻 86ページ)

季布(きふ)・欒布(らんふ)列伝


季布は承諾した。そこで、ただちに季布の頭髪を剃り、首かせをはめて奴僕に見せかけ、粗末な毛織の衣服を着せ、広柳車(覆い付きの大車)の中にいれ、家僕数十人とこみにして、魯の朱家のもとに連れて行って売った。朱家は、内心、季布だと知りながら、買い入れて田地に置き、その子を戒めていった。「農事についてこの奴僕の言うとおりにし、必ずいっしょに食事しなさい」・・・高祖はただちに季布を赦した。当時、貴顕たちはみな、季布がよくおのれの剛毅を抑えて柔軟にふるまったことを賞賛し、朱家もこのことで名声が当世に聞こえた。・・・孝恵帝の時代に季布は中郎将(近衛兵をつかさどる官)となった。・・


・・・いま、彭王は既に死にました。わたくしも、生きているよりも死んだほうがましです。どうか、煮殺してください」
そこで、高祖(漢帝国の創始者)は欒布の罪を許して、都尉に任じた。・・・欒布は常々「困窮したときに、恥辱にたえて身を落とし、願望をおさえることができないようでは、一人前の人間ではない。富貴になったときに、しみったれて思いのままにふるまうことができないようでは、賢人ではない」・・・

大史公(司馬遷)曰く・・・
意気盛んな項羽のもとにあってさえ、季布は勇をもって楚で有名であり、身はしばしば敵軍をくつがえし、敵をやぶってはその旗を奪い取った。壮士というべきである。しかし、罪を問われる境遇に追い込まれると、人の奴僕になりさがっても死ななかった。なんと身を落としたことか。彼は必ずやおのれの才能に自負するところがあり、辱めをうけても恥と思わず、その才能の活用を念じて、まだ満足するところまでいかなかったからであろう。だからこそ、ついに漢の名将となったのだ。賢者はまことにその死をおもんずるものである。あの奴妾・賤民が悲嘆にくれて自殺するのは、勇気があるからではない。いったん、生きるための計画がくずれると、それを立て直すことが出来ないからである。欒布が彭越に対して哭礼をおこない、煮殺しの刑に処せられる際、帰するがごとく平静であったのは、身を処するところを知っていて、死そのものを重しとしなかったからである。昔の烈士であっても、この二人以上のなにができただろうか。


(司馬遷が史記のなかで、ここまで、生き方を認める人物は、少ない。宮刑になったあとも、自殺せず、史記を書き続けた司馬遷その人の生き方と二重写しになる。落ちて、辱めを受けても、誇りと使命を忘れない。2200年前の中国の歴史家の生き方は今も、落ちこぼれの一人一人に勇気を与えてくれる。私も気を取り直した一人。写真は、9月の台風の風で、支柱が折れて、倒壊したつくね芋の茎。支柱を補強して起こし上げて、今は順調に成長中。takeda)

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旧約聖書のエレミヤ書にある、バルクの堂々たる晩年(2018/11/8)

2018-11-08 18:18:15 | 老いて病んで貧乏したとき
旧約聖書 エレミヤ書45章

 ユダの王ヨシヤの子エホヤキムの4年に、ネリヤの子バルクがこれらの言葉をエレミヤの口述にしたがって書に記した時、預言者エレミヤが彼に語った言葉。
「バルクよ、イスラエルの神、主はあなたについてこう言われる。あなたはかつて、『ああ、私はわざわいだ。主が私の苦しみに悲しみをお加えになった。私は嘆き疲れて、安息が得られない』と言った。あなたはこう彼に言いなさい。主はこう言われる、見よ、わたしは自分で建てたものをこわし、自分で植えたものを抜いている。-それは、この全地である。あなたは自分のために大いなる事を求めるのか、これを求めてはならない。見よ、私は全ての人に災いを下そうとしている。しかしあなたの命はあなたの行くすべての所で、ぶんどりものとしてあなたに与えると主は言われる。」

(聖書の旧約聖書の預言書の2大巨峰である、イザヤ書、エレミヤ書のエレミヤ書に記されている、短い章。バルクとは、エレミヤの予言を、エレミヤに頼まれ、記述した人物。エレミヤが時勢におもねらなかったため、バルクも晩年まで冷や飯を食い続けた。そのバルクにエレミヤを通して語られた予言かこれ。報われず、つらいだけの人生だった? 悲観しなさんな、あなたの命は、あなたのぶんどりものであることを、知りなさいと。死の間際まで、元気で過ごせるよ、つまりピンピンコロリ。冷や飯続きの貧乏くじばかりでも、正しいと思うことを、生涯貫けば、あなたの命はあなたにぶんどりものとしてあなたに与えるとは、素晴らしい人生で、勝ち戦。あんがい身近な手の内にあるのだと知れる。写真は、鶴見岳、由布岳。旧約聖書の預言者は、特にイザヤ、エレミヤはこの山のような、気高さがある。バルクも同様。takeda)
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平凡なその日その日の生活

2018-10-31 14:30:31 | どん底に落ちたとき
松永安左衛門全集 3巻149p より

 日日是好日という禅語は人の世に立つ大きな示しであるが、過去は過ぎ去ったわれ、未来はまだ自分に来ぬ、現在の一刻はわれの一日だ、過去を悔やんでも役に立たぬ。未来を案じ煩っても、益するところはない。立天立地、この一刻、この一日の現在こそ過去の集積の実を満喫し、未来千万劫年に連なりて生きる我のその一瞬の生命であり、一日をよく送りうる人は千万劫年の後にも生きうる人だ。平凡なその日その日の生活こそ、シッカリ踏みしめて渡らねばならぬ、「好き一日」である。

(平凡なその日その日の生活こそ、シッカリ踏みしめて渡らねばならぬ、「よき一日」である。不遇の時も、愉快な今日も、今日一日だけと噛みしめて、T社リストラ後の14年間を送ってきた。好い日々でした。冒頭の写真は、takeda農園で、地域の祭りに使うカッポ酒の竹をせっせと切っているところ。日々是好日です。takeda)
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日々これ好日(2018/10/20)

2018-10-20 17:08:29 | どん底に落ちたとき
松永安左エ門 著作集(1巻 253p)より

日日是好日

雲門の禅偈は読んで字の如くであるが、私は少しくこれに意味を加えたい。
 現実の世界において過去は問題でないが、現在といえども飛来しつつある。未来は言わずもがな、未知の世界であり妄想である。日々こそ千釣の宝である。過ぎし事柄を悔やむも咎むも今日日を害ねこそすれ益しはせぬ。明日を案じ煩うても、またよりよき今日日が明日にあると思うても今日を疎かにしては生きる今日をよくしてはいない。今日が我の全歴史だ、コップにもった溢れんとする水だ。喜びも悲しみもイッパイに満たされたコクテールだ。生命の満潮だ。晴れには雨を含み、昨日を受け入れ、明日に響かせ、静寂の極致、明朗の頂天、素裸のわれだ。それが私の懐く日日是好日だ。

(「今日が我の全歴史だ。」 T社をリストラと決まって、幸か不幸か1年間、T社で勤務。100人はいたはずの、仲間や親しい後輩は、95人は、関わりたくない、貴方の味方ではありませんと、周りから退き、好奇のまなざし。仕事の無いデスクから退屈でコーヒーを汲みに立ち上がると、チラッと好奇の目。その時、いつも、口ずさんだのが、「今日が我の全歴史だ」。以来、これからの事を考えるとどうしていいか分からん、と意気消沈して頭を抱えている人に、この一節のコピーを、机の前か、トイレの壁に張るといい、と差し上げている。冒頭の写真、老いて病んでも、先のことはくよくよしないよ、という飲み仲間の皆さんとパチリtakeda)
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淡々たる心情を持して(2018/10/13)

2018-10-13 17:03:30 | 明日が不安な時
松永安左エ門著作集3 p12 より

私は西南戦争の2年前に生まれて76年の歳月を空費してきた。賑やかな時代も、不遇の時代も繰り返し、繰り返し通過してきた。えらい仕事にもぶつかった。そして多くはうたかたの水泡のように消えては生じ、生じては消え行く夢のごとき世界であった。今も世は酷烈だ、深刻だ。が、これもそのうちには和やかな楽しい時代に変わり来るであろう。期待をかけるのは人間に叡智があるからだ。人間の力には限りがある。認識が広がるほど迷いも深くなる。ただ淡々たる心情を持して今日を行い、学び尽くすほかはない。

 中国南宋の4年(1177年)に四川省に生まれ、径山に法幢を樹てた無準師範師偈の「花光十梅」と題するそのうちの一偈を掲げて、淡々の意を明らかにしたい。

 淡中在味
半開半合栄枯外 似有似無閑淡中
自是一般風味別 笑佗紅紫闘芳叢

(T社をリストラで去った後、風の便りに、同輩や後輩が役員になったと聞くと、内心動揺した。この漢詩を読むと、気持が鎮まった。中国の国花のボタンの華やかな赤は紅紫闘芳叢か、ひっそりと咲く梅の花は別の味わいがある。今日一日を行い、学びつくすしかない、よっしゃ、これでと、思った。以来14年、今はひっそりとした梅の方に心ひかれる。写真は、四国今治で昔ながらの洗練された味を静かに守るシナソバ屋の京屋 takeda)
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孔子の弟子 顔回にみる尻つぼみ人生(2018/10/6)

2018-10-06 12:02:01 | 老いて病んで貧乏したとき
司馬遷 史記 平凡社訳本 中巻p189

顔回は魯の人である。字は子淵。孔子より三十歳の年少である。あるとき、顔淵が仁について問うと、孔子は答えた。「おのれの私欲にうちかって礼の道にたちかえれば、天下の人々はその仁徳に慕いよってくるだろう」また孔子は言う。「賢人だなあ、回は。たった ねりご(竹製または葦製の食器)に一杯の飯、瓢(ふくべ)に一杯の水で飢えをしのぎ、わびしい裏店住(うらだな)住まいをしている。普通の人ならとても落ちついて生活できないだろうに、回は道を楽しむ心をかえようともしない。私と話をするときには、はいはいと聞いているだけで愚か者のようだが、その家などで仲間と話し合っているのを聞けば、道理をわきまえていて仲間を啓発している。回は決して愚か者ではない。登用されれば出仕して堂々と道をおこない、登用されなければしりぞいて静かに道をまもる。―これができるのは、回よ、私とお前ぐらいだな」
 回は、二十九歳ですっかり白髪になり、若死にした。孔子は大声をあげて泣き、悲しんで言った。「回が弟子入りしてからというもの、他の門人たちもますますわたしに親しむようになったのに」

 松永安左エ門著作集 第五巻 p156
「論語と茶の湯」
  子の曰く、賢なる哉回や 盛り切りの飯に一杯の酒で横町の裏店住まい、ほかの人なら貧乏の苦労にかまけてしまうところを、顔回は相変わらず道を楽しんで勉強している。まことに賢なる哉回やと孔子さんはおっしゃった。
 耳庵(松永安左エ門)思う、知足安分という辞宜以上のものを顔回はもっていた。むしろ足らざるところを楽しんだところに侘道があるのではなかろうか。

(電力の鬼といわれた実業家で、茶道にも造詣の深い松永安左エ門は、その著述で「老いて病んで貧乏したとする。これも止むを得ない自然だ。悔やむ代わりにむしろ楽しむ気になれぬものだろうか。日々是好日、尻つぼみも爽快なる男子の最後の飾りと思うのは無理か」と述べている。私も年齢も69歳、収入は年金のみ、貯金も少しづつ減っているわが身に、この松永安左エ門の指摘はうれしいし参考にしたい。しかし、尻つぼみ生活を楽しむとは、どんな生活と、いつも腑に落ちない。先日、顔回の裏町での貧乏生活の下りを読んで、なるほどと納得。これなら多分見習えそう。冒頭、最近の畑仕事のお昼の食事。キュウリ一本に一缶安い第三のビール、結構いける。takeda)
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退職したら(2018/9/29)

2018-09-29 14:42:37 | 明日が不安な時
日経新聞 2003/6/24 夕刊より


退職して心身の調子を崩す人は少なくない。夜の寝つきが悪くなったり、朝、スッキリと起きられなくなったりして、生活のリズムが崩れてくる。日中も体がだるくて仕方がない。最初のうちは仕事を辞めて生活のパターンが変わったためだろうと思うのだか、それにしても長すぎる。

 体のどこかが悪くなったのではと気になる。しかし、医者に行って検査をしても異常は見当たらない。ずるずると日が過ぎて気持ちばかりが焦ってくる。どこかに異常があればかえって安心できるのにと変な期待をしてしまう。

 何かしなくてはいけないと思うが、何をすればいいのか分からない。心の中にぽっかり穴があいたような感じがする。いままでとは違う自分にとまどい、こんな人間ではなかったのにと自分を責める。

 このような状態になるのは仕事一途にがんばってきた人に多いようだ。これまでは仕事の成果をあげて、回りから評価されることが生きがいだった。それなりに出世もした。あとは余生をのんびりと送るだけだと考えていた。

 ところが退職してみると勝手が違う。生活のリズムをとるのが意外と難しい。サラリーマンにとって背広は戦闘服だと言ったひとがいた。そうした人たちにとって、仕事にいかず背広も着ない生活は思いのほかストレスが多い。全てを奪われて一人置き去りにされたような心細さを感じる。

 頑張ってきた人に限って心細さを素直に認めることが出来ない。そのような自分を認めるとますます弱気になっていくようで怖いのかもしれない。しかし、そうしたときこそ自分の弱さを受け入れる勇気が必要だ。思い切ってまわりの人に相談すれば、新しい可能性が開けてくるはずだ。

(14年前、31年間勤務のT社をリストラで辞めて以降、自己紹介が必要な時、「T社をリストラされまして・・・」と手短・正確に説明している。気の毒がって、「会社が引き止めたが、自分の意思で辞めたんでしょう」と取り繕ってくれる人もいるが、「いいえ、リストラ、不要になったんです」と恥を忍んで白状する。瞬間、世間体が悪いと、心の痛みを感じるが、あとは、スッキリ、せいせいする。「そういうことなら、これから付き合ってやろうと」という人が何人かいて、今では、大事な飲み友達、釣り友達になっている(冒頭)。自分の弱さを受け入れる勇気、別の人生を楽しむよき種と、実感する。恥をおそれず、自分の手持ちのカードを相手にありのまま見せる、それで、新しい楽しい世界が開けると、しみじみ思うこのごろ。takeda)

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