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ヒルティ 眠られぬ夜のために 9/19 (2021/12/16)

2021-12-16 18:32:10 | どん底に落ちたとき
わたしがかつて、無償で仕事の上での世話をしてやったあるイスラエル人(ユダヤ人)に、なかば冗談、なかば本気に、この仕事の報酬を彼からではなく、イスラエルの神から支払ってもらいたいものだ、といったことがある。
すると、イスラエルの神は、すぐさま私の言葉を聞き入れて、その後しばらくのあいだに、私の生涯で最も激しい悩みや痛みを矢つぎばやに私に浴びせかけた。
そして、この文章を書いている今もなお、わたしは、この偉大な贈物の価値を正しく見定め、それを善用しようとつとめているのである。
この贈物がなければ、おそらくこの本も書かれていなかったことであろう。
というのは、有益な著述も真の幸福も、どちらも重たい土台をもつものだからである。
そして、逆説的にきこえるかもしれないが、人生の幸福にはぜひとも必要なものは、不幸なのである。

(私も同じような経験があります。T社勤務中、北京に出向、毎日愉快に仕事と中国人の若い友人たちと釣りやら山登りをして1年たち、若いころ暮したクリスチャン寮を思い出したのか「主よ私をお救いください」と、上の空、何気なくつぶやいて、一晩たち、翌日は中国から日本に戻れの言い渡しで、「うへー」、T社に戻るとおまえは後一年でリストラ、身の振り方を考えよと、冷たい一言、一年間は、好奇とさげすみの目にさらされと、えらい目に逢いました。55歳でT社をリストラされ、どうなることやらと心配しましたが、釣りだ畑だ山登りの毎日、お行儀は悪いが、最後まで裏切らない友人10人程が現れ、T社リストラが決まって1年間に読んだ司馬遷・屈原・内村鑑三・松永安左エ門といった思想家の心の内も少しうかがい知ることが出来、いいことづくめ。「人生の幸福にはぜひとも必要なものは、不幸なのである」は全くそのとおりだと思います。人知を超えた、宇宙大の意思に畏敬。takeda)
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