愛媛新聞 1966年12月24日 朝刊 家庭婦人欄より
本屋さんや文房具屋さんの店先に、さまざまな新年の日記が勢ぞろいしています。日記といえば、すぐ、「三日坊主」ということばが思い出されるくらいで、長期間にわたってつけ続けるのは、なかなか難しいことです。
その日記を36年間ずっと書き続け、いまは、「日記の楽しみ」を味わっている境地という、歌舞伎俳優の中村芝鶴(しかく)さん(66歳)に、体験的日記論、日記のつけ方のコツ、楽しみなどを披露してもらいました。中村芝鶴さんは、東京の国立劇場で公演の「菅原伝授手習鑑」に出演中でしたが、以下はそのあいま、楽屋でのお話です。
日記のすすめ 中村芝鶴
「5年連用の日記」で
私がつけているのは、「5年連用日記」という、少し変わった日記帳ですから、私のお話がそのままみなさんのお役にたちますかどうか・・・。私が初めて日記帳を買ったのはいまから36年前です。そのころ舶来品を買うのが好きで「丸善」によく行ったものです。そこで金色、赤色などですごくきれいな5年連用日記をみつけました。一日分は、わずか4行くらいですが、同じページに、毎年の同月同日を書き込めるので、昨年のきょうは何をやっていたかなんて、とても楽しいものです。型が小さく、たいていはカギがかかるようになっていますから、旅行のときでも持ち歩きできて便利です。初めは非常に高いと思いましたが、きれいだし、5年間使うとなれば安いと思いましてね。現在使っているのは8冊目です。
日記帳には、その日に起こったことで、とくに印象の強いものだけを書きます。私は仕事のことのほか、相撲など好きなスポーツ、買い物、食べ物のことなども記入しています。書いてもムダと思うものは書かないようにするのが一つのコツですよ。
たとえば天気、温度などおきまりのものは、書くときに思い出したり調べたりすることが面倒ですが、こういうちょっとしたことでも、書く気に水をかけたりするものです。私は、ほんとうに「いい天気だ」と思った日だけ「快晴」と書きます。また「台風○号で夜眠れず」といったぐあいですね。そうそう、これといったことのない平凡な日には「平凡」とだけ。たくさん書きたい日には、その「平凡」のページをうまく利用することにしています。それから自分の近くに起きた重要な事件については「いつ、どこで、だれが、どうして、どうなった」をはっきり書いておくこと。30年もたつと、いつのまにか、どんな事件だったか忘れてしまっていますからね。
「つけないと眠れぬ」
日記を4、5日つけただけで、その楽しみをつかめる人はあまりいないでしょう。人によっては半年も一年もかかるようですが、とにかく「必ず書き続ける」という決心が肝心。そして書き始めたら、今度こそは「習慣づける」ことです。私は夜、食事が済んでから日記帳を開く習慣にしています。興味を持てるようになるまではたいへん苦痛ですが、そのうちに、日記をつけないと眠れないくらいになりますよ。日記が書けない事情の日には、私は別のメモ帳に簡単に書いておくことにしています。前のヨーロッパ旅行(ことし5月末から約一ヶ月)の時も、荷物を軽くする関係で、日記帳代わりにメモ帳をもって行きました。
もう一つ、日記を長続きさせるコツは、文章や体裁をあまり気にしないこでしょう。
私は、義父5代目伝九郎の伝記を書いた「大文字章」、最近出版した「役者の世界」など、何冊かの本にしていますので、日記を出版したらといってくれる人もありますが、記録本位を体裁にかまわずですからね、どうしても発表する気にはなれませんよ(笑い)。
「人生経験の実感わく」
日記をつける楽しみは、年を経るほど大きくなってくるようです。30年も前のはインクの色が変わっていますが、「ああ、こんなこともあったのか」といろいろ思い出させてくれ、実に楽しいものです。それに、日記は知人の慶弔やなにかの事件を調べたりするのに便利で、随筆を書くときなどにも役立ちます。
日記を読み返してみると、自分が次第に「幸福」になっているのを感じますね。つまり、夜と昼が交互にやってくるように、人生も悲しみのあとに喜びがやってくるさまがよく分かります。そして、人間はいろいろのことを経験することで、段々豊かになっていくのだ、という実感もわいてきます。
また、自分がいい仕事をやった、とかいうときは、その前後の自分の気持ちは必ず充実して、「はずんで」います。私はそういう時期を、ほんとうに「生きている」ときだと思いますが、たとえ「平凡」な日でも、次のことのために力をたくわえているのだと自覚して生活すれば、その期間もまた「生きている」ことになるのですね・・・。日記からはそんなことも教えられます。
(私がこの新聞記事を読んだのは57年前の年の暮れ、17歳四国今治の高校2年生。これはいいと、その日から大学ノートに日付を書いて、6年連用日記を書き始めた。以来57年、73歳の今も日記を書いている。文章を書く訓練になったし、お金の掛からない、楽しいレジャー。体験した出来事を思い返すにも役立つ。冒頭の写真は57年前の新聞記事)
割と最近では、学生時代の学園祭の思い出を、記憶では、大学二年と思っていたが、実は大学一年、大学紛争で、ストライキ中の荒れた年だったと、日記で確認したことも。
本屋さんや文房具屋さんの店先に、さまざまな新年の日記が勢ぞろいしています。日記といえば、すぐ、「三日坊主」ということばが思い出されるくらいで、長期間にわたってつけ続けるのは、なかなか難しいことです。
その日記を36年間ずっと書き続け、いまは、「日記の楽しみ」を味わっている境地という、歌舞伎俳優の中村芝鶴(しかく)さん(66歳)に、体験的日記論、日記のつけ方のコツ、楽しみなどを披露してもらいました。中村芝鶴さんは、東京の国立劇場で公演の「菅原伝授手習鑑」に出演中でしたが、以下はそのあいま、楽屋でのお話です。
日記のすすめ 中村芝鶴
「5年連用の日記」で
私がつけているのは、「5年連用日記」という、少し変わった日記帳ですから、私のお話がそのままみなさんのお役にたちますかどうか・・・。私が初めて日記帳を買ったのはいまから36年前です。そのころ舶来品を買うのが好きで「丸善」によく行ったものです。そこで金色、赤色などですごくきれいな5年連用日記をみつけました。一日分は、わずか4行くらいですが、同じページに、毎年の同月同日を書き込めるので、昨年のきょうは何をやっていたかなんて、とても楽しいものです。型が小さく、たいていはカギがかかるようになっていますから、旅行のときでも持ち歩きできて便利です。初めは非常に高いと思いましたが、きれいだし、5年間使うとなれば安いと思いましてね。現在使っているのは8冊目です。
日記帳には、その日に起こったことで、とくに印象の強いものだけを書きます。私は仕事のことのほか、相撲など好きなスポーツ、買い物、食べ物のことなども記入しています。書いてもムダと思うものは書かないようにするのが一つのコツですよ。
たとえば天気、温度などおきまりのものは、書くときに思い出したり調べたりすることが面倒ですが、こういうちょっとしたことでも、書く気に水をかけたりするものです。私は、ほんとうに「いい天気だ」と思った日だけ「快晴」と書きます。また「台風○号で夜眠れず」といったぐあいですね。そうそう、これといったことのない平凡な日には「平凡」とだけ。たくさん書きたい日には、その「平凡」のページをうまく利用することにしています。それから自分の近くに起きた重要な事件については「いつ、どこで、だれが、どうして、どうなった」をはっきり書いておくこと。30年もたつと、いつのまにか、どんな事件だったか忘れてしまっていますからね。
「つけないと眠れぬ」
日記を4、5日つけただけで、その楽しみをつかめる人はあまりいないでしょう。人によっては半年も一年もかかるようですが、とにかく「必ず書き続ける」という決心が肝心。そして書き始めたら、今度こそは「習慣づける」ことです。私は夜、食事が済んでから日記帳を開く習慣にしています。興味を持てるようになるまではたいへん苦痛ですが、そのうちに、日記をつけないと眠れないくらいになりますよ。日記が書けない事情の日には、私は別のメモ帳に簡単に書いておくことにしています。前のヨーロッパ旅行(ことし5月末から約一ヶ月)の時も、荷物を軽くする関係で、日記帳代わりにメモ帳をもって行きました。
もう一つ、日記を長続きさせるコツは、文章や体裁をあまり気にしないこでしょう。
私は、義父5代目伝九郎の伝記を書いた「大文字章」、最近出版した「役者の世界」など、何冊かの本にしていますので、日記を出版したらといってくれる人もありますが、記録本位を体裁にかまわずですからね、どうしても発表する気にはなれませんよ(笑い)。
「人生経験の実感わく」
日記をつける楽しみは、年を経るほど大きくなってくるようです。30年も前のはインクの色が変わっていますが、「ああ、こんなこともあったのか」といろいろ思い出させてくれ、実に楽しいものです。それに、日記は知人の慶弔やなにかの事件を調べたりするのに便利で、随筆を書くときなどにも役立ちます。
日記を読み返してみると、自分が次第に「幸福」になっているのを感じますね。つまり、夜と昼が交互にやってくるように、人生も悲しみのあとに喜びがやってくるさまがよく分かります。そして、人間はいろいろのことを経験することで、段々豊かになっていくのだ、という実感もわいてきます。
また、自分がいい仕事をやった、とかいうときは、その前後の自分の気持ちは必ず充実して、「はずんで」います。私はそういう時期を、ほんとうに「生きている」ときだと思いますが、たとえ「平凡」な日でも、次のことのために力をたくわえているのだと自覚して生活すれば、その期間もまた「生きている」ことになるのですね・・・。日記からはそんなことも教えられます。
(私がこの新聞記事を読んだのは57年前の年の暮れ、17歳四国今治の高校2年生。これはいいと、その日から大学ノートに日付を書いて、6年連用日記を書き始めた。以来57年、73歳の今も日記を書いている。文章を書く訓練になったし、お金の掛からない、楽しいレジャー。体験した出来事を思い返すにも役立つ。冒頭の写真は57年前の新聞記事)
割と最近では、学生時代の学園祭の思い出を、記憶では、大学二年と思っていたが、実は大学一年、大学紛争で、ストライキ中の荒れた年だったと、日記で確認したことも。