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アジア・アフリカの旅日記と、ネパールの孤児院(おしん)日記。現在は日本での日常生活を書いてます。

Wild Child

2005-08-23 20:05:05 | Oshin(孤児院)日記

(写真はOSHINの子ども達。もっと写真を見たい人はこちらから)

 とある人を介して知り合ったMikaさんという人が、OSHIN(僕がボランティアをしていたネパールの孤児院)を訪れてくれることになりそうだ。この人は中東・アジアの孤児院を訪れ、共同生活する中で撮った写真を『成長アルバム』にしてまとめ、各施設へプレゼントしている人だ。面白いことやっているなあと思った。詳しくは「Smile World」というHPを見て欲しいんだけど、コンセプトの部分だけ紹介。各地の訪問日記や子ども達の写真もあるよ。

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中東・アジアの孤児院を中心とした子ども達の成長を見守りながら、運営支援と国際交流の場の実現を目指します。


■家族との縁がうすい子ども達の『成長記録アルバム』を作成する

→ 共同生活する中で撮った写真を『成長アルバム』にしてまとめ、子ども達が閲覧できるように、各施設へプレゼントしています。


■孤児院ボランティアとして、現地の子ども達と生活を共にすることで、お互いを知り、交流を深めて信頼関係を築いていく

→ 現地施設でのボランティア受入れ体制の確立を目指し、NGO団体「ボランティア・プラットホーム」と提携し、スタディーツアーを企画しています。


■ネットワークを広げ、自発的に国際交流を行なえるよう、インターネット環境を整える

→ NPO法人コネット湘南と提携し、必要に応じてコンピュータ寄贈をしています。
誰でも参加できるような、登録制のペンパル・コミュニティ導入を検討中です。


■活動経験を通じて、『子供達の笑顔』をコンセプトに文章や写真という形にして、たくましく生きる力を日本の子供達に伝えていく

→ 写真とコラムを、ホームページなどを媒体にして、随時発信しています。

その他、日本語の絵本の翻訳、関連パンフレットの日本語訳など、小さいことですが、現地スタッフの要望に応えて、子ども達の力になれることを実行しています


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 最近またOSHINへの問い合わせが増えてきた。自分のやってきたことの意味とか意義とか重さみたいなものも考えさせられた。最近OSHINのことはちょっとほったらかしになっていたけど、いろいろな出会いの中で、もっといろいろと考えなきゃいけないと反省させられた。


 実はこのMikaさんを知るきっかけになったある人との出会いの方がすごかったんだけど、それは諸事情によりまだ書けないので、またいつか。久しぶりに刺激受けたよ。

 
 もう一つ嬉しい知らせがあった。ネパールで何回もOSHINを訪れてくれたあいちゃんが、関西(京都?)のカフェで友人たちと共同で期間限定の写真展をやるらしく、そこにOSHINの子ども達の写真も飾ってくれるとのこと。OSHINの説明つきで。あいちゃんがネパールで教えていた学校の子ども達の写真ももちろん展示される。


 最近周りでいろんな動きがある。当たり前だけど、動きは自分たちで作っていくものなのだと改めて思った。いい本も読んだので、それも今度紹介したいと思う。


OSHIN WEB SITE 
Oshin Child Development Center (OCDC) Nepal 


 

最近のおしん

2005-05-29 00:15:02 | Oshin(孤児院)日記

 今日は長いです。僕がボランティアで関わっているネパールの孤児院、おしんの話です。興味がない人にはつまらない話だと思うので、そういう人は次回まで待ってください。


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 おしんは、4月から子どもが一気に20人になった。おしんというのは、僕がネパールにいる時にボランティアをしていた(今もしている)孤児院である。詳しくはおしんのHPと、僕が書いた孤児院日記を見て欲しい。


 今もおしんには2人のボランティアがいる。そのうち1人は日本人で、僕がカトマンズの街のあちこちに貼ったチラシを見て、おしんに行ったらしい。いろいろと試行錯誤しているみたいで、たまに相談のメールが来る。おしんはあまりルールやマニュアルようなものがない。ある程度は僕も書きおきをしてきたし、今までのボランティアも「ボランティアの記録」のような形で自分のやったことや感想を書き残す作業はしている。ハウスマネージャーがいて指示も出すが、基本的にはやり方は各ボランティアに委ねられている。なので、最初はみんな戸惑うのである。ネパールの常識や習慣、やり方も分からないのだから当然である。実際にやってみないと分からない部分も多い。自分の国の常識を押し付けないように気を配りながら、子どもに接している。自分で遊びや勉強の教え方を考えて工夫したりしている。

  
 これからおしんに行く人がいて、その人ともメールのやり取りをしている。この人は本当にボランティアのことを真剣に考えてくださっていて、頭が下がる。僕もメールを返す時にいろんなことを考えさせられる。穴が見つかったり、初めての人はこういうところを気にするんだなと分かったりする。そういうものはおしんの財産になっていく。


 この日記によくコメントをくれるayakoさんも、おしんに2週間ほど滞在していた。いろんなことを報告してくれて助かった。ネパールでワークキャンプをした経験もあるので、いろんな事情も分かっていて、視点も鋭い。


いろんな人がおしんに関わってくれるようになったのは嬉しいことだ。これこそおしんで自分が果たしたかった役割であった。コネクターとでも言えばいいのだろうか。


 一方で、これからどう関わっていけばいいんだろうと悩んでいる。僕のおしんでの肩書きはAdvisory committee memberとなっている。その上にもうひとつcommittee(委員会)があり、ここがおしんの意思決定機関になっている。そこにアドバイスを送ったり、外側から支援していくのがAdvisory committeeの役割である。この委員会のメンバーは僕のような外国人が多い。僕はAdvisory committeeのメンバーであるという認識で活動していたのだが、本当は委員会の人達は、僕を正式の委員にしたかったらしい。しかしそうしてしまうと、ネパール登録のNGOとしてはいろいろと問題があるようで(一番の問題は外国人が委員にいるんだったらサポートはいらないだろうと、寄付が集めにくくなることである)、あえて僕を委員から外したというのが真相だったらしい。

 
 おしんに関わった当初、僕はどれくらい自分が関われるか自信がなかったし、出来ないことを期待されても困るので、自分の出来るであろうことをあらかじめ伝えておいた。「これこれこういうことは出来ると思うし、するつもりだ」と。それはさっき述べたように、おしんを広報したり(特に日本人に)、おしんに人をつないでいくことだった。ある程度それは成功したと思っている。


 でもやっぱりそれ以上のことを期待されるのである。具体的に言えば「お金何とかならないかな」ということ。断っておくが、僕はこの記事を書くことで、お金集めをしたいわけではない。ただNGOやNPOの現場のリアルな姿を伝えたいと思っただけである。そして自分が何を思っているかをちょっとだけ分かち合いたいと思ったのである。お金。お金の問題はいつも切実だった。僕もおしんに多少の出資はした。


 おしんはネパールのNGOであり、委員は全員ネパール人である。だからそのネパール人達が運営していける規模とスタイルでおしんを運営していくのがあるべき姿だと僕は思っていた。だからアクティブに動けるネパール人の委員を増やそうと僕は口をすっぱくして言っていた。そうしないといつか行き詰まると思ったからである。ネパール人達が確実にお金を集められる範囲で(外国からお金をもらってくることも含む。もちろん「確実に」が条件)、確実に手堅く運営していく。でもそれが簡単に出来ないのがネパール人の弱点なのである。何か予測したりするのが下手で、計画性がない。具体例を出すと、急激に子どもを増やしすぎた(一挙に8人)。お金の算段はほとんどなかったのに、学校の新学期(4月)に間に合うように急いで子どもを受け入れてしまったのである。

 
 今、やっぱりお金の面で苦しんでいるが、これもおしんが通る道なのだと思う。最初からベストの運営形態を作り上げることは出来ない。失敗を彼らが実感して、本当にそこから学ばないと意味がない。そしてそこから新たにおしんを作り上げていく。


あ、彼らは僕にしつこく「お金出せ!」とつついて来ているわけではないし、不正をしているわけではないので誤解なきように。「お金出してくんないかな」と言われて、ぱっとお金を出してしまうのははっきり言って無責任である。お金というのは本当にパワーがあるものだ。ある時は人生を変えてしまう。だから出す方も真剣にならなくてはいけない。


 変な話だけど、お金のことをこんなに真剣に考えた1年もなかった。だって本当に「子どもの制服買うお金がないよー」という状態だったんだから。どうしようもなかったら自分が出すしかないというような(実際出した時もあった)。でもおしんにはなるべく多くの人が関わって、育って欲しいと思っている。まだこれからもベストの状態を探る作業は続いていく。


 子ども達は元気みたい。良かった。


ジャネ

2005-03-11 01:15:01 | Oshin(孤児院)日記


ネパール旅が終わった。昨日の夜、子どもたちや孤児院のスタッフに別れを告げてきた。大半の子はまた前みたいにすぐに帰ってくると思っているらしく、「えーんえーん」と嘘泣きをしていたが、中には本気で泣いている子もいた。しかしあそこまで泣くとは僕も驚いた。親がいない寂しさは、普段は「甘え」というかたちで出てくるのだけれど(それもたまに痛々しい時があるが)、それがこんなかたちで出てくるとせつない。しばらく抱きしめてから帰ってきた。こんな気分は人生で中々味わえるもんじゃないな、と思いながら最後の帰り道を歩いていた。


僕は不思議とさわやかな気分だった。やろうと思えばやれることはまだ沢山あったけど、僕もいつまでもここにいるわけにもいかない。


バンコクに着いた。高層ビルの群れと、溢れんばかりの光に見入ってしまった。

一つのことが終わり、また一つのことが始まろうとしている。



Talkin` bout a revolution

2005-03-05 01:26:18 | Oshin(孤児院)日記


平日のボランティアはわりと地味である。

子ども達は夕方5時半頃、おしんに帰ってくる。制服から私服に着替えて、ちょっとのんびりしてしたら宿題の時間である。子ども達の中で一番多いのはLKG(日本だと年長さんクラス)というクラスで、ここの今日の宿題は

① ネパール語
② 英語(Father,Mother・・など家族の名称を書く)
③ 算数 (九九)

である。出来上がると、「サッパイ(全部)finish!」と言って、僕かプジャのところにノートを持ってくる。僕らはスペルミスや計算違いなどを直す。全部見たら(ネパール語以外ね)、スクールダイアリーにサインをして返す。このクラスは英語に関しては基本的な単語を覚えるのが主な目的である。僕も知らない単語や、発音できない単語が出てきたりするので、電子辞書をいつも持っていく。

一つ上のクラスⅠは、テキストの英語も文章で出てくる。そのテキストに関する質問も英語で書かれている。理科や算数のテキストも全て英語で書かれているのである。うーん。


子どもたちはもうすぐ学期末のテストがある。


カトマンズはわりと平和だが、3/14からまたストが始まるようだ。前回のストは2週間と長かった。ストが一段落して、カトマンズはやっと観光客が増えてきた。スト中、地方にある病院は大変だったようだ。道路が封鎖されているため、薬やカトマンズでしか治療できない患者の輸送ができなかったのである。物資も値上がりしている。ガソリンなどは特にそうだ。もちろん人々の給料は変わらない。


アイランドピークに行っていた、けいさんと侍さんがルクラ方面からチャリで帰ってきた。けいさんはインド・バラナシ以来、侍さんはカトマンズ以来の再会だ。道中、道に築かれたバリケードの中に爆弾を見たという。写真も見せてもらった。「いやー、その横を子どもがさ、『bomb!bomb!』とか言って指さしながら通ってるんだよね。もう二度と通りたくないよ」と言っていた。


「インドと英国が軍事援助の中止を決定」。「欧米の通常の援助打ち切り決定」。日本のODAも凍結せよとの声があるようだ(→関連記事:マンバワン日誌。ODAにあり方について、ネパールの人と共に歩むことについて、かなり興味深い記事とコメントが載っています)。マウイストと政府軍の戦闘で何人死亡・・。カトマンズにも銃を持った軍隊が沢山いる。人と話していても、情勢の話が話題にのぼらない日はない。


情勢のせいではないけれど、僕もそろそろネパール脱出をと考えているところ。


今回のタイトルは、最近買ったTracy ChapmanのCDがとてもよかったので、そのCDの中の曲からもらった。こんな風に心が揺さぶられる歌は久しぶりに聴いた気がする。この曲も旅の思い出の歌になるんだろう。


She is love

2005-03-01 02:10:35 | Oshin(孤児院)日記
久しぶりに良い文が書けた!と思ってアップロードしたところでトラブルがあり、文章が全部消えた。この怒りどこへもっていけばよいのか。せっかく気持ちよく書けたのに。しかもかなり書いたのに。あー悔しい。あー悔しい。仕方ないから思い出しながらもう1回書いたけど、さっきのほうが全然良かった。良く書けた!と思うやつに限って消えたりする。逃した魚は大きい。

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おしんの委員にはお医者さんがいる。最近皮膚に出来物がでる子どもが多かったので、来て見てもらった。出来物以外も見てもらったが、頭に少し傷がある子がいただけで、他には特になにもなかった。出来物の原因は

① ビタミン不足
② 体が清潔でなかった
③ 服が清潔でなかった

いやー、反省、反省である。
①はちょうど最近「フルーツをもっと食べさせたいね」とスタッフで話し合っていたところだった。しかしフルーツは結構高いのである。
②は今が冬で、学校の休みの土曜日で、日が照っている時間しか寒くてシャワーが浴びられないという事情がある(ホットシャワーや暖房器具はない)。
③は、学校のYシャツが最近まで一枚しかなくて、なかなか洗濯できなかったことによると思われる。ボランティアのプジャがお医者さんからもらったクリームを毎晩子どもに塗っている。これを契機に子どもたちのメディカルレコードもつけ始めた。



最近教育のことに関心があって、いろんなHPを覗いていた。発見したのが「思考の物置」というページである。「こういうことを教えたらいいのに」とか「こんな授業法があったらいいんじゃないか」とか「これは意味があるのか?」と疑問に感じていたことが、現場の先生によってしっかり書かれていた。共感できるところが多かった。教育に関心がある人や、リーダーさんにも良いと思う。「学校図書館運営について」というコラムは、本好きにも面白いと思う。本当は良かった部分の内容や、感じたこともここに書きたいのだが、このHPの中で「オルタナティブ・スクール」という新たなキーワードに出会ってしまい、まだまだ僕の探求は続きそうなので、いつか書ければまとめて書きたいと思う(書ければ、です)。


次に覗いたのが、「ルポ・ある中学校の現場から」というページである。学級崩壊からの再生の軌跡を、関係者の証言をもとに振り返っている。 僕は先生を真剣にやっている人は心からすごいなあと思う。僕も大学時代に教職の授業をとっていたのだが「自分には先生は無理だな」と思い、途中でやめた。でも結局は仕事でも教育に向かい合っていたし、今もそうだ。このHPは現場の先生や保護者の生の声も沢山載っていて面白い。


(アーニスとディペンドラ)
そんなページを見た後に、おしんに行く。2月の頭に久々に戻ってきたときにも思ったことだが、ここはとても平和である。peaceful。


最近は子どもを観察しているのが楽しい。月日が経ち、子どもたちの人間関係も深まっている。年下の子は年上の子を「ショビン ダイ(お兄ちゃん)」とか、「サムラクシャ ディディ(お姉ちゃん)」と呼ぶ。同い年と年下は呼び捨てである。


ディペンドラ(5歳)は、以前は同い年くらいの子がいなかった。遊びのレベルが違うので、みんなから外れてしまう時もあって、ちょっとかわいそうだなと思っていたら、同い年のアーニスが来た。今2人は大の仲良しである。子どもが自分になついてくれるのも嬉しいものだが、僕は子どもたち同士が仲良く遊んでいるのを見るのが一番幸せである。まだそんなに多くはないけれど、子どもたち同士で勉強を教えあっているのも微笑ましい。ショビンダイは当初から見込んでいた通り、子どもたちの中でリーダーシップを発揮して、他の子どもたちに気を配っている。


(ディペンドラ=5歳)

とにかく子どもを見ているのが楽しい。ギタアンティ(アンティ=おばさん。ギタアンティは食事作りを含め、孤児院に泊まりながら子どもたちの世話をしている)が怒っていてみんなシーンとしている姿。テキストが見つからなくて困っている悲しい顔。ボランティアに甘える姿。突然踊りだす時の割と普通の顔。何か一つのことを子どもたち同士であーだこーだと言っている輪。全部分かるわけないのにネパール語で一生懸命話かけてくる子。見ていて飽きない。


日本を離れて、比較してみると見えてくるリアリティも沢山ある。アイデアも得られる。それがとても面白い。先生も1年間くらい簡単に休職できればいいのにと思う。長野の教育委員会は、学校の先生を青年海外協力隊に派遣していて、バングラで長野の学校の体育の先生に会った。


僕の観察と勉強と思考と実践の日々もまだ続く。


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上述の教育関係のHPを含めて、bookmark2を更新しました。

飢餓救済のホームページ
3.6 秒に1人の割合で子供達が飢餓で亡くなっています。飢餓救済のクリック募金にご協力ください。一日1円の募金ができます。


ハジュー?(後編)

2005-02-24 18:58:03 | Oshin(孤児院)日記
先日スワンヤブナートという仏教寺院で、日本人旅行者が自殺した。行方不明になってから、その方の弟さんがネパールに来て、チラシを作って貼ったり、新聞に探し人の記事を掲載したりしながら、あちこち捜し歩いていた。僕もその方が亡くなる前に弟さんに会って話をしていた。


自殺の知らせをうちのホテルのスタッフから聞いたときは、かなりショックだった。自殺は終わりだ。その先にはもう何もない。だから本当に悲しかった。


僕の周りでは割と身近な人が既に2人自殺している。友達の友達なんかを入れるとその数はもっと増える。


どうすれば人が自殺しなくなるのか。心を病まなくなるのか。そういうことは教育の範疇外なのだろうか?今日見た新聞には小学生のうつ病の記事が載っていた。どんなに学んだって、死んでしまったらおしまいだ。死ななくても、学んで幸せになれなかったら不幸だ。


おしんに行ったら、子ども達が踊っていた。うちの子ども達はよく踊っている。僕は子ども達が自由に、楽しそうに踊っているのを見るのが好きだ。ネパール人はよく歌っている。自由に歌っている。自由に歌い、屈託なく笑う。


自由。灰谷健次郎の「天の瞳(成長編Ⅰ)」にこんな文章が載っていた。

「人間は誰でもそうだが、自由が与えられると伸び伸び振舞うよね。気持ちも躍動する。そうすることでエネルギーというものをためこむ」
「自由によって与えられたエネルギーを、こんどは何かに向けて集中させるというのが、教育の一番大事なところだ」


おしんに来たあるボランティアが「ボランティアは英語が出来る人を受け入れなきゃだめだ」と言った。その時そばにいたアチュートさんは「それは違うと思う。一番大切なのは、子どものそばにいて、子どもを愛することだ。英語を教えることは一番大切なことじゃない。」と言った。僕は嬉しかった。その通りだと思った。


子どもたちはゲストやボランティアが帰ろうとすると「NO!NO!」と言う。甘えてくるのを見ると時々切なくなる。


誰かがそばにいること。誰かのそばにいること。どんなことよりも大事なことで、そして幸せをつくることだと思う。


・あなたがたは互いに愛し合いなさい。(新約聖書 ヨハネによる福音書13:34)
・私の目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(旧約聖書イザヤ書43:4)


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Bookmark2更新しました。全て相互リンクです。

虹をつかみたい男  - いつか虹をつかむ男になりたいと願う大学院生の日々の記録
子供のために何ができるか考える - インドに孤児院を設立する学生主体のNGOの報告
Yasuko's Blog - 今日も素敵な一日になりますように・・・♪


ハジュー?(前編)

2005-02-21 13:22:22 | Oshin(孤児院)日記
前々回の続き。僕のボランティアは前々回書いたような孤児院を運営することと、実際に子どもと接することに大きく分けられる。今日は子どもの話。


 毎日孤児院に行っていて目に付くのは、子どもの基本的な生活態度である。部屋が汚くなっても自主的に掃除をする子はほとんどいないし、使ったものは使いっぱなしで元の場所に戻さない。こういうことは何度も言って習慣づけるしかないことだ。


 以前は僕はこういうことをあまりうるさく言わなかった。ネパール人やり方を観察していた部分もある。ネパール人の生活習慣や考え方があまりよく分からなかったので、ネパール人に任せようと思っていた部分もある。しかし今回はこういうことに乗り出すことにした。ネパール人に任せようと思っても、今はスタッフが少なくてあまり手が回っていないし、基本的に日本と同じ考え方でやっても大丈夫だということが分かってきたからである。おかげで今まで真面目にやっていなかったネパール語の語彙がちょっと増えた。言葉が出来ないと教育なんてできない。


 
みんな言えば素直にやるので、習慣づければ大丈夫だと思う。幸い子どもが通っている学校は、みながゴミをその辺にポイポイ捨てるこのネパールで、環境教育を少しづつながら教えている学校なので希望が持てる。それよりも考えたのは、僕たちは一体子どもに何を教えていくんだろうということである。


 おしんを始める時も、スタッフとはそんな話をしている。お互いを尊敬し、愛すること。友達のことを考えよう。分かち合うこと。


 一体子どもにはどんな教育が必要なのだろうと自分なりに考えた。インドでもネパールでも、沢山の子どもの労働者に出会った。インドの駅は子どもの労働者だらけだった。物を売りにくる少年。乗客の足元を掃除してチップをねだる少年。踊りや楽器のパフォーマンスでお金を稼ぐ少年少女たち。ネパールでも少年がよくバスの車掌さんをやっている。観光地では沢山の少年少女が土産物を売り歩いている。働いている彼ら彼女らの顔は驚くほど大人びている。そしてタフである。


 
前にも書いたが、「こどもプラス~こども応援マガジン~」という雑誌の特集で、学校に行かずに親と一緒に狩猟をするアフリカ・ピグミー族の話を読んだ。外の世界に出て行かない限り、いわゆる学校の教育は彼らにとって必要ないのである。必要な教育は家族とコミュニティーから与えられる。


 ちょっとヒントになるなあと思ったのは、リンクでも紹介している「Amani Africa」というサイトのこんな文章に出会った時である。「未来につながる人間というのは、なにが起こるかわからないそういう時代を生き抜ける人間だと思うんです。それは社会の中でもそして人間関係の中でも何が起こってもへっちゃらでそれを生き抜いていける、それが未来につながる人ではないかと思います。それには皆さんお一人お一人自分の中に力がないとできないと思います。」


(続く)



rainy day

2005-02-15 18:51:49 | Oshin(孤児院)日記
今日は珍しく雨。ボランティアのジェニー(イギリス)、プジャ(カナダ)と、LFN(別の孤児院)でボランティアをしているオーストラリア人の女の子と一緒に食事をした。みんな英語がネイティブなので、ついていくのが大変だったが、ボランティアをしている人と話す時間はいいものだ。いろんなことを話し合えるし、分かってくれる。そういう時間が自分の支えになっている。今日は自分のボランティアの話。


昨年度の決算書と今年の予算書が出来ていたので、それをチェックする作業をした。おしんは昨年の8月17日にオープンした。昨年の4ヶ月半の出費は約30万円であった。最初は子どもが6人しかいなかったし、学校に行き始めたのも遅かったので、予想していたよりも支出は少なかった。が、楽に集めた金ではない。おしんの会長で、タメル地区(タイのカオサンストリートのような所)で旅行会社を営んでいるアチュートさんが、ネパールに来た自分のお客さんや、もう一つの拠点がある台湾で集めてきたお金。ティハールやダサインなど大きなお祭りの時に地元のネパール人が寄付してくれたお金。おしんに見学・遊びに来てくれた人からの寄付。いろんな人が関わってくれて今まで運営することが出来た。沢山の服や文房具、おもちゃの寄付も大きかった。


今年1年の予算は約180万円。現在12名の子どもを最低でも20名に増やす予定である。プルさんが作った予算案は多少ゆるい部分があったので、話し合いながらどんどん削っていく作業をした。久しぶりにエクセルをいじる。ネパールの物価は分からないのものも沢山あるので、疑問に思う所はいちいち確認していく。自分で買い物にいった時に値段を確認したりもした。やっぱりこれだけの子どもたちが生活して学校に行くのはお金がかかるものである。今は子どもの勉強机がなくて、そういったものも予算に計上しているが、なるべく寄付でもらってくるつもりである。既に地元のライオンズクラブの方が(アチュートさんもライオンズクラブの会員)、テーブルの寄付を約束してくれた。ありがたい。

(続く)

遠足

2005-02-14 01:56:21 | Oshin(孤児院)日記
どうも、kuriです。最近このBLOGを見始めてくれた人に全然説明してなかったんですが、僕は去年からネパールの孤児院でボランティアをしています。といっても基本的には旅人なので、アジアを旅しながら、たまにネパールに入ってボランティアをしているといった感じです。なのでちょっと今までの旅日記とは毛色が違います。なんで僕がここでボランティアを始めたのかとか、今までの様子を知りたい人は、ネパール2と、OSHIN(孤児院)日記を見てください。


書きたいことがいろいろあるけれど、なかなか追いつかない。今日もネット屋の閉店時間との戦いだあ。どこまで書けるか。



今日はナラヤン-----------テンプルというヒンズー寺院に行った。この神様は学問の神様であり、学校は皆で集まって先生を祝福するか休みにするそうである。ネパールはヒンズー教がらみの休みが多い。うちのスタッフのプルさんの親戚の結婚式もここで今日行われることになっている。ここ数日急に気温が上がってきて、日中は半袖で歩く日もある。今日は日差しが強かった。


子どもたちはバスに乗って遠くに行けるので、ウキウキしていた。一緒にバスに乗りながら、僕も何だかウキウキする。昨日も来てくれたカズキ君とりょうさん、長期ボランティアのプジャ(カナダ人)も参加。一列に並んで歩く。子どもたちは大人と手をつないでくる。気分的には遠足である。


お寺では、みんな額にティカをつけてもらう。インド人などが額につけている赤いやつのスペシャルバージョンである。寺院の中央にある池は柵で囲まれ、仏陀のような顔をした神様が寝姿で飾られ、たくさんの参拝者が像に額をこすりつけて拝んでいた。ここでは仏教徒も中に入れるのだが(ヒンズー今日では仏陀も神々の一人となっていて、両方の寺院に行くのは珍しいことではない)僕たち外国人は中に入れない。


その後近くのローカルレストランでご飯を食べる。僕も遠足のように外に行く行事は初めてで、子どもを外でご飯を食べるのも初めてだった。新鮮で楽しかった。


明日は久しぶりに子どもたちの学校に行ってきます。

buddy

2005-02-11 16:14:54 | Oshin(孤児院)日記
Kuri@カトマンズです。いやー、日本勝ちましたね、かなり危なっかしかったけど。おとといは日本人数人と、とあるホテルのフロントにたまって、サッカー観戦してました。そういえば去年もここでアジアカップを見ていたなあ。僕はOSHIN(孤児院)を中心に、カトマンズライフを過ごしています。孤児院について詳しくはこちらのHPを見てください。

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(写真→最近OSHINではやりのチェス)


相変わらずほとんど旅の匂いのしないカトマンズ生活。大体決まった時間に起き、いつものチャイ屋まで歩いていって、おじさんかディディ(おねえちゃん!のような意味)にチャイとドーナツを注文し、その後は道でばったりあった(もしくはつかまった)誰かと話をしたり、OHSINの事務所のようになっているSea&Sky Travel のオフィスに行ったり、インドラチョークの方にぶらぶら買い物に行ったり、本屋やネット屋に行ったして、学校がある日は夕方、ない日は午後から孤児院に行く。そして終バスで帰ってくるとまた誰かと会って話しこんだりする(昨日も話し込んでしまって更新できなかった。ごめんなさい)。


空港についてバスに乗ったら、何だかほっとした。街に着くと、いろんな人が僕のことを覚えてくれていて、声を掛けてくれた。誰かに大推薦するほど好きな訳ではないのだが、やっぱりネパールという国は自分にとって特別なところになってきている。僕の人生である一定の長い時間をすごした初めての外国なのだ。


(左からアーニス、サンギット、ショビン2、一番下がスニタ)

OSHINではショビナが寝込んでいたり、ショビン1がちょっとやっかいな皮膚病にかかっていたり、サンギットが頭に怪我をしていたりと、いろんなことが起きていた。人が暮らしていればやっぱりいろんなことがある。僕がいない間もしんさんやあいちゃんがOSHINに来てくれていて、そんな話も出てくる。あいちゃんは毎週学校が休みの土曜日に来てくれていて(彼女は平日は学校で子どもを教えている)、パンケーキを作ってくれたり、折り紙をやったりしてくれていた。しんさんもわざわざメールで子どもたちの様子を書いてくれた。ありがたいことだ。(子どもの顔を見たい人は、OSHINのHPを見てください)


こんな状況で学校が2月6日まで休みだったので、午後から毎日OSHINに行っていた。孤児院の目の前の空き地でサッカーやフリスビーをして、一緒におやつを食べ、勉強をし、歌を歌った。子どもたちも宿題がなくて遊んでいられるので楽しそうだった。アンティ(ギタさんという子どもたちの世話をしている女性。アンティはおばさんの意)は、「最近子どもたちは勉強してない」とぶつぶつ言っていたが・・。普段は学校が遠くて遊ぶ時間が少ないから、こういう時くらいは良いと思うけど。子どもはやっぱり沢山遊ぶべきだ。


昼間はsea & skyのオフィスで打ち合せをしたり、ちょっとした事務的な仕事をしたりした。この辺の話はまとめて次回書こうと思う。

ネパールの孤児院、OSHINの日本語版ホームページがようやく出来ました!

2004-12-18 17:44:56 | Oshin(孤児院)日記
どうも。ナイロビよりkuriです。みなさんお元気ですか?日本は寒いんだろうなあ。


今日はお知らせ。度々紹介しているネパールの孤児院、OSHINの日本語版ホームページがようやく出来てきました(まだ全部完成していないですが・・)。やっと人に見せられる状態になってきたので、ご紹介します。結局blogで作ってしまいました。

http://ocdcnepal.exblog.jp/


最近OSHINへの問い合わせが多くなってきました。寄付や物品の送付に対するお問い合わせも沢山頂いています。詳しい方法はホームページに書きましたので、そちらをご覧ください。


今日ネパールからメールが届きましたが、子ども達は元気にしているようです。子ども達はどんなクリスマスを過ごすのか僕にも分かりませんが、元気に過ごしてほしいと思います。


みなさんもどうぞ良いクリスマスをお迎えください。


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bookmark2(リンク集2)を更新しました。

オーガニックスタイル - NGO・NPOのキャリアナビ。求人情報。
IDJ NET - 国際協力の情報ナビゲーター。求人情報。


Realstory

2004-12-03 01:26:26 | Oshin(孤児院)日記

 ついに明日、ネパールを離れる。今年のネパール総滞在日数、110日。結構いたなあ。子ども達にお別れを言ったが、さすがに今回は少しつらかった。次来るのはいつになるのだろう。


 とりあえず、インド。そこから次の目的地に移動する。まだこの旅の目的地が残っている。久しぶりに旅らしい旅が始まる。

kitchen

2004-12-01 13:50:18 | Oshin(孤児院)日記

ダルバートというネパール料理。ダル=豆、バート=ご飯です。そこにトルカリという副菜がついて、ダルバートセット。朝ごはんは、クッキーやパンも食べたりしますが、基本的に毎食ダルバート。学校がお休みの土曜日だけお肉が出る。味はおいしいけど、毎回だと僕にはちとつらい。でもみんなはダルバート大好き。





チャータイム。キッチンの中で食事をする。食事の時だけはみんな静か。

ライオンズクラブ

2004-11-30 23:31:30 | Oshin(孤児院)日記
(ディペンドラとシャウラブ)

 ネパールのライオンズクラブのメンバーがOSHINを訪ねてきた。ライオンズクラブは、ロータリークラブやYMCAのワイズメンズクラブと同じような働きをしている団体である。アチュートさん(OSHINの会長。カトマンズ・タメルの旅行会社の社長さん)はライオンズクラブの会員で、クラブの3人の会員を誘って来た。目的はもちろんOSHINへのサポートをお願いするためである。


 孤児院や子ども達を見てもらい、その後僕とアチュートさんがOSHINの説明をした。反応はなかなか良く、次はライオンズクラブの会合に来て話をして下さいということになった。既に椅子やテーブルを寄付してもらうことが決まっているが、これからも良い関係を築いていけそうだ。こういう時に僕みたいな外国人が関わっていると、彼らの信頼の度合が違ってくる。ここまで来ると、昔仕事でやっていたことと変わらないなあ、と思ってちょっとおかしかった。


(スニタ(寝たふり)とショビナ)


 アチュートさんが出張で台湾に行くので、その前に長いミーティングをやった。目下最大の課題は、フルタイムのハウスマネージャーがいないことである。お金がないのだ。プロシャットウさん(プルさん)が、LFN(別の孤児院)の仕事の合間にOSHINに来てハウスマネージャーの仕事をこなしているが、あくまでボランティアなので限界がある。プルさんがしょっちゅうOSIHINのために外出するので(LFNとOSHINは歩いて10分の距離)、プルさんはLFNから文句を言われている。早急になんとかしなければならない。アチュートさんが台湾でドナー(寄付者)を探ることになっている。僕もいくつか心辺りをあたってみるつもりである。ハウスマネージャーの給料は、もちろんホームによるが、月3000ルピー(約4500円)~である。


 お金についてもいろいろ考える。今、LFNのドナーのゲロさんとニコさんがネパールに来ていて、今朝はタメルで一緒に朝食を食べた。この日記の始めの方で、ネパールの孤児院やNGOの様々な問題点を書いたが、二人はそういった荒波をくぐってきた(今もくぐっている)人達なのである。抱えている問題や課題も共通のものがたくさんあった。二人は一生懸命僕の話を聞き、自分達の体験談を話し、アドバイスをくれ、僕を励ましてくれた。同業者しか分からない悩みってのはあるのである。二人はドイツ人で、今はフランスで仕事をしている。年は僕と変わらない。素敵な人達だった。


 「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」(新約聖書マルコによる福音書10:43)