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アジア・アフリカの旅日記と、ネパールの孤児院(おしん)日記。現在は日本での日常生活を書いてます。

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ネパール情勢

2005-02-12 00:44:34 | Nepal 2
マオイストは政府が望んでいる話し合いに応じず、バンダ(ストライキ)とチャッカジャム(交通封鎖)を決行する予定である。日にちは12日から未定とのこと。NHKのニュースでは、国王の実権掌握に反対する初めての組織的なデモが、治安当局に阻止された様子が流れていた。逮捕された人は、「最後の一人になるまで抗議行動を続けていく」とコメントしていた。今、沢山の政治活動家が逮捕されている。僕もWEBでニュースをチェックしているが、「マオイストによって指令された封鎖を遮るためにヘリコプターを配置した」とか、「ダンガディの刑務所がマオイストに襲撃され収容者150人以上が脱走した。内70名がマオイスト活動家とみられる」などのニュースを流している。一方、旅行関係の団体は割合楽観的なコメントをしている。カトマンズも今はのんびりしているが、マウイストも他の政治団体等も抗議を続ける構えなので、決して楽観視できない。


前々回のニュースサイトに加えて、もう少し情報サイトを載せておきます。
アジアプレス・ネットワーク
Binti
風のニュース
外務省海外安全情報

前々回載せたもの
ネパール旅行関連ニュース
binti掲示板

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いやー

2005-02-09 15:16:19 | Nepal 2
いやー、すっかりご無沙汰してしまいました。kuriです。ずっと更新していなかったのは、病気をしていたわけでも、さぼっていたわけでもなく、インターネットの使用が規制されていたからです。僕は今、ネパール・カトマンズにいます。


1月末にパキスタンからインドに戻ってきて、ジョードプルとジャイサルメールという砂漠地帯の街を回り(ジャイサルメールはamazing!インド行くなら行くべき)、デリーで友達と再会し、2月1日にカトマンズに入りました。日本のニュースでも流れてましたが、ギャネンドラ国王が現政権を解任し、自らが全権を掌握することを発表して、非常事態宣言を出した日です。他の多くの飛行機はフライトキャンセルになったというのに、僕が乗っていたコズミックエアーはネパールの航空会社だったからか、無事にカトマンズに着いてしまったのです。


国王は新しい内閣をつくり、自ら統率しています。彼は半年間、国王を批判するメディア、出版を禁じる制限を出しました(言論統制)。最初の3日間くらいは市内電話すら制限され(その後も数日は時間限定だった)、国際電話は時間限定でおとといから、インターネットはやっと昨日から使えるようになりました。携帯電話は相変わらず不通です。


カトマンズは落ち着いています。今は長距離バスもほとんど動いています(検問は多いと思いますが)。マウイストは相変わらずストライキを呼びかけていますが、カトマンズはお店も開いています。


というわけで、大変なことになっているのですが、カトマンズに限って言えば治安に問題はありません。外務省の危険情報も非常事態前と同じく「渡航の是非を検討して下さい」のままだし(前からマオイストなどの問題がいろいろあるので、このレベルになっていますが旅行者は普通に旅行しています)、皆普通に観光を楽しんでいます、うちの孤児院の会長さんのアチュートさんは、旅行会社を経営しているのですが、キャンセルが相次ぎ、嘆いていました。


僕の部屋はNHKの国際放送が見れるのですが、何だかすごい映像が流れているなあと思いながら見ていました。メディアについても色々考えさせられました。これからネパールに来ようと計画している人から何人かメールを頂いたのですが、以下にとりあえず情報サイトを記しておきます。カトマンズ・ポカラ・ルンビニの観光地の治安は今のところ問題ありません(トレッキングは別)。

ネパール旅行関連ニュース
binti掲示板


僕は毎日OSHIN(孤児院)に通っています。心配してメールくれた人、ありがとうございました。ずっと更新していなかったので、明日も孤児院の様子や、今の情勢のことなど書こうと思っています。とりあえず、僕は元気です。

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easyrider

2004-11-21 01:26:32 | Nepal 2
 

昨日自転車でインドへと旅立っていった4人がうらやましかったので写真を載せた。いいなあ。今日はさらにたまさん、原さん、のぶさん、くみさんの4人がチベットに旅立っていき、ちょっと寂しくなった。朝5時起きで見送りに行った。原さん、チベットのガイドブック(旅行人)とストロベリージャムをバスの前に忘れませんでしたか?一応回収しておきました。みんな、気をつけて楽しんできてね。
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Ticket to Ride

2004-11-19 15:22:27 | Nepal 2


(写真 後列左より ?さん、僕、けいさん / 中列左から りえこちゃん、先生、はぶっちゃん、あいちゃん / 前列左から ぼったくる雑貨屋のむすこ、チャイ屋の娘、?君)

 写真はこの旅物語にもよく出てくるホーリーランドゲストハウスとその仲間たちの写真。このBLOGは文章と写真の2本立てで進めるつもりだった。しかし、8月頃早くもデジカメを紛失(恐らく盗難)し、その後は一緒に旅をした人に写真をもらって、たまに掲載したりしていた。しかし、それだとやっぱり自分で伝えたいことがうまく伝えられない。もう一つ持ってきていたアナログのカメラもちょうど壊れてしまったので、新しくデジカメを買うことにした(今日の写真はあいちゃん提供)。


 けいさん、あいちゃん、先生、はぶっちゃんの4人は、ネパール・カトマンズからインド・バラナシまでの10日間の自転車旅行へ旅立っていった。僕も誘われて、だいぶ心魅かれたが、諸事情であきらめた。けいさんはもともとチャリ旅なので良かったが、他の3人はチャリがなかったので、カトマンズでチャリを買っていた。ちなみにギアなしマウンテンバイクが3500円位、ギア付きで6000円位で買える。


 人力旅は楽しい。僕もかつては人力で旅をしていた。大学時代はアウトドアサークルに入っていて、登山や徒歩旅行をよくやっていた。僕が好きだったのは徒歩旅行。ぼくらは「ロード」と呼んでいた。テントや鍋をかついで、大地を歩く。北海道、東北、四国。数日だが、タイも歩いて旅したことがある。夜はテントの中や駅のホーム(駅によく寝ていた)で飯を作り、飲み、歌い、語った。僕の大学時代はこのサークルがほとんど全てだった。


 いつかまた人力旅がしたい。みんなの自転車を見ていたら血が騒いだ。あの快感をもう1度味わいたい。この旅のどこかでやろう。
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ナガルコット

2004-11-07 18:25:18 | Nepal 2
 
(写真はOSHINのショビンとショビナ © shinさん-ありがとうございました)

  前回、今回とも、ネパールでほとんどどこにも観光に行っていない。タメルにずっといると息がつまるので、今日はナガルコットというヒマラヤが見えるビュースポットに行った。まずはエクスプレスバスでバクタプルまで40分。ネパール人のおじさんが「エキスプレスエキスプレスエキスプレス」と叫んで客引きしているのが微妙におかしかった。


 古都バクタプルでバスを乗り換え、ナガルコットへ。バクタプルも建物が美しく、見学したかったが、今朝寝坊したため、それは叶わなかった。1時間のバスは立ち通しだったが、景色があまりにも綺麗なので、それも気にならなかった。


 ナガルコットに着くと既に12時。迷わず噂のNORITAKEコーヒーショップに向かう。木梨憲武そっくりのオーナーがやっていて、ご飯がとてもおいしいとの評判。むかしはこのお店の名前じゃなかったようだが、ある日本人がこのお店を名づけたらしい。情報ノートを見ても、とても評判が良い。ノリタケに似てて良かったね、おじさん。ちなみにエベレストは早朝に運が良ければ見えるだけで、もちろん見ることが出来なかった。


 13時、やっと出発。標高2000mを超えるナガルコットから、チャラン・ナガヤンまで下っていく。障害物はほとんどなく、眼下に盆地が見渡せる。村をいくつか通るのだが、その景色も綺麗で、最高だった。お花畑がいくつもあった。登っていき、頂を制する山も好きだが、アップダウンがなく、ただハイキングを楽しむようなこんな道も好きだ。時折音楽を聴いたりしながら、幸せな気分で歩いた。約3時間半で、チャラン・ナガヤンに到着。バスに乗って、バクタプル-カトマンズへと戻る。


 僕の旅の楽しみの一つ、トレッキング。久しぶりに爽快な一日だった。今度は泊りがけでいきたい。


 
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Nepal again

2004-10-27 01:02:10 | Nepal 2
 しばらく過去の日記ばかり書いていたので、近況を。


 今日、再びネパールに入った。寒い。飛行機も寒かったので、早速鼻水が出てきた。フリースを取り出す。今朝までTシャツ短パンサンダルだったのに。しかし、久しぶりのチベット料理はやっぱりおいしかった。寒い時に暖かいチベットそば、最高だ。自分のブロクを見たら、前回ネパールを出たのが9/16になっていた。一月ちょっと前だが、気温は大分違う。今はダサインという大きなお祭り中とのことで、楽しみだ。ちなみにバングラはラマダン(断食)中。飲食店は入り口に布をかけてこっそり(全然こっそりじゃないけど)、営業していた。


 もう少し、バングラ日記は書くと思うけど、とりあえず今日は近況報告。明日は久しぶりにOSHINに行きます。
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Times like these

2004-09-18 13:00:41 | Nepal 2

9月15日

 5時40分起床。慎也君と待ち合わせて、ニューバスパークへ向かう。7時、バス出発。長旅の始まりだ。今日は国境の街スノウリで夜行バスに乗り替え、インド・バラナシに向かうことになっている。が、間に会わなかった。昨日大規模な土砂崩れがあったらしく、片側通行の道が何ヶ所もあり、かなり時間がかかってしまったのだ。仕方がなく、スノウリのホテルで一泊。部屋に虫が百匹以上はいた。



9月16日

 今日の朝起こった出来事は腹立たしくて、本当は書きたくない。国境を超えて少し進むと、ある男が「昨日の夜に予約しておいたツーリストバスがキャンセルになったので、こちらのバンに乗れ」と言ってきた。確かにツーリストバスは来ていない。ツーリストバスは8時と聞いていたが、チケットの表示では8時30分出発になっていたので、ちょっとおかしいと思ってはいたが・・。だまされたか。バンは小さく、定員が少ないので、お金を追加で払ってくれという。追加分の料金交渉をしたり、他のバスを調べたりして、朝から疲弊する。僕はどうしても今日中にバラナシに着かなければいけなかったので、なんとか一人50ルピーの追加まで値段を下げて、バンに乗った。早速、インドだぜ。やれやれ。


 バンはローカルバスのように何度も人を乗せたり降ろしたりする。その度にとまる。出発の時点で既に1時間半遅れている。あせる。何度も運転手をせかす。しかし途中の景色はきれいだった。見渡す限りのたんぼは、バングラを思い出させた。6時。やっとバラナシ市街に入る。6時半のカルカッタ行きの電車に乗ることになっているのだ。夕方なので、案の定、道が混み始める。しかも、ここに来てバンが故障。運転手、何度もボンネットを開けて直すが、車は動かない。直りそうもないので、バンを飛び降り、オートリキシャを掴まえる。「あと5分しかないんだ!」とせかしにせかして、バラナシ駅へ。6時29分、駅に着く。死ぬほど重いザックを背負って走る。セーフ。そして、みはるとみはるの友達しゅうくんを発見。抱きあって喜ぶ。感動した。いや、もう本当にすごい一日だった。



9月17日

 昼頃カルカッタ(コルカタ)着。電車内で知り合った素敵であほなフランス人、ミカエルも一緒に、ローカルバスでサダルストリートへ。雨に濡れる。チェックイン後、BULE SKY CAFE で昼食。その後タイ航空オフィス、旅行会社などを巡り、マザーテレサの「死を待つ人々の家」へ。僕が3ヶ月前にボランティアをしたところだ。しゅうくんは福祉の勉強をしていて、児童擁護施設でボランティアをしている。ミカエルも是非見たいとの事で、みんなで見学に行った。



9月18日

 朝、一足先に帰るしゅうくんを見送る。その後バングラデシュまで交通の情報を調べたり、バングラの知人達にメールを書く。これから、いよいよバングラに出発だ。
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現る。

2004-09-06 14:39:24 | Nepal 2
(写真はラム。ひょうきん者。元気一杯。) 

 みはるがカトマンズに現れた。みはるとはこの春に東京YMCAが主催する「バングラデシュ青年ワーク交流キャンプ」で、バングラデシュ・ゴパルゴンジを一緒に訪れた。僕はスタッフで、彼女はキャンパーだった。今回は「国際力」という団体が主催するプログラムに参加するために来ていて、明日からポカラに行き、チベット難民の子どもが通う幼稚園でボランティア活動をするのだという。


 15時頃、みはるの泊まっているホテルに遊びに行く。タイからの飛行機は予定通り着いたようだ。カトマンズで会って、語るなんて不思議な感じがする。久しぶりにいろいろ語る。国際力の堤さんが、OSHINにサッカーボールと空気入れをプレゼントして下さった。みはるが堤さんにOSHINの話をしてくれたのである。サッカーはネパールでもメジャーで、子ども達のためにサッカーボールがあったらいいなあと思っていたところだったのだ。本当に感謝。


 このプログラムは現地集合で、今日の20時までにこのホテルに集合するのだそうだ。外出禁止令が一時解除された17時、みはると同じプログラムの参加者の大学生2人を連れて、カトマンズを案内する。タメルを抜けて、タヒティチョーク、チベット寺院、インドラチョークと歩いていく。タヒティチョークを抜けると、外国人が減り、庶民が訪れる店やバザールが現れる。普通の人々の生活があるエリアは楽しい。3人は初めてなので、興味津々である。自分の視点も、初めてカトマンズを訪れた頃に引き戻され、あの感覚を思い出す。初めての街を歩く、あの昂揚感はなんとも言い難いものがある。こうして改めて見ると、カトマンズの古い煉瓦の街並みは、とても趣がある。(街並みやネパールの写真を見たい人は「かさこワールド」でどうぞ。)


 途中の屋台で、バフ(バッファロー)料理や、朝マックについていくるポテト料理(あれは何ていうんだっけ?)をつまみ食いする。食べながらダルバール広場に向かう。沢山の寺院があるが、建物が美しく、見入ってしまう。ネパール最古の建築物もある。写真を撮りながら歩き、そのままジョッチェンに向かう。夕方のバザールや広場周辺は、買い物客や参拝客ですごい人だかりだ。スノーマンカフェに入り、チャとケーキで休憩。帰りはインドラチョークからアサンチョークまでをぷらぷらして帰る。なしを買った。


 ホテルに帰ると、残りの参加者4人も到着していた。みんな若い。全部で男1名、女6名。ホテルのレストランでちゃっかりご飯を一緒に食べてしまった。その後みはるの部屋でしゃべり、記念撮影をして帰る。みはるは塗り薬と歯磨き粉を間違えて歯を磨いていた。今日一緒に行動した2人の参加者のうち、一人の男性はプログラムの後みはると一緒にインドに行くそうだ。もう一人の女性は医学生さん。プログラム後にネパールの病院をみたいとのことで、OSIHINのメンバーの病院などを紹介することにした。国際協力について、医学を学んでいる視点でいろいろ考えている人だ。


 みはるがいたせいもあるが、久しぶりに引率者気分の一日だった。話の内容も「ワークキャンプ」だったなあ。





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peace

2004-09-05 00:22:11 | Nepal 2
(写真左上から:シャガル、スニタ、サムライさん(大学時代の友人)、ゆうすけ君、ショビナ) 

 今日も外出禁止令が完全には解けず、朝から13時まで、17時から19時30分までの時間限定で外出ができた。久しぶりにOSHINに行くことができた。13時ぎりぎりのバスに乗ってしまったので、運転手が狂ったようにすっ飛ばしていた。かなり怖かった。明日も同じような状況になりそうだ。明日は子ども達が学校でクラス分けの試験を受ける予定だが、バスの関係でどうなるか分からない。


 ネパール人の反イスラム感情は結構大きい。TVやネット上で12人のむごたらしい殺人現場が流されたからだ。日本人だって、イラクで人質になっていた人たちが殺されていたらどうなっていたかと思うと恐ろしい。祈るのみ。


 


 
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外出禁止令

2004-09-02 23:28:00 | Nepal 2
 今日は外出禁止例が出ている。ネット屋もシャッターが閉まっていて、裏口から入った。muramuraもコメントに書いてくれていたが、まずはニュースの抜粋から。


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<ネパール>イラク殺害事件で市民数千人が暴動

 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ】ネパール人労働者12人がイラクでイスラム教系武装グループに拉致・殺害された事件で、ネパールの首都カトマンズで1日、抗議する市民数千人が暴徒化し、モスク(イスラム教礼拝堂)2棟を襲撃、放火する騒ぎに発展した。イラクを含む中東にはネパール人の出稼ぎ労働者が多く、武装グループに対してだけでなく、政府の対応の遅れにも不満が高まっている。
 暴徒化した市民は、警察と衝突して投石し、さらに首都中心部に2棟並んで建つモスクを襲撃した。モスクの窓を破壊して侵入、じゅうたんや教典コーランを運び出して燃やし、建物に火を放った。モスクはいずれも現在は使用されておらず、イスラム教徒の負傷者はなかった。ネパールはヒンズー教徒が8割を占めている。
 市民と警察との衝突では、警察が催涙弾を使い、市民ががれきを投げ、少なくとも24人が負傷した。また、市内では市民が道路を占拠してタイヤを燃やし、武装グループを非難したほか、政府に抗議した。抗議者の1人は「政府は粘り強く交渉して人質を解放させるべきだった」と語った。
 ネパール人12人は、ヨルダンからイラク入りして間もない先月20日に拉致され、その後処刑されたことが同30日にイスラム系のウェブサイトで公表された。12人はヨルダンの職業紹介所で、イラクへ行けば高い報酬で働けることを知り、イラクに入国したという。
 ネパール政府は労働者のイラク入国を禁止していたが、既にクウェートやヨルダン経由で約1万人が入国していたとみられている。
(毎日新聞) - 9月1日19時34分更新


 [カトマンズ 2日 ロイター] ネパールの首都カトマンズでは1日、イラクで武装グループに拉致されていたネパール人12人が殺害されたことに反発する市民の暴動が起き、政府が外出禁止令を出した。暴動ではイスラム教徒や政府に抗議するスローガンを叫ぶ市民らが、モスクや人材派遣会社、アラブ系航空会社の事務所を襲撃。警官隊との衝突で2人が死亡した。
 一夜明けた2日は12人の犠牲者を追悼する服喪の日となり、政府は暴動再発を防ぐため外出禁止令を延長した。学校や大学、企業は閉鎖され、半旗が掲げられている。
 カトマンズ市内の外出禁止令は、住民に備蓄品の準備を促す目的で午前6時から9時半まで一時解除された。当局者によると、この間の事件発生報告はなかったという。
(ロイター) - 9月2日19時44分更新


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 昨日は朝から店のシャッターが閉まっていた。14時以降外出禁止令が出た。僕は友達2人とOSHINに出かけたのだが、「14時には情勢が落ち着く」との情報を入手していた。つまり間違った情報を入手していたのだ。そうとは知らずに、14時過ぎにのこのこと出かけてしまったのだ。途中何度も投石されてガラスが割れた家や、路上で燃やされるタイヤを見た。リングロードでは市民と警官隊の衝突があった。やじ馬根性でちょっと人だかりに近づいていったら、みんなが一勢に逃げてきたのだ。警官が何度か威嚇発砲したので、僕らもさらに遠くに避難した。さすがにすぐ近くで銃声が聞こえると恐い。ネパールではこういった時に外国人が狙われることはないが、少し情勢がおさまって道路を横切る時には、軍隊に「どこにいくんだ」と聞かれた。よく通してくれたと思う。


 帰りもOSHINのスタッフには「今日は帰らない方が良い」とアドバイスされたのだが、まずタメルのホテルに電話して、状況を確認することにした。「帰ってきても大丈夫だが、3人ではなく、2・1で歩いた方が良い」とアドバイスされた。日本人男性はよくネパール人に間違えられるし、一緒に来た女の子も今日に限って、現地人の格好をしていたので、ちょっと心配だった。「地球の歩き方もってくればよかった(手に持っているとツーリストぽいから)」「いざとなったら日の丸を書いてもって歩こうか」などと話しながら歩く。特に何事もなくタメルに帰ることが出来た。タメルは普段はあんなにやかましいのに、通りに人がおらず、ひっそりと静まりかえっていて不気味だった。2泊3日くらいの旅をした気分になった。3人で記念写真を撮った。


 今日の教訓は、「非常時のやじ馬根性は危ない」ということと、「なるべく正確な情報を手に入れる努力をする必要がある」ということである。現場の情報は倒錯していた。明日には普通の状態に戻るとのことだが、本当だろうか・・。ネット屋からの帰り道、何度も警官に「どこに行くんだ」と聞かれた。空はこんなに晴れているのになあ。今日はもちろんOSHINには行けず、友達と近くをぷらぷらし、いろんな話をした。もちろん平和についても。




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worship

2004-08-29 01:49:36 | Nepal 2
 朝からOSHINへ。先日もOSHINに来てくれたヨウヘイ君がまた来てくれた。彼はバイクで長旅をしている。今日は子どもが3人も泣いて(フリスビーが顔面に当たった、足をひねった、他の場所に行きたいとだだをこねて泣いた)、ちょっと大変だった。外に遊びに行ってぐったり疲れた後、教会へ。ヒマラヤホテルで月に1度の日本語での礼拝があるのだ。ヨウヘイ君がそこの牧師さんを知っていて、一緒に彼のバイクでヒマラヤホテルへ向かう。1泊100ドルもするホテルで、その奇麗さにびびる。部屋には冷房が入っていた。冷房にあたるなんていつぶりだろう?少し寒かった。


 今日のメッセンジャーはネパール人の牧師さんで、それに日本語の通訳がついた。久しぶりに日本語で賛美歌を歌えたので、嬉しかった。礼拝後、お茶会があり、全員簡単に自己紹介。JICAの医療関係で来ている人と知り合いになる。何かあったらいつでも連絡してくださいとのことで、心強かった。最近こちらで友達になった女の子がE型肝炎で帰国したり、腸チフスになった人から話を聞いたりしていたところだったのである。E型肝炎なんて僕は全然知識がなかった。その女の子とは病院にいく前日に一緒にご飯を食べていた。その時もかなり調子が悪そうだったけど、E型肝炎なんて誰も考えもしなかったのである。知らないということは恐いことだ。その他にも3年間JICAでネパールに滞在していた人や、NGO関係で来ている人とお話することができて、充実した時間だった。


 今日の礼拝メッセージには、ルカによる福音書6章38節が出てきた。
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量り(はかり)をよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
最後の一文「あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」には、いつもどきっとする。本当にその通りだと思う。


 海外に来て、生活が変わり、やることも変わり、日々の中でいろんな自分の一面を見る。「旅で自分の足りない面やいやな面をたくさん見るでしょう」と出発前に予言してくれた人がいるが、本当にその通りになっている。旅に出て自分や人生を考えるなんて人事のように思っていたが、思っていたよりもいろんなことを考えている。そんなことも気が向いたらそのうち綴ろうと思う。



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8/14

2004-08-15 00:27:13 | Nepal 2
 先日、バングラデシュ・マイメイシンを訪れていた友人からメールが来た。訪れたのは少し前のようだが、マイメイシンあたりも大分洪水がひどかったようだ。友人の兄は日本国際飢餓対策機構(JIFH)のスタッフとして、バングラデシュで活動していた方である。僕もJIFHの会員で、その方と一緒にJIFHのオリエンテーショントレーニングに参加したことがある。ビリシリはどうだったのだろう?ビリシリはMANDiが支援しているダハパラ診療所があるエリアで、僕の友人が沢山住んでいるところだ。 


 カトマンズでの生活も、自分の日常になってきた。この時間にはこれをするといったような生活のリズムが出来てきた。昨日は実家に国際電話をかけた。衛星生中継のニュースみたいに若干タイムラグがあるので、なんだかもどかしかった。日本の友達とチャットもした。文明の利器はすごいと感心。


 喫茶店でチャイを飲んでいたら、粗末な格好をした2人の子どもが話しかけてきた。僕をネパール人と間違えたらしく、ネパール語で懸命に話しかけてくる(僕はよくネパール人に間違えられる)。手にはノートをもっているが、その字もネパール語で何が書いてあるか分からない。隣に座っていたネパール人に聞いたところ、彼らは孤児院の子どもたちだという。孤児院が外国の資金援助を受けられなくなったので、こうして子どもたちに募金のアピールを書いたノートを持たせ、歩かせているのだという。ちなみに僕が話しかけたネパール人はトレッキング会社の人だったが、この人も別の孤児院の運営に関わっている人であった。日本で言うところのNPO・NGOの活動をしている人は意外に多いようだ。


 今日はあることの資料読みに没頭。そのうち日記1回分使って書くと思います。それでは、また。 

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P.S トラックバックの欄って、日付があったらいいのにな。ベンガルさん、ありがとうございました。興味深かったです。バングラデシュモデルのページもとても良かったです。論文・資料のページ、ちょっとづつ読んでみようと思います。
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ドラッグとストリートチルドレン

2004-08-11 01:50:40 | Nepal 2
 バングラ洪水関係のトラックバックがついていましたので、紹介します。ダッカから - from Dhaka
 青年海外協力隊でバングラに滞在している方のBLOGです。協力隊員の日々が垣間見れる本サイトが面白いです。

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22時。スーパーの前に子どもたちが7~8人たむろしていた。小学校に行く年齢にもなっていないような小さな子どもがほとんどだ。服はぼろぼろの子が多い。その中で一番大きな少年が、おなかをさすりながら「I'm hungry」と言って寄ってきた。瞳が明らかにおかしかった。僕は「ドラッグが好きなんだろ」といったら、彼は素直に「そうだよ」と答えた。


 後で顔見知りの日本人にこのことを話したら「多分やっているのはシンナーだと思うよ」と言っていた。ドラッグをやっている子どもにはお金はあげない。食べ物を買わずにドラッグを買ってしまうからだ。先日ストリートチルドレンを保護している教会のことを書いたが、ストリートは本当に危険と誘惑に満ちている。僕にドラッグを売ろうとする子どももいた。子どもの前で平気でドラックの商売をしている親もいた。僕だってストリートで生活していたら、うさ晴らしにやってしまいそうな気がする。それがどんなに危険な物かも知らずに。束の間でも、つらさや苦しさを忘れるたいからやるのだ。それは親のいない小さな子どもたちにも伝染していく。


 だから、シェルターがある。ドロップインセンター(24時間利用できる施設)や、ストリートスクール(青空学級)、職業訓練所もある。子どもたちはそこでそこで更正していく子どももいる。出たり入ったりを繰り返す子どももいる。ストリートチルドレンに関するサイトは沢山あるので、興味がある方は検索してみてください。このBLOGで紹介しているNGOシャプラニールのサイトや、ストリートチルドレンを考える会のサイトも分かりやすいです。


 全世界に3000万人-1億人いるといわれているストリートチルドレン。孤児院の存在も、そんな彼ら彼女らのために大事な存在です。



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・・・

2004-08-09 00:52:43 | Nepal 2
 祝アジアカップ優勝!日本食レストラン「桃太郎」にはサッカーを見に来ていた日本人達がいて、一緒に観戦した。2002ワールドカップもいろんな人とよくお店で見ていたなあと懐かしく思い出す。中田浩二の2点目はハンドぽっくって、暴動が起きるのではないかと心配したが、3点目が入ったのでこれで文句がないだろうと思いほっとした。土曜日だったし、日本もきっとすごい盛りあがっていたんだろうね。横で若いネパール人たちが飲み会をやっていて、女の子も酔っぱらったり、タバコを吸ったりしていた。おんなの人が外でタバコ吸っているところなんてほとんど見ないし、酔っぱらいは始めて見たので新鮮だった。

(写真は建設中のおしん。屋上にキッチンを作っている。)

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 昨日の午前中は、パタンまでバスに乗り、教会にいった。ネパールは土曜日が休みなので、土曜日に礼拝がある。英語で礼拝をやっているカトリックの教会があると聞いてやってきたのだが、人に道を聞きながら歩いているうちに、全然違うプロテスタントの教会についた。インドもそうだったが、人から道を聞いてすぐにたどり着けると思ってはいけない。みんな教え方が結構適当である。間違った道を教えられることもあるので、2人か3人くらいに聞くのがベストだ。教会は元カーペット工場を改造したもので、150人くらいの人が来ていた。エレアコを使って、素敵なゴスペルを歌っていた。メッセージはネパール語だったので、全然分からなかったけど。ネパールは日本よりもクリスチャンの割合が少ない(日本は約1%)。ここに日本人が来たのは2人目だという。


 ここはストリートチルドレンのための施設も持っている。カーペット工場は、地方から出てきた女性が住み込みで働く職場である。なので、小部屋がたくさんあるのである。始めは子ども達への給食活動だけしていたのだが、ここにとどまりたいとの少年達の要望があり、現在は10数名の子ども(男の子のみ)がここに住み、昼間は学校に通っている。学校は私立のイングリッシュスクールだが、学校に頼んで学費を免除してもらっているようだ。子ども達は礼拝にも出ていて、洗礼をうけて神学校に通っている子どももいる。ランタンというリモートエリア(トレッキングで有名なエリア)の子どももここに住み込んでいる。みんな良い子達だった。


 ここはクリニックも持っている。ハワイの教会がサポートして建てられたもので、年に1~2回、ハワイの医師や看護婦達が医療活動に来るそうだ。ネパール人の医師はおらず、普段はクリニックは閉まっている。今は女性の外国人の医師が来ていて、礼拝が終わった後に、沢山の人が敷地内のクリニックを訪れていた。薬が充実していた。


 帰りのバスでは、JICA(国際協力事業団)で働いている女性と一緒になった。JICA関係で来ている日本人はかなり多いようだ。この方はネパール人と結婚して、ここで暮らしているとのこと。娘さんも一緒だったのだが、娘さんはここで生まれたそうだ。ネパール人と結婚する日本人女性は多い。そんなに魅力的なのだろうか?確かに男性も女性も顔立ちの整った人は多い。性格は・・・人それぞれだ、と思う。そういえば今日は全国ミスネパールコンテストをやっていた。サッカーが終わった後にTVで見ていたのだが、ファッションショーのように、一人ずつ出てくる。レストランにいたネパール人達も盛りあがっていた。途中で店を移ったので、誰が優勝したのか分からなかったけれど。


 孤児院のオープニングの17日までまだ時間があって、ちょっと暇を持て余している。何かプレゼントをしようと思って、子どものおもちゃなどを売っているお店を何軒か見にいった。孤児院にはいる子ども達は2歳から8歳までである。それ以降だと自分達がやりたい教育をするには遅すぎると言う。凧あげが結構はやっているみたいなので、材料をかってきて凧でも作ろうかと思う。


 それでは、また。
P.S 日記自体は書くのが苦痛ではないが、タイトルを付けるのが苦手だ。うーん。


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今日は・・・

2004-08-06 01:48:59 | Nepal 2
 今日は何も予定がなく、のんびり過ごした。天気が良かったので洗濯をしたり、調べたいものがあったのでネットカフェに3時間もこもったりしていた。天気が良いとホットシャワーがでるので嬉しい(ソーラーシステムなので、天気が悪いと水しか出ない)。


 ぶらぶらと買い物にも出かけた。ニューロードの南の路上に、ビニールシートの上に商品を並べた店がずらっと並ぶ一帯がある。庶民の買い物どころだ。ここももちろん値段交渉である。みみかきを発見したので(先日無くした)、値段を聞いたら「2ルピー(3円)」と言ったのでびっくりした。嘘だと思ってもう1度聞き直してしまった。安い。パンツも買ったが、パンツは25ルピーだった。単3乾電池4本で10ルピー。何でも安いのだ。でもネパール語しかできないお店の人もいるので、苦労する時もある。数の言い方はバングラデシュと同じなので、10の数字くらいまでなら何とかなるのだが、桁が大きくなると分からない。そのお店は電卓も売っていたので、「その電卓で値段を叩いてくれ」とジェスチャーをしたら、「この電卓も買うのかい」みたいなことになってしまい、大変だった。英語のできるおじさんがあわられて、勝手に値段交渉までしてくれた。「この値段でいいよね!」とおばさんに確認していたけれど・・。



 今日はたいしたことをしていないので、最近読んで面白かった本の一部を紹介したいと思います。


 まずは「1年1組せんせいあのね いまも」(鹿島和夫・編 理論社) から、きたもりひろつぐ君の素敵な詩を。この本にはかわいい詩が沢山載っています。(関係者の皆様、勝手に引用してごめんなさい)



おはし
      きたもり ひろつぐ

ごはんのとき
おはしがなかったので
おじいちゃんが
かしてあげるていいました
でも
おかあさんのおはしをつかいました
おじいちゃんはみずむしなんです



 次は「マザー・テレサ 日々のことば」(女子パウロ会)3月20日分より


ある紳士が、
インドから貧困を取り除くために
私たちは何をすべきでしょう、
と尋ねました。
私はこう答えました。
もしあなたが貧しい人々を
愛しているのなら、
彼らと共有しなくてはなりません。
もしあなたが貧困を取り除きたいのなら、
貧しい人たちと分かち合ってください。



 最後は聖書から。久しぶりに開いた「伝導者の書(旧約聖書)」より。書いたのはあのソロモン王(ダビデの子どもです)、今から約2900年前に書かれたものです。



エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。

日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。

風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。

川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。

すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。

昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。

「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。

先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。



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ではでは。


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