昨日NHKで台風の映像を見てびっくりした。今年はいろいろとすごいね。
バングラの洪水の情報を最初に流してからだいぶ時間が経ってしまいましたが、募金のお願いのページを紹介したいと思います。東京YMCAのページです。僕の元職場です。9月11日には渋谷で街頭募金もやるので、(詳細はこちらで)お時間がある人は是非参加してみてください。街頭で募金を呼びかけるのは、とてもよい経験になると思います。では、ここ数日分の日記、まとめてどうぞ。
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8月29日
朝、タメルの街角でチャイを飲んでいると、突然大勢の男達が走ってきた。路上のサモサ売りやチャイ屋も、急いでガスバーナーやバケツを持って、横の小道に駆け込んだ。今日はバンダ(ゼネスト)である。ネパーリコングレス党などによるもので、反対派との衝突で負傷者も出たらしい。道の向こうから来たバイクは、その集団を見ると、急いで引き返していった。そのバイクに向かって、スピードを上げて走る男達。翌日のネットのニュースには20台もの車が壊されたと書いてあった。駆り出されたのか、集団の中には少年の姿も目につく。店もほとんで閉まっている。開けているのがストの集団に見つかれば、大変なことになるからだ。5月に来た時は、火(松明)を持って走る集団を見た。公共機関はストップしているし、リキシャもここぞとばかりにふかっけてくるので、歩いてOSHINに行った。午前中はCAFEでバングラに行ったことのある日本人2人と話し込み、さらにそれからOSHINのホームページの作業でネット屋に行ったので、OSHINに着くのがかなり遅くなってしまった。子どもたちは僕が来なくて泣いていたらしい。申し分けないことをした。
8月30日
午前中にアティティツアーズという日本人向けの旅行会社に行った。ここには日本人サロンがあり、沢山の日本語書籍がある。本を2冊持っていくと、1冊と交換してくれるのだ。竜馬狙いで行ったのだが、面白い本を沢山発見してしまった。ここで本を読むことも出来るし、お茶も出してくれたりする。ここで知り合った女の子がOSHINに興味をもってくれて、今日早速一緒に行くことにした。チベット料理屋ギリンチェでトウクパを食べて、OSHINに向かう。
最近は子どもたちから「何時にくるの?」と聞かれる。今日は2時に行くと答えていたのだが、アディティで沢山の日本人とあって話し込んでしまったりして、着くのがだいぶ遅れた。アティティでは協力隊員の人とも出会った。日本の旅行会社をやめて協力隊員になった人で、政府が主催するトレッキング会社同士の横のつながりの組織で仕事をしている。いかにして日本人客を獲得していくかという事業等に取り組んでいるとのこと。「観光」という分野での隊員募集もあるとは知らなかった。観光分野で隊員を募集している国は少ないらしい。
OSHINに着いて、すぐに子どもたちと外に出る。今日は新たに新しい子どもが来ていた。名前はショビン。もう既にショビンという名前の子がいるので、他の子どもたちは「この子はショビン2だよ」と言っていた。あだ名を考えなくてはいけない。ショビン2が来て、こどもは7人になった。しかし今日話題になったのはショビン2ではなく、ショビン1であった。足をひねって歩けなくなってしまったのである。おぶってOSHINに帰り、クリニックに連れていった。ショビン1はいつも明るく素敵な少年だが、足をひねってからは一言も口を聞かなかった。目には涙を浮かべていた。
8月31日
午前中はCPSへ。再度の料金交渉と具体的な子どもたちの入学日程を決めることが目的であった。料金はやはり50%までしか下がらなかった。しかし、他にコンタクトを取った学校は2人だけ無料とか、5人まで無料といった条件であったので、CPSは良い条件を出してくれているのである。実際、とても協力的である。子どもたちは次の日曜日にクラス決定の試験を受けることになった。ネパールでは年齢でクラスを決めることはない。飛び級もある。写真を沢山撮って帰る。帰りのバスの中で、ホームページの打ち合わせをした。
これから昨日アディティで知り合った男の子をOSHINに連れていく約束をしている。最近OSHINに興味をもってくれる人が多く、いろんな人を連れていっている。
いわゆる国際協力活動に関心がある人は多い。最近そういう人達と良い話を沢山しているので、どこかでまとめてシェアしたいと思う。
バングラの洪水の情報を最初に流してからだいぶ時間が経ってしまいましたが、募金のお願いのページを紹介したいと思います。東京YMCAのページです。僕の元職場です。9月11日には渋谷で街頭募金もやるので、(詳細はこちらで)お時間がある人は是非参加してみてください。街頭で募金を呼びかけるのは、とてもよい経験になると思います。では、ここ数日分の日記、まとめてどうぞ。
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8月29日
朝、タメルの街角でチャイを飲んでいると、突然大勢の男達が走ってきた。路上のサモサ売りやチャイ屋も、急いでガスバーナーやバケツを持って、横の小道に駆け込んだ。今日はバンダ(ゼネスト)である。ネパーリコングレス党などによるもので、反対派との衝突で負傷者も出たらしい。道の向こうから来たバイクは、その集団を見ると、急いで引き返していった。そのバイクに向かって、スピードを上げて走る男達。翌日のネットのニュースには20台もの車が壊されたと書いてあった。駆り出されたのか、集団の中には少年の姿も目につく。店もほとんで閉まっている。開けているのがストの集団に見つかれば、大変なことになるからだ。5月に来た時は、火(松明)を持って走る集団を見た。公共機関はストップしているし、リキシャもここぞとばかりにふかっけてくるので、歩いてOSHINに行った。午前中はCAFEでバングラに行ったことのある日本人2人と話し込み、さらにそれからOSHINのホームページの作業でネット屋に行ったので、OSHINに着くのがかなり遅くなってしまった。子どもたちは僕が来なくて泣いていたらしい。申し分けないことをした。
8月30日
午前中にアティティツアーズという日本人向けの旅行会社に行った。ここには日本人サロンがあり、沢山の日本語書籍がある。本を2冊持っていくと、1冊と交換してくれるのだ。竜馬狙いで行ったのだが、面白い本を沢山発見してしまった。ここで本を読むことも出来るし、お茶も出してくれたりする。ここで知り合った女の子がOSHINに興味をもってくれて、今日早速一緒に行くことにした。チベット料理屋ギリンチェでトウクパを食べて、OSHINに向かう。
最近は子どもたちから「何時にくるの?」と聞かれる。今日は2時に行くと答えていたのだが、アディティで沢山の日本人とあって話し込んでしまったりして、着くのがだいぶ遅れた。アティティでは協力隊員の人とも出会った。日本の旅行会社をやめて協力隊員になった人で、政府が主催するトレッキング会社同士の横のつながりの組織で仕事をしている。いかにして日本人客を獲得していくかという事業等に取り組んでいるとのこと。「観光」という分野での隊員募集もあるとは知らなかった。観光分野で隊員を募集している国は少ないらしい。
OSHINに着いて、すぐに子どもたちと外に出る。今日は新たに新しい子どもが来ていた。名前はショビン。もう既にショビンという名前の子がいるので、他の子どもたちは「この子はショビン2だよ」と言っていた。あだ名を考えなくてはいけない。ショビン2が来て、こどもは7人になった。しかし今日話題になったのはショビン2ではなく、ショビン1であった。足をひねって歩けなくなってしまったのである。おぶってOSHINに帰り、クリニックに連れていった。ショビン1はいつも明るく素敵な少年だが、足をひねってからは一言も口を聞かなかった。目には涙を浮かべていた。
8月31日
午前中はCPSへ。再度の料金交渉と具体的な子どもたちの入学日程を決めることが目的であった。料金はやはり50%までしか下がらなかった。しかし、他にコンタクトを取った学校は2人だけ無料とか、5人まで無料といった条件であったので、CPSは良い条件を出してくれているのである。実際、とても協力的である。子どもたちは次の日曜日にクラス決定の試験を受けることになった。ネパールでは年齢でクラスを決めることはない。飛び級もある。写真を沢山撮って帰る。帰りのバスの中で、ホームページの打ち合わせをした。
これから昨日アディティで知り合った男の子をOSHINに連れていく約束をしている。最近OSHINに興味をもってくれる人が多く、いろんな人を連れていっている。
いわゆる国際協力活動に関心がある人は多い。最近そういう人達と良い話を沢山しているので、どこかでまとめてシェアしたいと思う。