.kuri

アジア・アフリカの旅日記と、ネパールの孤児院(おしん)日記。現在は日本での日常生活を書いてます。

路地裏

2005-01-11 00:23:59 | India

今日もデリー散策。僕が泊まっているメインバザールを抜けてから、ニューデリー駅前を経由してコンノートプレイスに向かう。今ここは地下鉄の延長工事の真最中。







帰りは違う道を通ってメインバザールに帰る。いかにも路地裏って感じのところで嬉しかった。あんまり観光客が行かないような路地裏が僕は大好きなのである。何故ならそこでは普通の庶民の生活が見れるからである。僕はガイドブックに載っているような寺院や建物にはほとんど行かない。いつもふらっと普通の人が生活をしているエリアに行き、そこで人が飲んだり食べたりしているものを一緒に飲んだり食べたりして、片言の言葉で会話をする。そういうところで子どもと遊んだりするのも楽しい。観光客ずれしているエリアよりも、こういうエリアの方が人も良く楽しいのである。写真もそういうところで撮ったものが多い。こういう日は幸せだ。



Yasukoさんがリクエストしてくれたので、食べ物の写真も撮った。僕はインド料理があんまり好きではないので、チベット料理を食べている。アフリカからデリーに来て何が嬉しかったかって、おいしいものが安く食べられること。近くにチベット難民キャンプもあり、ここにもチベット人がいる。今日はモモ(ぎょうざ)を食べた。おいしすぎる!この店は醤油もあったので、もう完璧だった(10個で40ルピー=約100円)。


唯一よく食べるインド料理はサモサ。飲み物だとチャイとラッシー。ラッシーもうまい。あと路上でよく買うのはオムレツと果物。クッキーやローカルのあまーいお菓子も路上でつまみ食いする。


ま、こんな食生活です。
屋台で売っているサモサ甘いものたち

デリー

2005-01-08 14:14:07 | India
どうも、Kuriです。みなさんお元気ですか?最近濃い(熱い)メールを沢山頂いていますが、中身が濃すぎてなかなかすぐに返信出来ません。ごめんなさい。いつもありがとう。


たまには旅日記らしく-


昨日、ケニアからインド・ムンバイに戻ってきた。ケニア航空のフライトは6時間。夜中の2時に着いたので、空港内で朝まで居眠り。いいソファがあったので、意外と快適に過ごせた。空港で列車のチケットを取って、デリーへ。安い寝台席が混んでいて、身分不相応な高い席を買った。


翌朝、無事にニューエリー駅に到着。客引きが意外としつこくない。メインバザールのAJAYゲストハウスの向かいの宿に宿泊。AJAYゲストハウスの情報ノートを見ると、「ぼられました」情報の山。僕はこの情報ノートってやつが好きで、ここでいつもおいしいレストランなどを発見するのだけれど、ここのノートはぼったくり情報と、ビザ情報と、他の地域の情報ばかりだった。


相変わらず汚くてゴミゴミしているインドだけど、このエリアはやっぱりなんとなくほっとする。思えば今回は「南アジア」と呼ばれるエリアばかりを回っている。ネパールで孤児院の立ち上げをしたり、大好きなバングラがあるエリアだから当たり前かもしれないが、こんなに南アジアが身近になるなんて思ってもいなかった。


これからぶらぶらニューデリーを散歩します。

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Bookmark2、更新しました。とっつあんの「就活支援プロジェクト(通称FunRec)」と連動して、というわけでもありませんが、今回は【就職活動・インターン・アルバイト】関係です。先日BLOG上で募集した「僕の長所と短所」を送ってくださった人、お忙しい中ありがとうございました。とても参考になり、そして面白かったです。引き続き募集したいと思います。メールはtakashikuriara@yahoo.co.jpまで。どうぞご協力ください。



【就職活動・インターン・アルバイト】
Bi助っ人 - インターン情報のページ。国際機関等でのインターンシップについて情報交換ページも。
ボラバイト -農家・牧場・宿泊施設などでの仕事体験。
就職コンパス - 就活blog、社長特集、先輩特集、学生特派員 企業潜入レポート、就職コムパス就職★塾など
就職活動だよ!全員集合!! - 就職ブログ。楽しくやらなきゃ就職活動じゃない!!


【写真集・アート】
藤城清治レフグラフ版画/アートデジタルプリント - 世界的影絵作家、藤城清治の「光と影の祈りの芸術」


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Booksも更新しました。

・ザ・ゴール 2 (エリヤフ・ゴールドラット/著 三本木亮/訳 、ダイヤモンド社 、2002)

・ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (本田健/著 、大和書房 、2003)

Ashitaha...

2004-12-09 00:37:02 | India


(photo = , Katmandu, Nepal)

Mumbai(Bombay) ni tukimashita. Train de 29 hours...
Shikamo seki ga naku, yoru ha yuka de nemasita. Hiruma ha shinsetsu na Indojin ga seki wo waketekuremasitaga...


Asuha nannto ! Kenya(Africa) desu. Chotto Fuann desu. Demo enjoy site kimasu.
Dareka Nairobi infomation attara kudasai.

Soredeha!


How to love

2004-12-07 00:39:59 | India

(バラナシ、ベンガリートラを悠々と歩く牛。ベンガリートラは道が狭い。「ハイッツ!」と言って、人々が牛を道から追っ払っている。逃げないときはペシペシ叩く。)


バラナシ駅について、出口への角を曲がろうとしたら牛が出てきた。あ、インドに来たんだと思った。


温厚なネパール人に接した後に、観光地のインド人(北インド)は本当に疲れる。僕の顔なんか「$」とか「¥」にしか見えないんだろうなあと思った。


前回インドに来た時も思ったことだが、インド人を愛するのはハードだ。インドの感想は前にも書いた。→バラナシ(ヴァーラーナスィー)


バラナシなど、僕にとっては完全に異教徒の地なのだ。朝4時から鳴り響くプジャ(礼拝音楽)。黄色の衣装に身を包んだサドウ-(ヒンズー教の僧侶)達は、僕の額や頭になにかを振りかけたり、つけたりして、お金を取ろうとする。外国人から何とかして金を取ろうとするインド人に気を抜けない。全然価値感の違う人々。理解しようと簡単に頑張れるレベルではない。自分と同じ人を愛するのは簡単だ。人間は自分と違う人々を排除しようとする。それでも人を愛することは出来る。自分は変わらないし、変わってはいけない。そんなことを考えさせてくれるインドの旅である。

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・あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。(新約聖書マタイ22:39)


varanasi

2004-12-05 00:29:51 | India


12.3-4

朝6時起床。ホーリーランドゲストハウスに行き、バンコクに行くチャッピーを起こす。パッキングもせずに爆睡していた。8時、カトマンズ・ナヤバスパーク出発。疲れていたのか、よく眠った。起きている時間はオレンジを片手に「ルワンダ中央銀行総裁日記(服部正也著)」を読みふけった。18時、国境の街スノウリ着。ボーダーはなんなく通過。今回はバスが遅れなかったので、無事にゴウラクプール行きのバスを掴まえることが出来た。


22:30、ゴウラクプール駅着。寝台車のチケットを買おうとしたが満席。2等の木の椅子座席車に乗り込む。寝るために座席上の網棚を確保した。23:30、出発。網棚に寝ころんだが、やはり寝にくいので、車掌に「寝台はあるか?」と聞いたら。あるとのこと。寝台車に移り、熟睡。予定より1時間遅れて、朝5:30にバラナシ駅に到着。リキシャワラー(サイクルリキシャ)がぼろうとしなかったので、感動した。少々遠慮がちにバクシーシを要求したので、素直に払った。


朝のバラナシは意外と寒かった。前回泊まったフレンズゲストハウスに行ったが、ドミトリーの皆さんが熟睡していて鍵が開かなかったので、とりあえずガンガー(ガンジス川)へ。ガンガーの向こうに朝日を見る。遠くの方は霧がかっていて、なかなか幻想的。チャイを飲みながら、しばらくガートで時を過ごす。


ガンガーで声を掛けられた日本人画家れいさんと朝食を食べに行く。カトマンズにいた斎藤夫妻に会った。先に出発したけいさん達チャリダー組がいる宿を教えてくれた。無事にバラナシに着いていたようだ。


ビシュヌゲストハウスで無事にけいさん、あいちゃん、先生、はぶっちゃんのチャリダー組と再会。楽しい11日間の旅だったようだ。当初の予定通りネパールでは民家に泊まり、食事も毎晩ちゃっかりごちそうになったらしい。インド側では、ドライバー達が泊まる簡易宿泊所に泊まったようだ。ゴールシーンのムービーを見せてくれた。僕もビシュヌゲストハウスを宿にした。はぶっちゃんは、これからカルカッタまでチャリ旅をするそうで、またも誘われた。けいさんはデリーまでチャリ旅。両方とも行かないけど。


バラナシ自体は2回目なのでたいした感動はなかったが、会いたい人達と無事に再会できて良かった。次に行く国のチケットもゲット。いよいよ数日後にアジアを離れる。



バラナシ(ヴァーラーナスィー)

2004-07-21 00:16:57 | India
僕の泊まっているFriend`s gest houseの窓からはガンガー(ガンジス川)が見える。朝4時くらいから音楽と祈りが始まり、沢山の人が沐浴をする。


ずっと移動をしていたからか、バラナシではのんびり過ごしている。今日は暑かったので、ガンガーで沐浴をした(水は飲んでません)。プールに入っているみたいで気持ちよかった。


久しぶりに日本人が沢山いる所に来たからか、今日は沢山の日本人と話した。インドの旅は思ったよりもハードだった。それは僕だけではない。「インドどうすか?」。旅人がよく交わすこの言葉には、「インド結構大変っすよね」というニュアンスが含まれている時がある。だまされて高いツアーに申し込まされたなんて話はしょっちゅう聞くし、客引きはしつこい。それでなくてもいろいろ大変な思いをしている人が多い。何故何だろう?インド人は本当はどんな人?何を考えてるの?そんな疑問や思いを、今日は沢山の人と話した。


まず、ご飯に疲れている人は多い。最初は現地の人と同じ物を食べようと頑張るのだが、やっぱり胃は少しづつ正直に抵抗を始めるのである。僕も含めて多くの人はチリにやられる。とにかくスパイシーな物が多い。もう食べたくなくなって、クッキーやバナナ、オムレツ等に逃げる。昨日食べたカツどんのなんとおいしかったことよ。


ほっと一息落ち着ける場所もない。のんびり出来る喫茶店は皆無。道は恐ろしく汚く、ハエが舞い、牛が歩く。そして人はどこにでもいっぱいいる。


そして、客引きにやられる。慣れればたいしたことはないが、いちいち相手にしていると疲れる。特に女の子はセクハラまがいのこともされて大変みたいだ。


ここからが本題。センスの問題。例えばサービス。日本のように「いらっしゃいませ」とにこやかに(にこやかにが重要)声を掛けてくる人はいない。「JAPAN!」「FRINED!(僕は君の友達じゃありません)」「ちょっと見るだけね」「1 minutes!」。低姿勢というものはない(日本人の慎み深さや低姿勢はやはり美徳だと思う)。とにかく売りたい。売るためにこちらの気持ちや意向を汲もうという姿勢はない。決して気持ちよくはさせてくれない。「何が欲しいんだ?」「いくらなら買うんだ?(いやそういう問題じゃないんですけど)」


これは食堂やレストランでも変わらない。メニューも釣り銭も投げる。何よりも汚い。
(また停電!続く)


怒涛の移動

2004-07-19 20:58:05 | India
ご無沙汰してしまいました。理由は読めば分かりますが、ずっと移動していたからです。3晩夜行に乗り、昨日久しぶりにベッドに寝ました。カツどんも食べました。それでは、ここ数日の日記、まとめてどうぞ。

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怒涛の移動。まずおとといの夜、コーチンを発って、夜行でバンガロールへ。寄りたいところがあって、頑張ってやってきた。残念ながら会いたい人には会えなかった。他に特に見るべき所もないので、この日の夜行でゴアに向かうことにした。切符を買うカウンターを間違えて、3等(木の椅子のみ)しか買えなかった。ま、寝台はあいてるから、後で変えてもらえば良いやと思い乗り込んだら、見事に満席。3等の椅子も既に席はなし。途方に暮れていたら、乗務員さんが「30分後に同じような夜行が来るから、次の駅で降りて乗りかえな。多分ベッドがあいてるよ」と教えてくれた。既に23時。名も分からぬ駅に降りたつ。30分後乗った電車では、「ベッドはあるからここで座って待ってて」と言われたが、別の乗務員さんに「FULL!」と言われ、また途方に暮れた。周りを見渡すとベッドはいっぱい空いていた。さっきの乗務員さんがなかなか帰ってこないので、勝手に空いているベッドに寝た。熟睡。


LONDAというところでバスに乗り換え。タイミング良くバスが来た。3時間でゴアに。やっと着いた。そこから目指すアンジェナビーチまで、さらにバス2本。アンジェナビーチのことは旅行記で読んで知っていた。ヒッピー達の集まる伝説のビーチである。今はモンスーンの時期なので、旅行者は数えるほどしかいなかった。地球の歩き方にも今の時期の南の方はおすすめしないなんて書いてあるので、特に日本人にはほとんど会わない(昨日10日ぶりくらいに会った)。でもコーチンそうだったけど、意外に雨が降らない。気候もそんなに暑くなくて良い。ただビーチは波が高くて、泳ぐどころではない。なんでヒッピー達はこの場所を選んだのだろう?それが気になった。


そしてまたも移動。さらに北上してムンバイへ。列車が間に会わず、夜行バスになってしまった。本当は乗りたくなかった。理由はまず大音響。深夜まで(そして朝から)大音量で映画や音楽を流すのだ。それが好きな内容ならまだ良いのだが、僕ははっきり言って全くだめなのだ。好きになれない。理解できない。音楽は普通のローカルバスでもよく流れている。うーん。早く終わることを祈るのみ。耳栓、もしくはウオークマンは必需品である。そして映画は遅くまでやるくせに、電気は早く消える。本が読めない。さらに運転も荒い。酔う人は絶対止めた方が良い。もう絶対のりたくない。でももう1回乗らなきゃいけないんだけど。


ムンバイ。ここもほとんど乗り換えだけ。12:30、バラナシ行きの列車に乗り込む。昼間の移動は長いと退屈だ。乾ききっていなかった服を干したり、音楽を聞いたりする。久しぶりに暇を感じた。次に行く国は決まっているのだから、飛行機に乗ってしまえば良かったかなとも思った。時間がかかるのだ。到着は明日の19:30。隣の子供も暇そうで、椅子の上でひっくり返ったりしている。分かるよ、その気持ち。うーん。


翌日21時、やっとバラナシ到着。続きはまた明日・・。



マイケル

2004-07-14 15:22:30 | India
コダイナカルに行って良かったのは、インドのために真剣に働いている沢山のインド人に出会ったことだ。何度も書いているマイケルはその代表だが、その仲間達も素晴らしかった。


マイケルは自分の子たちとは別に2人の子供の学費を出している。親がなく、親戚に預けられている子供達で、親戚達は上の学校にあげるつもりはなかったらしいが、マイケルがそれを助けた。ある日一緒に歩いていた時、「今朝銀行にお金を借りに行ったんだ。お金がなくなっちゃってね」と言った。「今までもいろんなことがあったよ。でも、いつも神様が助けてくれた。だから大丈夫。」今までも不思議な方法でお金が与えられたことが何度もあったという。彼もクリスチャンである。


彼は全然休みがない。本業のSIDTの合間に、VOYCEの活動もしている。奥さんにも「あなたはいつも家にいない」とよく文句をいわれるそうだ。でもある日、17歳の娘さんが彼を弁護してくれたと言う。娘は自分の仕事を理解してくれている。マイケルはそれがとても嬉しかったらしい。


彼らは僕らがお金を捧げるのとは全く違うレベルで捧げている。彼の給料は安い。家も本当に質素な借家である。でも彼はこれで十分だという。そんな生活の中から、VOYCEの資金を出したり、他の子学費を出してあげたりと、いろいろなことにお金を捧げている。彼は自分の地域に住む人を本当に愛しているのだ。


マイケルには地域と共に生きる人間の姿をたっぷり見せてもらった。マミイやVOYCEの人達。SIDTの人達。こんなに沢山の人達が頑張っている。本当に勇気づけられた。Thank you very much!!

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「空の鳥を見よ。種蒔きもせず、刈りいれもせず、倉に納めることもしません。けれども天の父がこれを養ってくださっているのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(新約聖書マタイによる福音書6:26)


「何事でも、自分にしてもらいたい事は、ほかの人にもそのようにしなさい。」(新約聖書マタイによる福音書7:12)

お互いに愛し合いなさい。 -from bible











コーチン(again)

2004-07-13 00:46:17 | India
(先日はアップに失敗したみたいです。もう一度。)

昨日の夜、ついにコダイカナルを離れた。なじみのお店もあり、知り合いもできて、本当に楽しく暮らせたところだった。歩き方にはのっていないけれど、お勧めです。


夜行バスに乗る前に、マイケルの家にいった。日曜日だったので、全員家にいた。また来ることを約束して別れた。マイケルのことはまだ書きたいことがあるので、別の機会に書こうと思う。


朝5時にコーチンというアラビア海側の街に着いた。まだ真っ暗だ。タクシーで駅に向かう。ザックが重過ぎるので、最近は新しい街に着いたときには、駅のクロークに荷物を預けて宿を探している。宿探しは妥協したくないのだ。


海沿いの街は風情があった。夜行バスでほとんど眠れなかったので、海辺で昼寝をした。漁師が投げ網で魚をとっていて、みんながそれを覗いている。どうしてこんなに人がいるんでしょうか?海沿いのレストランで、シーフードレストランスープを頼んだら大当たり。海は汚いけどね。


半島や島がたくさんあるので、船で移動する。早いし便利だ。コーチンに来たのは、バックウオーター(水郷地帯)クルーズという、ボートのツアーがあったからだ。ヤシの木の間を流れる運河を走りながら、途中の村を訪れるのだ。本当は今日ツアーに参加したかったのだが、参加者が少なすぎてcancel(雨期なのでお客が少ない)、明日のツアーに申し込んだ。今は観光客が少なくていい。ホテルも半額くらいだしね。

今日はタイムオーバー(ネットカフェ21時閉店)なので、続きはまた今度。コーチンも良いところです。

ホステル&ミーティング

2004-07-11 00:17:14 | India
(写真:左マイケル 右チャイルドケアセンターの先生)

 朝6時半くらいに目がさめる。子供達が既に起きて、掃除を始めていた。170人の子供達が生活をしている。敷地も広い。そして美しい。イギリスの庭園のようだ。後で聞くと、ここに25年住んでいたイギリス人が設計したとのこと。道理でね。本当に楽園のようだった。


 敷地内には学校もあって、小さい子供達はこの敷地内の学校に通う。大きい子供達は歩いて別の学校に通う。みんな英語で挨拶してくる。インドでは"Hello""Good Morning"のような挨拶の習慣はないのだが、ここの子供達は、みんなきちんと挨拶する。子供達が敷地内を案内してくれた。どの建物もきれいである。朝食も頂いてしまった。


 9時頃、バスに乗る。今日はSIDTスタッフの月例ミーティングの日で、マイケルに誘われていた。スタッフや各活動エリアのリーダー、学校の先生など20名以上がゴザの上で車座になってミーティングをしていた。ミーティングは2日がかりの泊りがけで、各活動地域の現状のシェアをしたり、新しい計画について話し合ったりする。ミーティングはもちろんタメル語だったが、マイケルが面白い英文の資料を持っていたので、それをずっと読んでいた。先日カルカッタで行われた、トライバルピープルを支援する団体の集まりで配られた資料である。マイケルはこのミーティングのためにカルカッタに行った帰りの電車の中で僕に会ったのだ。


 あるレポートは、街に出てきたトライバルピープルの現状が書かれていた。森を追われて、街に出てきた彼らだが、様々な問題を抱えている。賃金が相場よりも安い、きちんと支払われない、住民登録をしていないので公共サービスが受けられない、女性に対するセクハラ問題、など。この10年、都市に出てきた彼らに対する政府のサポートはほとんどなく、彼らのために活動するNGOもほとんどなかった。そんな問題が沢山レポートに書かれていた。


 マイケルは僕がそういった民族の村にステイしたいといったのを覚えていて、今日それをアレンジしようとしてくれたらしい。しかし連日そういった村をみていたので、ちょっと別のところに行きたくなっていた。またの機会にと断って、コダイカナルに戻る。ちょっと疲れ気味。こういうときは食べる!ということでまたもチベット料理屋に。おいしかった。
 
 

 
 

pullaiya village

2004-07-10 00:05:58 | India
 朝は、近くのホテルで朝食を取りながら、昨日ダウンロードしておいた、アフリカに関するホームページを読んだ。インターネットは本当にありがたい。どこでも情報が手に入る。読むものがなくなった時にも便利。


 先日マイケルと行った時に、あまり滞在できなかった村に自分で行ってみようと思い、バスに乗った。ちょうどVOYCEの理事のがバス停にいて、バスの行き先や時刻を確認してくれた。彼は近くで小さなお店を経営しているのだが、トレッキング(このエリアはトレッキングコースが充実している)ガイドや宿の斡旋もしているようだ。今日は休みだったらしい。マイケルの友達も随分僕を助けてくれる。


 乗る時は、「接続の時のバスは10分くらいで来るから」と言われたのだが、どうやら接続に間に会わなかったらしい。次のバスまで2時間以上あるので、散歩がてら8kmを歩くことにした。登りが多くて結構しんどい。さっきアフリカのホームページで、学校や水汲みのために超距離歩く話を読んだばかりだったので、これが毎日だったら大変だと思いながら歩いた。


 30分くらい歩いたところにある一軒屋の女の子に「How are you?(突然こう言われることはよくある)」と声を掛けられて、家の前に座らされてしまった。ま、休憩するかと思って座って水を飲んでいたら、トラックがやってきた。「よし来た!」と思い、さっそく立ちあがった。ヒッチハイクは北海道を旅した時に何度もやっている。女の子も「よし来た!」と思ったらしく、一緒にトラックを止めてくれた。荷台によじのぼると、3人の男と4匹のくろやぎがいた。片言の英語でいろいろ尋ねてくる。みんな良い男達である。南インドの人は基本的にとても優しい。コダイカナルは特にそうだ。困っていても必ず誰かが助けてくれる。


 途中、他にもいろんな人が載ってきた。ある人は大きな袋と共に、ある人は大きな薪の束と共に。こういう所では、自動車は本当に大事なものなのだ。助けあって生きるのである。


 やがて村に到着。乗せてもらったお礼に、荷物の積み下ろしを手伝う。僕は食事をしたかったので、もう少しの、小数民族ではない集落まで連れていってもらった。降りたところにちょうど食堂のおじさんがいて、自分の食堂まで連れていってくれた。ミールス(カレー、ご飯、野菜などがセットになった定食)を頼む。コダイカナルよりも安く、15ルピーだった(37円くらい)。バナナの葉がお皿代わりで、そこにご飯やカレーが盛られていく。手で食べる。お代わりは無料で、いらないと言わないと、どんどんつぎたされる。おいしかった。


 今日も雨が振り出した。今村を訪ねてもしょうがないと思い、チャイ屋さんで雨宿りした。昨日本屋で買った「タメル語4週間でマスター」の本を使って、店のおばさんとその息子と会話をする。


 雨が小振りになったので、村を訪ねた。みんな僕のことを覚えてくれていて、今日はいろんなお家に招待された(ひきずりまわされた)。ある女の人は僕の手をにぎってどんどん歩き出すし、子供達はあひるの子供達みたいについてくる。のんびりじっくり村を見たかったが、それどころじゃなかった。会話がほとんどできないので、ここでも写真が大活躍。撮ったデジカメの写真をその場で見せると、みんな大喜び。でも子供がずっとついてくるので、ちょっと疲れた。英語が出来る学校の女の先生がいなかったので、ちょっと残念だった。


 傑作だが、僕は最終バスをミスった。「ウトウというところで降ろしてくれ」と車掌さん頼み、途中で何回か確認もしたのだが、全然違うところで降ろされてしまった。降りたところに数人の男達がいて、「もうコダイカナルへのバスはないよ」「ここにはホテルがないから、これから来るバスに乗ってバッタラボンドウーに行ったら良いよ」といろいろ教えてくれた。「はあ」と嘆いていると、一人の人が「ここに泊まりたい?」と言ってきた。彼の家にでも泊めてくれるのかなと思い「泊まりたいです」と言った。じゃあ、行こうとと連れていってくれた先は、またもや子供達のホステルだった。イギリスの人達が支援しているホステルで、見学に来る人達のためのゲストルームがあるのだという。ありがたい。僕の泊まっているホテルよりも全然良い部屋で、ホットシャワーもついていた。快適に眠った。

SIDTとマイケル

2004-07-08 21:06:43 | India
今日は長いです。

 今日はマイケルの本業である”SIDT”の活動を見学に行く(彼はここからお給料をもらっている)。VOYCEは彼が友人達と立ちあげたNGOで、専属のフルタイムスタッフはいない。SIDTはこの地域の少数民族のために働いている組織である。学校を建て、先生をトレーニングして派遣する。学校に通う子供達のホステル(寄宿舎)を作る。時代の波の中で揺れ動いている小数民族から様々な相談を受け、アドバイスをする。村のリーダーをトレーニングして育てる。農業のこと、森のこと、生活のこと、保険衛生のことなど、様々な知識を伝える。村人たちによる貯蓄システムをつくる(マイクロクレジットに似たもの)。そういった活動をしている。


 いよいよインドの山奥へ向かう。まずバスで1時間、SIDTのオフィスを訪ねる。総主事に会う。女性のカトリックのシスターである。20年以上、この地域に住んで活動している。彼女はマミイと言う愛称で呼ばれているのだが、「マミイと言えばこの辺で知らない人はいないよ」と言っていた。主に教育の話をした。数年前に念願のホステルを建てることができたので、様々な小数民族の子たちがこのホステル(現在は82名の女の子がいる)から学校に通えるようになった。彼らはこの地域できちんと教育をうけるFirst Generationなのだという。この子供達は、この地域全員の期待の星なのである。マイケルも彼女もこのことを熱く語っていた。こういった山の中にも公立の学校があるが、田舎暮らしに絶えられずか、先生たちはすぐに逃げ出してしまうのだという。事実上教育が成りたっていないのだ。


 SIDTのオフィスからさらに1時間、パリヤ民族の村に着いた。かわぶき屋根の、貧しい家々が見える。戸数は15くらいだろうか。SIDTによって村に建てられた、保育所兼小学校に案内された。といっても、8畳くらいの部屋が2つあるだけの小さな建物だ。朝から3時までは保育所(親達は仕事、学校通う年齢の子供達は学校に行っている)、その後夕方までは学校に通う子供達の補習を行っている。先生もハードワークだ。SIDTが学校を建て、先生をトレーニングしてこういった村に派遣する。若い女の先生も、この村の出身ではない。


 この村は貧しい。家の中も見せてもらったが、家財道具がわずかにあるだけである。もともと森のそばに住み、森から食料や薪などの生活の糧を得て、自給自足の生活を送っていたという。ある時、他の民族が現れて、土地を少しずつ奪っていったそうだ。現在は近隣で雇われ農夫などをして、わずかな現金収入で暮らしている。


 女の先生はとても熱心で、もっといろいろなことを学びたいという。「私たちの5年後の将来のために、どんなことが必要だと思いますか?アドバイスしてください」と言われた。村のリーダーの男の人と、マイケルを交えて、しばらく村についての話をした。一番話したのは、教育のこと、生活や人生に必要な様々な分野の知識を得ることについてであった。


 その後、歩いてすぐのところにあるプライヤ民族の村を訪問する。ここの家はすべてコンクリートで、さっきの村よりも豊かである。戸数もかなり多い。マイケルは僕にこの2つの村の違いを見て欲しかったと言った。 残念ながら最終バスの時間(18時)がすぐ来てしまい、ほとんどこの村には滞在できなかった。


 続いて前述のホステルを訪問。バス停からの道はほぼまっくらである。夕食の後で、みんなはテレビのニュースを見ていた。大歓迎を受ける。先生達と一緒に食事(もちろんカレー)を食べさせてもらった。その後何だかよくわからないうちに、82人と先生の前に連れ出れた。マイケルが僕のことを随分時間をかけて紹介してくれた。その後みんなから質問を受ける。下は6歳くらいから高校生くらいまで。20もの民族の子供達がいる。外国人は珍しいエリアなので、みんな興味津々である。日本の気候はどうなのか、日本語を教えて、私たちのような民族をどう思うか、などなど。ほとんどの子たちははにかんでいるが、中にはちゃんと積極的な子がいて、いろいろ質問してくる。マイケルは僕に広島長崎のことを話してくれといった。バングラデシュでもそうだったが、学校の教科書に広島長崎のことが載っているのである。その他訪問する時にいつも持ち歩いている日本の写真や日本の雑誌(relax)を見せたり、歌を歌ったり、簡単なゲームをしたりした。みんなよろこんでくれたみたいで、何よりだった。


 この日はもうバスがなかったので、SIDTのオフィスに泊めてもらった。様々な団体が泊まり込みでミーティングをしたりするので、ベッドやキッチンが完備されている。うーん、今日は濃い一日だった。


チャイルドケアセンター

2004-07-07 14:16:41 | India
 <FOT COLOR=BLACK> 今日はVOYCEの運営するチャイルドケアセンターを訪れた。この前マイケルと来た時は日曜日で子供達はいなかった。途中滝に寄ったり、チャイを飲んだりしながら、1時間半ほどの森の中のハイキングを楽しんだ。着いた時は一応授業の時間だったのだが、大歓迎されて一緒に沢山遊んだ。今日は風邪などでお休みが多く、9人しか子供がいなかった。僕が自己紹介すると、自分で自己紹介が出来る子は、はにかみながら自己紹介をしてくれた。その後歌を歌ってくれたり、アルファベットを全部披露してくれたりした。かわいい。


 僕は日本から写真を沢山持ってきていたので、それをみんなに見せた。その後、折り紙で紙飛行機を作った。子供達は小さすぎて出来ない子が多いので(一番下の子は1歳半)、僕と女の先生2人でほとんど折る羽目になった。でも子供達は大喜び。飛ばすのも楽しかったようだが、飛行機を手に持って走りまわるのも楽しかったようだ。その後一緒にお弁当を食べる。僕は近くの売店でクッキーとチャイを買ってきて食べた。みんなはご飯とカレー味のおかず(野菜やチキン)のお弁当だ。ぼろぼろこぼしながら食べている。自分で食べられない子は、先生が口にご飯を運んであげている。2人とも素敵な先生である。 ご飯の後はお昼寝の時間なので、子供達にさよならをした。


 その後、ホテルに戻る。マイケルが迎えに来てくれて、彼の家に遊びに行った。コダイカナルからバスに乗って20分。降りて10分ほど歩く。本当に村の中である。ここも景色が素晴らしい。途中で晩ご飯の鶏を買った。彼のおじさんが運営するお店に寄ったりしながら、彼の家に着いた。本当に小さな家だ。奥さんは素敵な方だった。子供達はまだ学校から帰ってきていない。


 マイケルが村の中を案内してくれた。ほとんどの人が農業を営んでいる。ここも坂が多いので、平らな土地を得るのが大変である。段々畑がたくさん見られた。以前、日本人の学生の女の子が、かなりの長期間、民族研究のためにこのエリアに滞在していたとのことだった。(続く)

VOYCEとマイケル②

2004-07-07 14:11:38 | India
 (続き)-写真はマイケルの家がある南インドの村)
 
 今日は日曜日で、事務所は休みだったが、女性の職員が鍵を持ってきてくれた。ここは2人体制である。側に建てられている保育所の先生もしている。保育所の中も見せてもらった。定員15名だが、希望者は沢山いるようだ。対象は貧しい人達なので、保育料は無料である。タメル語の読み書きや、英語も教えているようだ。先生手作りの、子供達のかわいいノートもみせてもらった。塗り絵(先生が絵を描く)や、簡単な算数のページもあった。給食はないが、クッキーがでるようだ。保育は16時までである。子供がいる時に遊びに来たいなと思った。


 彼は自分をコーディネーターと言っていたが、地域の様々な相談役にもなっている。家庭の問題の相談も多いのだとか。道すがら立止まって何人もの人と話していた。今彼が頭を痛めているのは、資金の問題である。NGOのメンバーは現在27名いるが、みんな地域で商店を営んだりしている普通の人達である。ある時政府が、大きな国際企業を誘致するために、メンバーが営む商店の数々を壊してしまったのだという。彼らは何かと目をつけられていたのだろうが、それにしてもひどい話だ。このことでだいぶ資金が減ってしまい、資金のやりくりに頭を痛めていた。政府へのアドボカシーもやっているが、彼はこれは戦いだと言っていた。僕も知っているグローバリズムの弊害の一例や、自分がやっていた仕事の話をした。同じ志を持って生きていることが分かって、彼はとても喜んでいた。僕も嬉しかった。これからもコンタクトをとっていこうと言った。ここにも戦っている人がいる。


 その後、マイケルは谷を見下ろす素敵なビュースポットに連れていってくれた。途中茶店に何軒か寄ったが、全部彼の知り合いで、ごちそうになった。帰り道も、彼の知り合いのパン屋さん車を止めてくれて、街まで帰った。明後日は彼の家に招いてくれるという。本当に素敵な出会いである。

チベット人

2004-07-06 14:09:41 | India

 昨日の夜はチベット料理屋さんに行った。そのエリアにはチベット人が沢山いた。お店の人に尋ねると、この地区には100人あまりのチベット人が住んでいると言う。こんなインドの南にも、チベット人のコミュニティがあるのである。


今日街を歩いていると、コミュニティセンターという建物があり、ダライラマ70歳誕生日!と書かれた垂幕が掲げられていた。音楽が流れていて、沢山の人が集まっていた。入り口でその垂幕を読んでいたら、昨日のチベット料理屋のにいちゃんが現れた。あ、昨日のにいちゃんだと思ったら、「入ってよ!」と言う。ちょっとどきどきしながら入る。誕生日は明日で、今日は前夜祭なのだという。中に入ると、子供達の椅子取りゲームが行われていた。すごい盛り上がりようだ。誰かの椅子がなくなるたびに、みんな本当に楽しそうに笑っている。僕はチベット人の顔が大好きなのである。本当に良い顔をしているし、何よりも親しみを感じるのである。子供の椅子取りゲームの後は、大人の椅子取りゲームもあった。僕も参加するように薦められたが、さすがに断った。これもみんな大爆笑。みんな本当に楽しそうだ。別に豪華ではないけれど、手作りのパーティーの雰囲気がとっても暖かくて、とても幸せな気分になれた。


 今日はマイケルの友達に会うはずだったのだが、何故か会えず、一人で近くの湖に出た。ここもきれいである。自転車を借りてサイクリングをした。途中に見えたお家で、庭で遊んでいた子供が手を振ってくれたので自転車を止めたら、そばにいたおばあちゃんに「おいで」と手招きされた。ござの上でおばあちゃんと語る。子供2人は(2~3歳)、僕と目が合うと、物影に隠れてきゃっきゃきゃっきゃ笑っていた。たのしそう。最初はどこから来たとか普通の話をしていたが、そのうちおばあちゃんの家族の話になった。息子は足に障害があって大変だ。3人の娘のうち一人はお金がなくてお嫁にやれない(ダウリという女の人が持参金を持ってお嫁に行くしきたりがある。興味がある人は→へ)。涙を流しながら語り始めた。ただただ聞いていた。


 サイクリングの途中で大雨が降ってきた。雨宿りに入った軒下は診療所で、ここでもいろんな人とおしゃべりした。私の家に来てと行ってくれる人がいるのは、素直に嬉しい。こんな風にいろんな人に出会っていく旅である。


 夕食を食べた帰りにコミュニティセンターを覗いたら(21時30分頃)、今度はクラブタイムになっていた。音楽は普通の洋楽だ。さすがに踊っているのは若者だけで、おじちゃんおばちゃんはそれを座って見ているのだった。そういえば入り口の垂幕も、中の看板も英語で書かれているし、女の子は東京とあまり変わらないようなファッションの子もいた。料理屋のにいちゃんもインド生まれである。どこでも時代の変化ってのはあるのである。明日もいってみるかな。