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日々のあわ

悲喜こもごものピアノレッスン風景

エリーゼのために

2005年08月08日 | 思い出の曲
この曲は、私がピアノを始めた時の憧れであり、目標の曲でした。

昔からクラシックを全然知らなかったのですが、「エリーゼのために」は知っていました。
ちなみに小学生の頃、私が知っていたピアノ曲は「エリーゼ」と「子犬のワルツ」だけです。
それ以外は、曲名を知らなかったので。。。

習い始めの頃は、ピアノ教室でこの曲のレッスンを受けている高学年のお姉さんたちを見て、目を輝かせていたものです。

「エリーゼのために」と言えば、全音ピアノピースでは「B」の難易度。
初級上ですので、決して難しいほうではありません。

とはいえ、小学校中学年までは亀の歩みでノロノロの進度だった私にとっては、なかなか手の届く曲ではありませんでした。
「いつか弾きたいなぁ」
と憧れているだけの曲だったのです。

違うピアノ教室に通っていたお友達は、小学校4年生くらいの時に発表会で弾いていましたが、
私はと言えば、ずーーーーっとこの曲にはお声がかからないままでした。


憧れであり、目標の曲であったのに、ずっと縁がないまま気付けば中学も卒業間近。
そんなある日、先生に「次はどんな曲を弾きたい?」と尋ねられました。

普段なら、ここで「大人っぽい曲」とか「かわいい曲」とか「ちょっと暗い曲」とか弾きたい曲の雰囲気を伝えて、先生に選曲していただくのですが、(何しろ曲を知らないもので。。。)
その時は、珍しく
「『エリーゼのために』が弾きたいです」と言ったのです。

考えてみたら、自分で弾きたい曲を先生に申告したのはこれが初めてかもしれません。

エリーゼを弾きたいと言った私に対して、先生はかなり驚いた顔をされていました。
口には出されませんでしたが、「何で今更??」と先生の顔に書いてあるのが、私にもわかったくらい(笑)

「ずっと憧れの曲だったので、もうじき中学も卒業するし記念に弾きたいなと思ったのですけど」
と理由をお話して、レッスンで見ていただきました。

流石にピアノ歴も9年目になっていたので、譜読みで苦労することもなく
内心「エリーゼってこんなに簡単だったんだ・・・」と思いました。

いえ、ほら。ずっと憧れの曲だったので私の中では「エリーゼは難しい」っていうイメージだったんです。

レッスンでは、「折角中学生なんだから、ちょっと色っぽく弾いてみよう」と言われ、かなり緩急をつけた(?)弾き方で教わりました。

ちなみに、先生が違う友達は、エリーゼのレッスンの時
「タメずに、さらりと弾くように」指導されたと言うことです。
そんな友達が弾くエリーゼは、同じ楽譜なのにやっぱり私の弾くのとは雰囲気ががらりと違います。
好みの問題なんでしょうが、私はさらりと弾くエリーゼも好きだったり。。。


この曲のレッスンは多分2~3週間で終わったと思います。
ずっと目標にしていた曲だったので、それが弾けた達成感と喜びは大きかったです。

今は違うのかもしれませんが、私が子どもの頃って、
ピアノが弾ける=エリーゼが弾ける
だったんですよ。

一緒に習っていた友達の間でも、憧れの曲の№1はエリーゼだったし。

昔は「ピアノ習ってるの~」って話すと大体訊かれるのが、
「じゃあ、エリーゼのために弾ける??」・・・でした。

エリーゼのためにが合格した後、密かに
これで私も一端のピアノ弾きだわ。

なんて考えたものです(笑)


初めてのショパン

2005年06月27日 | 思い出の曲
私が初めて弾いたショパンの曲はノクターンOp.9-2です。
中学2年生の冬のことでした。


以前書いた、アラベスクをとても美しく弾く同級生はドビュッシーだけでなく、ショパンも綺麗に弾いていました。
中でも、ノクターンがお気に入りだった私。

「いい曲だね~。素敵だね~」
と連呼しているとに、彼女は
「良かったら聞く?」とショパンのノクターン集のCDと、ついでに楽譜も貸してくれました。

憧れのショパン。
彼女に借りたCDを聞きながら、ちらりと楽譜を開いてみます。
・・・が、一目見て、そのまま楽譜は閉じました。

むりむりむりむり。
こんな難しそうな曲、私に弾けるわけない!

こんなに、こちゃこちゃした楽譜を見るのは初めてです。

「やっぱり私には、雲の上の存在だ~」
と、そのまま借りた楽譜はピアノの上に置いてしまいました。


それから数日後のレッスンにて。
いつものように楽譜を取り出し、先生にご挨拶をしようとしたところで
ちょっとした異変に気付きました。

ソナチネアルバムだと思って持ってきた楽譜が、実はショパンのノクターン集だったのです。
どうやら、同じ全音の楽譜だった為、間違えて持ってきてしまった模様。

「すみません、今日ソナチネ忘れてきちゃいました~。間違えてノクターン集を持ってきちゃって・・・」
照れ笑いを浮かべる私に、先生は一言。

「じゃ、それやる?」

えーーーーーーーーーーー!!!!!
無理無理無理無理無理無理・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!

「そんな、いいです。結構です。。。そもそも、これは友達に貸してもらった楽譜で、自分のじゃないし。
弾こうと思って借りたわけじゃなくて、CDのついでに貸してもらっただけだから・・・・・・。
だいたい、私なんかに弾けないです」

分不相応な楽譜を友達から借りている事実すら恥ずかしいのに、
図々しくレッスンで見てもらおうと持ってきたように思われるのはもっと嫌。
必死で言い訳を続ける私に、
「大丈夫。弾けるよ。いいからちょっとやってみよう?」
と、先生は言ってくださり、結局その日のレッスンから見ていただくことになったのでした。

最初はやっぱり譜読みも難しくて、先生に教えてもらいながら何とか音をとっていたのですが、
たどたどしくても何でも、憧れのショパンを弾いていると思うだけで、わくわくしました。
CDで聴くメロディーが自分の指から流れていることに、まず感動できるのです。

そうして、何とかできあがったノクターン。
曲が形になった時の喜びは今でも忘れません。

その後、すっかりショパンに嵌ってしまった私は、高校を卒業するまで
毎年最低1曲は、ショパンをレッスンで見てもらうようになりました。
中学・高校時代は好きな作曲家を聞かれたら、迷わず「ショパン」と答えていましたし。
(他の作曲家の曲を知らなかったのもあって。。。)


そんなわけで、私が初めて弾いたショパンの曲。
「ノクターンOp.9-2」

レッスンが終われば弾かなくなり、そして弾けなくなっていくのが私の常ですが、
この曲だけは別でした。
その後もずーっと弾き続け、今でも暗譜で弾ける数少ない曲のひとつです。

すっかり曲も崩してしまい、自分が気持ちいいように弾いているだけなので
人前で弾ける曲ではないけれど、自分のために弾くにはこれ以上ない曲なのです。

放課後のアラベスク

2005年05月19日 | 思い出の曲
今日は曲にまつわる思い出などを。

特別な思い入れのある曲っていうのは、
音楽をやっている人なら誰でもありますよね。

私にも勿論あります。

それが、ドビュッシーのアラベスク。

他にもいくつかありますが、
今日はアラベスクについて書き綴ってみようと思います。


私が中学生の時。
同級生にピアノのとても上手な女の子がいた。
特別指が速く動くわけでも、難曲を弾きこなすわけでもないが
ただ、彼女の弾く音は美しかった。

やわらかく、澄んでいて、心に浸透するような音。

同じピアノを弾いても、紡がれる音色が全然違った。

雨だれの前奏曲、ノクターン、別れの曲など、皆ショパンが好きだったので
良く彼女にリクエストして弾いてもらっていたが、
あるとき彼女は今レッスン中の曲だと言って
ドビュッシーのアラベスクを弾いてくれた。

それは、私が初めて聴いたドビュッシーで、初めて聴いたアラベスクだった。

あの時の感動は今でも忘れない。

繊細で優美で、流麗な音楽が彼女の指先から溢れ出す様は
奇跡のようだった。
こんな風に表現すると大袈裟だと笑われるかもしれないが、
少なくとも私にとっては、それほど衝撃的だったのだ。

そして、生まれて初めて人のピアノを聴いて嫉妬した。
「神様に愛されている人っているんだな」と
憧れと羨望と若干の妬ましさを抱きつつ思ったものだ。

その後もピアノが上手な人にはたくさん出会ってきたが、
誰かのピアノに嫉妬したのは、あれが最初で最後だ。

それから数年後。
ある日レッスンで先生に
「次はドビュッシーのアラベスクをやりましょう」と言われた。
ところが、咄嗟に私の口を突いて出たのは「イヤです!」の一言。

その当時、ピアノ曲を全く知らなかった私は(今でもほとんど知らないが)、
レッスンで弾く曲は全部先生に選んでいただいていた。
それまで先生の用意してくださった曲に異論を挟むことのなかった私が
突然拒絶反応を示したことに、先生はかなり驚かれていたように思う。

でも、どうしても嫌だったのだ。
それは、彼女のアラベスクが私の中でとても大きかったから。

自分が彼女のようにアラベスクを弾けないことは判りきっていたし、
そのことで惨めになるのもわかっていた。

今だったら、「自分なりのアラベスクを弾けばいい」と思うところだが、
当時まだ大人になりきれていなかった私は、彼女と自分との差を
見せ付けられることに耐えられなかった。

「どうしてイヤなの?いい曲よ」
と、先生に理由を尋ねられても、私は
「…この曲は友達が弾いていたからイヤなんです」
としか答えられずにいた。

結局、あまりに私の態度が頑なだったせいで、先生もアラベスクは断念され
他の違う曲をレッスンしていただくことになった。
ちなみに、この時私がかなりの拒絶反応を示したからか、その後
ドビュッシーの曲を先生に提案されたことはない(笑)。


初めてアラベスクを聴いてから気づけば10年以上経っている。
あれから、いろんなところでアラベスクを聴く機会もあったし、
大人になって自分でも弾いてみた。
けれど、今でもアラベスクというと私の中では彼女のイメージだ。

中学を卒業してから一度も会っていない彼女が
今もピアノを弾いているかはわからないが、
私の記憶の中の彼女は
今も放課後の音楽室でアラベスクを弾いている。