燈子の部屋

さまざまなことをシリアスかつコミカルかつエッセイ風に(?)綴る独り言的日記サイトです

「神様なんか、いない」

2004-09-16 00:00:00 | 時事
テロ、紛争、犯罪、病気―

日々メディアで伝わるものとそうでないものがあるけれど、
いずれも常にあらゆる場所で起きている。

ただ、始めの3つは人が為すことであって、
その気になれば、なくすことができるはずのもの。

でも、テロや紛争は一向になくならない。
それで飯を食っている人は、終わることを望まないだろうし、
すでに多大な犠牲を払わされた人は、それを上回る犠牲を相手が払うまで続けるだろう。
そして犯罪は、人の心から負の感情がなくならない限り、なくなることはないだろう。

これらのことを見る時、いったい神はどこにいるのだろう、と思うけれど、
全てを神の不在のせいにするのはお門違いもいいところで、
人びとが為していること、あるいは為していないことのせいなのだと思う。
神に何かを期待しているだけでは、いつまでも望みが叶うことはないだろう。

だが、病気は―


先日、テレビで見た難病のこどもの言葉が胸を打つ。


 「神様なんか、いない。もし神様がいるのなら、
  私たちみたいなこどもをお創りになるはずがないもの」


正確ではないが、このような言い回しだった。
もし大人であれば、「自分の病は神がくださった試練だ」と思うこともできる。
そして、試練にはなんとしてでも打ち勝とうとする意欲が湧いてくるだろう。

だが、こどもであれば、「自分の病は神が与えた罰だ」と思うかもしれない。
だから、神の不在を信じることで、折り合いをつけようとしているのだろう。
その痛ましさにやりきれない思いでいっぱいになった。


今では私も、「神様なんか、いない」と思っている。
少なくとも、世界中の出来事に積極的に関わろうとする神は。

以前読んだ本で、神とはオブザーバーのようなものだと書かれていたものがあった。
確かに、何があろうと遠巻きに見守っているだけの神なら、
人びとにとっては居ても居なくても同じで、あとは自分たちでなんとかするしかない。
そう考えると、私はむしろ楽な気持ちになったくらいだ。
理不尽や不条理に初めて説明がついたような気がした。

言うまでもなく、ひとりひとり、価値観を始め、何もかもが異なる。
それなのに、特定の神や人物や書物の言うとおりにすることが本当に正しいことなのか?
誰それの価値観が絶対に正しい、などということはないのだから、
ひとりひとりが行動基準を自分の価値観と良心に置くしかないと思う。

ただ、よく考えて正しく行動したつもりが、結果として「間違い」ということも起こる。
でも、「間違い」とは、行動の結果が「間違い」であることをあらかじめ承知の上で
行動した時に初めて「悪」と呼ばれるのであって、「間違い=悪」ではない。
「間違い」を怖れる余り、何もしないでいたり、あるいは、
自分で考えずに人の基準で行動したりするほうが、余程怖いことだと思う。


ここまで何か自分に言い聞かせるように書いたけれど、
最後にはやはりこう思わずにはいられない。

人の心から負の感情を消し、
この世から病気をなくしてくれる神がいたら―


(次を読む)

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