私の少女時代は、
高度成長期(1955年度から1972年度あたりまで)の直中
社会に活気があって
地域が目まぐるしく発展していく様子を目の当たりにして来ました
これを参照すると
現在の東京都の歴史は
まだまだ100年を超えるものではありません..
姉が話してくれた国家的大事業
私には
歳の離れた姉が居て
小学生の頃にはもう都内の大学生..
彼女は
街づくり開発に関与する学部専攻だった兼ね合いで
●多摩ニュータウン開発事業 や
●筑波研究学園都市開発事業 や
●成田国際空港建設 などなど
当時、家庭の中で話題に上ることが多かった..
<以下は web検索記事参照&引用>**************
多摩ニュータウンは、
東京都
稲城市、多摩市、八王子市、町田市にまたがる多摩丘陵(総面積2,853ha)に計画され、
1965(昭和40)年から2006(平成18)年までの約40年にわたって開発された、
日本最大規模のニュータウンです。
※多摩ニュータウンの開発がおこなわれる以前は農村地帯でした。
筑波研究学園都市は、
茨城県南部、筑波山南麓の筑波台地に位置する(約2,700ha)
国立の研究機関・大学を中心とする研究学園都市である。
※富士山麓・赤城・筑波・那須の4つの候補地の中から
1963( 昭和38)年の閣議において
筑波の地に建設することが了解されました。
成田空港 開港計画
1978年5月20日に「新東京国際空港」として開港した成田空港。
《経緯》
1960年代、
●東京を中心とする国内、国際線の航空需要が大幅に増加の一途をたどっていた
●旅客機もジェット化されるなど急速な進歩を遂げ、
それまでより大きな機材が相次いで導入されるようになった
※当時は、
将来的に「コンコルド」のような超音速旅客機の出現も予想されており、
それらの需要や革新的な機材を
羽田空港で一手に引き受けるには問題点が多かったことから、
羽田以外に新構想に基づく首都圏空港の設置を検討することとなった
当初、成田地区は候補地に想定されておらず、
千葉県の浦安市沖、
富里市付近、
茨城県の霞ケ浦周辺などが候補となっていました。
**************<以上は web検索記事参照&引用>
小学生の私にとっては
姉の話す未来の都市づくり構想は、
そのどこの場所も
広大な山林 or 原野の話で
まったく 想像もできない話でした(笑)
けれども
いまや それらが現実化した暮らしの中に居ることが
なんとも
不思議に感じられる瞬間があります
渋谷がかつて
「春の小川」で詠われるような田園だったこと
新宿副都心は
1965年に新宿駅西口にあった淀橋浄水場の跡地開発であり、
1971年6月に
※「京王プラザホテル」が ぽつねんと建つだけだった様子
(※地上47階、179メートルは当時世界最高層のホテルだった)
それらを記憶している人は
少なくなった..とは言うものの
私の世代でも
つい この前のことのように知る事柄も多く
東京ってまだ 俄かに発展した街である と
つくづく思う時があります
都庁