☆富士山ライブカメラ(山中湖カメラ) 今朝6:56.

☆富士山ライブカメラ(河口湖逆さ富士カメラ) 今朝6:57

★旅から帰ってから、連日良く眠っている。これは、旅の疲れからかそれともわが家のせいかの何れだろう。旅慣れしていないせいか、出かけるとどうしても寝不足になるのが通例である。明日からは、又出掛けようと思っているので今夜も早めに休もうと思っている。今朝は、朝から晴れていて良い天気になっている。家の中は、涼しいのだが外は暑い位の陽気になってきた。気候もやっと本来の季節に帰るのだろうか?
一方の政治の世界では、相変わらず目の離せない状況が続いている。今朝の朝刊「あらたにす」3紙の編集局では、揃って国会内の部屋から出てきた首相が報道陣から「続投ですか」と聞かれ、ニコッと笑い、無言で左手の親指を突き立てたシーンを取り挙げていたが?
今日が「首相進退」のヤマ場になりそうだが、結局どうなるのでしょうか?
昨日は、旅日記の倉吉編だったが、今日は浦富海岸を除く鳥取編を振り返って見ましょう!
▼浜村温泉の魚見台から鳥取方面が一望できた(此処は風が強く、とても肌寒かった)

▼道の駅 白うさぎ
▼道の駅神話の里 白うさぎ(みちのえきしんわのさと しろうさぎ)は鳥取県鳥取市白兎(はくと)の国道9号上にある道の駅である。日本神話「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)の伝説の地に位置する。

・ 白兎神社入口前に広がる白兎海岸は「因幡の白兎」伝説の舞台といわれ、弓なりに連なる美しい白い砂の浜辺です。沖合い150mに浮かぶのは白兎が渡ったとされる淤岐ノ島(おきのしま)で、島の近くには点々と続く黒い岩礁があり、まるで神話に登場するワニザメのように見えないこともありません。近くには自生地の南限として国指定天然記念物・ハマナスの群落があり、5月には濃いピンクの花が咲き芳香が辺り一帯を漂うそうです。

▼白兎神社
白兔神を主祭神とし、保食神を配祀する。白兔神は日本神話に登場する因幡の白兎のことであり、その説話の内容から皮膚病に霊験のある神として、また、大国主と八上姫神との婚姻を取り持ったことから特定の人との縁結びの神としてかなわぬ恋をかなえ、特定の人との親交をより深めると信仰される。さらに、遠国の人もこの兎に願えば早く国に帰れるという。創建の由緒は不詳である。かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた。戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興された。現在の本殿は明治時代の再建。

▼白兎神社・御身洗(みたらし)池
・社叢右手には「白兎が大国主命の言葉に従って身体を洗った」という言い伝えが残っている御身洗池がありますが、この池は如何なる旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされる「不増不減の池」とも呼ばれている。

▼白兎神社

▼鳥取砂丘
・中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっている。海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む卓越風の働きで形成された。
砂丘は千代川の東西に広がっているが、通常「鳥取砂丘」というと、千代川の東側の545haの「浜坂砂丘」を指す。砂丘によって海から切り離されて出来た湖である多鯰ヶ池がすぐ南東にある。
大高低差は90mにもなり、すり鉢に似た形に大きく窪んだ「すりばち」と呼ばれる地形も有名で、特に大きなすりばち(「大すりばち」などと呼ばれる)は40mの高さにもなる。すりばちの斜面にあり、簾を連想させる「風簾(ふうれん)」といった模様や、風速5~6m程度の風によって形作られる「風紋(ふうもん)」と呼ばれる筋状の模様も有名である。
鳥取砂丘には、3本の砂丘列が日本海とほぼ平行に走っている。鳥取砂丘が天然記念物に指定される前までは、陸側の砂丘列から数えて、第一、第二、第三砂丘列と呼称していた。現在では逆に海側から、第一、第二、第三としている。これには、砂移動の減少が原因で陸側の砂丘列が消滅してしまった場合でも呼称に都合が良いよう、という理由がある。
砂丘近隣に有島武郎、枝野登代秋、高浜虚子、森川暁水、与謝野晶子などの歌碑が点在する。また、演歌歌手・水森かおりの「鳥取砂丘」の大ヒットにより、注目を集め、ご当地ソングの元ともなっている。



▼砂の美術館
・2010年、南アフリカではFIFAワールドカップが開催。
また、国連が定める「国際生物多様性年」にもあたり、世界中で生物多様性を保全する動きに注目が集められています。
世界から選り抜きの砂の彫刻家が鳥取砂丘に集い、壮大で美しい建造物や彫刻をモチーフに制作。国内屈指の景勝地「鳥取砂丘」と一緒に、世界トップレベルの砂の彫刻をお楽しみください!
・「砂」で造りあげられた彫刻。
素材が砂であるため崩れやすく、制作には高い技術が必要です。いつ崩れるともしれない危うさと刹那さがより一層、観る者の心を動かします。



▼仁風閣
・仁風閣(じんぷうかく)は鳥取県鳥取市にあるフランスルネッサンス様式の西洋館。中国地方屈指の明治建築として名高く、1973年6月2日には国の重要文化財に指定されている。1907年、当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城跡の扇御殿跡に建てられた、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸である。「仁風閣」の館名は、この行啓に随行した元帥海軍大将東郷平八郎が命したもの。
館内には鳥取藩と池田家に関する資料などが展示されている。2階のガラス張りのバルコニーからは池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園を一望できる。



▼鳥取城跡・久松公園
・鳥取城は戦国大名の山名氏が築いた城で、江戸時代には池田氏12代の居城でした。今も残る山門や石垣などが往時を偲ばせています。
二の丸付近のソメイヨシノは見事。



▼鳥取駅近くのジャスコにて遅い昼食とお買い物(午後4時前頃)

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【夢を実現する今日の一言】
・あなたが悩んでいることは、他の人も悩んでいます。
乗り越えた人から、社会に貢献することができます。
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◆過去の出来事・トピックス
・ 石庭で有名な京都・龍安寺創建(1450)
・両国国技館が開館(1909)
・日本楽器がパイプオルガンの製作に成功(1932)
・英国のエリザベス女王、戴冠式(1953)
・織田信長殺される――本能寺の変(1582)
1582年(天正10)、織田信長は、毛利勢を滅ぼすべく備中高松城で苦戦をしている羽柴秀吉に、明智光秀の援軍を差し向けた。しかし、光秀は播磨へは向かわず京都の町に入る。戸惑う部下たちに「わが敵は中国に無し。京都四条の本能寺にあり。急ぎ攻め討て」との命を下し、謀反を決行。6月1日の未明、不意打ちをくらった信長は、無念のうちに自刃して果てた。死に際に、生前好んで歌い舞った『敦盛』の一節「人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり 一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか」を口ずさんだという。享年49歳。
・タブロイドは薬の名前――日本初小型新聞発行(1875)
普通の新聞の半分のサイズを「タブロイド判」という。この名称は、イギリスの製薬会社で作った、粉末の薬を濃縮して錠剤にした薬の商標名だった。タブロイドは粉末より飲みやすく、当時の人々の薬に対するイメージを一新。これにあやかり、普通の新聞よりも読みやすく、新聞のイメージを変えることから、タブロイドを小型新聞を意味する名称にしたといわれる。1875年(明治8)のこの日、タブロイド判の『東京曙新聞』発行。
・野茂投手、大リーグで初勝利(1995)
1995年のこの日、ロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄投手が、ニューヨーク・メッツとのゲームで初勝利を挙げた。野茂のトルネード投法はアメリカのファンに人気を呼び、7月のオールスター戦にも選ばれた。
◆記念日・年中行事・お祭り
・横浜港開港記念日
1859年(安政6)6月2日、日米修好通商条約の締結によって横浜港が開港。毎年、この日を中心に横浜みなと祭りが開かれる。
◆本日の誕生日
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・ウツギ・ウノハナ(ユキノシタ科)
・「秘密」

☆「きょうの一句」
・渡れねば渡りたき瀬や花空木(はなうつぎ) 鞘山(しょうざん)
※はな‐うつぎ【花空木】 花の咲いたうつぎ。《季 夏》
~心に響く366の寸言~
【真の教養】
およそ真の教養とは、人類の有する偉大な著作
に親しむことによって得るものです。
そこで昔から優れた定評のある良い書物を
少しずつ読むことであります。
人間としての教養の書、人としての哲学の書、
修養の書というものを、
注意して毎日たとえ三枚でも五枚でも、
そういう書物を必ず読むようにする。
いわゆる座右の書を持つということであります。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd
☆6月2日 松下幸之助[一日一話]
<主座を保つ>
指導者というものは、どんなときでも、自分みずから、“このようにしよう”“こうしたい”というものは持っていなくてはならない。そういうものを持った上で他人の意見を参考として取り入れることが大事なのであって、自分の考えを何も持たずして、ただ他人の意見に従うというだけなら、指導者としての意味はなくなってしまう。
要は指導者としての主体性というか主座というものをしっかり持たなくてはいけないということである。主座を保ちつつ、他人の意見を聞き、ある種の権威を活用していく。そういう指導者であってはじめて、それらを真に生かすことができるのだと思う。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 312日
・昨日、6月1日のアクセス数 閲覧数:231 訪問者数:93
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8)


☆富士山ライブカメラ(河口湖逆さ富士カメラ) 今朝6:57

★旅から帰ってから、連日良く眠っている。これは、旅の疲れからかそれともわが家のせいかの何れだろう。旅慣れしていないせいか、出かけるとどうしても寝不足になるのが通例である。明日からは、又出掛けようと思っているので今夜も早めに休もうと思っている。今朝は、朝から晴れていて良い天気になっている。家の中は、涼しいのだが外は暑い位の陽気になってきた。気候もやっと本来の季節に帰るのだろうか?
一方の政治の世界では、相変わらず目の離せない状況が続いている。今朝の朝刊「あらたにす」3紙の編集局では、揃って国会内の部屋から出てきた首相が報道陣から「続投ですか」と聞かれ、ニコッと笑い、無言で左手の親指を突き立てたシーンを取り挙げていたが?
今日が「首相進退」のヤマ場になりそうだが、結局どうなるのでしょうか?
昨日は、旅日記の倉吉編だったが、今日は浦富海岸を除く鳥取編を振り返って見ましょう!
▼浜村温泉の魚見台から鳥取方面が一望できた(此処は風が強く、とても肌寒かった)

▼道の駅 白うさぎ
▼道の駅神話の里 白うさぎ(みちのえきしんわのさと しろうさぎ)は鳥取県鳥取市白兎(はくと)の国道9号上にある道の駅である。日本神話「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)の伝説の地に位置する。

・ 白兎神社入口前に広がる白兎海岸は「因幡の白兎」伝説の舞台といわれ、弓なりに連なる美しい白い砂の浜辺です。沖合い150mに浮かぶのは白兎が渡ったとされる淤岐ノ島(おきのしま)で、島の近くには点々と続く黒い岩礁があり、まるで神話に登場するワニザメのように見えないこともありません。近くには自生地の南限として国指定天然記念物・ハマナスの群落があり、5月には濃いピンクの花が咲き芳香が辺り一帯を漂うそうです。

▼白兎神社
白兔神を主祭神とし、保食神を配祀する。白兔神は日本神話に登場する因幡の白兎のことであり、その説話の内容から皮膚病に霊験のある神として、また、大国主と八上姫神との婚姻を取り持ったことから特定の人との縁結びの神としてかなわぬ恋をかなえ、特定の人との親交をより深めると信仰される。さらに、遠国の人もこの兎に願えば早く国に帰れるという。創建の由緒は不詳である。かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた。戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興された。現在の本殿は明治時代の再建。

▼白兎神社・御身洗(みたらし)池
・社叢右手には「白兎が大国主命の言葉に従って身体を洗った」という言い伝えが残っている御身洗池がありますが、この池は如何なる旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされる「不増不減の池」とも呼ばれている。

▼白兎神社

▼鳥取砂丘
・中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっている。海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む卓越風の働きで形成された。
砂丘は千代川の東西に広がっているが、通常「鳥取砂丘」というと、千代川の東側の545haの「浜坂砂丘」を指す。砂丘によって海から切り離されて出来た湖である多鯰ヶ池がすぐ南東にある。
大高低差は90mにもなり、すり鉢に似た形に大きく窪んだ「すりばち」と呼ばれる地形も有名で、特に大きなすりばち(「大すりばち」などと呼ばれる)は40mの高さにもなる。すりばちの斜面にあり、簾を連想させる「風簾(ふうれん)」といった模様や、風速5~6m程度の風によって形作られる「風紋(ふうもん)」と呼ばれる筋状の模様も有名である。
鳥取砂丘には、3本の砂丘列が日本海とほぼ平行に走っている。鳥取砂丘が天然記念物に指定される前までは、陸側の砂丘列から数えて、第一、第二、第三砂丘列と呼称していた。現在では逆に海側から、第一、第二、第三としている。これには、砂移動の減少が原因で陸側の砂丘列が消滅してしまった場合でも呼称に都合が良いよう、という理由がある。
砂丘近隣に有島武郎、枝野登代秋、高浜虚子、森川暁水、与謝野晶子などの歌碑が点在する。また、演歌歌手・水森かおりの「鳥取砂丘」の大ヒットにより、注目を集め、ご当地ソングの元ともなっている。



▼砂の美術館
・2010年、南アフリカではFIFAワールドカップが開催。
また、国連が定める「国際生物多様性年」にもあたり、世界中で生物多様性を保全する動きに注目が集められています。
世界から選り抜きの砂の彫刻家が鳥取砂丘に集い、壮大で美しい建造物や彫刻をモチーフに制作。国内屈指の景勝地「鳥取砂丘」と一緒に、世界トップレベルの砂の彫刻をお楽しみください!
・「砂」で造りあげられた彫刻。
素材が砂であるため崩れやすく、制作には高い技術が必要です。いつ崩れるともしれない危うさと刹那さがより一層、観る者の心を動かします。



▼仁風閣
・仁風閣(じんぷうかく)は鳥取県鳥取市にあるフランスルネッサンス様式の西洋館。中国地方屈指の明治建築として名高く、1973年6月2日には国の重要文化財に指定されている。1907年、当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城跡の扇御殿跡に建てられた、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸である。「仁風閣」の館名は、この行啓に随行した元帥海軍大将東郷平八郎が命したもの。
館内には鳥取藩と池田家に関する資料などが展示されている。2階のガラス張りのバルコニーからは池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園を一望できる。



▼鳥取城跡・久松公園
・鳥取城は戦国大名の山名氏が築いた城で、江戸時代には池田氏12代の居城でした。今も残る山門や石垣などが往時を偲ばせています。
二の丸付近のソメイヨシノは見事。



▼鳥取駅近くのジャスコにて遅い昼食とお買い物(午後4時前頃)

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【夢を実現する今日の一言】
・あなたが悩んでいることは、他の人も悩んでいます。
乗り越えた人から、社会に貢献することができます。
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◆過去の出来事・トピックス
・ 石庭で有名な京都・龍安寺創建(1450)
・両国国技館が開館(1909)
・日本楽器がパイプオルガンの製作に成功(1932)
・英国のエリザベス女王、戴冠式(1953)
・織田信長殺される――本能寺の変(1582)
1582年(天正10)、織田信長は、毛利勢を滅ぼすべく備中高松城で苦戦をしている羽柴秀吉に、明智光秀の援軍を差し向けた。しかし、光秀は播磨へは向かわず京都の町に入る。戸惑う部下たちに「わが敵は中国に無し。京都四条の本能寺にあり。急ぎ攻め討て」との命を下し、謀反を決行。6月1日の未明、不意打ちをくらった信長は、無念のうちに自刃して果てた。死に際に、生前好んで歌い舞った『敦盛』の一節「人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり 一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか」を口ずさんだという。享年49歳。
・タブロイドは薬の名前――日本初小型新聞発行(1875)
普通の新聞の半分のサイズを「タブロイド判」という。この名称は、イギリスの製薬会社で作った、粉末の薬を濃縮して錠剤にした薬の商標名だった。タブロイドは粉末より飲みやすく、当時の人々の薬に対するイメージを一新。これにあやかり、普通の新聞よりも読みやすく、新聞のイメージを変えることから、タブロイドを小型新聞を意味する名称にしたといわれる。1875年(明治8)のこの日、タブロイド判の『東京曙新聞』発行。
・野茂投手、大リーグで初勝利(1995)
1995年のこの日、ロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄投手が、ニューヨーク・メッツとのゲームで初勝利を挙げた。野茂のトルネード投法はアメリカのファンに人気を呼び、7月のオールスター戦にも選ばれた。
◆記念日・年中行事・お祭り
・横浜港開港記念日
1859年(安政6)6月2日、日米修好通商条約の締結によって横浜港が開港。毎年、この日を中心に横浜みなと祭りが開かれる。
◆本日の誕生日
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・ウツギ・ウノハナ(ユキノシタ科)
・「秘密」

☆「きょうの一句」
・渡れねば渡りたき瀬や花空木(はなうつぎ) 鞘山(しょうざん)
※はな‐うつぎ【花空木】 花の咲いたうつぎ。《季 夏》
~心に響く366の寸言~
【真の教養】
およそ真の教養とは、人類の有する偉大な著作
に親しむことによって得るものです。
そこで昔から優れた定評のある良い書物を
少しずつ読むことであります。
人間としての教養の書、人としての哲学の書、
修養の書というものを、
注意して毎日たとえ三枚でも五枚でも、
そういう書物を必ず読むようにする。
いわゆる座右の書を持つということであります。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd
☆6月2日 松下幸之助[一日一話]
<主座を保つ>
指導者というものは、どんなときでも、自分みずから、“このようにしよう”“こうしたい”というものは持っていなくてはならない。そういうものを持った上で他人の意見を参考として取り入れることが大事なのであって、自分の考えを何も持たずして、ただ他人の意見に従うというだけなら、指導者としての意味はなくなってしまう。
要は指導者としての主体性というか主座というものをしっかり持たなくてはいけないということである。主座を保ちつつ、他人の意見を聞き、ある種の権威を活用していく。そういう指導者であってはじめて、それらを真に生かすことができるのだと思う。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 312日
・昨日、6月1日のアクセス数 閲覧数:231 訪問者数:93
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8)

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