Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

JR福知山線脱線事故

2005-05-16 12:11:38 | 国内
107人の死者を出す大惨事となったJR福知山線の脱線事故(2005年4月25日午前9時18分頃発生)は、急カーブの箇所をスピードを落とさずに走行したことが直接原因というのが、現在のところもっとも有力な見方である。この箇所は時速70キロに制限されていたが、事故車の事故直前のスピードは時速100キロを大幅に超えていたことが搭載されていた運転記録装置に記録されていた。

JR快速電車が脱線転覆し線路脇のマンションに激突したJR福知山線の事故現場=2005年4月25日午前10時5分、兵庫県尼崎市で共同通信社ヘリから

改めて伊丹駅から尼崎駅までの鉄道路線の地図を調べてみると、伊丹駅を発車すると、運転手のスピードアップを誘いそうな直線軌道が何キロも続いていく。ところが、あと2キロ足らずで尼崎駅という地点で、制限時速70キロの急カーブにぶつかるのだ。

従って、この路線の運転手は、急カーブの手前何キロかの地点から、計画的に徐々にスピードを落としていく運転が求められる。だが、伊丹駅でオーバーランし、1分30秒の遅れを取り戻さなければならないとあせっていたであろう若い高見隆二郎運転手(23歳、死亡)にとっては、この直線区間をあっという間に通り過ぎてしまい、スピードを落としていくタイミングを失してしまったのではなかろうか。

あくまでも私の想像ではあるが、ある時点でスピードを落とす操作に入らなければならなかったのに、別のことがしきりに彼の頭を過ぎっていたため、その操作に入るのをすっかり忘れてぼやっとしていた。ふと我に返り、「はっ!」と気付いて、慌ててスピードを落とす行動に入ったが、ほぼその瞬間に事故へと突入していったというのがその実態だったのではなかろうか。

このあたりの運転状況については、「JR福知山線脱線事故で、事故を起こした快速電車が現場カーブ手前の直線区間を制限速度(時速120キロ)を超える126キロで走行し、108キロまで減速後、カーブ手前数十メートルの地点で非常ブレーキをかけていたことが、(5月)7日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会などの調べで分かった」(産経新聞)と報道されている。

高見運転手はやはり直前に非常ブレーキをかけていたのだ。しかしながら、極端な非常ブレーキ操作により、一両目と二両目の車体は大きくバランスを崩して左傾してしまった。その結果、右側の車輪がレールから浮き上がり、かえってブレーキの効果を妨げることとなった。スピードが落ちなかった車輌は、浮き上がるようにして軌道の左側にそれていき、半ば空中を飛行するようにしてマンションに突っ込んでいった。

つまり、スピードを下げるタイミングに「遅れ」があったことが、次々と最悪の事態を誘発していった事故といえるのではなかろうか。伊丹駅から事故現場までの長い直線区間の走行と、その区間における運転手の心理の相関関係を調べる必要があろう。



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