一昨日(2005年5月7日)「JR安全対策に東西格差」を書いたときにも感じていたことだが、今回のJR西日本の脱線事故に関する毎日新聞の報道は地道であり、一日一日、一歩一歩核心に近づいていく手ごたえが感じられる。
今日(2005年5月9日)の報道では、事故を起した問題の快速電車は、運転ダイヤ上最速の電車であったことを明らかにしている。
鉄道運行に限ったことではないが、近年、技術部門、施工部門、運行部門、生産計画部門(鉄道事業でいえば「ダイヤ編成部門」に当るだろう)が縦割り組織という悪弊に侵され、しかも、各々の責任者に現実的思考が欠けているという由々しい状況が見てとれる。
例えば、ダイヤ編成部門でいえば、現在の条件下でどこまで過密なダイヤが可能かという問題に対して現実的思考に基づいて対処するのではなく、やや精神主義に傾いた、いわば「絶対にやり抜け!」といったような強要をしてくるわけだ。リストラの風圧下ではどうしても精神主義が蔓延ってくる傾向がある。
一方、現代の若者たちには、不合理な強要を撥ねつけるだけの実力を伴っていない。また、ここにも現実的思考に欠けるという致命的欠陥が見られる。成功する見通しはないが頑張れば何とかなるだろうと思う。「神様が自分を見捨てることはない」と神頼みになっているのだ。彼らは、先輩たちからの不合理な強要に対し、ただ「頑張ります!」と返事するだけだ。
高見隆二郎運転士は「絶対にやり抜け!」という声に圧されていた。自分も「頑張らなければ!」と思っていた。そういう心理下で、彼はスピードを目一杯まで上げていったのだ。そこまでスピードを上げれば危険状態に陥るとは思わなかった。なぜなら、彼には現実的思考をしていく日常的な訓練が欠けていたからだ。
毎日新聞の日々の取材活動から、JR西日本の職場全体における現実的思考の欠如の積み重ねという実態が浮き彫りになってくる。この悲惨な事故を招いた本質的な原因は次第に明らかになってきている。
毎日新聞
尼崎脱線事故: 事故は所要時間最も短く設定の「最速列車」
2005年5月9日 3時00分
兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、脱線した快速電車が現場二つ前の停車駅、川西池田駅を出発する際に35秒の遅れが生じていたことが8日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調査で分かった。この電車が同線の快速電車のなかでも所要時間が最も短く設定された「最速列車」だったことも判明。県警尼崎東署捜査本部は、こうした状況から高見隆二郎運転士(23)=事故で死亡=が遅れを取り戻そうと無理に速度を上げたことが事故の直接原因になったとみて、捜査を進めている。
調べでは、この電車は事故当日の午前9時10分ごろに川西池田駅に到着したが、通学、通勤客らの乗降に手間取り、駅を定刻より約35秒遅れで出発した。次の伊丹駅には約30秒遅れて到着し、オーバーランした。車掌は当初、運転指令にオーバーランの距離を約8メートルと報告。虚偽報告だったことが分かり、JR西日本は会見で距離を約40メートルと訂正したが、その後の捜査本部の調べで、実際には車両3両分にあたる約60メートルだったことも分かった。
高見運転士はいったんホームに戻って客を乗降させたため、同駅出発時に遅れは約1分30秒に拡大した。現場手前の塚口駅通過時は、1分以上の遅れだった。そのため、高見運転士は次の尼崎駅で遅れを回復しようと直線区間でスピードを上げすぎ、制限速度を少なくとも30キロ上回る100キロ以上でカーブに進入したとみられる。
一方、快速電車はダイヤ上、駅の停車時間などに差があり、始発から終着駅までの所要時間に違いがある。この電車は始発の宝塚駅を午前9時3分45秒に出発、尼崎駅には同9時20分10秒到着予定。所要時間は16分25秒で同区間を走る快速電車の中では最短で、直前の快速と比べても1分25秒短く、JR西日本の社内では「最速列車」と呼ばれていた。
オーバーランした伊丹駅の停車時間はわずか15秒で乗降に時間がかかれば常に遅れが出る恐れがあり、こうしたことも事故の背景になった可能性があるという。
毎日新聞
尼崎脱線事故: 目撃者5人証言 衝突までの「異変の瞬間」
2005年5月8日 23時46分
見慣れたはずの電車が異常なスピードで目の前を駆け抜け、脱線・転覆、マンションに激突した。兵庫県尼崎市で4月25日に起きたJR福知山線脱線事故。「車輪が30センチ浮き」「電車の裏側が見え」「スーッとマンションに突っ込んだ」……。近所の主婦や工場で働く人たちは、事故直前から衝突までの「異変の瞬間」をそれぞれの位置で目撃していた。そして、誰もが白い土煙の舞う現場へと救助に駆けつけた。目撃者5人の証言を重ね合わせ、未曽有の脱線事故にいたる直前の「数秒間」を再現する。【大場弘行、八田浩輔】
《証言1 現場北約240メートル、福知山線をまたぐ陸橋》
「えらい飛ばしとるな」。自転車を押して陸橋を渡っていた鉄工所経営、挟間(はざま)美喜雄さん(59)は、いつもと違う電車にふと目をとめた。電車がごう音を立てながら足元を通り抜けていった。
《証言2 北西約120メートル、線路西側の路上》
金属加工場の従業員、谷本英樹さん(36)は、工場前の道路から50メートル先を走る電車を見た。遠目から見ても、明らかに電車の窓が流れるスピードが速かった。「事故るんやないか」。不安が走った。
《証言3 北約90メートル、線路東側の工場前》
線路側を見ながら知人と携帯電話で話していた鉄工所経営、灰山季久雄さん(65)は、わが目を疑った。電車が「ジェット機の逆噴射のようなごう音」をたてながら通り過ぎた。そう思った途端、「ドーン」という衝突音が響いた。3年前にできたマンションの方で土煙が上がり、目の前に最後尾の7両目が止まっていた。
《証言4 北約90メートル、線路西の側道》
線路をはさんで灰山さんとちょうど反対側にいた。自転車に乗っていた男性会社員(63)は、電車に追い抜かれる際、不思議に思った。「いつもの『ゴーッ』という走行音が、フッと軽い音になった」。横を向くと、「先頭車両が斜めに傾き、内側の車輪が30センチほど浮いていた。そのまま『スーッ』とマンションに突っ込んだ」。3両目の車両が横向きになった2両目に激突。ごう音とともにガラスの破片がバラバラと飛んできた。立ち木に身を隠した。足が震えて止まらなかった。「阪神大震災で自宅が全壊したが、今回の方が怖かった」
《証言5 南西約80メートル、踏切》
踏切で電車の通過を待っていた40代の主婦は、金属がこすれるような音がしたので、何気なく電車の方を見ると、1、2両目の内側の車輪が浮いていた。いつものガタンゴトンという音もせず、「電車の裏側が見えたと思ったら、浮いて滑り込むような感じでマンションに突っ込んでいった」。鉄が焼けるにおいが辺りいっぱいに立ちこめた。すごい風と煙でよろけて転びそうになった。うめき声、叫び声が聞こえたので、遮断機をくぐって現場に向かった。
今日(2005年5月9日)の報道では、事故を起した問題の快速電車は、運転ダイヤ上最速の電車であったことを明らかにしている。
鉄道運行に限ったことではないが、近年、技術部門、施工部門、運行部門、生産計画部門(鉄道事業でいえば「ダイヤ編成部門」に当るだろう)が縦割り組織という悪弊に侵され、しかも、各々の責任者に現実的思考が欠けているという由々しい状況が見てとれる。
例えば、ダイヤ編成部門でいえば、現在の条件下でどこまで過密なダイヤが可能かという問題に対して現実的思考に基づいて対処するのではなく、やや精神主義に傾いた、いわば「絶対にやり抜け!」といったような強要をしてくるわけだ。リストラの風圧下ではどうしても精神主義が蔓延ってくる傾向がある。
一方、現代の若者たちには、不合理な強要を撥ねつけるだけの実力を伴っていない。また、ここにも現実的思考に欠けるという致命的欠陥が見られる。成功する見通しはないが頑張れば何とかなるだろうと思う。「神様が自分を見捨てることはない」と神頼みになっているのだ。彼らは、先輩たちからの不合理な強要に対し、ただ「頑張ります!」と返事するだけだ。
高見隆二郎運転士は「絶対にやり抜け!」という声に圧されていた。自分も「頑張らなければ!」と思っていた。そういう心理下で、彼はスピードを目一杯まで上げていったのだ。そこまでスピードを上げれば危険状態に陥るとは思わなかった。なぜなら、彼には現実的思考をしていく日常的な訓練が欠けていたからだ。
毎日新聞の日々の取材活動から、JR西日本の職場全体における現実的思考の欠如の積み重ねという実態が浮き彫りになってくる。この悲惨な事故を招いた本質的な原因は次第に明らかになってきている。
毎日新聞
尼崎脱線事故: 事故は所要時間最も短く設定の「最速列車」
2005年5月9日 3時00分
兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、脱線した快速電車が現場二つ前の停車駅、川西池田駅を出発する際に35秒の遅れが生じていたことが8日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調査で分かった。この電車が同線の快速電車のなかでも所要時間が最も短く設定された「最速列車」だったことも判明。県警尼崎東署捜査本部は、こうした状況から高見隆二郎運転士(23)=事故で死亡=が遅れを取り戻そうと無理に速度を上げたことが事故の直接原因になったとみて、捜査を進めている。
調べでは、この電車は事故当日の午前9時10分ごろに川西池田駅に到着したが、通学、通勤客らの乗降に手間取り、駅を定刻より約35秒遅れで出発した。次の伊丹駅には約30秒遅れて到着し、オーバーランした。車掌は当初、運転指令にオーバーランの距離を約8メートルと報告。虚偽報告だったことが分かり、JR西日本は会見で距離を約40メートルと訂正したが、その後の捜査本部の調べで、実際には車両3両分にあたる約60メートルだったことも分かった。
高見運転士はいったんホームに戻って客を乗降させたため、同駅出発時に遅れは約1分30秒に拡大した。現場手前の塚口駅通過時は、1分以上の遅れだった。そのため、高見運転士は次の尼崎駅で遅れを回復しようと直線区間でスピードを上げすぎ、制限速度を少なくとも30キロ上回る100キロ以上でカーブに進入したとみられる。
一方、快速電車はダイヤ上、駅の停車時間などに差があり、始発から終着駅までの所要時間に違いがある。この電車は始発の宝塚駅を午前9時3分45秒に出発、尼崎駅には同9時20分10秒到着予定。所要時間は16分25秒で同区間を走る快速電車の中では最短で、直前の快速と比べても1分25秒短く、JR西日本の社内では「最速列車」と呼ばれていた。
オーバーランした伊丹駅の停車時間はわずか15秒で乗降に時間がかかれば常に遅れが出る恐れがあり、こうしたことも事故の背景になった可能性があるという。
毎日新聞
尼崎脱線事故: 目撃者5人証言 衝突までの「異変の瞬間」
2005年5月8日 23時46分
見慣れたはずの電車が異常なスピードで目の前を駆け抜け、脱線・転覆、マンションに激突した。兵庫県尼崎市で4月25日に起きたJR福知山線脱線事故。「車輪が30センチ浮き」「電車の裏側が見え」「スーッとマンションに突っ込んだ」……。近所の主婦や工場で働く人たちは、事故直前から衝突までの「異変の瞬間」をそれぞれの位置で目撃していた。そして、誰もが白い土煙の舞う現場へと救助に駆けつけた。目撃者5人の証言を重ね合わせ、未曽有の脱線事故にいたる直前の「数秒間」を再現する。【大場弘行、八田浩輔】
《証言1 現場北約240メートル、福知山線をまたぐ陸橋》
「えらい飛ばしとるな」。自転車を押して陸橋を渡っていた鉄工所経営、挟間(はざま)美喜雄さん(59)は、いつもと違う電車にふと目をとめた。電車がごう音を立てながら足元を通り抜けていった。
《証言2 北西約120メートル、線路西側の路上》
金属加工場の従業員、谷本英樹さん(36)は、工場前の道路から50メートル先を走る電車を見た。遠目から見ても、明らかに電車の窓が流れるスピードが速かった。「事故るんやないか」。不安が走った。
《証言3 北約90メートル、線路東側の工場前》
線路側を見ながら知人と携帯電話で話していた鉄工所経営、灰山季久雄さん(65)は、わが目を疑った。電車が「ジェット機の逆噴射のようなごう音」をたてながら通り過ぎた。そう思った途端、「ドーン」という衝突音が響いた。3年前にできたマンションの方で土煙が上がり、目の前に最後尾の7両目が止まっていた。
《証言4 北約90メートル、線路西の側道》
線路をはさんで灰山さんとちょうど反対側にいた。自転車に乗っていた男性会社員(63)は、電車に追い抜かれる際、不思議に思った。「いつもの『ゴーッ』という走行音が、フッと軽い音になった」。横を向くと、「先頭車両が斜めに傾き、内側の車輪が30センチほど浮いていた。そのまま『スーッ』とマンションに突っ込んだ」。3両目の車両が横向きになった2両目に激突。ごう音とともにガラスの破片がバラバラと飛んできた。立ち木に身を隠した。足が震えて止まらなかった。「阪神大震災で自宅が全壊したが、今回の方が怖かった」
《証言5 南西約80メートル、踏切》
踏切で電車の通過を待っていた40代の主婦は、金属がこすれるような音がしたので、何気なく電車の方を見ると、1、2両目の内側の車輪が浮いていた。いつものガタンゴトンという音もせず、「電車の裏側が見えたと思ったら、浮いて滑り込むような感じでマンションに突っ込んでいった」。鉄が焼けるにおいが辺りいっぱいに立ちこめた。すごい風と煙でよろけて転びそうになった。うめき声、叫び声が聞こえたので、遮断機をくぐって現場に向かった。