北海道札幌·小樽観光タクシー・ジャンボタクシー個人高橋TAXI 飯·旅·想い出ブログ

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[阿寒湖観光ジャンボタクシー]北海道小樽観光タクシー高橋の[阿寒湖・マリモ観光案内]

2016-07-15 17:44:40 | 阿寒湖
マリモについて、北海道で最初に天然記念物の指定を受けました。鮮やかな緑色の美しいビロード状の丸い藻で、大きいものは直径30㎝以上から、小さいものは1㎝ほどのものまでさまざまです。20㎝以上のもので数万個、小指の先位の小さいものまで入れると数億個にものぼると言われております。マリモは阿寒湖ばかりではなく、北アメリカ、北ヨーロッパ、ロシアなど北緯45度より北の淡水湖で見られます。国内では、青森県の左京沼、富士山麓の山中湖、河口湖でも発見されていますが、その大きさ、美しさは、阿寒のマリモに及ぶものがないと言われております。マリモは、シオグサ科の淡水藻(というのが定説ですが、採金の研究では新たな説もでているようです。)で、1本、1本細いうちに糸のような藻が微妙にからみあって、長い年月のうちに丸い形をつくっていくそうですが、水温、水質、水流などの条件が揃っていなければ、なかなか丸くならないそうで、阿寒湖のようになるのは珍しく、それだけに貴重なものです。また、成長して大型になると、その形を保つことが出来なくなって壊れてしまいますが、この壊れたかけらが再び集まって小さなマリモとなります。普通、野球のボール(6.4㎝)位に成長するまで、およそ150年~160年は掛かるということです。しかし、条件などによって最も早いもので5~10年で10~20㎝の大きさに成長するとも言われております。未知の部分がまだまだあり、研究途中と言うことです。阿寒湖のマリンが発見されたのは、明治27年ですが、明治30年、札幌農学校(現・北海道大学)の学生だった、川上龍弥氏によって採取され、世界的な植物学者、宮部金吾博士の協力を得て、「マリモ」と名付けられました。大正10年に天然記念物、さらに、昭和27年には、特別天然記念物に指定され、大切に保護されています。一時は盗んで持ち帰る人や、本州へ売りさばく人などかいて、その数が減ってしまいましたが「マリモを故郷の湖へ」の返還運動がおこわれ、3500個ほどのマリモが生まれ故郷の阿寒湖へ戻って来ています。アイヌの人達はこのマリモを「トーラサンペ」湖の妖精と呼んで大切にし、毎年、秋も深まる10月初め、マリモがなくならないように祈る「マリモ祭り」を行っています。

[釧路市観光ジャンボタクシー]北海道小樽観光タクシー高橋の[釧路市・フィッシャーマンズワーフMOO観光案内]

2016-07-15 17:08:14 | 釧路市
フィッシャーマンズワーフMOO、幣舞橋のたもとには、釧路のウォーターフロント、「漁師の波止場」の意味の、フィッシャーマンズワーフ構想が展開されていますが、その中心が大型ビルMOO(ムー)と、全天候型緑地のEGG(エッグ)です。MOOの1階には、新鮮な魚介類が豊富にならぶ釧路市場が有ります。2階はMOOオリジナルグッツや、お土産が揃うショッピングセンターで、3階は、釧路の味と、釧路の夕日を一緒に味わえる飲食店街がならんでいます。さらに4、5階は、アクアリゾートとして、プールやアスレチックジムがあり、観光客はもちろん、地元の人達でにぎわっています。隣にあるEGGは、名前のとおり卵型をした建物で、全天候型緑地となっています。冬が長い釧路のオアシスのような所です。
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[釧路市観光ジャンボタクシー]北海道小樽観光タクシー高橋の[釧路市・幣舞橋観光案内]

2016-07-15 16:38:59 | 釧路市
現在の幣舞橋は、昭和49年に仮橋工事から架け替えが行われてまして、昭和51年11月26日に完成したもので、幣舞橋としては5代目です。総工費は約23億4千4百万円です。釧路川に初めて幣舞橋が架けられたのは明治33年で、初代から3代目まではもちろん木の橋でした。昭和3年、初めて永久橋になり、約半世紀にわたって川面にうつすその堂々たる姿は、札幌の豊平橋、旭川の旭橋とともに北海道の三大名橋と呼ばれ、釧路っ子の自慢の種でした。その4代目も使命を終え、5代目へとバトンタッチされたわけですが、市民から要望のあった「これまでのイメージ」を取り入れ、長さ124㍍、幅33㍍の、より大きな橋に生まれ変わりました。橋の両側には「春夏秋冬」をそれぞれシンボライズする、乙女のブロンズ像が並び、街路灯も釧路と同じ霧の町ロンドンを思わせる、エキゾチックなたたずまいを漂わせています。

[釧路市観光ジャンボタクシー]北海道小樽観光タクシー高橋の[釧路市観光案内]

2016-07-15 15:57:42 | 釧路市
釧路市は、釧路川の河口に発展つづける東北海道の中心都市です。水産・石炭・製紙の3つの産業が釧路の経済を支え、とくに、水産業は日本でもトップクラスの水揚高です。古くから「久寿里場所」と呼ばれ、和人が出入りしていたことは、松前藩の記録にも残されていますが、明治3年、場所請負人の佐野孫右衛門が、秋田・山形・函館方面から、174戸637人の移民をつのり、定住させたのが釧路のはじまりと言われています。その後、本州各地からの移住者も年毎に増え、釧路集治監の設置(標茶)、春採炭田の開発、木材輸出などで次第に発展しました。明治41年、釧路新聞の編集長各として着任した石川啄木が、「さいはての駅に降り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」と歌っていますが、その当時はもうこの地方の中心となっていたのです。港町釧路は、原田康子さんの小説「挽歌」に紹介されたロマンの街として、また、夕日の美しい街として知られています。市内には、展望の素晴らしい米町公園、歌にも唄われた幣舞橋、ヒブナの棲む春採湖など見どころも多く、さらに、町のすぐ背後に広がる釧路湿原国立公園、森と湖の阿寒国立公園の入口の町として、多くの人が訪れています。