祭は4月15日、赤泊(または石花)から習ったという鬼太鼓が奉納されます。
この年は、他の集落から子どもの鬼が手伝いに来ておりました。
祭は4月15日、赤泊(または石花)から習ったという鬼太鼓が奉納されます。
この年は、他の集落から子どもの鬼が手伝いに来ておりました。
祭日は4月15日、獅子舞と子供太鼓があります。
子どもの数が減り、祭ができない年もあったそうです。
いまでは、毎年子どもたちが元気な太鼓を響かせてくれます。
↑写真は、平成23年の祭の様子。
↑最後の1枚は、平成9年のもの(写真提供:相川郷土博物館)です。
4月14日の宵宮に御礼智神社に奉納されるこの芸能は、今から400年ほど前に上方で習得したもので、棒ふり、芸打ち太鼓の他、小獅子からなり、昭和52年6月に相川町(現在佐渡市)無形民族文化財に指定されました。
太鼓芸打ち
花笠踊り
小獅子舞
(写真提供:相川郷土博物館)
毎年4月11日に行われる大倉祭、正式には大幡神社祭礼行事と言い、佐渡市の文化財にも指定されています。
宮で太鼓を打ち、獅子、豆まき、薙刀の後、神輿が出ます。
神輿の後に馬が続き、浜へ下りると流鏑馬です。
(たかち芸能祭では、神輿・流鏑馬の披露はありません。)
しばらく更新サボってました~、llloです。
たかち芸能祭の記事が、佐渡ジャーナルに掲載されましたので紹介します。
『夏の彩典たかち芸能祭』
一九九六年まで毎年、外海府合同の夏祭りを開催していた高千地区。元々は地域の祭りとして始まったものだったが、次第に花火大会を行うほど大規模に発展した。のちに商業的になり、やがては地域からかけ離れたものになっていった。
今、少子高齢化、深刻な過疎化が進む高千で、我々若者に何が出来るか!と始めた『たかち芸能祭』。大勢の帰省客で賑わうお盆に、故郷の春祭りを思い出してほしいと考えた。高千地区にある12集落の20~30代の若者に呼びかけ、約30人の賛同を得て、実行委員会を結成しました。春の4月14日~15日一斉に集落の祭りが開かれ、鬼太鼓や豆まき、佐渡市無形民俗文化財に指定された花笠踊り・小獅子舞など郷土芸能が繰り広げられます。しかし、祭りの日が同じ為住民も他集落の祭りを見ることが無い。そこで実行委員は、それらの郷土芸能を一堂に集めたいと考え、各集落の芸能団体に出演依頼をお願いしました。初めての年は、ステージも木造パレットの上にコンパネを敷き、照明も投光器だけという手作りの芸能祭でした。
今年で三回目を迎えた『たかち芸能祭』ですが、前回見に来ていた鼓童のメンバーの方が「とてもいい祭りで感動しました。」と言ってくれまして、毎年小木で開かれる『アースセレブレーション』に今年参加させて頂きました。木崎神社で行われるフレンジに高千地区の7団体約一〇〇人が、世界各国から来た人達に伝統芸能を披露する事が出来ました。
たかち芸能祭を始めたことにより、地域の活性化や親睦を深めることが出来たように思います。そしてあらためて、故郷高千の良さに気付かされました。
高千の若者、佐渡の若者には、まだまだ元気があります。そのパワーを未来の佐渡の為にがんばっていきたい!各集落とも、後継者不足に悩んでいますが、少しでも永く高千の伝統芸能を継承し、守って行きたいと思っています。弾正 明良
(2005年10月10日 佐渡ジャーナル(佐渡ジャーナル社発行)より)
この祭を立ち上げたメンバーの、熱意が伝わってきます。
来年も、いい祭を作りましょう!!
「鬼太鼓」は、島では訛って「オンデェコ」→「おんでこ」と呼ばれています。
おんでこは、悪魔をはらい、秋の五穀豊穣を祈願した佐渡独特の古典芸能で佐渡島内各地に残っていますが、地域によって鬼の舞が異なるのが特徴です。
鬼太鼓の起源は、佐渡金山の鉱山大工がタガネを持って舞ったのが始まりという説と、奈良時代に朝鮮から入った獅子舞が変化したという説があります。
現在、佐渡会館で行われている「佐渡芸能定期公演」は、この石花の「鬼太鼓」が舞台で舞っています。