Takaakyのボリビアだより

ボリビアにおいて、ボランティアに励んで(?)いた、自称三十路イケメンリーマンのブログ。平成24年1月10日任期終了。

はじめての預金引き出し

2010-05-28 | ボリビア ラパスでの生活
5月6日。
家主が「サンタクルスに10日間旅行に行くので、早いけど家賃が欲しい」という。
別に家賃の支払いは逃げられるものでもないので了解する。

そう言えば先月も
「息子の誕生日パーティーをするので、30ドルだけでもいいから早く家賃が欲しい」
と言っていたなあ・・・。

僕の住んでいるホームステイ先の家賃は、1カ月230ドル。規定上限額である。
これくらいの額は持っていて、すぐに払うことができた。
しかし言えばいつでもすぐに家賃を払えってもらえると思われるのは嫌。
だから「銀行に行かないとお金はないから、少し待ってね」と言ってみる。

すでに4~6月の家賃は、すでにボリビアで開設した口座にJICAから入金されている。
よって、家賃を払うドルは持っていたけど、銀行へ引き出しに行くことにした。

銀行に行く前に辞書を引いて、何て銀行の窓口で言おうか調べておき、メモ帳に記載。
メモしたとおりに窓口で言うと、意外に通じるものだ。
預金口座から引き出し完了。はじめての銀行窓口での引き出しだった。

そして家主からお願いされて2日後、少し早いけど家賃を支払った。
家主家族は、僕からもらった家賃を持って、サンタクルスに旅行に行ったに違いない。

【本日の画像】
 僕のホームステイ先の部屋。
 来たばかりの時に撮影したもので、まだスーツケースが広げてあります。

家庭訪問

2010-05-26 | ボリビア 活動編
最近頼まれて、患者宅への家庭訪問の同行をしている。

4月26日。本日は結核患者の自宅を家庭訪問である。学生1名(女性)と同伴。
患者は自宅にいたみたいだけど、無理に会おうとはしなかった。
またその患者家族に、痰を入れる容器と薬を渡して帰った。
患者がいるのだから会って、最近の様子を聞いたり、来院を促したらいいのに・・・。

4月28日。妊娠している女性の家に行くという。
最初に妊娠している女性宅を訪問。きちんと検診に来るように促す。
次には85歳の結核患者の自宅に訪問。その患者家族は温かく迎えてくれる。
85歳の男性結核患者。かなり痴呆も入っているみたいで、薬を錠剤で飲むことは難しい。
よって同伴している学生が石を使って細かく砕いて、水に溶かして薬を飲ませていた。

こういう家庭訪問、僕は好きである。
日本の仕事でも家庭訪問は好きで、時間があれば家庭訪問をしていた。

最近、Centro de Saludに僕の席がなくなってしまった。
よってこういう家庭訪問は、大歓迎である。
また1日に数軒家庭訪問ができれば、時間がつぶれてなおさらいい。

その後のエピソード。
見たことがある女性(妊婦)がCentro de Saludに来た。
その女性、僕を見て「おはようございます。きちんと約束どおり来たわよ」という。
この女性をよく見ると、家庭訪問に行って、検診に来るように促した女性だった。
きちんと指示どおりに来てくれて、ちょっとうれしかった。

【本日の画像】
 こんな急な坂道を登ったり、下ったりして、家庭訪問をしています。
 ラパスの家庭訪問は、体力勝負です。

ラパスに冬到来?

2010-05-22 | ボリビア ラパスでの生活
最近寒くなったような気がする。昼間はまだいいが、朝夕は冷える。

特に夜、部屋は寒い。僕の部屋の床にはじゅうたんがないので、足元が冷たい。
今使っているスリッパは、日本で100円均一で買った折りたたみができる携帯用のもの。
これを履いていても冷たい。
部屋で机に向かっていると、足元がすごく寒いのである。
おかげで机に向かって勉強もできない。
(と、スペイン語の勉強もしない自分を正当化する。悪いヤツです・・・)

よって、暖かいスリッパと、机の下(足元)にひく小さなじゅうたんがほしい。
ということでエルアルトへ。
スリッパと、机の下(足元)にひくマットを買ってきた。
実際スリッパとマットを使ってみる。少しマシにはなったが、まだ寒い。

ラパスに冬到来かなあ・・・。
毎夜に飲むビールも、だんだんつらくなってきたし・・・。
(だけどビールは毎日飲む!)

今度は毛布でも買ってきて、足元を毛布で温めることにするか。
寒さ対策には、今後も頭を悩ませそうである・・・。

日本人に見えるか?

2010-05-20 | ボリビア ラパスでの生活
最近、活動先の近くの通り「Buenos Aires」でよく昼食を取っている。
活動先の「Buenos Aires」は、危険地域として事務所も指定しており、治安は悪いらしい。
だから当初は活動が終わると、すぐにミクロに乗り、退散していたのである。
だけど活動先に派遣されて3カ月。
だんだん活動先周辺にも慣れ、普通に食事もするようになってきた。

だけど、あまりにも店が暗かったり、不潔そうな店は嫌。
「Buenos Aires」沿いのきれいそうな店で、食事をしている。

「Buenos Aires」沿いの店で昼食を食べている時、通りにいたある青年と目が合った。
するとその青年、いきなり上着(パーカー)を脱ぎだした。
すると着ているTシャツに「東京」とプリントしてある。
僕を日本人だと思ってこのようなパフォーマンスをしたに違いない。おもしろかった。

ボリビア人は、アジア人を見ると「chino」(チーノ、中国人)とよく言う。
そう言われる度に、僕は「Soy japones」(僕は日本人)と言い返していた。
(もしくは無視をしていた)
この「chino」(チーノ、中国人)と言われるのを、僕は少なからず嫌だと思っていた。

僕を日本人と理解してくれましたか・・・。ちょっとうれしい。

刑務所へ

2010-05-12 | ボリビア 活動編
4月22日。患者宅へ家庭訪問するので、学生と一緒に行ってほしいと頼まれる。
別にやることもないので、即座に了解する。

訪問する患者は結核患者。
しかし2月上旬からCentro de Saludに来ていないので、家庭訪問するという。
訪問する患者のカードを見て、年齢・性別等をチェック。
だけど「結核患者」というところが不安である。
「病気が移ることはないのだろうか」と思いながらも、訪問開始。

僕は患者の住所等は全く分からないので、学生と並んで歩いていく。
すると見たことがある建物に辿り着く。
辿り着いた場所は「刑務所」。
(過去に僕はこの刑務所の建物の写真を撮って、警察官に叱られたことがある。)
どうやらこの患者は、受刑中であるようだ。

刑務所の前には、たくさんの人が並んでいる。
その学生、その列に並びもせずに、直接刑務所の職員のところに行く。

ここからは、刑務所の職員と、その学生とのやりとり。
(僕はスペイン語をあまり理解できないので、一部は推測)

(学生)結核の患者に会いに来た。
(刑務所)君は何者だ。
(学生)Centro de saludから来た。私はそこで働いている学生。
(刑務所)学生が何の用だ。きちんと列に並べ(かなり高圧的に僕らに言い放つ)。
(学生)一緒にいるのはLic(大学卒)。日本から来たソーシャルワーカー(僕のこと)。
(刑務所)入ってよろしい(僕ににっこりとほほ笑む)。

この学生、僕を利用して、有利に物事を進めていこうとする姿勢がありありだった。
こんなところで「日本人」や「大学卒」を出さないでほしい。
(こういうやりとりを見ると、ボリビアは本当に学歴社会だということに気付く)
(ちなみにあまり言っていないが、僕は大学卒ではなく、大学院卒である。ただの余談)

携帯電話を持っていたので、近くの売店で携帯電話を預けてくるように指示される。
(携帯の預かり料は1ボリビアーノ)
そして入り口で身分証明書を預け、刑務所の中へ。
刑務所って簡単に入れるんだと思った。

刑務所の中は本当に異様。受刑者が刑務所内をうろうろしている。
僕は日本で犯罪者や非行少年を相手に仕事をしていた。
国は違うが、別に刑務所は怖いと思わず、ずかずかと刑務所の中を進む。
しかし一緒に来た学生は、けっこう怖がっていた。
(入り口で刑務所職員に強気で交渉していたのは、どこに行ってしまったのであろう)

結局、刑務所に患者はおらず、患者と対面できずに終了。
僕は刑務所の入ることができて、いい経験ができたと思っている。
しかし一緒に行った学生は、もう二度と刑務所には行きたいとは思わないだろう。

【本日の画像】
刑務所は、中はもちろんのこと、外観も撮影禁止。
よって、学生がCentro de Saludで行っている啓発活動の写真。
こういう啓発活動を、僕も計画中。

エル・アルト1人旅

2010-05-10 | ボリビア ラパスでの生活
4月25日、はじめての1人でエル・アルトのフェリアに行ってみる。
しかし、エル・アルトは危険な場所であることは周知の事実。
来ボリ3カ月で、すでにケチャップ強盗(未遂)に遭った僕。
できることなら、もう犯罪被害には遭いたくない!!!

よって、僕なりに考えた犯罪防止対策。
1 午前中に行って、昼前にはラパスに戻る。
  エル・アルトのフェリアは、午後が特に危ないと聞いていたから。
2 カバンは持たない。持つのは2ボリのチョリバックのみ。
3 現金は分散して持つ。財布のほか、首から下げた袋、腰巻などに分散。
4 携帯はしっかりとズボンに縛り付ける。
これだけしておけば、大丈夫だろうと思い、いざエル・アルトへ。
(結果として、犯罪被害は一切遭いませんでした。めでたしめでたし)

今回の出費。
衣類:Yシャツ(8ボリ)、フリースみたいなもの(20ボリ)、ジーンズ(15ボリ)
日用雑貨:ハンガー5本(5ボリ)
その他:交通費往復(4.3ボリ)、ハンバーガー(6ボリ)、アイスクリーム(1ボリ)
合計59.3ボリ(900円弱)。上出来です。

だけどフェリアを回ってみると、本当におもしろい。
午前中で帰ることができず、結局エル・アルトに2時半くらいまでいた。

今回残念だったこと。買うか買わないか悩んだセーターを買うことができなかったこと。
買おうか買わないか悩んで、結局「あとで考えよう」と思って、その場を去った。
最終的に買おうと思って、そのセーターを売っている場を探したが、結局見つからず。
もちろんセーターも買えずじまい。
買うか買わないか迷って、「考えて後で買おう」と思っても買えない。
フェリアは広くて、同じ場所になかなか行きつけないのである。
買うか買わないかは、その場ですぐに決断しなければならない。

今回の教訓 フェリアに「優柔不断」は敵!!

新プロジェクト発動!

2010-05-08 | ボリビア 活動編
Centro de salud(保健所)で待っている患者用のアンケートを作っている。
アンケートの内容は「家庭内暴力(DV)」。
この家庭内暴力(DV)について、ボリビアの実情をもっと聞きたいと思った。
よって、事務所のカウンターパートのところを訪ねることにする。

するといきなりカウンターパートから説明が。
活動先(Centro de salud)で思春期層の妊娠防止に対するプロジェクトを行うという。
初耳である。どこから降って湧いたのか分からない。
カウンターパートに言われるまま、打ち合わせに。
その打ち合わせ場所に、同じ活動先で活動している栄養士(JOCV)もいる。
どうやら僕の他、他のJOCVの協力も得ながら、プロジェクトを実施するようである。

だけど、このプロジェクト、見切り発車のところが否めない。
この「思春期層の妊娠防止プロジェクト」を展開するのは、あるCentro de salud。
僕が今活動しているところである。
僕が「Centro de saludはこのプロジェクト知っているの?」と聞くと、
カウンターパートは「知らない。これから説明する」という。
このプロジェクト、うまくいくのかしらん・・・。

最後にカウンターパートから、「JICAに言っておくように」という。
JICAから金を引き出すつもりだろうか。

ここからは、僕の推測。
このプロジェクトは、僕のためにできた、といっても過言ではない。
僕がソーシャルワーカーのJOCVとして来たのが、プロジェクトのきっかけのように思う。
たぶん事務所の所長が、カウンターパートのケツをたたいて、できたプロジェクトである。
よってカウンターパートはやる気が見られない。

だけど、これを機会に、僕も少し活動らしいことができるといいな、と思う。
いい機会と思って、積極的に関与していきたいと思う。

【本日の画像】
Centro de saludの近くでは、子どもたちが「メンコ」でよく遊んでいます。
日本で流行ったのは、いつのことだろうか・・・。
ちなみに僕は小さい頃、よくやりました。

誕生日会

2010-05-06 | ボリビア ラパスでの生活
4月10日。ホームステイ先の子ども(男の子)の5歳の誕生日会がある。

ホームステイ先のママは、誕生日会の準備で大忙し。
僕も何か手伝おうかと思ったが「あなたはお客さん」と言われ、出る幕なし。
(何か手伝ったほうが、気も楽だし、スペイン語も身に付くのだけど・・・)

その日誕生日の男の子はスパイダーマンが大好き。
僕はスパイダーマンのぬいぐるみ兼ナップサックをプレゼントにチョイス。
(メルカドで見つけたもの。35ボリ)
すると僕と同じプレゼントを持ってきた人がいた。
あら・・・かぶっちゃった・・・。偶然過ぎる・・・。

誕生日会は、子どもたちは家中を走り回って遊びまわる。
大人たちは、シブく(?)お酒を飲みながら歓談。
その中の面白いやりとり。

(ご婦人)「あなたは○○(誕生日の男の子)のお父さん?」
(わたくし)「ちがう。僕は日本人」
(ご婦人)「それなら、いとこ?」
(わたくし)「ちがうってば、僕は日本人だって」

僕はボリビア人に見えるのかしらん・・・。
最近ボリビアの強い日差しに負け、顔が真っ黒になったしなあ・・・。
また僕も5歳の子どもがいてもおかしくないトシだしなあ・・・。

あと、英語を習っている12歳の男の子。
英語を習っているからといって、僕を練習台に使わないでほしい。
僕はスペイン語も英語もあまり話せません!

現地生活費問題(3)次長から正式説明

2010-05-04 | 現地生活費問題
4月15日。安全対策連絡協議会がサンタクルスである。
この安全対策協議会は、協力隊員及びシニアボランティア全員出席が義務付けられている。

この協議会の終了後、平成21年度2次隊及び3次隊が会場に残される。
そして、現地生活費の件について、次長から正式に説明がある。

事務所側は至って低姿勢。次長も謝りっぱなしであった。
説明の場を設けてほしいと言いだした僕も、少し申し訳ないと思ってしまう。

この場では、
1 現地生活費が振り込まれる東京三菱UFJ銀行信託会社の小切手が切れない経緯と今後の見込みの説明、そして陳謝。
2 今後の事務所としての対応について。生活費が足りない隊員については、次長から個別に貸与することになった。
3 今後の対応について。今後派遣される隊員に対しては、余裕を持って現金を持ってきてもらうように指示する。
という説明等があり、この場にいたボランティアはおおむね納得するに至った。

この場がとりあえずまとまってよかった。
これも事前の調整員とのすり合わせの成果である。
日本人らしく、そして社会人らしい行動である「根回し」は、何事にも必要である。
(僕は根っからの日本人で、そして日本の社会人の模範でもあります。自画自賛)

また誠意を持って話し合いの場を設けてくれたJICAボリビア事務所には、
重ねてお礼申し上げます。

(ここからは「おまけ」)
現地生活費の話し合いが円満に終わったことに「ほっ」としたのであろうか。
その後の懇親会で、思いっきり飲んで、記憶がなくなった。
多くのボランティアに酒乱ぶりを露呈してしまう結果になってしまった。
懇親会では、敵対(?)したはずの次長と仲良く(?)飲んだらしい。
しかし詳細は記憶にないので不明(都合のいい「記憶喪失」である)。
僕にとっては現地生活費の話し合いがほぼ円満に終わり「祝い酒」であった。
しかし次長にとっては「やけ酒」であったに違いない。

【本日の画像】世界遺産「El Fuerte」

現地生活費問題(2)事務所との予備折衝

2010-05-02 | 現地生活費問題
4月12日。朝事務所に電話。午後から時間を取ってほしいと頼む。調整員了解。
僕は午後に事務所に出向く。調整員2名が対応してくれた。

今回僕が事務所側にお願いしたいのは次の3点。
1 現地生活費が引き出せない理由を、責任のある人から説明してほしい。
2 現地生活費が引き出せないことから、現金がなく生活費に困窮しているボランティアに対して、事務所で責任を持って対応をしてほしい。
3 同じような現地生活費が引き出せないような事態を、今後作らないでほしい。

調整員はおおむね了解してくれた。
その週にサンタクルス市でボランティア全員が集まる機会がある。
その際に、事務所から説明及び対応がなされることになった。

事務所側の誠意ある対応には、感謝をしている。
サンタクルス市での説明の際に、紛糾しないことを祈るばかりである。

【本日の画像】
 世界遺産、サンタクルスの「El Fuerte」で撮影。
 サンタクルスはラパスと違い、花に溢れています。