Takaakyのボリビアだより

ボリビアにおいて、ボランティアに励んで(?)いた、自称三十路イケメンリーマンのブログ。平成24年1月10日任期終了。

乳児の体重測定と急患

2011-08-21 | ボリビア 活動編
7月13日は出産ラッシュ。3人の女児が産まれた。

翌日の14日。その赤ん坊3人の体重を計る。
昨日生まれたばかりの赤ん坊は本当に小さい。壊れてしまいそうである。
子どもがいない僕にとって、はっきり言って赤ん坊を持つこと自体が怖い。
だけど、この子達がこれからのボリビアを作っていくんだと思うと、
本当に健康に育ってほしいと思う。

赤ん坊の体重を計り終え、感慨に浸っていると、急患が運ばれてきた。
運ばれてきたのは3歳の男児。
自宅のベッドから転落して、額に大きな切り傷を負って運ばれてきた。
額から血もダラダラと流している。

さっそく額の止血をし、額を縫う措置が取られることになった。
僕はわんわん泣き、暴れる男児を押さえつける役。
僕が押さえつけているところを、医師と看護師がてきぱきと治療をしていった。

数日後、その男児に会ったが、額はきれいに治っていた。めでたしめでたし。

「山登り」か「ハイキング」か

2011-08-21 | ボリビア ラパスでの生活
6月5日。隊員2名と一緒に「Muele del Diablo」という山へ行く。
隊員に誘われたとき、ひとつの不安が頭をよぎった。
ラパスに来て1ヶ月くらいのとき、先輩隊員にトレッキングに誘われた。
僕はその時、トレッキングを甘くみていて、とんでもない思いをしたのである。
その時は「二度とトレッキングには行かない!」と心に誓ったくらいである。
だから僕は、誘ってくれた隊員に聞いた。

(わたくし)何を持っていったらいい?
(某隊員) 水だけでいい。

水だけということは、ハイキングみたいなものだろう。
隊員のお誘いを受け、出かけることにした。

まずはラパスのソナスールへミニブスへ移動。
目的地でミニブスを降り、そこから山頂までは2~3時間であるという。
山を登れば登るほどソナスールやラパスの高層ビル街が小さく見えていい景色だった。

山頂に着き、その後は下山。行きとは違う道で下山することにした。
その帰り道、絶壁の近くを歩くところもあり、かなりこわかった。
また最後に僕らを困らせたのは「川」。その川を渡りたいのだが、橋が近くにないのである。
仕方ないのでその川に入って渡ろうとしたが、雨季だからか水量は多いし、けっこう深い。
結局は川に入って渡ったのであるが、なかなか渡れずたいへんだった。
行きはよいよい、帰りは怖い、そのものだった。

だけど道中の景色もよく、本当にいい気分だった。
とんでもない事態も起きたけど、終わってしまえば「いい思い出」。
誘ってくれて感謝しております。

ちなみにその日は「ハイキング」ではなく「山登り」であった。
これから「Muele del Diablo」に行く人は、覚悟して登ってください。

「ホーベン」と「セニョール」

2011-08-17 | ボリビア ラパスでの生活
ボリビアに来たとき、僕はよく「joven」(「若者」の意味)と呼ばれていた。
三十路の僕として「joven」と呼ばれるのは本当にうれしかった。
「ボリビアは何ていい国なんだ」と思った。

しかし、最近「señor」(「紳士」の意味)と呼ばれるのも多くなった。なぜだ?
また子どもたちから最近「tío」(おじさん)とよく呼ばれる。
本当にムカつくが、子どもは本当に正直である。

ある日のこと。診察を終えた子ども(推定3歳)が母親と一緒に帰っていった。
僕が「Chao!」と声をかけると、この子どもが発したコトバ。
「Chao! Papi」
「ぱぴい???」
「Papi」とは「お父さん」という意味。
確かに僕は子どもがいてもおかしくない年齢だが・・・。

【本日の画像】先日他の隊員からもらったぬいぐるみ。かわいくないですか?

物価高騰

2011-08-16 | ボリビア ラパスでの生活
最近ボリビアでは、物価が値上がりしているような気がする。
特に僕の懐を切迫しているのが「ビールの価格」。

いくつか種類のある中で、僕のお気に入りは「BOCK」。
他のビールがアルコール5%弱であるにもかかわらず、BOCKのアルコール分は7%。
ちょっと強めのビールである。

このBOCKの大瓶(620ml)の値段は、次のように推移した。
赴任当初 7.5Bs
→2010年末のガソリン値上げが発端になった国内ストライキ勃発時 8.5Bsに値上げ
 缶ビール340mlも6.5Bsから7.5Bsに値上げされた
→国内ストは収まったが、ビールの値段は据え置かれた。
→2011年5月頃 10Bsに値上げ
 (ちなみにボリビアで一番飲まれているPaceñaはそのまま8.5Bsである)

大瓶のBOCKは赴任時から2.5Bsの値上げである。
毎日酒を飲む僕にとっては、たいへんつらい。
僕の酒量を減らさないためにも、また僕の楽しみである飲酒を奪わないためにも、
現地生活費の値上げを切に願うのである。

ガス爆発

2011-08-13 | ボリビア ラパスでの生活
ボリビアでガスといえば、都市ガスもあるが「プロパンガス」が主流。
プロパンガスということは、使用していくと次第にプロパンの中からガスがなくなる。
プロパンガスの中身がなくなるのも、人によって違う。
2ヶ月くらいでなくなるという人、1年以上もったという人、それぞれである。
(ちなみに僕は1年弱、プロパンガスがなくなったことはない。)

またこのプロパンガス、中身がなくなると、自分で買いに行かなければならない。
中身は25ボリ弱で高くはないのだが、買いに行くのがたいへんなのである。
時折「ファン、ファン」とクラクションを鳴らして、
トラックがプロパンガスをたくさん積んで売りにくる。
しかしこのガス売りのトラックは、いつ来るのかよく分からない。これが難点なのである。
またプロパンが重いのも難点である。

僕はボリビアのプロパンガスを常々不安に思っている。
「いつガスが漏れるのか分からない」といつも不安である。
(その不安の割には、普通にガスを使っているが・・・)
だからガスを使ったらすぐに元栓を閉めるなどの対応をしてきた。

そんな中、ガスに関わる事故が発生する。

7月4日午後6時過ぎのこと。
すごい音とともに、僕の部屋の天井からほこりがバラバラ落ちてきた。
(そして天井も落ちてきた・・・)
僕は上の部屋の住民が何か変なことをしたと思って抗議しようと、部屋の外に出た。
しかし、アパート前の通りがざわざわしている。何か違う。
何と、僕の住んでいるアパートの通り向かいあるアパートで、ガス爆発があったらしい。
次第に警察、消防車、救急車、テレビ局、ヤジ馬・・・などが次々とやってきた。

通り向かいのアパートの事故現場は、すべてが吹っ飛び、無残な状態になってきた。
また、僕の部屋も天井が落ちたり、部屋の電気がつかなくなったりした。
(天井は翌日大家が修理に来て修繕完了。電気は数時間で復旧した)

この事故があって以降も、僕のガスの取り扱いは普通どおり。
使用後、元栓を閉めるのは欠かせない。

【今回の画像】ガス爆発の事故現場

セントロデサルーで工事

2011-08-12 | ボリビア 活動編
僕が活動するCentro de Salud(セントロデサルー) では、以前工事をしていた。

工事でセントロデサルー内にある患者用トイレが使用禁止に。使用禁止は数日間に亘った。
保健所や病院なのに、トイレが使えないというのはどういうことなの?
お母さんは子どもたちに、Centro de Saludの前の道路とかで、平気でおしっこをさせる。
この患者用トイレ、トイレの水道が壊れていて、用を足した後、手も洗えなかった。
水道が壊れていること自体問題だと思ったが、それどころではなくなった。

またセントロデサルー全体で壁のペンキ塗りをしていた。
ペンキの臭いはすごいもので、Centro de Salud内がペンキの臭いで充満していた。
僕も鼻が痛くなるほどだった。
しかしこのペンキ塗りも、診察時間中に堂々と行っていた。これは問題ないのか?
日本なら診療中止にするか、患者がいない土日に行うだろう。

何かボリビアの常識が信じられず、疑問を抱かざるを得なかった。

【本日の画像】
 乳児用の体重計。分銅を動かして体重を量ります。

オルロ オブラヘス温泉

2011-08-06 | ボリビア 旅行編
8月1日。オルロでのボリビア・日本文化祭の翌日。
僕を含め男子隊員2名、女子隊員2名の総勢4名でオルロ近郊にあるオブラヘス温泉へ。

ミニブスに乗ってオブラヘス温泉に到着。
入場料は10Bs(約150円)。
僕は「たかっ」と思ったけど、(金持ち)女子隊員2名は安いと思ったという。
ボリビアに来て1年半以上経過。ボリビアの金銭感覚にどっぷり浸りすぎてしまったか。

実際行ってみると温泉というよりは温水プール。
しかし日本のような温水プールではなく、屋内ではなく屋外にある。
だから温泉(プール)の外に出ると、とってもとっても寒い。凍え死にそうである。
当日は平日だったためか、他のお客さんもまばらであった。

最後にオブラヘス温泉に行く人へのアドバイス。
必ずボールや浮き輪などの遊び道具を持って行きましょう。
それでないと「死体ごっこ」くらいしか遊ぶことがありません。
あとは一人シンクロも可能か・・・。

家庭内暴力と「一人っ子政策」

2011-08-06 | ボリビア 活動編
7月25日。毎週月曜日夜に手伝っている母親(妊婦)学級でのこと。
本日のテーマは「暴力」であった。

その日の講師は、僕のカウンターパートであるソーシャルワーカーが行う予定であった。
しかし予定の時間になっても来ない。
「何て人なんだ!!」と思うけど、これは別に珍しいことではない。
しかし母親(妊婦)は集まっている。仕方ないので、職員の看護士が講師をしていた。

その日の講義で、家庭内暴力(DV)が起こる原因として「男尊女卑」を挙げる。
そして男尊女卑は中国の「一人っ子政策」にまで話が発展。
中国では、男子の人口が多いという。
その理由は一人っ子政策で、妊娠して女の子だと分かると、中絶してしまうからだという。

ところで中国の一人っ子政策。今でも続いているのか?

ラパスの日

2011-08-03 | ボリビア ラパスでの生活
7月16日(土)はラパスの日。
7月15日(金)夜。僕が配属されている第一保健管区の人たちと行進をする。

15日夕方。指示された場所に行くと、すでに多くの人。
どこに僕の所属する保健管区の人が集まっているのか、全然分からなかった。
そんな中、とりあえず集まっている場所を見つけ、行進の準備。
僕は唯一の日本人だからか、一番前で旗を持って歩くことになった。
(他に行進をした団体も含め、日本人が行進したのは僕だけであろう。たぶん・・・)

途中行進をしていたら、僕を見た観衆から「チーノ」(中国人)と叫ばれた。
すると僕はその観客に対して「ハポネス」(日本人)とでかい声で反撃。
ボリビア人にとって、日本人と中国人の見分けがつかないのは、今に始まったことではない。

行進の途中、プラザムリージョのところで、エボ・モラレス大統領他数名が敬礼している。
エボ・モラレス大統領は
「鶏肉を食べるとハゲる。鶏肉を食べると同性愛者になる」
「コカの葉を麻薬指定から除外しろ」
と奇怪なことも言う大統領。
しかしそんな大統領でも、大統領の前を歩くのは、緊張するものだ。
大統領の前を歩くことができたのは、本当にいい思い出になった。
また、ラパスのメインストリートであるプラドを行進できたのも思い出になった。

【今回の画像】
 行進する前に、行進の服装を自宅で撮影したもの。
JICAのブレザーを着て、ボリビアの国のバッチをつけて、行進した。

白菜と豆腐

2011-08-02 | ボリビア ラパスでの生活
7月28日。白菜と豆腐を探しにメルカド・ロドリゲスに行く。
7月末にオルロで日本・ボリビア祭がある。
その際にオルロ隊員宅に泊まり、その隊員宅で鍋をやろうということになっていた。
その鍋の材料として白菜を頼まれたからである。
(オルロには白菜は売っていないらしい)
また鍋をやるなら豆腐も買っていこうと思って、豆腐もあわせて探しに行った。

メルカド・ロドリゲス市場に行くと、難なく豆腐は見つかる。
1丁5ボリビアーノス(約75円)。しかし白菜はなかった。

スーパーなら売っているかも、と思いスーパーへ。
スーパーで白菜をゲット。1玉13ボリビアーノス(約195円)。
白菜は「repollo chino」というらしい。訳すと「中国のキャベツ」。
キャベツは小さいのだと2ボリビアーノス(約30円)で買えるのに、白菜は本当に高い。

そして週末オルロへ。
その隊員宅で鍋をやり、おいしく白菜と豆腐をいただいたのであった。