Takaakyのボリビアだより

ボリビアにおいて、ボランティアに励んで(?)いた、自称三十路イケメンリーマンのブログ。平成24年1月10日任期終了。

最後のごあいさつ

2013-08-01 | さいごに
僕の青年海外協力隊員としての体験談について思うところを、
書き連ねてきたのがこのブログです。

帰国後相当期間が経過したので、このあたりでお開きとしたいと思います。
ご覧になってくれた方、ありがとうございます。

また今後青年海外協力隊員として活動を検討されている方や、
ボリビアという国がどういう国か知りたいという方の、
少しでも参考になればと思います。

愛知県から離れたことがない僕が、初めて愛知県の外に出たのが南米ボリビア。
犯罪被害に遭ったり、寄生虫を飼ったり、嫌なこともあったけど、
協力隊員としての2年間は僕の一生の財産になったと思います。
二度とできない経験をさせていただきました。
嫌な思い出はできるだけ忘れて、いい思い出だけ一生抱きしめていきたいと思います。

最後に、
 ・駒ヶ根訓練所で一緒に訓練に励んだ平成21年度3次隊のみなさん
 ・ボリビアで一緒に活動に励んだボリビア隊員のみなさん(一部除く)
 ・ボリビアで楽しい思い出を作ってくれたボリビアのみなさん
 ・僕に多大な税金を費やしてくれた日本国民のみなさん
に感謝いたします。ありがとうございました。

最後に、現在派遣されている、また今後派遣される青年海外協力隊員の方の健康と無事故を祈念して、
このブログを閉めたいと思います。


長距離バス

2013-02-13 | ボリビア 旅行編
先日、用事があって東京に行った。東京までは往復高速バスを利用。
インターネットで購入。往復予約で8000円ナリ。
東京・名古屋間は新幹線で通常片道1万円を越える。新幹線の片道にも満たない破格。
セコい僕は高速バスをよく使う。

だけど、日本の高速バス(長距離バス)は本当に快適。
まずはバスが新品できれい。そしてトイレがついているのがうれしい。

僕が青年海外協力隊員として派遣されていたボリビア。
ボリビアでは、ボロボロのバスが現役で走っていた。
トイレがないバスも多かったし、トイレがついていても故障していて使えなかったり・・・
またバスが途中で故障することもあった。

高速バスに乗って、ボリビアのことを思い出してしまいました・・・

【今回の画像】
途中パンクをして修理中。こんなところで立ち往生してくれても困る。

ボリビアへの持ち物 語学関係

2012-08-24 | 持ち物 ボリビア編
派遣前訓練(2ヶ月)と派遣後の現地訓練(僕の場合1ヶ月弱)で学習するスペイン語。
みっちり勉強をするのであるが、これだけで十分スペイン語を理解できるわけではない。
だから、ほとんどのボランティアは派遣後もスペイン語を勉強している。
勉強の方法は現地で講師を雇って習っている人から、自学までさまざま。

こんな中、僕がボリビアに持ってきたスペイン語関係のもの。

1 辞書関係
 ・ 西和辞典(厚いもの) 1冊
 ・ 西和・和西兼用(薄いもの) 1冊
 ・ 日西英・西日英の辞書(用語集みたいな辞書) 1冊
この3冊で一番使ったのが西和・和西兼用の薄い辞書。
小さいし薄いので、活動の際などにいつも持ち歩いていた(語学劣等生の僕の必需品)

辞書は、書籍の辞書とともに、電子辞書も持ってきている人が多い。
また電子辞書を活動先等に携帯している人も多い。
ちなみに僕は電子辞書は持って来なかった。

2 語学の参考書・語学学習用CD関係
 ・ 駒ヶ根で使った教科書 2冊
 ・ スペイン語の参考書 2冊
日本語で説明してある参考書は、持参したほうがいいと思う。
また語学学習用のCDも持参したほうがいいと思う。
語学学習用のCDは特に持参しなかった(というか、持ってくるのを忘れた・・・)

あと語学学習に限ったことではないけど、ノート。
日本にある大学ノートのような、横の罫線のみのノートは、ボリビアでは見かけなかった。
こだわりのある人は、ノート(ルーズリーフ)数冊も持ってきたほうがいいかも。

最後に前にも書いたような気がするが、カセットデッキは不要。
カセットテープなど、ほとんど見なかった(ような気がする)。

だけどボリビアから帰ってきて、半年以上経過。
半年スペイン語をしゃべらないと、もうスペイン語は分かりませんね。
すでに話せないと思う・・・

帰国前もたいへんなんです!

2012-01-10 | 帰国準備
平成21年度3次隊がボリビアを発ったのは平成24年1月8日(現地時間)。
そして、日本に到着したのは平成24年1月10日(日本時間)。
ボリビア出発までのスケジュール。

平成24年1月6日。
帰国報告会、帰国時領事館表敬訪問、出国のため、第2の都市サンタクルス市に移動。
早朝に自宅を引き払い、タクシーでラパス隊員数名と空港に移動。

午後からサンタクルスにある領事館へ表敬訪問。
領事も「何でサンタクルスへ来るの?ラパスの大使館に行けばいいじゃん」というカンジ。
あまり歓迎されている様子も、2年間の活動をねぎらってくれたカンジもしなかった。

領事館表敬訪問後、平成22年度3次隊の中間報告会。
ここで某隊員の活動状況や「草の根無償資金援助」について、大きく批判。吠えまくった。
ここで批判された任期途中で帰国した某隊員、最後に拍手ももらえず、
すごすごとその会場を去っていった。

その日の夜は、ボランティア主催で送別会。ありがとうございました。楽しかったです。

平成24年1月7日
僕たち平成21年度3次隊の帰国報告会。
発表時間10分はもちろん足りない。2年間の活動の成果を10分で話せ、というのはどうか?
よって質疑応答時間含めて20分の持ち時間をフルに使って発表。
多くの隊員等が参加してくれて、本当にありがとうございました。

帰国発表会後は、ここでお別れするラパス隊員と、カフェでオシャレにビール。
帰国するまで、しっかりと飲む僕である・・・
そして最後の晩餐は、ボリビア名物ピケ・マッチョ。

平成24年1月8日
サンタクルス市内のホテルから、サンタクルス・ビルビル空港へ移動。
多くの隊員等に囲まれ、ボリビアを後にした。

※多くの隊員等の見送りを受けたが、JICA職員は調整員1名であった。
これはいかがなものか。隊員等ボランティアを軽視していないかと、思わざるを得ない。

12月末から帰国まで、ただただ忙しく、あっという間に期間が過ぎていった。
しかし、その帰国についてまったく実感が湧かなかったのも事実。これは何なんだろう?
ただし帰国前もたいへんなんです!

ラパス最後の日

2012-01-07 | 帰国準備
1月4日。ラパス最後の日2日前。
夜、隊員数名と一緒に、5星ホテル・プラザホテルの最上階レストランに食事に行った。
いい値段はするが、上品さと、レストランから見られるラパスの夜景に大満足。

1月5日。ラパス最後の日1日前。
午前中、活動先であったセントロデサルーに、最後のあいさつに行く。
一緒に働いた人たちにあいさつ。そして全員にちょっとしたプレゼントをあげる。
そして自宅にあったアルコール消毒液と電子体温計を、診察室に差し上げる。
最後にみんなでケーキを食べながら最後のお別れ。本当にうれしかった。
夜、隊員数名とよく行く中華料理店へ。これがラパスでの「最後の晩餐」である。

1月6日。ラパス最後の日。
ラパスからサンタクルスへのフライトは、ラパス発午前8時45分。
午前7時にはタクシーで、空港へ向かわなければならない。
朝早く起きて、部屋を簡単に掃除。
朝まで着ていた服も着替えてスーツ姿に。そして脱いだ服はゴミ袋に入れて、ゴミだし。
時間になると、某隊員が乗ったタクシーが来た。
そのタクシーに乗り込み、空港へ出発。
すると、さっきゴミを出したゴミ捨て場で、チョリータがゴミをあさっていた。
僕が出したゴミ袋から、何か使えるもの(売れるもの?)を選んでいるようだ。
そのゴミ袋、今朝まで僕が見につけていた靴下やパンツも入っているのだけど・・・

帰国前特にバタバタしたけど、たのしい思い出がたくさんラパスでできた。
これも隊員のみなさんと、活動先のみなさんのおかげです。感謝申し上げます。

帰国時の荷物

2012-01-04 | 帰国準備
写真にあるとおり、大小4つで帰国することにした。
(この荷物のほか、ダンボール2個(合計18キロ弱)をボリビアから日本に送っている)

内訳としては
・スーツケース(特大) 重量20キロ程度。
・バックパック(まあまあの大きさ) 重量18キロ程度。
・キャリーケース(機内持ち込みができるサイズのもの)
・ビジネスバック
である。ビジネスバック以外は、日本から赴任した際に持ってきたものと同一である。
ビジネスバックは、ボリビアで購入した。200Bs弱だったか。

荷物もかなり綿密に重さを測って、超過料金を取られないで済んだ。

これから帰国される方へアドバイス。
荷物の整理や荷造りは、本当に面倒くさく、そして時間がかかります。
早めに取り組みましょう!

紅白歌合戦なう

2011-12-31 | ボリビア ラパスでの生活
12月31日。
帰国前で荷物が散乱している。果たして無事に帰国できるのか??

そんな中、あと1週間しか住まないボリビアの自宅で、今紅白歌合戦を見ている。
日本とボリビアの時差は13時間。ボリビアでの紅白歌合戦は朝6時15分からである。
早い時間ではあるが、しっかり起きて、紅白歌合戦を見ている。
だけど、朝に見る紅白歌合戦は、何かヘンなカンジがする。
(ちなみにボリビア時間31日の夜にも再放送がある)

もうすぐ日本に帰るので、日本食をムリに食べる必要はないのであるが、
前に帰国した隊員からもらった「海苔」が余っているので、手巻き寿司を作った。
手巻き寿司といっても、具はレタス・きゅうり・ツナマヨ・卵、それだけだけどね。
(内陸国ボリビアで魚介類を期待してはいけない)
しかし大量に作りすぎた・・・いつまで食べ続けなければならないのだろうか?

それでは、2011年、たくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました。
そして2012年もよろしくお願いします。

チャカルタヤ山へ

2011-12-29 | ボリビア 旅行編
12月23日に正式に活動終了となった。
よって活動に行かなくてもいいので、時間はたくさんある。
しかし、そういう時に限って、仲のいいラパス隊員は全員旅行に出かけている。
遊ぶ人もいないので、一人でおとなしく帰国準備・・・

しかし、ラパス近郊だったら、旅行に行けるのではないか?
ということで、12月28日、ラパス近郊のチャカルタヤへ。日帰り。

チャカルタヤはラパス市内から2時間弱のところにある山で、標高5400メートル。
バスで5300メートルのところまではバスで登っていくことができ、あとは徒歩で登る。
しかし、当日チャカルタヤ山は猛吹雪。
登山といっても20~25分くらいの登山であるが、風も冷たく、たいへんな登山であった。
だけど本当に気持ちいい登山でもあった。ボリビア最後でのいい思い出になった。

ちなみにチャカルタヤは標高5400メートル。
標高がものすごく高いので、念のためソロチピル(高山病の薬)を持っていった。
しかし、(もちろん)高山病の薬は必要なかった。2年間のラパスでの高地順応の成果・・・

ちなみにチャカルタヤ、『地球の歩き方』にあるようなスキーはもうできません!

バスターミナルの利用料

2011-12-29 | ボリビア 旅行編
ボリビアでは、バスのターミナルで長距離バスを乗る際には、
バスターミナルの利用料を徴収される。ラパスだと2Bs(約30円)。
感覚としては、飛行機に乗り際の「空港利用料」みたいなカンジである。

この利用料、ラパス・サンタクルス等の大都市のバスターミナルだけではない。
小さな都市にあるバスターミナルでも同様に利用料を徴収される。
金額はターミナルによって上下はあるが、ラパスと同じくらいの金額である。
過去にトリニダに旅行に行ったときのこと。
トリニダのバスターミナルで利用料を徴収されるときに正直思った。
「こんなバスターミナルでも金取るの?」

しかもバスターミナルの利用料を払っても、トイレを使うときにはまた金を取られる。
1Bsくらいだけど。何か納得いかない。

僕は日本でも、高速バスをよく使っていた。
しかし日本の高速バス乗り場で、もちろん利用料を徴収されたことはない。
しかも日本のほうが設備は断然いい。トイレも金を取らないし。
こういうところで、日本はたいへんきれいで、すばらしい国だと思う。

【本日の画像】コチャバンバのバスターミナル

活動最後の日

2011-12-28 | ボリビア 活動編
12月23日。活動の最終日である。
本当に悲しい。Centro de Saludのどこを歩いても淋しく感じてしまう。
またどの乳幼児を見ても悲しくなる。本当にお別れをしたくない気分である。

「2年間お世話になったCentro de Saludに何か気持ちだけでも差し上げたい」
と思い、僕は車のおもちゃ、ぬいぐるみ、ガラガラなど、おもちゃをたくさん差し上げた。
Centro de Saludに来た乳幼児をあやすために、そして遊んでもらうために。
総額200Bs(3000円弱)もしていないが、僕のささやかな気持ちということで・・・

あとお世話になった医師、看護士等に、ささやかながらプレゼントをあげた。
日本の100均で買った箸や扇子など。みんな喜んでくれた。
逆に僕は、みんなからの寄せ書きと、写真たてをもらった。

そしてみんなで最後に昼食を食べた。
このときに所長がきちんと僕のことを紹介してくれたので本当によかった。
だけど、所長が言ったこの一言。
「○○(僕の名)はソーシャルワーカーというよりは、子どもたちの先生。
 いつも子どもたちに大人気でした・・・」
これはいかがなものか。

涙は出なかったけど、本当に淋しくCentro de Saludを去った。
お世話になりました。

【本日の画像】最後にみんなで食べた昼食。やはりお肉がいっぱい・・・