Takaakyのボリビアだより

ボリビアにおいて、ボランティアに励んで(?)いた、自称三十路イケメンリーマンのブログ。平成24年1月10日任期終了。

2010-04-30 | ボリビア サンタクルス
4月15日、ボリビア第2の都市・サンタクルス市でのこと。
ボランティアの懇親会があった。この時のことである。

サンタクルスは標高も低く、また暑い。
ラパスみたいにビールは泡立たないし、暑いところで飲むビールはうまい!
ビールだけでなく、ワインもけっこう飲んだ気がする。
よって飲みすぎてしまったのである。

しかも、あまり記憶にないのである。
懇親会の「世界にひとつだけの花」を歌ったところくらいまでは覚えている。
しかし、その後はほとんど記憶にないのである。

よって、次の日、いろいろな人から聞いた
・Ji長と仲良く(?)飲んでいた
・Ji長らとタクシーに乗って、ホテルに帰った
などというのは、ほとんど覚えていないのである。

ただ、Ji長を部屋に送っていったのは、なんとなく覚えている。
(だけど新米ボランティアの僕が、なぜエラいJi長のお世話をしたのかは不明である)

いや~、酒は怖いですねえぇ・・・。
記憶のないところで、ご迷惑をおかけした方には、本当に申し訳ない。
だけど今後も反省は生かされないと思います・・・。

だけど、泥酔状態の僕に落書きをしたK隊員。
もう少し年寄りを大事にしなさい!!!

【本日の画像】
サマイパタのメルカドで売っていた牛の頭と内臓。
ちなみに頭は35ボリビアーノ(約525円)と言っていた。意外に安い。


活動内容の計画

2010-04-28 | ボリビア 活動編
配属先の事務所へ。カウンターパートと会って、今後の活動の相談。

僕が今後したいと思う活動内容を、カウンターパートに提案する。
提案した内容は
・Centro de Saludの待合室で、家庭内暴力の啓発活動をしたい
・Centro de Saludの待合室で待っている時間に、家庭内暴力のアンケートをしたい

提案したのは、Centro de Saludの待合室では、いつも多くの人が待っているからだ。
内容が家庭内暴力であるのは、カウンターパートに指定されたからである。

その活動計画について、カウンターパートはすんなり了解。
しかし「一緒にやろう」とか、そういう言葉は一切なかった。
「勝手にやれば」くらいのカンジである。

それなら、こっちも勝手にやらせてもらう。
これから啓発活動やアンケートの準備に入ることにする。

選挙とアルコール

2010-04-24 | ボリビア ラパスでの生活
4月4日。ボリビアは知事と市長の選挙である。
だけど日本人である僕にとっては「そんなの、関係ねえぇ!!」。
普通の日曜日である。

買い置きのビールが無くなったので、昼食を兼ねて出かけることにする。
もともとボリビアは日曜日休みの店が多い。
しかし今日はより多くの店が閉まっているように思う。選挙だからだろうか。
だけどいつもよく行くボリビア料理の店は開いている。ここで昼食。

その後、散歩を兼ねてビールを売っている店を探す。
天気がよかったので、Plaza Avaroaで少し休憩。
アイスクリームを食べながら、ぼけっとしていた。
「こういう休日があってもいいね・・・」ちょっと幸せな気分。
そういえば、サンタクルスのPlazaではコーヒー屋(1杯3ボリ)がいた。
だけどラパスはいない。ラパスにもコーヒー屋がいるといいなあと思った。

少し肌寒くなったので、ビールを買って帰ろうと、スーパーに寄る。
ビールとお菓子を持ってレジに並ぶと、レジのお兄さんが冷たく言い放つ。
「今日はビールは売れない」
えっ・・・何で・・・選挙だから???

仕方ないので、帰りながらビールを売っている店を探す。
開いている店があったので、ビールを買おうとする。
すると店のオバサン、僕が背負っているナップサックを貸してくれという。
言ったとおりに貸すと、そのナップサックの中にビールを入れた。
そしてお互いに「にたっ」と笑い、お金を払って終了。

選挙の暴動を避けるために、アルコール類は売らないのであろうか。

ボリビアに来てからも、アルコールをほとんど絶やしたことがない僕。
これからは切らさないように、ビールは買っておこうと誓ったのであった。

【本日の画像】
シマウマとクロウマも選挙に協力しております。

健康診断

2010-04-23 | ボリビア ラパスでの生活
ボリビアに来て3カ月経過。
健康診断を受けるように指示がある。

僕は健康診断の前に、欠かさず行っている「鉄則」がある。これは
・前日の「禁酒」
・前日の「禁オナニー」
である。これは血液検査及び尿検査対策である。
この「鉄則」のおかげで、ここ数年血液検査及び尿検査に異常は出ていない。

しかし、ここボリビアで行う健康診断。
恐るべき検査項目がある。これは「検便」。
僕は便秘にはあまりなったことはないが、「下痢」はしょっちゅうある。
また形のいいバナナの形みたいなウンコは、めったに出ないのである。
つまり「ゆるい」のである。
よってウンコを取って容器に入れる、というのは僕にとって至難の業なのである。

ここで僕は事務所の健康管理員に質問をする。
(わたくし)「ゆるい」場合にはどうしたらいいのですか
(健康管理員)ゆるくても、ゆるいのを容器に入れて提出しなさい。
容赦がない・・・。

健康診断当日。
朝一番の尿を容器に取り、次は難問の「検便」である。
トイレの床に新聞を敷き、そこに用をたして、容器に取る。
作業時間5分程度であったが、どれだけ長く感じたことか・・・。
(ウンコの形態はどうであったかは・・・聞かないように・・・いつもどおりです)
そして検尿と検便を大事に持って、指定された病院へ。

検査結果はいつもらえるのかは知らないが、楽しみである。
(再検査項目がないことを祈るばかりである)

【本日の画像】
 ちょっと書いた内容が下品だったので、きれいなイリマニ山でお上品に・・・。
 ホームステイ先の窓から撮影したもの。

思春期問題セミナー(2)

2010-04-22 | ボリビア 活動編
この思春期問題セミナー、1日だけでは終わらない。4日間あるのである。
しかも朝8時半~午後4時近くまで、1日みっちりなのである。
(しかし、4日間とも、朝8時半に始まったことはない。ここは「ボリビア時間」)

1日みっちり行うからか、午前11時頃に休憩(飲み物とケーキ等のお菓子)、
午後2時ころに昼食(もちろんボリビア料理)が出る。

いつも隣に座ってくれた人(ボリビア人医師、男性)が、ほんとうに優しかった。
この人は琉球大学に3ヶ月間研修(JICA関係か?)に行ったことがある人。
またスペイン語があまり分からない僕に対して、隣で熱心に教えてくれる。
優しい単語で、そしてたまに日本語も混ぜながら教えてくれる。
「僕が教えてあげるから、君は日本語を教えてね」と言われた。本当にうれしい。
また「スポーツは何が好き」と聞かれ、「僕は日本で水泳をやっていたんだよ」と答える。
すると週末一緒にプールに行こうと誘ってくれる。
本当にいい人だった。

ボリビア人医師にまじって、1人日本人の僕。日本のことについて、色々聞かれた。
例えば
・ ご飯の上に箸を立てるのはどうしてだめか。
(何でこんなこと知っているの?ボリビア人は箸に興味を持っているようだった)
・ 茶道で、茶碗を回すのはなぜか。
(さあ、何ででしょう?茶道をしたことをない僕には???)

いちばん困った質問。
これは「日本人の医者はいくらくらい給料をもらっているのか」。
僕は医者じゃないので、こんなことは知らない。
どれだけ日本人医師の給料を低く見積もっても、ボリビア人にとってはいい金額。
日本とボリビア、物価水準が違うから、給料など簡単に比較はできない。
ボリビア人医師は、みんな日本の医者の給料に関心を持っているようだった。

4日間を通して言えること。
このセミナー、スペイン語劣等生の僕にとっては本当に針のムシロ。
本当にボリビア人医師が何を言っているのか全く分からなかった。
しかし、出席者の人はみんな親切。
僕の名前もきちんと覚えてくれて、また色々話しかけてくれて、本当にうれしかった。

しかし、スペイン語をもっと勉強しなければ。
ボリビアに来て早3ヶ月、もうそろそろ「ボリビアに来たばかりです」とも言えない。
このようなセミナーに出て、全く理解できないのは、もう限界・・・。

【本日の画像】Plaza Avaroa

思春期問題セミナー(1)

2010-04-21 | ボリビア 活動編
3月22日夕方。また事務所からセミナーの出席指示の電話がある。
「また、セミナー?」
疑問に思いながらも、従順な僕はもちろんOKする。

3月23日。事務所から指示された場所付近へ行く。
だけど会場である建物が見つからない。
仕方ないので、近くにいる警察官に聞くと、丁寧に教えてくれる。

「あった・・・」僕は会場のある建物の前でぼそりと言う。
すると、ある男性(ボリビア人)が僕に言う。
「さあ、行きましょう」
この男性に連れられて、僕はセミナーの会場へ。
だけど、僕はこの男性を知らないし、その男性も僕のことを知らないはずだ。
「う~ん、謎。」
だけどこの男性、セミナー中ずっと僕に気を使ってくれて、本当にいい人だった。

会場に行くと、僕より年長の男性女性ばかり。しかも医者ばかり。
よって僕も当初は「日本から来た医者」とカン違いされていた。
ある人が僕に言う。
(ある人) 僕も医者じゃないから、心配しなくていいよ。
(わたくし)何をしているのですか。
(ある人) 歯医者。
医者と一緒です・・・。

このセミナー、開始時刻は8時30分。
会場の場所が見つからず迷っていたため、40分以上の遅刻。
しかし、セミナーは開始していなかった。
開始したのは9時25分。やっぱり「ボリビア時間」である・・・。

自分の存在価値は?

2010-04-19 | ボリビア ラパスでの生活
日本では年度末が過ぎ、そして年度初め。
ボリビアでボランティアをしているはずの僕は、相変わらず活動先でやることはない。
活動先に行って、その活動先で本を読んだり、患者と雑談したりする日々が続く。
ただ、こんなにゆったりした年度末・年度初めを過ごしたのは久しぶりである。
僕は国家公務員。日本にいる時は、年度末や年度初めは特に忙しく、戦争のようであった。
だから「こんな年度末、年度初めもいいね」と思った。

しかし、根本的な問題に気付く。
別にやることもないのなら「ボランティアに来た意味があるの?」と思う(時もある)。

しかし、そんなことは僕には関係ない。

僕は日本にいるときは国家公務員として、バリバリと仕事をしていた(と思う)。
今ボリビアで、日本にいるような仕事を今は全くできていない。
しかしこれもいいと思っている。

ボランティアをしに、僕はボリビアに来た。
だけどこの2年間は、僕的には自分を見つめなおす、そして今後の活力を作る期間。
2年間大事に、そして自分の経験を生かしながら、過ごしていきたい。
だけど2年間の期間で、必ず何かを残して、ボリビアを去りたいと思う。

自分の存在価値はあった、と言えるように、がんばっていきたいと思う。
だけど急がず、肩の力を抜いて、そして楽しく・・・ネッ!

【本日の画像】
選挙期間中にPradoであったエボ・モラレス大統領の人形


乳幼児の栄養講座

2010-04-17 | ボリビア 活動編
今後の活動内容について、カウンターパートと打ち合わせをしようと思い、事務所へ。
しかし、カウンターパートは不在。あら・・・失敗・・・。

栄養士隊員とそのカウンターパートが、ある病院(Centro de Salud)に行くという。
同行させてもらう。

栄養士隊員のカウンターパートが病院の待合室で栄養講座(ミニ講座)をしていた。
小さな病院(Centro de Salud)なので、待っている患者等もまばら。
だけど、患者さんたちは、けっこう一生懸命聞いていた。

僕が現在活動している病院(Centro de Salud)は、けっこう大きい(らしい)。
いつも病院の待合室で大勢待っている。
この光景を見て、待っている時間中に啓発活動ができないのか、考えていた。
(僕はソーシャルワーカーなので、もちろん栄養講座はしない。内容は別)

今回の栄養講座、たいへん参考になった。

【本日の画像】
今回、栄養講座を行ったCentro de Saludではありません。

現地生活費問題(1)

2010-04-15 | 現地生活費問題
今、僕にとって大きな問題が生じている。
それは「現地生活費が引き出せない」のである。

僕はボランティアといいながら、生活費の支給を受けている。
これが現地生活費である。
その現地生活費を、4半期ごとに3カ月分まとめて支給を受ける。
4~6月分は、4月2日に振り込まれた旨の通知(メール)を受けた。

しかし、この振り込まれた現地生活費が、引き出せないのである。なぜだ!!!

現地生活費の引き出しについては、次のような手順である。
1 日本の事務所から東京三菱UFJ銀行信託会社の口座に現地生活費が振り込まれる
2 ボリビアで小切手を切り、ボリビア国内で開設した口座に振り替える
3 小切手を切った金額が、ボリビアの口座に振り込まれる
4 ボリビアの口座から現地生活費を引き出す

しかし、この小切手を切ることができないのである。
理由は僕らボランティアを管轄するボリビア事務所の事務の不手際である。
この点については、ボリビア事務所は不手際を認めている。

ここで問題は、現地生活費が引き出せないので、生活費がないのである。
日本からボリビアに来た際に、多少の現金は持ってきた。
またボリビア事務所が指示した金額はきちんと持ってきた。
だけど、これは現地生活費がきちんと振り込まれる前提での額。よって足りないのである。
今後の生活に支障が出る可能性が高い。

だけどボリビア事務所は何の対応もしない。
しかも、今回の現地生活費の引き出し不可について、一切公式に説明をしない。
どういうつもりなのだろうか。

きちんと、現地生活費が引き出せない事態になった経緯と、
今後のボリビア事務所の対応について、きちんと説明を引き出したい!!

(つづく)

【本日の画像】
ラパスのPradoでよく見かける、この「シマウマ」。
いったい何者なんでしょう?
このシマウマもカメラを向けると、きちんとポーズをとってくれました。

オルロ日本祭り(2)

2010-04-14 | ボリビア 旅行編
オルロ日本祭りの前日の夕方、「嵐」メンバーが連絡所に集結。合同練習である。
僕は「youtube」の動画を見て練習を何回かしたが、全く覚えられないでいた。
しかし僕以外の「嵐」メンバーは、きちんと予習ができている。
やっぱり隊員は真面目な人が多い!(僕はフマジメな人種です・・・)
しかも、クラワラ隊2名は、停電の時も練習したという熱心さ。びっくりしてしまう。
連絡所で嵐メンバーは一生懸命練習。僕も老体にムチを打ち、がんばりました!
よって夜10時終了の目標もきちんと達成でき、翌日の本番へ。

翌日、オルロ日本祭りのあるオルロへ移動。
僕は、はじめての遠出、はじめての長距離バス、はじめてのテルミナルである。
テルミナルまで自宅から歩いて20分くらいでいけるかな、と思ったけど、けっこう遠い。
集合時間より少し遅刻してしまった。申し訳ない・・・。

オルロ日本祭りで、嵐の「One Love」を披露する。
1日目(土曜日)はギターにあわせて、4名で踊るというもの。
2日目(日曜日)は映像に合わせて、5名で踊るというもの。
2日目は、コスプレをして踊ることができたので、これはうれしかった。
やっぱり、ステージの上に立って何かするのは、ほんとうに楽しいし、気分がいい。

「オルロ日本祭り」とあるが、よく見ると「日本アニメオタク祭り」といったカンジ。
だけど、日本文化の紹介もきちんと行う。
折り紙、けん玉、命名漢字(ボリビア人の名前を漢字で置き換えるもの)などなど。
僕もヘタクソな字で、命名漢字をさせていただきました。

今回の「嵐」メンバーで、一番人気だったT君。
人生最大の「モテ期」到来で、最高の気分だったに違いない。
三十路男の僕から見たら、うらやましい限りであるし、くやしい限りである。

【本日の画像】
 たくさんのボリビア人女子に囲まれ、ご満悦なT君。
 彼にとって、最高の1日だったに違いない。