歌の世界から芝居の世界へ・・・
俺・・・25歳の時だった。
そこで、ある大物俳優と出会い役者の修行が始まった。
ドラマ・映画の現場にも付く事が出来た。
リハーサルでは毎回違う芝居をして、最高のリアリティーを本番に仕掛ける。
そんな現場は・・・俺にとって今までにない刺激の空間と時間だった。
今でもその、ひた向きでストイックな役者意識は、俺も持ち続けている・・・つもりなのだが・・・。
2013年4月14日 午前9時18分 病名・急性呼吸不全
俳優・三國連太郎 没 享年90歳
俺は、今でも忘れられない三國さんとの思い出がある。
それは、芝居とか役者とか修行とか・・・そんな事ではない。
それは・・・
あるスペシャルドラマの撮影が終わり、後は何もないので俺は当時、芝居の稽古をしていた稽古場に向かおうとした。
すると三國さんも顔を出すという。
そして・・・
三國 「たかし君、お腹は減ってないか?」
澤田 「えぇ・・・少し・・・」
三國 「んじゃ少し食べて行こう」
と、言う事になり、とある駅近くの商店街へ・・・。
すると、迷う事なく「スッ!」と店に入った三國さん。
俺は・・・「えっ?」
だが、それ以上に店側が
そんな状況の中、俺たちは食事を済ませ店を出た。
三國さんが食べた物・・・「天ぷら蕎麦」
俺が食べた物・・・・・・・・「天ぷら蕎麦」
二人が入った店・・・・・立ち食い蕎麦屋。
そして稽古場に行き、稽古生たち全員が食べた物・・・・
出前をして取り寄せたその物とは・・・・・「カツ丼」 だった・・・
その後、俺は微妙な精神状態で稽古をしたのだが・・・
あの時の事は忘れる事が出来ない「俺の1枚」となっている
これは、後にも先にも1枚しかない直筆の三國さんのサインだ
たかし君
三國連太郎
当時、出来立てホヤホヤの「白い道」だ
なかなか「味」が出てきている一冊となった。。。
※ちなみに、親鸞も三國さんと同じ「90歳」で没している。
三國さん・・・・・お疲れ様でした。。。。。
親交のあった「西村 晃さん」・「藤本儀一さん」・・・
そして、「緒形 拳さん」たち役者仲間と語り合って下さい。
ありがとうございました!! 澤田 誠志
合掌
三國さんに師事していらした澤田さん、本当に残念でしたね。
それでも思い出がたくさんあって良かったと思います。
この思いではなにものにも替えがたい貴重品ですね。
そういえば内野さんも1999年に「虹の岬」でご一緒されていました。
あの時はまだ、舞台の内野聖陽にしか興味がなく、随分あとになって
この映画を見ました。
同じ1999年に「北の阿修羅は生きているか」をみていましたので、
うって変わった「虹の岬」の初々しさに驚いたものです。
内野さんにとっても懐かしい作品であり、ご一緒できたことに喜びを感じていらっしゃるのではないでしょうか。
このところ「巨星逝く」が続いて、代替わりの時期にはいったのかと
昔人間は寂しい思いをしています。
そうですか・・・
共演したのは知りませんでした・・・。
近々に「芸・劇」に行ってきますので
「虹の岬」・・・聞いてみます。
「おのれナポレオン」でしょうか。
そういえば誰かが「おれのナポリタン」と言っていました。
まさか澤田さんではありませんよね(笑)
私はプレビューからすでに3回行きました。
いつものことですが、すこ゛ーい観劇回数になりそうです。
友だちが「誕生日祝いにこれしかないでしょう」といって
チケットを贈ってくれますので、今回はスーツ1着諦めるだけで
賄えそうです。
「おのれナポレオン」野田さん扮するナポレオンにかき回されて
ロウ総督のナポレオンに対する愛憎、畏怖と軽蔑、
あらゆる感情が渦巻く様は見事でした。
楽しんで来て下さいませ。
ひょっとしたら私、お隣の席で大笑いしているかもしれませんね。
なるほど・・・・
舞台は凄い評判なんで楽しみです
笑い満載らしいですね・・・
楽しみ楽しみ