太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

蒲団部構造(8)四国山地・大月の「ちょうさ」

2021年01月28日 | 研究

徳島県三好市(旧・三好郡)山城町・大月太鼓台

大月地区は、土讃線・阿波川口駅近くの旧・山城町役場(現・山城支所)から吉野川の支流・伊予川(銅山川)沿いに約6kmほど愛媛県方面へ西進し、国道319号線より橋を渡った対岸にある。大月地区に鎮座する四所神社の〝大月祭り〟には、戦前の盛んな頃には氏子域の谷筋毎に豪華な5台の太鼓台が奉納されていたという。現在は神社お膝元の大月地区で1台だけが奉納されている。徳島県西部の旧・池田町や旧・山城町の各地区には太鼓台が数多く運行されていた。「阿波の祭りと民俗芸能」「徳島県における祭礼山車の展開-文化交流史の視点から(共に高橋晋一氏等には、その分布概要が記されていて大変参考になる。

大月太鼓台の遺されている記録等を時系列で示すと以下のようである。

・蒲団部の最上段(8畳目。雲形文様の刺繍の裏地)に年号等記載⇒「安政五(1858)年 午七月吉辰 施主 藤原惣五良重信」

本来であれば5畳・7畳といった奇数の蒲団枠が普通であるが、偶数8畳の蒲団枠の存在は珍しい形態である。この最上段8畳目は蒲団枠ではなく、元々は薄い構造であった蒲団押さえが変化したものではないかと考えている。愛媛県西条市には、8畳の蒲団枠となっている太鼓台(みこしを含む)がある。大月の太鼓台も、もしかすれば彼の地との関連があるのかも知れない。この8畳目の蒲団枠に、写真のように雲形文様の刺繍が、赤布の上から巻き付けられている。2枚目の蒲団枠の構造写真からは、後の時代のこの規模の蒲団枠に備わっている閂(かんぬき)が無い。私たちは伊吹島太鼓台で、閂の無い蒲団枠を確認している。伊吹島の太鼓台は大坂直結の太鼓台であるが、これまでの調査では、古い蒲団枠は文化2年(1805)まで遡ることが出来る。その時代の伊吹島の蒲団枠は四辺がバラバラであった。隣り合った辺同士は、凹凸のひっかけで連結している。しかし蒲団枠同士の連結には、大月に備わっているような四隅の三角の固定材は無く、別な枠木を蒲団枠内部にはめ込むことで、積み上げた蒲団枠が崩れないよう固定していた。ここに掲げる大月の蒲団枠同士の結合には、枠四隅の三角の枠固定部分を固く結び合わせ、蒲団枠全体を一体化させている。蒲団〆は、次項の保管箱の蓋書きにあるように明治15年製である。4枚目は、太鼓台の全景で昭和60年当時のもの。後方の大樹は、大月・長福寺の大イチョウ(県の天然記念物)

・蒲団〆・水引幕の箱書き⇒「明治15壬年(1882)旧九月吉日」

前項の蒲団〆とこの水引幕は、1882年から撮影時の昭和60年(1985)当時で、既に100年近くが経過している。幕は部分的に欠けている部分もあるが、現在も現役で使われている。刺繍の内容も、所謂武者ものの物語となっている。袴の沢瀉(おもだか)紋や胸元の笹竜胆(ささりんどう)紋などから、恐らくは源頼光にまつわる物語からのものであると思う。(源頼光と卜部末武主従の追手から、自らの召喚獣である悪龍を出し、その隙に逃れようとする鬼童丸をテーマに表現していると推定。参考『四天王剿盗(しょうとう)異録』

・昼提灯の購入年(口伝)⇒「明治23年、観音寺から」

1枚目の写真は大月の昼提灯で、2枚目は大月の昼提灯と兄弟提灯の西山太鼓台の昼雪洞を並べて比較した「太鼓台文化の歴史展」での一コマ。大月および西山の両地の関係性については、別稿で詳しく述べられているのでご参照いただきたい。

※昭和60年頃の大月太鼓台

※下の画像をクリックすると、本ブログのこれまでの投稿内容一覧表に移動します。

(終) 

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太鼓台文化を仲立ちとした、「貢献・信頼・交流」のキャッチボールを!

2021年01月26日 | 随想

以下の画像は、2020.11.1「讃岐獅子舞シンポジウム」のパネリストとして発表した際のプロジェクタ画像です。

①㌻から㉓㌻まで23枚あります。順を追って眺めていただければ、表題に掲げた〝太鼓台文化を仲立ちとした、「貢献・信頼・交流」のキャッチボールを〟の意味合いがご理解いただけるものと思います。なお、主なページの概要を下記に付記いたしますので、ご参考ください。

②③→近未来における〝厳しい人口減少の予測〟の中、伝統文化(太鼓台)でコミュニティーや郷土を活性化できないか。 ⑤~⑦→太鼓台分布の現状理解と発展過程 ⑧~⑰→大型・豪華太鼓台の地方として、歴史を追体験できる発展途上の貴重な太鼓台を数例紹介している。 ⑱→太鼓台の二極化について、発展過程の表を用いて、その分岐点を示した。 ⑲→「貢献・信頼・交流」のキャッチボールを図式化した。 ⑳→文化圏と郷土に対する課題点を洗い出す。 ㉑→太鼓台を活かす「積極的思考」を、<地域>と<行政>の双方から熟考してみた。

 

これらの中から、㉑㌻の画像が当日発表のキモとなっていますので、若干の補足説明をさせていただきます。

地域の全ての老若男女に愛されてやまない「伝統文化・太鼓台」を、もっともっと身近な存在として〝郷土の活性化〟に活かすことができないか。二百年も続けてこれた文化であるからには、私たちの太鼓台への想いは、深く心の奥に刻み込まれているはず。しかし、じっと座して待っているだけでは、太鼓台の方から〝活性化エキス〟を持って訪れてはくれない。人間の私たちの側から〝行動力と積極的思考〟を巡らせて、実際の行動を我慢強く継続していかなければならないと思う。その〝積極的思考〟の例示が、㉑㌻である。

まず私たちの地域において人的にも面的にもとてつもなく広大に存在している太鼓台文化の〝郷土活性化・エキス〟は、黒枠で囲んだ「地域一丸運営」と「行政サイドの積極的な関り」の両輪に潜んでいると私は見ている。例示した両輪の各項目を、ブルーの矢印に沿って左から右、右から左へと検討を進めて行き、中央の赤枠文字の「貢献・信頼・交流のサイクルを回す」に帰結させ、私たちはそのサイクルを連続して回していく。私たちの郷土が、何がしかの「時間と工夫とお金」を投資してこれらの活動を継続していけば、広大な太鼓台文化圏各地との〝貢献・信頼・交流〟のサイクルが順調な軌道に乗るのではなかろうか。郷土と文化圏各地との関係は、歴史豊かな〝太鼓台文化〟によって固いきずなで結ばれる。太鼓台文化に内包する〝活性化エキス〟は、「郷土を含む太鼓台文化圏へ分け隔てなく、あまねく降り注ぐのではなかろうか」というのが、このページの本旨である。

それでは、左方の“今まで以上に「地域一丸運営」を推進するの取組み例に関して、左端から順に理解を深めます。

◦地域の中で、太鼓台ほど“年齢・性別・社会的及び経済的な階層を超越しているものは見当たらないように思う。太鼓台運営を、近未来の縮小社会を見据え〝現在の若者中心の運営から、老若男女の全ての世代が太鼓台の運営に関われるよう変革していく〟必要がありはしないか。これまでの時代のように、有り余る潤沢な人力や経済力は、もはや期待することが出来なくなるのではないか。

◦地域の中に、現役世代のパワーとお年寄りの活力を共存さすことが肝要である。お年寄りを大切にすることと、太鼓台文化を後世に伝承していくことは、全く別次元の話ではない。お年寄りたちはそれぞれのコミュニティーの大先輩である。お祭りの太鼓台を見つめる目の輝きを、私たちはよく知っている。太鼓台には“人を若返らせ、やる気を喚起するパワーが秘められている。お年寄りの活力は、文化伝承者である若者や子どもたちの、男女を問わない存在同様、地域にとっては大切な宝物である。

◦次代の後継者は子供たちである。太鼓台を若者たちだけの〝おもちゃ〟(私たちの文化圏では、「ちょうさは、大人のおもちゃ」などと揶揄してよく言われた)に貶めてはならない。全ての世代が地域の発展のため、伝統文化・太鼓台を後世へ守り伝えていくために、一致協力できる体制を子どもの頃から育んでいく必要がありはしないか。

◦自治会やそれを束ねる公民館エリアの65歳以上の高齢化率は、40%を超えている所が多くなってきた。人口も激減しつつある。特に本市のようなでは、若者たちのコミュニティー離れが半端ではない。いつまでも高齢の方々たちだけにコミュニティーを任せきりにして、果たしてそれでよいのだろうか。太鼓台運営に力を発揮している若者たちの〝若い、斬新な活力〟が、地域にとっては喉から手が出るほど必要なのが、ちょうど今の変革の時代」ではなかろうか。組織的ほころびの見える地域のコミュニティー活動に、伝統文化継承に力を発揮できる若者たちの活力あるパワーを注ぎ込むことが出来たならば、地域は飛躍的に変わってくる。言うまでもなく、太鼓台を伝承していくことと地域の活性化は、このように深くつながっている。

◦これほど人々から愛着を込めて親しまれている太鼓台でありながら、その文化の中で暮らす私たちは、余りにも〝太鼓台のことを、知らなさ過ぎる〟のではないか。なぜ、自らが誇りとする文化に対して、分からないことを克服し、真理を探究し、そのことを周りの人々と共有しようとしないのか。伝統文化の継承に最も大切なものの一つとして、何事にも片寄ることのない客観性の高い〝太鼓台文化の歴史を理解すること〟が挙げられるのではなかろうか。ふるさと近郷のように、夥しい数の太鼓台が各地区に在り、なお且つ普遍的存在の文化であるからこそ、「地域総がかりでの、太鼓台文化に対する正確な知識の掘り起こしが、極めて大切である」と確信している。

◦他地域太鼓台と自地区太鼓台との良好な関係性を育んでいくことも、超高齢化社会が迫り来る今後は、ますます重要になってくる。現在においても、祭礼日の異なる地区同士の〝舁き夫の貸し・借り〟等は、既に各地区間で見受けられることながら、古くは江戸時代の古文書にも同様の地区間協力のことが書かれていて、近郷各地区の太鼓台運営には、さまざまな工夫のあったことが知られている。太鼓台文化を継承していく土地同士は、相互に助け合う協力体制を大切に維持していくことが肝要である。

次に、右方の行政サイドの「積極的な関り」を推進する”に関して、右端から眺めていきます。

◦ふるさと近郷の太鼓台文化エリアは、自他共に認める絢爛豪華を代表する地域である。そのような地域の中で、文化圏を代表して舵を取るべき行政は、一体どこなのか。その判断基準は人により異なるとは思うが、私は〝太鼓台を飾る豪華刺繍の故郷〟と位置付けられる市や町であるべきと考えている。なぜなら、中讃・西讃・東予及び西阿の太鼓台は、全国的な大局的観点から眺めても、飾られた刺繍に最大特徴があり、別名〝刺繍太鼓台〟と言っても過言ではないからである。また、〝太鼓台保有密度の高さも大きな理由である。勿論それらだけではなく、そこに住む市民には太鼓台文化に対する〝熱い思い入れ〟が求められると思う。該当する市や町の行政当局には、広大な文化圏のリーダーとしての気概を持ち、幾世代を経てもなお継承が続く自エリアの太鼓台文化(地域の象徴であり、宝物)を通じ、この文化圏の旗頭や調整役を買って出てもらいたい。

◦左方の〝地域一丸の運営〟の項でも触れているが、歴史豊かな太鼓台文化を大切なものとして伝承していくためには、地域の努力だけではなく、フォローやバックアップに努めるべき行政との密接な協力関係が欠かせない。未だに「太鼓台は祭祀に関係するから、行政は立ち入らない」と言うのであれば、地域崩壊が進行しつつある近未来、全くもってナンセンスのそしりを受け兼ねない。伝統文化を大切に守り伝えていくことこそ、文化行政の本旨ではなかろうか。

◦当該行政自らが〝太鼓台文化圏のリーダー〟としての立場を強く認識し、その活動を本気で取り組もうとするならば、先ずは太鼓台文化を比較的容易に発信しやすい事象から、果敢に取り組んでいくべきである。費用もそれほど掛からないインターネットでの情報発信を行っていくのがよいと思う。その際に注意すべき点は、発信する情報が、自らのエリアの太鼓台に都合の良い我田引水に用いるのではなく、各地が等距離となるような〝公正で客観的な視点〟に徹するという点である。より公正さと客観性が高く、より〝真理〟に近いネット発信は、これから先の各地との信頼関係構築に必須である。これは、太鼓台間で優劣をつけない、差別化しない、仲間意識を強固に発展していくための「基本姿勢」である。文化圏各地からの好感・期待感・信頼感等が得られないならば、文化圏全体としてのみならず、そこに住む私たち自身も〝前進〟することは期待できず、それまでもそれ以降も、全ての取り組みは水泡に帰す。

◦広大な文化圏各地を眺めても、〝そこへ行けば、一通りの太鼓台文化を学べる〟といった集中して学べる環境が、どこにもない。これはもう、〝太鼓台専門図書館〟の出番以外にないでしょう。「あの町の、あの場所へ行けば、太鼓台文化を学べる」場所の提供こそが、文化圏各地の人々には、魅力ある場所(聖地?)となるのではないでしょうか。関係図書の集積や、希少書籍等のコピー収集等についても、当該行政が実施すれば、信用度や責任の所在の高さからしても、私たち個人が行うよりも容易に進められる。

◦太鼓台文化解明に資する研究論文等を毎年継続して募集し、その成果をまとめ〝データーベース化していただきたい。これまでの文化圏では、一部に製本化した論及等もあるにはあったが、いずれも継続したものではなく、単発的・無系統の体裁に終わっている。太鼓台文化の客観的・継続的解明に関して、ここが他の伝統文化と比較すると、立場的に極めて弱いと思う。個々の研究者の論考を、若い研究者に提供することも、文化圏のリーダーとしての責務である。

◦ボランティア活動の計画・実施に関しては、私には強い思い入れがある。幸いなことに、私たちの近郷では〝太鼓台の廃絶や休止〟となる状況は、今のところ殆どない。しかし文化圏を見渡してみると、若者の減少や地域の高齢化など、或いは限界集落化などで伝統が途絶え、やむなく多くの太鼓台が消滅していった。その大部分の地域に伝えられていた太鼓台は、比較的中規模以下の大きさや簡素なたたずまいの太鼓台たちで、これらの太鼓台は、間違いなく巨大・豪華に発達した私たち近郷太鼓台の〝先輩格の太鼓台たち〟であった。残念にも私たちは、先輩格の太鼓台から〝客観的に学ぶことのできた多くの情報〟を失ってしまった。私たちが、もし消滅していった太鼓台たちを、この目で確かめ手で触れることが出来ていたとすれば、太鼓台文化の解明にも大いに役立てることが出来たかも知れない。廃絶や休止の危機にある太鼓台たちを救うため、もう少し早い時代にボランティア活動が出来ていたなら、と悔やまれて仕方ない。文化圏の舵取り役となる行政は、文化圏全域に目配りのできる〝太鼓台文化圏のリーダー〟であって欲しいと願う。

◦年代物の太鼓台文化遺産を定期的に展示して鑑賞できることは、大変意義深く大切なことだと思う。展示スペースや展示する品々は、例え狭く小さな小規模のものでも良いと思う。近郷のエリアに、どのような遺産が大切に伝えられているかを知ることだけでも、過去を知らないこのエリアの人々には、自分たちの太鼓台文化の移り変わりが理解でき、現在しか知らない若者たちにとっては、文化継承の大切さや再発見が感じられるものとなる。

◦貴重な文化遺産の散逸を防ぐため、エリア内の年代物の太鼓台文化遺産の収集・管理に努めて欲しい。遺してくれていれさえすれば、後の時代にも判明することが多々ある。無くなってしまえば、自エリアだけでなく、文化圏全体にとっても大きな損失であり、歴史や文化の解明はそこで止まってしまう。難しい問題だと思うが、その受け皿設置をぜひ模索し構築していただきたい。

◦他の伝統文化等との協力やコラボレーションも絶対に必要である。太鼓台同様、獅子舞やだんじりなどの伝統文化も、伝承や運営に危機感を持っている現状があるからだ。太鼓台文化とそれらの伝統文化の間の橋渡し役・調整役を意識することも、行政には大きな役割である。双方の伝統文化の間に立ち、連携して問題解決を推進していかなければならないと思う。

最後に、表・中央の“「貢献・信頼・交流」のサイクルを回す”の真意について、理解を深めていきます。

ここでの貢献とは、文化圏の各地から〝文化の先進地・舵取り役〟とみなされている私たちのエリアから、文化圏各地の太鼓台や人々に対して行う、さまざまな支援的行動を指している。それは、立ちいかなくなった太鼓台の復活支援であったり、専用図書館の開設などの学術的支援、年代物の文化遺産を紹介・展示すること等であったりの〝対価を求めないリーダーシップ〟を発揮する活動である。決して無理強いして押し付けたりするのではなく、それぞれ互いの行政の立場を尊重し、指導や調整を、文化圏全体が望ましい方向となるよう、貢献していくべきである。このような調整役は、〝太鼓台文化先進地の行政と、多数の太鼓台保有地域のコラボ〟でしか、務まらないと思う。

信頼とは、貢献する私たちのエリアに対して寄せられる、文化圏他地域からの期待を伴う良好な好意的感情である。但し、信頼を得ようとして、あからさまに貢献がましく振る舞うべきではない。自然体の貢献にこそ、地域間の良好な関係が構築でき、自然な信頼が生まれてくるものと思う。

そして、交流についてであるが、私たちの行政と私たちのコミュニティー及び文化圏各地をも巻き込んだ、「ごく自然体の貢献する姿勢」に対し、広大な文化圏の各地から、感謝を含む期待感や好感と共に、熱い信頼感が寄せられることだろう。私たちエリアからの地道な文化圏各地への継続した貢献姿勢に対し、各地からの私たちのエリアに対する期待感は飛躍的に高まり、ここに「貢献⇔信頼⇔交流」のループ的レールが構築され、そのサイクルが次から次へと廻っていく。文化圏各地からは、私たちのエリアを〝太鼓台文化のふるさと〟として、また、同じ太鼓台文化の仲間の住むエリアとして、親近感を抱く〝リピーター〟になっていただけるものと想像する。

このような飛躍したと思われ兼ねない「思考」は、決して絵空事のものではない。本表のごとく、太鼓台文化の先進地を自認する私たちの地域と行政が一丸となって、太鼓台文化圏各地と真剣にタイアップしていけば、人口減少・超少子後継かという厳しい近未来においても、地域コミュニティと伝統文化の双方・活性化が継承可能となるものと思われる。同時に、本表に見る左右それぞれからの〝飛躍的思考・大いなる挑戦〟は、私たちが永い間に培ってきた太鼓台文化(文化的地域資源)を通して、文化圏各地へ貢献できる〝またとないチャンス〟となるのではなかろうか。

私たちの地域が、その持てる「地域資源」を駆使して、厳しい今後を切り開いていける道筋は限られており、今がその時ではないかと推測している。地域全ての人々が一丸となれる「地域資源」の在る有難さを、私たちは実感し、果敢にこれからの厳しい時代を乗り越えて行かなければならない。

(終)

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蒲団部構造(7)幕末期の太鼓台、大野原町田野々(たのの)の「ちょうさ」他

2021年01月19日 | 研究

初めに

観音寺市大野原町田野々地区は、H18年に国の重要文化財に指定された豊稔池堰堤(ほうねんいけ・えんてい)から更に奥まった田野々盆地にある。江戸期には、讃岐国豊田郡・中姫大庄屋(現・大野原町)からは山間部に位置し交通が不便なこともあり、その支配は、山道を下ってより近かった〝豊田郡・和田(豊浜町)庄屋・預かり〟となっていたと聞く。過去にこのような地縁的なつながりがあったことも影響したのか、安政5年(1858)に造られた豊浜町関谷(せきや)地区の〝ちょうさ(太鼓台)〟を、後年、田野々地区が購入することになったのかも知れない。現在の「田野々ちょうさ」は、私が最初に見た関谷から伝えられた太鼓台からすると、三代目の太鼓台となる。ここで紹介するのは、安政5年(1858)に豊浜町関谷地区で造られ、後に田野々地区氏神・鎌倉神社の祭礼に担ぎ出されていた年代物の初代の太鼓台が主となる。また規模比較の対象として、この初代・田野々太鼓台に近い時代に活躍したと思われる近郷・他地域の同時代の太鼓台も、数例紹介したい。その過程で、現在最も発達した西讃・東予地方の幕末から明治・大正時代の規模や蒲団部構造が、百数十年後の現在、どのようであったかが理解できるものと考えている。

昭和60年(1985)当時、私は田野々地区の農協倉庫に眠っていた田野々初代と思われる安政5年製の旧・井関太鼓台の貴重な〝遺産〟を確認している。旧・井関太鼓台(倉庫の片隅で半ば放置されていた太鼓台)で使われていた蒲団〆が、田野々・二代目太鼓台に使われていたのを確認している。そして既に使われなくなった〝安政5年製の太鼓台関係の品々〟が、廃棄されるのを待つように、倉庫の片隅に放置されていた。それらの中で注目したのは、当時の二代目太鼓台の掛蒲団に改修されて使われていた幅の狭い龍の蒲団〆、放置されていた唐木部分、同じく使われなくなった竹籠製の蒲団枠、古い道具箱等であった。コンクリート敷きの土間的倉庫ではあったが、放置されていた品々は雨風で朽ちる心配はなかった。

上述のように、豊浜町関谷地区から太鼓台と一緒に伝えられていた古い道具箱類も何点かあったが、道具箱記載の年代とその中身が必ずしも一致していないとみるのが伝統文化探求に携わる私たちの〝常識〟である。即ち、太鼓台伝承地区では〝古い先代の道具箱を、新しい太鼓台の道具箱として再利用〟する場合がよくある。他地域が絡む中古太鼓台の〝転売・購入〟の場合にはそのような事例がよくあり、必ずしも〝道具箱記載の年代イコール中身〟と直に結びつけることはできない。従って田野々・初代太鼓台の場合、道具箱の中身が、関谷地区太鼓台の安政5年のものではなく、安政5年より後の時代のものである可能性や、関谷地区以外のものであった可能性が疑われる。ただ、田野々初代・太鼓台の場合には、地元の長老からの聞き取りや、制作年代が客観的に確定できている近郷他地区の太鼓台との比較を重視して時代的な検証を重ねた。その結果、当時倉庫で保管されていた品々をよく観察すると、130年以上経過した面影を随所に感じることができたので、唐木・蒲団枠・龍の蒲団〆は、いずれもが旧・関谷太鼓台の安政5年のものであると判断した。

◎初代・田野々太鼓台の規模等(とんぼ飾りを除く)

◆太鼓台の全高≒335cm(蒲団部高≒95cm、蒲団部下部~乗り子座部≒130cm、座部~地面≒110cm)※とんぼ飾りは除く。‥現在では高さ4mを超えるものが殆ど。

◆蒲団枠の大きさ(最上部の一辺≒157cm、最下段の一辺≒137cm ※いずれも外⇔外の長さ、蒲団枠の厚み≒13.5cm)

◆閂(カンヌキ)位置は中央に1か所(現今の太鼓台では2か所が普通)

◆四本柱の間隔≒72cm(柱の芯⇔芯、内径≒64cm。現今の太鼓台と比べるとかなり狭い)

◆高欄部の一辺≒131cm (欄干で囲まれた太鼓叩きの乗り子が座る部分。欄干より少しはみ出た座板の幅)

◆台幅(台足の外側~台足の外側)≒97cm

◆台足の横側に設けられた舁き棒を通す金具の穴サイズ≒内径17cm(舁棒を支える舁棒受を通す穴であったとしても、かなり細い舁き棒が使われていたか)

◆以上から、この地方の現在の太鼓台と比べると、重量的には半分程度の1㌧内外であったと推定される。(現在では、2.5トン内外~3トンを超えている)

下記にて、田野々地区の太鼓台と、同時代に活躍したと思われる他地域の太鼓台との比較を紹介する。

       

左から、脇町の勇み屋台(2枚)、箱浦屋台(唐木部分と初代の蒲団〆は明治8年製)、下麻太鼓台、殿町太鼓台(2枚)

※参考:明治初期の基準太鼓台「荘内半島・箱浦屋台について」‥以下は、『塩飽海域の太鼓台・緊急調査報告書』所収のもの。

 

(終)

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