太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

和唐内獅子舞衣裳

2024年02月15日 | 研究

昨年12月2日㊏に、地歌舞伎の衣裳や太鼓台に飾られていた古刺繍との関連を学ぶため、四国霊場・善通寺近くの財之神(さいのかみ)獅子組(財之神自治会)に伝わる〝和藤内の衣裳を見学させていただきました。

制作年代については記録が残されていないとのことで、全くの不明です。

唐獅子を遣う和藤内は、歌舞伎衣裳の四天(よてん)や陣羽織に似た衣裳を着用していて、刺繍された龍の細部が太鼓台古刺繍とつながってくるものと思われます。

(完)

 

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23年目の回想ー観音寺から草津市へ

2024年02月13日 | イベント

観音寺市と滋賀県草津市とは、室町時代の俳諧の祖・山崎宗鑑(誕生地が草津市、終焉地が観音寺市の一夜庵)の縁で、昭和57年10月22日(1982)に姉妹都市縁組を提携し、互いのイベント参加など、両市の間でさまざまな交流を行っている。観音寺の秋を代表する太鼓台は、23年前の2001.4.28~29(平成13年)の「草津宿場400年祭・宿場まつり」に、琴弾八幡神社に奉納されている本若太鼓台が初めて派遣された。当時の派遣参加者は130余名の方々で、本若地区からだけではなく、全7台(当時は7台が奉納されていた。現在は9台)の太鼓台地区からまんべんなく参加されていた。今思い起こすと、観音寺地区を代表した太鼓台を、旧東海道・旧中山道が分岐する草津宿へ、まさしく〝みんなでお披露目に行った 感がする。

このレポートでは、約四半世紀前の太鼓台の積み込みから観音寺・帰着までを、できるだけありのままに紹介し、機会は少ないとは思うが、多少なりとも今後の同様派遣のご参考になればと思いアップしました。

<当時の訪問行の概要>

4月27日㊎の朝、安全祈願祭を実施し、諸道具をトラックに積み込み出発した。(参加者及びトラックは、28日㊏早朝、草津市役所で落合った)

4月28日㊏午前中、太鼓台組立て(すべて人力により、大勢が競い合って実施。草津では、大きな太鼓台が次々と組みあがっていく、人力だけでの作業が大変珍しがられた)

4月28日㊏夕方、市役所前で歓迎セレモニーが行われた。同時に前夜祭として、舁き上げや差し上げを披露した。

4月29日㊐〝宿場祭り・本番〟旧宿場・商店街・旧東海道と旧中山道の追分(草津追分、分岐点)を運行、行く先々では人の波でごった返していた。運行の最後に記念撮影、参加者は130名余りを数えた。参加者はバスに分かれて乗り、観音寺帰着。

4月30日㈪朝、草津からのトラックが帰還。早速片付け作業が行われた。

今、なぜか23年目の観音寺太鼓台の草津・親善訪問のレポート。フィルムカメラからのスキャナーでの取り込みとパソコンでの画像処理、隔世の感がする。記念写真に納まった方々の中にはすでに亡くなられた方も多い。

私たちは太鼓台文化の中で生き、太鼓台と深く関わる生活をしている。それだからこそ、何代も続いてきた太鼓台文化のことをもっともっと深めたいし、その歴史を大切にしていきたい。間違っても〝わが町の太鼓台が一番〟などと、排他的で利己的な主張をすることなく、2,300万の太鼓台文化圏の仲間と一緒になってこの文化を広めていきたいものだ。

(完)

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