太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

郷土誌の紹介 ~「尾池平兵衛覚書」に見る江戸前期の大野原

2024年06月25日 | 紹介図書・冊子等

本のタイトルは『大野原開基380年記念「尾池平兵衛覚書」に見る江戸前期の大野原』、観音寺市文化財保護協会が令和5年8月31日(2023)に発行しています。新聞の紹介記事を参考添付。

この郷土誌は、大野原新田の開拓経営者・平田家の手代の一人である尾池平兵衛によって書かれている。平兵衛は日々の出来事を書き留めて、開墾74年目の享保元年(1716)に纏めている。為政者・支配層の記録という公平ではない点を割り引いても、現時点の四国で最も早い太鼓台のお膝元「小山ちょうさ太鼓」の導入(寛政元年1789)よりも約70年ほど前の記録ということになる。

本誌には、平兵衛が記録し始めて纏めるまでの「大野原開墾約70年間の事柄」が箇条書き的に書かれている。本誌を読むと、当時の時代背景や、村々の様子、暮らしぶりなどが身近に想像できると共に、彼らの子孫であり今を生きる私たちに対し〝太鼓台誕生以前の人々の心理や暮らしぶりがどうであったのか〟についても、身近な基本ベースを提供してくれるような思いがする。

また、一般庶民の隷従がイメージされがちな江戸時代の封建制や庶民の権利意識がどのようであったのか〟を知る手掛かりとして、大野原での複数の〝百姓出入り〟が平易に紹介されている。それを読むと、幕藩体制経済の基本である年貢さえ完納していれば(何かとなかなか厳しいことではあるけれど)、明治以前の江戸時代が、現在の私たちが想像する以上に緩やかな社会であったことや、近隣支配層(庄屋層)同士の密接な関係性が、これまで以上の新しい視点として捉えられてくる。

近隣地方で最も早い太鼓台導入となっている大野原・小山ちょうさ太鼓の〝初奉納の下地には、どのような背景があったのだろうか〟を深く知ることができるのが、その約70年程前に書かれた本誌であると思う。なぜなら、①小山地区が支配者の平田家のお膝元であること。②太鼓台奉納を行っている大野原八幡神社や隣接する慈雲寺(平田家の菩提寺)は、平田家から多大の援助を受けていたことなどから、平田家の新田経営抜きには太鼓台の新規導入は考えられないからである。平田家の出身地である上方を通じて、太鼓台という当時の上方都市文化が伝搬してきたのではないか。また、平田家と大野原新田近隣の各村々庄屋層との密接な関係は、この地方の太鼓台流行に大きな影響を与えたのではないか。そのような想像を膨らませてくれる本誌である。(「町人請負新田」の経営と太鼓台文化(2022.6.30)投稿記事参照)

(終)

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「長崎諏訪神社祭禮に関する覚え書」コピー・転載

2020年08月03日 | 紹介図書・冊子等

紹介する論文は、昭和4年(1929)に発刊された『民俗芸術』第2巻11号にて本山桂川(もとやま けいせん、長崎市出島出身・民俗学者、1888.9-1974.10)により発表されている。既に90年余りが経過し、私たちの目に触れることも甚だ困難であると思われるので、太鼓台文化研究のため引用・紹介させていただいた。

長崎くんちでは、太鼓山・コッコデショに限らず、各奉納踊りの山車等に蒲団を用いていることが掲載写真からもうかがうことができる。このことからも、太鼓台の蒲団に関しては決して太鼓台独自の特殊な飾りではなく、太鼓台発展のある時期より、高貴・高尚な祭礼道具として広く用いられていたのではないかと想像することができる。

なお、椛島町太鼓山・コッコデショの蒲団部構造については、残念ながら私は未だ何ら知り得ていない。もしご存知の方がおられたら、ぜひご教示いただきたい。文化圏各地の蒲団型太鼓台との類似点や異なる部分等を知り、太鼓台の蒲団部発展のパターンを客観的に理解できるものと考えている。

(終)

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「観音寺太鼓台研究グループ」編集・発行冊子の販売について

2019年08月10日 | 紹介図書・冊子等

「観音寺太鼓台研究グループ」では、公益財団法人福武財団から過去5年(5回)に亘り活動助成をいただき、これまで太鼓台文化解明に関わるグループ活動を実施してきました。

その一年毎の助成活動成果報告書として下記の報告書冊子を発刊してまいりました。また、記載内容に関係する団体や、県市町の公共図書館等へ寄贈し、その余部を廉価にて販売してきました。(中には残余部数が無くなってしまった号や、残部の少なくなった号もある)

今回、香川県立ミュージアムの計らいで、「祭礼百態-香川・瀬戸内の風流-展」開催期間中(2019.8.3~9.7)、同館ミュージアムショップにてグループが在庫している冊子を、在庫限りで廉価販売していただけることになりましたのでお知らせします。(※展終了と同時に、ミュージアムでの販売は終わりました)

  500円/冊(2012刊、在庫は十分あります)

 (2013刊、在庫なし。PDFは有り)

 (2015刊、在庫なし。PDFは有り)

  1,000円(2016刊、在庫僅少)

 (2017刊、在庫なし。PDFは有り)

 ★観音寺市豊浜町の「ちょうさ会館」と、同市有明町琴弾公園内「コミュニティセンター」(道の駅の南隣り、実物の太鼓台が常設展示されている)の観音寺市観光協会にて販売されています。こちらには上掲の在庫がない冊子についても若干残余の冊子があるかも知れませんのでお問い合わせください。

★在庫の無い冊子についてはPDF編集したものを残しておりますので、コメント欄にてお問合せください。

★その他

「ちょうさ会館」 〒769-1601香川県観音寺市豊浜町姫浜982 電話0875-52-5500 ※郵送等での冊子送付はできません。窓口販売のみです。 

「観音寺市観光協会」 〒768-0062香川県観音寺市有明町3番37号 電話:0875-24-2150 FAX:0875-23-0404 ※郵送等での冊子送付は可能と聞いております。

(終)

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『塩飽海域の太鼓台・緊急調査報告書』

2019年05月03日 | 紹介図書・冊子等

この冊子は2013年3月に発行したものです。(モノクロ95㌻ 観音寺太鼓台研究グループ編集・発行、公益財団法人福武財団・助成)

 

塩飽海域とは引用させていただいた略地図にあるように、香川県中讃地方の沖合いから岡山県水島灘にかけての海域の内、香川県に属する島々をさしている。(有人島は12島)

海の大動脈・瀬戸内海にあって、古くは来島諸島(伊予-安芸)と共に海賊(水軍)の根拠地として名を馳せていた。江戸時代には、幕府米を運ぶ御用船として繁栄し、また〝人名の島〟(天領)としてもよく知られていた。略地図で引用させていただいた『塩飽大工』では、江戸初期に既に大規模な寺社を建築する等、大勢の出稼ぎの寺社大工を輩出した島々としても、近年は見直し作業が進んでいる。

この海域では過疎化や高齢化で太鼓台文化が過去のものとなりつつあるため、冊子では塩飽諸島の周辺に広げて、太鼓台の緊急調査を行なっている。西から、箱・粟島・志々島(三豊市)、真鍋島(笠岡市)、佐柳島・高見島(多度津町)、広島・本島小阪・本島笠島・牛島・塩屋(丸亀市、塩屋は陸地部)の11箇所である。

冊子を通して見えてきたことは、①島々では過疎化と高齢化及び人口減少が極度に進行し、限界集落化している地域も複数ある。②このエリアでは、太鼓台文化は過去の繁栄を偲ぶものとなってしまった感がある。③しかしながら、エリアには発達段階が中程度の屋根型及び蒲団型の太鼓台が伝承されている。④太鼓台の発展過程を追体験するには、一通りの整理・理解が必要なエリアである。

(終)

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