太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

〝蒲団型太鼓台の、蒲団部・斜め化の始まり〟について

2021年07月16日 | 研究

各地に散らばる各種の太鼓台は、誕生してからの長い年月の間に、大なり小なり発展を繰り返してきて、今日の姿・カタチがある。決して現在に見る太鼓台と過去の太鼓台とは、大きさや装飾に関して〝全く同じ〟ということはない。

この文化圏各地の太鼓台の中でも、蒲団型太鼓台は、そのカタチにおいても数においても、最も存在感のある太鼓台の一形態となっている。蒲団型太鼓台の客観的な過去については、このブログでも次のように縷々眺めてきたところである。(太鼓台‥分岐・発展へ⑷同⑸各地の絵画史料に描かれた太鼓台 等) 即ち、本物の蒲団を積んだカタチから、鉢巻状の輪を巻き付けて蒲団に見せたカタチ、鉢巻を四角い枠状に変えて頑丈で大きな現今の枠蒲団のカタチへと、大まかには蒲団型太鼓台はこのように変化・発展している。(太鼓台‥発生から、分岐・発展へ⑴の〝蒲団型〟を参照)

先にこのブログでは、四本柱から上を支えている雲板の中には、数は少ないが〝斜め雲板〟が存在することを指摘してきた。斜めに装飾された理由については、雲板に彫刻された瑞祥作品等を、それまでの〝真上に見上げる〟窮屈な姿勢での鑑賞を、〝より正対に近い〟姿勢を保つことで作品鑑賞を容易にし、彫刻作品をより見栄え良く見せるためであったと考えられる。(雲板について⑶) ただ雲板の斜め化については、雲板の四分割が必須であるため、四本柱から上の構造や強度の面に弱点が潜んでいると考えられ、文化圏の多くの地方へは波及していかなかった。 

斜め雲板の登場と相まって、蒲団型太鼓台が大きく華美に発展し存在感が増していくに従い、太鼓台の全体を〝より正対化して、太鼓台を眺めたい〟との人々の願望は、重ねて積み上げた〝蒲団部の斜め化〟の登場に直結していったと推測される。言わば、雲板の斜め化の延長線上に〝蒲団部の斜め化〟が推し進められたものと考えている。ただ、雲板の斜め化が先であり蒲団部の斜め化はその後という推論は、正しくないのかも知れない。雲板の斜め化が文化圏全体へ広まって行かず、特定の地方にのみ伝承されている現状を考えると、蒲団部も雲板部分も同時的に斜め化していったとも考えられ、より鑑賞面が広くインパクトの強い蒲団部の斜め化だけが後世へ生き残り、この文化圏の人びとの間では、それが蒲団型太鼓台の〝標準スタイル〟となっていったのかも知れない。

次回以降では、〝上になるほど大きくなっている〟蒲団部のカタチを更に深掘りし、どのような過程を経て今日の蒲団型太鼓台へと発展して行ったのかという、〝私たちが知りたい謎〟を、客観的な視点で解き明かしてみたい。

(終)


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