goo blog サービス終了のお知らせ 

太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

コロナ禍の、久しぶりの太鼓台奉納(観音寺・本若太鼓台)

2022年07月04日 | 太鼓台文化の情報

[お知らせ]

コロナ禍で中止されていた太鼓台も、ようやく運行可となり、この夏、下記日程で一日のみ運行されます。

☆観音寺市港町・龍王宮(りょーもし・りょんさん)の夏祭りに、本若太鼓台一台。

☆写真で見る〝本若太鼓台の歴史〟

①1879明治12年新調(~42年まで使用)の太鼓台に飾られていた蒲団〆(無償で里帰りし、現在太鼓蔵に保管)

➁1910明治43年に造られ、1933昭和8年まで奉納されていた太鼓台で、豊中町で1977昭和52年頃に撮影。

③1934昭和9年に新調された太鼓台。先代と寸分の違いなく新調されたと言われる。後方の神社が出来て間もない龍王宮。(7/16追記)龍王宮は、正確に言えば〝家曳〟による移築であった。現在の西公民館の西側付近にあったものを、現在の港町地区埋め立て後に、当時の悪路をろくろを使って曳いて行ったと言う。曳く距離が長かったので一日では作業が終わらなかった。

④1977昭和52年頃の秋祭りに出ていた③の晩年の様子。

⑤現在の太鼓台は、1984昭和59年に完成している。琴弾八幡宮へ初奉納時のもの。

⑥八幡宮から帰ってきて、しばしの食事休憩をしている本若太鼓台。(2010平成22年10月17日)

※追記 本若太鼓台の記録は、残念ながら1879明治12年までしか分かっていません。観音寺太鼓台の現時点での最古記録は、「酒太鼓地区の1809文化6年」ですので、恐らくは酒太鼓台と同時代か、若しくはそれよりも前に奉納が始まっていたと思われます。従って、明治12年の太鼓台を2台目とすると、明治43年が3台目、昭和9年が4台目、昭和59年(現在の太鼓台)が5台目ということになります。この間初代の太鼓台を含めて、約210年余り、この地区の私たちは、正に「ちょうさと共に生きている」ということになります。

7/16追記 悪天候の合間の一コマを添付します。

(終)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナウィルスの防疫対策について

2022年05月03日 | 太鼓台文化の情報

今年の各地秋祭りにおける太鼓台等の奉納はどうなるのでしょうか

大規模イベントやプロ野球の入場制限等も大きく緩和されている状況ですので、マスク着用等の何らかの制限は止むを得ないかも知れませんが、運行そのものはOKとなるのではないでしょうか。

写真はエコキメラという除菌効果のある薬剤を、太鼓台の蒲団部に散布しているところです。ここでは蒲団部に散布していますが、太鼓台の場合、最も除菌に効果的と考えられるのは、舁き夫や子供たちが必ず触る〝長い舁棒に散布・塗布する方法です

長野県諏訪大社の御柱祭りの柱にもこの種・薬剤が塗布されていると聞きます。柱に〝触るとご利益がある〟と言われていて、不特定多数の信者や観光客が競って触るようです。またJRバスや電車の内装箇所にも、除菌のため塗布しているようです。

この薬剤を取り扱っている知人の「テルウェル西日本・香川支店長藤見さん(087-835-5155)からいただいたチラシ等を、下記に添付しておきますので、ご興味のある方は、必要経費や工期等に関し、上記の藤見さんへお気軽にお問合せください。(思いの外、安価・短い工期で可能とのことです)

(終)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベントの紹介

2022年05月03日 | 太鼓台文化の情報

下記の日程でだんじり・太鼓台関係のイベントが開催される予定です。

お問い合わせ・お申込当は、添付の「お祭り発見伝」(チラシ)をご覧ください。

◦日時 / 2022.6.28(日)

◦場所 / 岸和田だんじり会館 1階コミュニティホール・会議室

    (岸和田市本町11-23 072-436-0914 ※駐車場なし)

(終)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講座テキスト〟の情報提供について‥⑵

2021年11月01日 | 太鼓台文化の情報

「講座テキスト〟の情報提供について‥⑴」に関連して、当日発表のプロジエクター画像を公開いたします。。

10月30日㊏に開催された「ちようさについて学ぼう」(「いいまちづくり観音寺輝き隊」:代表:大西さん)のガイド養成講座で使用したプロジェクター全画像をアップいたします。全60余コマで構成されています。PDF等に編集して連続してお見せすることができないブログ上の制約(PDFでの投稿は不可)のため、いちいちクリックを繰り返してでなければ見れないという面倒くささを、どうかご容赦ください。なお、講座の趣旨や地域性との関係で、香川県観音寺市を中心にしてストーリーを構成しておりますが、常日頃から我田引水を忌み嫌い〝太鼓台文化圏は、みんな仲間同士〟と考え、客観性や公平感を前面に打ち出している発表者の私としては、そのような排他性・我田引水は全く持ち合わせていませんので、その点をお汲みいただきご覧ください。

 

 

以下の2枚は、太鼓台の分布が、どうして東日本には無くて、西日本だけに広まっているのでしょうか」という質問がありましたので、その問いに答えるカタチでお見せしたコマです。

①各種・各形態、小型から大型までの太鼓台が各地に大量に分布している。また、現在の太鼓台の主流は蒲団型太鼓台であると言え、これは様々な太鼓台を駆逐したものでもある。

蒲団という語が、「座具を意味する語から、寝る蒲団(布団)に変化している」こと。

寝る蒲団の態様が、遠州・三河を境にして西日本と東日本では大きく異なっていたこと。西日本各地が、比較的早くから方形の上蒲団(大蒲団)を採用していたのに対し、東日本の各地では夜着(袖付き布団・掻い巻き布団)が遅くまで、上蒲団に代わって主流を占めていたこと。

④太鼓台の無い東日本にも蒲団を積み重ねた祭礼奉納物があった。しかしそれは寝る蒲団ではなく、座具としての蒲団であったと考えられること。

⑤私たちの生活様式を大きく変えた綿栽培の進展と高価な綿製品の登場で潤う人々(江戸時代中期以降の大坂の呉服商人)が、太鼓台に寝る蒲団(神様が)を取り込んで、それまでの簡素な太鼓台(の上)に採用したこと。

大蒲団と夜着との決定的違いは、大蒲団が〝作るのに簡単な方形であり、大量生産が可能であったのに対し、夜着は〝複雑なカタチをしていて、大量生産には向かなかった〟ことではないかと考える。使用する綿の量も、大蒲団では均一で大量の綿を使って利潤の効率も良く、夜着では使用する綿は大蒲団とは比べものにならない少量であった。

⑦大坂を起点として西日本だけに太鼓台(蒲団型太鼓台より以前の簡素な太鼓台を含めて)が分布しているのは、以上のような蒲団(寝具の)を受け入れる土壌の違いが間違いなく大きく影響していたものと考えている。

⑧同時に、大量の物資を運び、最新の情報をもたらす近世海上交通網、瀬戸内海を通じて西日本に門戸を開く大坂の呉服商人たちが利用しない訳がなかった。

概略的には以上の様な要因(蒲団の意味合いの変化・綿作に関する大坂商人の動き・売れる寝具としての蒲団の流行・海上交通網の発展とその利活用等)が考えられ、今日的な西日本に特化した太鼓台の分布が見られている、と私はみている。

(終)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝講座テキスト〟の情報提供について‥⑴

2021年10月15日 | 太鼓台文化の情報

お知らせ

観音寺市の魅力の掘り起こしを目指し、その素晴らしさを広く発信しているボランティア団体〝いいまちづくり観音寺輝き隊(代表:大西さん)では、その一環として観音寺市の「琴弾公園散策ガイド養成講座」を、下表のスケジュールにて実施されています。その講座の中で10月30日㊏午前中に「ちょうさ」について学ぼうが、市内有明町の総合コミュニティーセンターにて開かれます。養成講座は、コロナ禍の時節柄、出席人数や参加者の制約等を設け開催されています。太鼓台文化に興味のある方(特に、昔の観音寺祭の太鼓台の様子等を知りたい方)向けに、講座用の配布資料「太鼓台のこと、もう少し理解すれば、もっともっと観音寺が好きになる(3ページ)作成しましたので、情報提供いたします。なお参加募集については、既に定員に達し締め切られていると承知していますので、悪しからずご了承ください。

以下3ページが当日の配布予定資料です。資料では、講座の性格から観音寺を中心にした表現になっていますが、これは決して我田引水などではなく、あくまでも太鼓台文化圏の一員としての観音寺を強く意識して書かれたものであることを申し添え、そのことを是非ともご理解いただいた上でご覧ください。

なお、本件関連として「観音寺と太鼓台文化」(2021.9.15)も併せてご参考ください。

(終)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする