「空気」に異議あり!

世の中の「空気」のいくつかを相対化していきます。初めての方は、左下の「カテゴリー」の「注意事項」をご覧ください。

権威に弱い日本人

2011-07-09 | 権利と空気
全米でこんな事件が話題になっているそうですね。

2歳児殺害容疑の母親、「殺人」は無罪に フロリダ
CNN
http://www.cnn.co.jp/usa/30003279.html
テレビ朝日
http://www.tvasahiamerica.com/2011/07/07/速報-ケーシー被告13日に出所へ/

事件自体、正直私はあまり興味がありませんでしたが、
司法をめぐる外国人の考え方には興味を持ちました。端的に言えば、
「推定無罪」「すべては被告人の利益に」などの刑事司法の原則について、
原則を作った白人の中にも賛成していない人も多数存在し、
反対意見も堂々と言われている、という点です。
しかも反対運動をしている人の中に、アメリカで社会的弱者とされる
アフリカ系の人もかなり見受けられました。

日本で裁判員制度がはじまって以来、
日本の法律家や左が言う刑事司法の常識に対して反対意見を言う人が
極端に少なくなった気がします。
「刑事司法の常識は世界の常識で、それに反対するのは感情的で遅れた日本人だけ」
であるかのようなイメージが押し付けられているように感じます。
しかし実際はそれは嘘であって、
日本人以外にも疑問を持っている人達が数多く存在するのです。

法律家や左は国連やかつての人権宣言、ヨーロッパで採択された憲法など、
やたらと「権威」を持ち出します。
そうした「権威」に逆らってはいけないと思っている日本人が多いように感じますが、
「権威」も「所詮人間が作ったもの」だということを肝に銘じるべきです。
人間が作ったものだから、間違いもあるということを再確認すべきです。

おかしいと思うものには、仮に権威に反対することになっても反対意見を言う、
という当たり前のことが、日本人はできていないような気がします。

左は「権力」はやたらと注目して叩きますが、
「権威」は妄信する人が多いような気がします。
しかし私は権力だけでなく、権威に対しても常に疑いの目を向けます。
権力も権威によって政策が左右されることは多い訳で、
権威の過ちというのも、非常に危険なことは多いはずです。


日本でも外国人絡みの殺人事件が最近ニュースになっています。

リンゼイさん両親、あらためて「最高刑を」
http://www.news24.jp/articles/2011/07/11/07186197.html

私は当初、日本の裁判所が、被害者が外国人だから媚を売って
日本人が殺された場合よりも刑を重くするのではないかと懸念していましたが、
検察の求刑を見るに、日本人の場合とほぼ同じような求刑になっているように見えます。

一方、被害者のリンゼイ氏の父親が死刑を求めているとの報道がありました。
ここにも先述のように、左の言う「世界の常識」に反対する欧米人の姿がありました。

私が1つ気になったのは、弁護人が父親に、
「日本では慈悲や寛容の心が大切にされているのを知っていますか?」
と質問した点です。

被害者の心情を逆なでする発言であると同時に、私が感じるのは、
こういう意見を持つ人こそ、寛容の心が欠けているのではないか、ということです。
身内を殺された人が、犯人を殺してやりたい、と思うことに対して、
非寛容的な論者がかなりいるように感じます。

最初に殺人を犯す行為と、殺された遺族が復讐で殺人者を殺す行為が、
何度言われても私は、同じ罪だとは思えません。
いくら権威を持ち出されても、私はそう思わないものは思わないのです。

4 コメント

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何もかも右へ倣えでは… (かず)
2011-08-12 20:36:47
>法律家や左は国連やかつての人権宣言、ヨーロッパで採択された憲法など、やたらと「権威」を持ち出します。

本来の「左翼」から掛け離れ、(どこに基準を置くかにもよりますが)自分達を中道だと思い込んでいる場合が非常に多いと思われる日本の左翼的活動家、左翼的思想主義者。
(左翼に限らず、近代化や経済活動、様々な思想・文化の流入により、よりよく発展させるというより、本来のあり方から逸脱し、腐敗したままに終わっているものが非常に多いですが…。)
そういう人々は、権力を否定する癖に、自分が被害に遭った場合、あるいは被害に遭う可能性が高い、被害に遭ったと思い込んだとき、すぐさま警察に頼ろうとすることが多い気がします。

左翼というのは、従来の権威やルール、伝統・文化の否定が根本にありますが、日本の左翼勢力というのは「弱者」という言葉や空気を盾に、権威に縋り、権力の庇護を受け、更にそれをも利用し、利権確保や日本瓦解を推進するという、ある種の強者、卑怯者とも言えます。
それぐらい酷い代物です。

>検察の求刑を見るに、日本人の場合とほぼ同じような求刑になっているように見えます。

脇道に逸れます…。
数年前、ある番組で宮崎哲弥氏が、イギリスの司法制度に関して主に以下の2点を述べていました。
①イギリスでは検察が起訴した事件の有罪率は、有罪率99%超の日本より遥かに低い。(イギリスの有罪率の詳しい数字は忘れましたが…)
②イギリスの場合、逮捕・起訴され、その後無罪の判決が下った人物に対して、日本ほど蔑視しない傾向があるから、起訴後の有罪率が低いのではないか。



そのイギリスとは逆に、日本の場合、起訴後の有罪率が高いことを理由に検察や司法制度を批判する声がよく聞かれます。

しかし、極力、検察側は公判を維持出来る案件を優先して起訴し、公判の維持が難しく、検察側の敗訴が見込まれる案件の起訴を見送るのは当然と言えば当然です。
(そういう現状が無条件に歓迎出来るものだとは思いませんが…)

イギリス等、欧米諸国の司法制度や刑事事件に対する国民の姿勢から学べる点も多々あるでしょうが、それに倣うばかりではなく、寧ろ、検察審査会への国民の参加を促し、起訴が見送りになった事案にスポットライトを当てる等、独自の観点から司法制度や、それに携わる人間の姿勢を改めて構築していく必要があると思います。


あと、冤罪と言えば、司法従事者(裁判官等)が退官後、マスコミに対して、いやマスコミを通じて多くの視聴者、国民に対し「あの事件の判決・審理・捜査は誤っていた」と公言するケースが間間あります。
こういう元司法従事者の一種の告発、あるいは心情の吐露や、放言に対して、冤罪と疑われる事件を更に深く掘り下げる切っ掛けを提供し、司法機関・司法制度を是正することにも貢献出来るのではないか、つまりは「良いこと」だという論調でマスコミは取り上げ、多くの視聴者はそれに追随するという光景です。

しかし、果たしてそれは喜ぶべき事態なのでしょうか?

幾ら退官し、守秘義務に縛られる環境から離れたからといって(退官後の守秘義務に関する誓約があるかも知れませんが…)、自分一人で独自に調査や働きかけをするならまだしも、事件の捜査や審理、事件関係者に関する情報等を公言し、再審や、他の事件の審理・捜査にまで影響を及ぼす事が許容されるべきとは、僕は到底思えません。

こういう行為により、事件関係者がより固く口を閉ざす等の、悪影響が出てくる恐れも高くなるでしょう。

裁判官の場合、出来るだけ判決を出すまでの時間を短くする等、色々と勘案しなければならない事情があるにせよ、(建前だとしても)十分な審理をした末に、有罪あるいは無罪という判決をその時点で下す訳ですから、それ以上、その事件に触れ続けるのは無意味どころか、他の事件の審理や、裁判という制度の根幹を揺るがす事態になりかねません。
(三審制であるにも関わらず、再審制度があるというのも矛盾していますが…、まあそれは判断ミスを極力抑える為の措置なので仕方ありません…。 ただ、死刑に関して、法務大臣の署名が無ければ執行されない、三審制で出た結論に対して、省の長が関与しなければ実行に移されない、というのは、制度として非常に疑問です。)


>日本でも外国人絡みの殺人事件

このコメントの最後に、一番酷い妄想を記します。(苦笑)
例えば、外国人、あるいは日本に帰化した元外国人が加害者の重犯罪を審理する裁判員の中に、日本に帰化した人間(特に元は加害者と同じ国籍だった、国に住んでいた)が居た場合、その元外国籍の裁判員が審理の場で、事件を真摯に審理するのではなく、加害者が減刑・無罪に傾く様な言動をし、反論がし辛い空気を醸成させる可能性がある様に思います。

逆も然りで、裁判員の中に日本に帰化した元外国人が居り、被害者が外国人、あるいは帰化人であることが分かった場合、真摯に事件を精査するより、有罪・重罰にもっていこうとする可能性が無きにしも非ず…。
(加害者・被害者、そして裁判員が外国人でなくとも、保守であるか左派的であるか、どういう価値観をもっているか、もっていたかによっても、審理に影響する可能性もある様な…)
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近頃の日本人の安直さ… (かず)
2011-08-12 21:56:18
司法やルールに関して、もう少し続けます…。

最近は人権擁護法案や、所謂二次元規制等に当て嵌まることですが、実際の被害や、被害との関連を示す根拠というものが極めて曖昧であるにも関わらず、被害を受けたということや、被害の可能性があることを声高に主張することにより、多方面の法規制強化や、反論が言い辛い空気を醸し出している様に感じます。

犯した罪に対する罰が軽微ではないか、という考えの下、特に明確な悪意をもった重犯罪や、重過失に対して厳罰化を促すことに対しては、僕は基本的に賛成です。
しかし、被害を受けたという声や、醸成された空気に影響を受け、負の側面や、どれだけの効果が予測されるのかを真剣に考えず、厳罰化、法規制の強化を行うのは、腑に落ちません。


逆に、メリット・デメリットをきちんと考え、天秤に掛けた上で綿密に行われているのか?と疑問に思う、規制緩和や、規制撤廃、民営化、自由化により、公的な事業・サービスが、政府・行政の監視・監督下から離れ、グローバル化された経済(とそれを利用する外国勢)に呑み込まれ、安全性や国益の確保がより困難に、更には国益の流出を促進させているのではないかと。

まあ、何れも様々な圧力や利権が関係していることですが…、規制すべき・規制した方が有効な事、規制緩和・撤廃した方が有効な事、規制してはならない事を履き違えているケース、誤った流れが多い気がします。
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多面性を理解する (かず)
2011-08-24 01:14:22
今までのコメントも伝わるかどうか、微妙なものばかりですが…。
文章や考えが纏まってない状態であるものの、列記させていただきます…。

僕は、太一さんが記された、推定無罪の原則のみならず、
①法の不遡及(東京裁判等、戦後、戦勝国が一方的に敗戦国を裁いた政治ショーを語る上で頻出する事項。
その法律や概念が成立する以前に発生した出来事、事件に対して、時を遡って、その法律を適用し様とする行為を禁ずること)の原則。
②一事不再理(三審制を経て確定した罪の有無・刑罰の適用を度外視して、事実を確かめるという前提の下で、再び裁判を開始し際限なく審理を続ける。
あるいは、検察が何度も特定の人物を起訴し続けること、つまり、国家権力が個に対して執拗に法の適用、濫用を続けるのを防ぐこと)の原則。
には基本的に賛成です。

話は飛ぶ様ですが…。
完全犯罪には幾つかのパターンが存在します。殺人を例にして、過去、見聞きした情報を基に僕が思いつく完全犯罪のパターンを挙げると…。
(刑を受けるか受けないかを基準としているので、社会的制裁については考慮していません。)

①他殺であることを察知されない様に、自殺や事故死、病死に見せかける。(予算や人員不足等により、監察医制度が採用されていない県も多く、もしかすると、事件が見逃されている場合が少なくないのかも知れません。)
②自分以外の誰かを犯人に仕立て上げる。(被害者に恨みを抱いている可能性、あるいは被害者に何らかの形で関係、接触したことのある人物だけでなく、全く関係のない第三者や、現実には存在しない人物を犯人にして、罪を逃れる。)
③事件自体を発覚させない。(埋める、焼く、海に沈める等、死体や証拠を出来る限り隠滅させ、事件自体存在しなかった様な状況にする。)
④故意殺で裁かれるのを回避する為、正当防衛に見せかける。
⑤心神喪失による無罪を狙う。(犯行時、心神喪失・心神耗弱状態だったと精神鑑定で判断され、実質、刑罰に問うても、更生や贖罪の意識が芽生えるとは思えないと判断され、無罪、最低でも減刑を獲得する。
それと、実際にそういった事例があるのか分かりませんが…、公判中に被告が錯乱状態に陥ったフリをし、裁判官等の問いに答える事が出来ず、裁判の継続が不能となってしまった場合にも、もしかすると被告は心神喪失認定を受ける可能性もあるかも知れません…。)
⑥一事不再理を狙う。(例えば、(1)逮捕されたとしても、明確な物的証拠がない為、状況証拠と自白だけで起訴に持ち込ませるものの、その人物が犯人、もしくは殺意があったことを示す明確な証拠が無い為に、終審で無罪判決を受ける。
(2)犯人自身やその協力者が証拠を捏造し、その捏造した証拠を警察に発見させ、それを基に起訴に持ち込ませる。そして、公判でその証拠自体、証拠能力が無いことを明らかにさせ、無罪に導く。
(3)犯人に依頼された第三者、あるいは犯人を庇う為、もしくは罪を被る事で得をする第三者が自ら「自分がやった」と名乗り出て、警察がその人物を逮捕。そして起訴に持ち込ませ、その人物を有罪にさせる。
等して、その事件が掘り返され、罪を犯した本人が刑を受ける事態にならぬように仕向ける。)

多少重複する事項はありますが…、主にこれらのことが考えられます。

つまり、権力の濫用を防ぐ法・原則・概念が、一方で自ら犯した罪や刑罰から逃れる手段として、犯罪者に利用される可能性も存在している訳です。

別に法律に限った話ではありませんが、物事には少なくとも二面性があります。
そのことを理解し、メリット・デメリットを考え、何がベターかを導き出さねばならないと思います。


あと、検察について…。
よく検察の怠慢を槍玉に挙げる声がありますが…。
確かに、捜査担当検事が、事件現場に臨場しない(案件を抱えている為、臨場出来ない場合や、警察との兼合いもあるのでしょう)。あるいは場数が少なく、観察眼に欠ける為、事件の筋立てを誤り、捜査・取調方針を違えてしまうケースも往往にして存在するでしょう。
各方面からの圧力も無いとは言えません。
しかし、弁護士の場合、仕事(依頼)を選択することが出来ますが、検察官の場合、山積している案件を捌く(被疑者から事件について話を聞く等の作業)ことに時間を割かれ、終始、検事室に缶詰め状態である事が多いと思います。
その上、事件を口外することは許されない立場であり、精神的な重圧も多い職業です。(まあ、検事に限った話ではありませんが…。)
東京の様な都市部の検察なら、案件が多い為、捜査担当と、公判担当の検察官が分かれているのでしょうが、地方の検察の場合、都市部より案件が少ない分、捜査から公判まで全て一人で担当しなければならない事が殆どでしょう。

その様な状況に耐えかねて弁護士に転身する、所謂「ヤメ検弁護士」も多いのではないでしょうか。

一方で、弁護士も、強制的に属さねばならない弁護士会との関係や、報酬が少ないと言われる国選弁護を担当する場合の大変さもあるでしょう。

そして、司法制度改革により、今までよりは門戸が開かれ、その分、弁護士の数が増えたが為、新人の弁護士が、先輩の弁護士が構える法律事務所に居候(通称・イソ弁)し、弁護手法や経営手法を学ぶ機会が得られにくくなったという話もあります。
(これは、不況の影響も有るでしょう。しかし、弁護士が都市部、人口密集地に集まる余り、必要とされている筈の弁護士が不在の地域が多いのも事実。)

ですが、それでも前記した検察官の職務の大変さに耐えかねて弁護士に転身する、所謂「ヤメ検弁護士」も多いのではないでしょうか。
(検察で裁判・捜査手法を学びながら、資金をためた上で弁護士に転身、あるいは反権力的思考に基づき弁護士に転身するケースもあるでしょうが…。)

批判されても止むを得ない点も多々ありますが、表には、なかなか出てこない検察官の過酷な現状や、懸命に仕事に取り組む検察官が居ることも理解する必要があると思います。
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止むを得ない事まで否定されるべきか? (かず)
2011-08-24 02:40:29
追加で、自白や取り調べについて少し…。

捜査報償費の私的流用や、(市場の過当競争と似て)拳銃摘発のノルマを達成する為に、既に摘発した銃を用いて、事件をでっち上げる等、問題点が多々ある警察…。

その警察が抱える問題点の1つに、自白の強要が挙げられることが少なくありません。
特に、取り調べの可視化を主張する人々が少なくない昨今。
警察や検察の取り調べ手法に対する批判は、マスコミや人権団体を始めとした左派系を中心に行われています。

しかし、状況証拠は揃っているものの、確たる物的証拠がなかなかつかめない状況下(証拠の発見、確保に最大限、力を注ぐべきですが…)で、(要約することは仕方がないとしても)取り調べ調書の完全なでっち上げや、強い暴行は論外でしょうが、ある程度、容疑者(犯人)に対して威圧的・高圧的に挑まねば、容疑者が舐めてかかり、全く取り調べ・捜査が進展せず、公判に持ち込むことすら出来なくなるでしょう。

科学を用いた捜査手法が段々と発展しています(その科学捜査を100%絶対のものだと過信するのは問題です)が、それでも得られないものが存在し、事件の核心に迫ることが出来ないケースも存在すると思います。

多くの案件を抱える警察が、事件の解決を図ろうとした場合、幾ら捜査権を付与された組織と言えども、ある程度、強硬的手段を採らなければ、二進も三進も行かず、組織として、いや司法という枠組みそのものが機能しなくなる可能性も否定出来ません。

また、(最大限、罪刑法定主義を念頭に置いた事件対応をすべきではあるものの)立て籠もり事件で、今にも人質を殺害し様としている犯人や、通行人に対して刃物で切りかかろうとしている人物に対して、人質や通行人の生命の確保を優先する為に、緊急避難的に犯人を狙撃し、射殺する。
その事件解決後…。
事件の概要を改めて把握したり、今後のミスを防ぐ為にも、その発砲が適切だったかどうかの調査が行われるのは適当としても、こういう止むを得ない強硬的手段すら、「人権」を盾にして否定される様では、司法は終わってしまいます。
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