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世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

秋葉原事件の被害者撮影 モラル論議

2008-06-13 13:57:18 | Weblog
秋葉原通り魔事件の被害者を携帯などで撮影した人たちが、「不謹慎」などと叩かれ、論議になっている。市民がネットで次々に情報発信したこの事件では、マスコミと同じようなモラルが問われているようだ。
自分のブログに現場写真を載せている人は論外だとしても、はたして現場に居合わせた人が写真や動画を撮影することが全て「不謹慎」と決め付けるのは少し問題があると僕も思う。大事件や大災害が起こった場合、後で検証することが出来るのは映像や画像があればより正確な判断が出来るのでは?。単純な話し、監視カメラの映像を提出させるのと現場に居合わせた人の「個人撮影映像」とどちらが正確な現場を捉えているかというと、やはり意思を持って撮影している方がより克明に捕らえているような気がする。今回の場所が秋葉原ということで沢山の人達が撮影装置を持ち歩いている事を考えれば、「救護もせずに撮影を続けていた」現実を一概に責めることは出来ないのでは?。一般の人間が通常、とんでもない事件や事故の現場に遭遇すれば、出来る事は限られているし、全くの素人が大怪我をしている人に対して出来る事は一体何があるのか?。明らかに興味本位での撮影は責められて当然だが、「ここは映像に残しておくべきだ」という明解な意思を持った撮影で、後にしかるべき機関に提出をして、個人的には手元に残さないのであれば責めることは出来ないと僕は思うが・・・・・・・・。でも自分がそんな事が出来るか?といえば出来ないのが現実だろう。
以前にかなり似た現場に遭遇して、僕しかカメラを持っていなかったがシャッターを押す事が出来なかった。何を考えたか?何が頭をよぎったか?の問題では無く、事実としてシャッターを押せなかった。人間なんてそんなもんかも知れない。瞬間的に駆け寄り救護にあたるというのは、ある程度の経験とか職業的に知識が無いと出来ない事ではある。でも今回の現場では相当数の人が救護にあたった模様が報道されていて頭が下がる思いだが、携帯電話でお互い撮影した写真を見せ合うとか、友達に送信していた人が多く居たらしいし、警官が「写真を撮るな」と怒鳴っていたとも聞く。僕ならどうしただろう?、解らない。