こんにちは Reisinです
あっという間に日曜日の夜。
ちょっとブルーな時間です。
健康で働くことが出来ることに感謝しなくては と思う反面、
あ~ もう一日お休みください なんて気分にもなってしまいます。とほほ。。
さて。
本日は、前回予告通り、三好達冶「かよわい花」をご紹介いたします。
思ったときにご紹介しておかないと、
「げげげーーーっ もう展覧会終わっちゃったじゃん」
「Reisin、あんなに「三好達冶の詩文ご紹介します」なんて言ってたくせに、
いつになったら紹介するんだよ」
「また、最近Blogも更新しないで、書道じゃないことばっかりやっちゃてさ」
なんて声が聞こえてきそう・・・ なので今回は早めのアップです
『三好達冶詩集』(白凰社) 「かよわい花」
かよわい花です
もろげな花です
はかない花の命です
朝さく花の朝がほは
昼にはしぼんでしまひます
昼さく花の昼がほは
夕方しぼんでしまひます
夕方に咲く夕がほは
朝にはしぼんでしまひます
みんな短い命です
けれども時間を守ります
さうしてさつさと帰ります
どこかへ帰つてしまひます
震災の後、自分のこと、家族のこと、遠い見知らぬ被災地の方々のこと、
色々繰り返し考えました。
どうしてこんなことになってしまったのだろう
何がいけなかったのだろう
どうやったら、元のように、笑うことができるだろう
色々繰り返し繰り返し考えました。
そんな時、この詩に出会い、二つのことを考えました。
ひとつ。
ちょうど、まだまだテレビでは被災地の惨状が繰り返し報道されている時期でした。
被災された方々が大変不自由な環境の中、ひたむきに生き抜いている姿。
それが、この詩で見る「かよわい花」と重なって思えました。
かよわいといっては大変失礼かもしれません。
しかしながら、あんなに苦しい状況の中、文句も言わず、
生きていることを感謝するとさえ口に出来る人々を見ていると、
その姿が、朝さく朝がほや、昼さく昼がほと重なって思えてきました。
どうすることも出来なかった自然の力と、
時間や規律を守りひたむきに生きる姿。
ニュースの映像と重なり、ただただ早く穏やかな生活が戻ってきますように
何も悪いことをしていないのに、どうしてあんな苦しみを与えられなくてはならないのかと、
筆から真黒な墨が紙に浸みこんでいくのを見るたびに
「花」の文字と被災地の状況が交互に頭を巡ったことを思い出します。
もうひとつ。
自分の命も短いのだ ということ。
規律正しい生活を続けていることは、
生きていく上で必要なことなのかもしれないけれど、
あっという間に一生終わってしまうよと囁かれているようでもありました。
朝には朝やること、昼には昼やること、夕方には夕方やること、
それぞれ決まっているけれど、
どうして人間はそれで満足してしまうの、一生は本当に短いのにさ
なんて声が聞こえてきたような・・・ ないような。
花びらが散って行くように、私の命もはかないということを肝に銘じよ
と言われているような気がしました。
この詩で何を感じるかは人それぞれと思います。
この詩について、論じている書籍を調べたり、達冶について調べて
何を言わんとしているかを調べたりした訳ではありません。
ただ、私がこの詩から感じたことはこんなこと。
その思いを筆に託し、作品にしています。
毎度のことですが、自分が書き上げた時と、
実際会場で飾られているものでは全く印象が変わります。
会期中、どのように作品が私に訴えかけてくるか 今から楽しみです。
・・・