今日、2013年3月15日をもって、「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」が解散となる。
通称1フィート運動の会は全国から寄付を募って、沖縄戦関連の映像資料を買い集めるという運動をしていた。
そして30年という歳月をかけて、11万フィート、時間にして約5時間のフィルムを買い取ったという。
そのフィルムは編集され、様々な場所で上映された。
先週末にそのフィルムの最後の上映会が那覇市牧志のあおぞら公民館で行われたのだが、
どうしても行くことが出来ず、そのフィルムに関してはニュースなどで流される断片しか知らない。
でも、その断片だけでもそのフィルムの価値は分かったし、その運動が伝えたいことがいくらかでも伝わってくる。
記録フィルムと言えども、編集という作業を通すとそこにはどうしても作り手の主観が入ってくる。
記録フィルム、ドキュメンタリーというものは、その主観をいかに減らすか、どれだけ客観的になれるかがとても大切だ。
編集という作業をすると、印象的な場面、象徴的な場面を残そうとする。
その選択が正しいか否かは、その場面がいかにその前後に起きたことや
スクリーンの外側、つまりフィルムに写っていない部分で起こっていることを観客に想像させることが出来たかどうかにかかっている。
その意味において、1フィート運動の会のフィルムはそれをきちんと伝えてくれている。それは断片しか観たことのない僕にも伝わってくる。
また、いずれ観る機会が訪れることを心より待っている。
まえがきが長くなってしまったが、本題の映画「ひまわり~沖縄は忘れない、あの日の空」について。
この作品は沖縄復帰40年の企画として、昨年撮影されたものだ。
この作品は一般の映画館で上映されず、市民ホールや公民館などで数回程度しか上映されないので中々観る機会はないだろうから、内容にまで踏み込んで書いていく。
少し前まで大騒ぎになっていたオスプレイ。(もちろん沖縄県内では今でも問題になっている)
なぜ、それほどまでに過敏になっているか?
10年前の出来事を思い出してほしい。
米軍のヘリが沖縄国際大学に墜落した事件があったことを。
この時は夏休み中であったこともあり、幸いにも死傷者で出なかった。
(実は、その頃僕は沖縄に住んでいたので、とても記憶に残っている)
しかし、沖縄の人、特に年配の人にとってはそれよりももっと忘れることの出来ない事件があった。
それが、1959年に起きた石川市宮森小学校事件と呼ばれるものだ。
石川市とは現在のうるま市。そこにある宮森小学校の授業中に米軍のジェット戦闘機が墜落したのだという。
死者17名、重軽傷者210名という大事故だった。
この映画は、59年の事件と04年の沖縄国際大学の事件、そして現在(2012年)の3つの話で構成されていく。
現在の沖縄国際大学の学生がゼミの仮題として宮森小学校事件を掘り起こしていくというものだ。
過去の出来事はモノクロで、04年はアナログ的な画質で、現在をデジタル的なクリアな画質でという形となっている。
おそらく分かりやすくという意図であろう。しかし、それは残念なことに逆効果だったと思う。
それは、現代の部分を逆に際立たせてしまったことだ。
通常、モノクロは非常に効果的な手法で、そこには観るに否応なく想像をさせるからだ。
さらに、59年の事件を描いた部分は非常によく出来ていたと思う。
しっかりとした取材の元に脚本も書かれたのだろう。
子どもたちの演技も良かったし、監督の視線も比較的距離感を持ったものだった。
それが、現代の大学生たちを描くと途端に変わってしまった。
監督の視点がまるで距離感を失ってしまったかのようだった。
ナイチャーである僕がいうのもなんだが、途端に他人が当事者に対して、
「よく分かるよ」とでも言うような気持ち悪さを感じてしまった。
脚本自体もまるで別人が書いたかのように変わってしまっていた。
すべてのセリフがどこかで聞いたような凡庸なものになり、
演出も過剰に感情移入させようとしているようなのだ。
現代の部分では、基地反対を訴える人と
そう訴えたいが基地で働くことによって生計を立てている人の感情のすれ違いを描いている。
(ちなみに、地代収入者のことには一言も触れていない)
これが、しっかりとした取材を元に描かれた59年の事件を描いた部分と比べて
まるで表面を引っ掻いた程度にしか感じられなかったのだ。
それが非常に残念でならなかった。
この「ひまわり~」という作品も多くの団体、企業からの寄付によって作られている。
その支援などを考えると、何とも複雑な気分でリウボウホールを出たのだった。
59年の事件のことは知らなかったし、その事実を知ってほしいという趣旨には大いに賛成だし、
その意味では観ることの出来る人にはぜひとも観てほしいと思っている。
ただ、作品としてだけいうならば、おすすめするには何とも言えず複雑な気分になってしまう。
通称1フィート運動の会は全国から寄付を募って、沖縄戦関連の映像資料を買い集めるという運動をしていた。
そして30年という歳月をかけて、11万フィート、時間にして約5時間のフィルムを買い取ったという。
そのフィルムは編集され、様々な場所で上映された。
先週末にそのフィルムの最後の上映会が那覇市牧志のあおぞら公民館で行われたのだが、
どうしても行くことが出来ず、そのフィルムに関してはニュースなどで流される断片しか知らない。
でも、その断片だけでもそのフィルムの価値は分かったし、その運動が伝えたいことがいくらかでも伝わってくる。
記録フィルムと言えども、編集という作業を通すとそこにはどうしても作り手の主観が入ってくる。
記録フィルム、ドキュメンタリーというものは、その主観をいかに減らすか、どれだけ客観的になれるかがとても大切だ。
編集という作業をすると、印象的な場面、象徴的な場面を残そうとする。
その選択が正しいか否かは、その場面がいかにその前後に起きたことや
スクリーンの外側、つまりフィルムに写っていない部分で起こっていることを観客に想像させることが出来たかどうかにかかっている。
その意味において、1フィート運動の会のフィルムはそれをきちんと伝えてくれている。それは断片しか観たことのない僕にも伝わってくる。
また、いずれ観る機会が訪れることを心より待っている。
まえがきが長くなってしまったが、本題の映画「ひまわり~沖縄は忘れない、あの日の空」について。
この作品は沖縄復帰40年の企画として、昨年撮影されたものだ。
この作品は一般の映画館で上映されず、市民ホールや公民館などで数回程度しか上映されないので中々観る機会はないだろうから、内容にまで踏み込んで書いていく。
少し前まで大騒ぎになっていたオスプレイ。(もちろん沖縄県内では今でも問題になっている)
なぜ、それほどまでに過敏になっているか?
10年前の出来事を思い出してほしい。
米軍のヘリが沖縄国際大学に墜落した事件があったことを。
この時は夏休み中であったこともあり、幸いにも死傷者で出なかった。
(実は、その頃僕は沖縄に住んでいたので、とても記憶に残っている)
しかし、沖縄の人、特に年配の人にとってはそれよりももっと忘れることの出来ない事件があった。
それが、1959年に起きた石川市宮森小学校事件と呼ばれるものだ。
石川市とは現在のうるま市。そこにある宮森小学校の授業中に米軍のジェット戦闘機が墜落したのだという。
死者17名、重軽傷者210名という大事故だった。
この映画は、59年の事件と04年の沖縄国際大学の事件、そして現在(2012年)の3つの話で構成されていく。
現在の沖縄国際大学の学生がゼミの仮題として宮森小学校事件を掘り起こしていくというものだ。
過去の出来事はモノクロで、04年はアナログ的な画質で、現在をデジタル的なクリアな画質でという形となっている。
おそらく分かりやすくという意図であろう。しかし、それは残念なことに逆効果だったと思う。
それは、現代の部分を逆に際立たせてしまったことだ。
通常、モノクロは非常に効果的な手法で、そこには観るに否応なく想像をさせるからだ。
さらに、59年の事件を描いた部分は非常によく出来ていたと思う。
しっかりとした取材の元に脚本も書かれたのだろう。
子どもたちの演技も良かったし、監督の視線も比較的距離感を持ったものだった。
それが、現代の大学生たちを描くと途端に変わってしまった。
監督の視点がまるで距離感を失ってしまったかのようだった。
ナイチャーである僕がいうのもなんだが、途端に他人が当事者に対して、
「よく分かるよ」とでも言うような気持ち悪さを感じてしまった。
脚本自体もまるで別人が書いたかのように変わってしまっていた。
すべてのセリフがどこかで聞いたような凡庸なものになり、
演出も過剰に感情移入させようとしているようなのだ。
現代の部分では、基地反対を訴える人と
そう訴えたいが基地で働くことによって生計を立てている人の感情のすれ違いを描いている。
(ちなみに、地代収入者のことには一言も触れていない)
これが、しっかりとした取材を元に描かれた59年の事件を描いた部分と比べて
まるで表面を引っ掻いた程度にしか感じられなかったのだ。
それが非常に残念でならなかった。
この「ひまわり~」という作品も多くの団体、企業からの寄付によって作られている。
その支援などを考えると、何とも複雑な気分でリウボウホールを出たのだった。
59年の事件のことは知らなかったし、その事実を知ってほしいという趣旨には大いに賛成だし、
その意味では観ることの出来る人にはぜひとも観てほしいと思っている。
ただ、作品としてだけいうならば、おすすめするには何とも言えず複雑な気分になってしまう。