今夜は中秋の名月(旧暦の8月15日)。明るい満月が東の空に輝いていた。
気象予報士のお姉さんが「『中秋の名月』と満月が一致するのは次は7年後です」と言う。どういうことか……、
「今年の「中秋の名月」は、3年連続で満月と同じ日になるが「中秋の名月」と満月の日付がずれることは、しばしば起こる。理由は「中秋の名月」は太陰太陽暦の日付(新月からの日数)で決まるが、満月(望)は、太陽、地球、月の位置関係で決まるため。また、月の公転軌道が楕円形となっていて、新月(朔)から満月(望)までにかかる日数が13.9日から15.6日と変化することが関係している。なので次に「中秋の名月」が満月と一致するのは、7年後の2030年9月12日だ」とのこと。
めっきり秋らしく(肌寒く)なった、そんな夜に月をただ眺め、歌川広重の浮世絵「江戸百」を思い浮かべるのも悪くない。
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本日は、術後2年目の定期検診の日。午前10時前にHonmaHP.に入り体重と血圧を測る。上が159だなんてちょっと高めだ。看護師さんが「今日はみなさん高めに出るんですよ」と、やさしく言う。……なので「それってどうなのよ!」などと余計なことは考えすに待合椅子に静かに腰掛けた。
血液検査とCT検査、そして内視鏡検査を終え、会計を済ませ、駐車場の屋上から秋の気配を装い始めた酒田市内を眺める。
術後、もう2年、でもまだ2年か……と。
六十里越街道・古道歩き「『ゆどの詣で』全行程を歩く」に参加し、3日間山道を歩いた。しかしなんということか左膝を痛めてしまった。歩行疲労なのか、加齢のせいなのか、それとも栄養不足なのか? とにかく膝が痛くて、しゃがめない、正座どころかアグラもかけない状態が続いていた。
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見兼ねたカミさんが、「テルミー使ってみたら?」という。
藁にも縋る思い(?)…で、ドラッグストアで2000円程で購入したサポーターを外し、テルミー療法を施してみた。
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写真が私の足で……大変失礼
う〜む、気持ちイイ。
使用開始から約一週間が経ち、効果は劇的に効いた。階段の上り下りも問題なくできるようになったし、順調に快方に向かっている。今はサポーターも必要なくなった。素晴らしい‼
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無理な姿勢でのDIYで、腰も少々張ったように痛みを感じていた。ここにもテルミーを当ててみれば、腰の痛みは消え、全快した。よく効きますな。お勧めです。
Honma HP.の主治医から書いてもらった紹介状を頼りに、酒田市内の耳鼻科医を受診した。
検査の結果、鼓膜の状態は左右とも問題はなく、聞こえが悪い左耳の状態だが、原因は聴覚神経の劣化で回復は難しいとのこと、因みに右耳は正常値。なので、今の現状を受け入れるしかない。補聴器を着けても右耳の聴力より劣るので効果は期待できない。とドクターに告げられた。はぁ…。
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梅雨空の中、市内を抜けShimadaさん家に、矢島町「古文書集」の写しなどを届けたあと、別荘(=研究所)に向かった。
瞬く間に伸びだ夏草の中、葛蔓攻撃を免れたニワトコの赤い実が印象的だ。やはり手入れなんだね。
そしてなんと入口のドア前に、シマヘビの子どもが丸まっていた。
体長40〜50センチくらいだろうか、親ヘビは縦縞なのに、子どもは横縞なんだねぇ。う〜む体色も大人とは違うようだ…。おもしろい。
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「縦条があるからシマヘビだとすれば,シマヘビの幼蛇はシマヘビではない。帯蛇か横縞蛇とでも呼べよう。成体とは基色も異なって赤っぽく,うなじに三味線の「ばち」のような形の斑紋と,背面のとりわけ前方に,あずき色の細い横帯がある。この横帯は4列の暗赤色の点と,それを結ぶ暗赤色の線とで構成されている。成長につれて,この点が黒ずみ,前後につらなってH字形ないしはしご形になり,ついには4本の縦条となる。同時に基色も薄らぎ,灰色からわら(藁)色になっていく。横のものを縦に置くようになれば大人だ」(平凡社『日本動物大百科』[1996年])
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それにしても、シマヘビの寿命が10〜20年とは驚きだ。私よりも山楯地域に詳しいってことだよね。うーむ、この幼体は2〜3年前に見かけた大きなシマヘビの子どもかねぇ。ま、何れにしろ我が別荘(研究所)の守り神だからと、興味深そうにアチコチに頭をツッコミながらマイペースで立ち去って行くのを見送った。
昨夜から降り出した雨は時間を追うごとに雨量を増し、閉め切った窓越しに雨音が響いた。倶楽部のLINEグループでも「欠席」通知が数件ほど届いているようだが、どうやら「雨天決行」に変更なし。カッパと着替えを車に詰め込み目的地の三崎公園パーキングへと向かった。
雨天とはいえ参加者は普段の3分の2ほど、思った以上に皆さん「やる気満々‼」のご様子だ。素晴らしい!
松尾芭蕉も雨の中を歩いたと記されている旧街道(古道)を辿る。「芭蕉の思いは象潟に…」と、そんな想いに浸りワクワクと楽しみ歩けたのは良かった。
戊辰戦争での激戦地となった三崎山、大師堂の脇奥に建てられた戊辰戦争慰霊塔に拝礼した。この三崎山での戦闘の様子は「方寸 1号」の「羽後庄内 三番隊陣中日誌」(P98)に詳しい。この場所で戦闘が始まったのが慶応4年7月13日、苦戦したようだが官軍勢を撤退させている。そして同15日夜は、大雨だったと記されている。やはり雨…。
最後まで雨に祟られたWalkingだったが、私的には刺激的なひと時を過ごすことができた。感謝。
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奥の細道 三崎峠 三崎山旧街道
《三崎山「奥の細道」》「松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で、今に残る三崎の古道を門人曽良と越えたのは、元禄2年6月16日(1689年・陽暦8月1日)であった。かねて心にかけていた象潟を訪ねるため、前日酒田を出立したものの激しい雨に遭い、やむなく吹浦に一泊し、当日も雨であったが、芭蕉は象潟への期待から雨にも負けず、むかし有耶無耶の関があったというこの難所を超えて行ったのである。タブの木など生い茂る昼なお暗いこの細道を、病弱の身ながら一歩一歩踏みしめて行った様子が今も眼前に浮かぶようである。象潟の景勝にふれる目的を果たした芭蕉が再び酒田に帰るために此処を通ったのは二日後の18日であった。この日は快晴で、東には鳥海山がその美しい姿を見せ、西からは快い海風が吹く日であったという。芭蕉らは行きとは違って足どりも軽くこの峠路を通り過ぎていったのではなかろうか。 平成7年2月遊佐町・山形県奥の細道観光資源保存会」(案内看板より)
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大師堂(三崎神社) 戊辰戦争慰霊塔
《大師堂(三崎神社)》「慈覚大師(円仁)が草庵を結んだ所。大師は三崎山に道路を通す傍ら、仏教の教えを説いていました。大師がこの地を離れる際、大師を慕う人々のために自分の像を刻み、これを身代わりとしてこのお堂に納めたという伝説があります。現在の建物は江戸時代に建てられたものと言われています」(ウオーキング倶楽部リーフレットより)
《戊辰戦争慰霊塔》「幕末、三崎山は戊辰戦争の激戦地となり双方多数の戦死者が出ましたが、その遺体は誰からも拾われることもなく白骨化していきました。50年近くたった大正4年にようやく供養・埋葬されました」(同リーフレットより)
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大師崎と羽後三崎灯台を背景に
第4回Walking club が開催されたが今回も生憎の雨……、第1回からすべて傘や合羽持参のウォーキングとなっている。雨男雨女は誰だぁ?
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今回は、旧平田町の砂越城跡本丸公園周辺コースで、最後に『マルノー山形直売所マルのん』でお買い物(現在20%OFFのサマーフェア実施中‼)ができるというオプションも付いている。素晴らしい‼
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6km強の距離を約2時間かけてのウォーキングでした。解説していただいた砂越氏顕彰会の冨樫さん、渡部さんありがとうございました。代表の冨樫文雄さんとは旧平田町史を教えてもらう旨のお約束をした。またWalking 会員で山野草に詳しい方とお話をすることができた。楽しみが広がる Walking club なのである。よろしくお願いします。
今期第3回目の"JA Walking club"が主催するウォーキングイベントに参加した。これまでの「浜畑ミステリースポット」コースや「河岸八丁の面影を巡る」コースのような酒田市街地の歴史を散策するウォーキングとは趣を変え、深緑の八幡八森公園内約6kmの少々起伏のある散策コースでした。
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私の体調を考えれば、このくらいの軽い負荷が掛かった有酸素運動が効くようだ。知人と草木の話や、他愛も無い話もしながらのウォーキングは心身ともに気分転換になった。爽快だね。
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今月14日の6ヶ月検診で術後半年の経過を診るためCTなどを受けた。検査は約30分ほどで終わったが、患者の疎らな土曜日の院内はどこかうら寂しく緊張した感覚を思い出した。
その診断結果報告と定期検診(血液検査)が行われた。結果は「今のところ問題はないでしょう」的なドクターの言葉に、取り敢えず「ホッ」とした。
病院駐車場の屋上からは、今日も鳥海山が清々しく眩しく見えた。
抗がん剤を飲み始めて2度目の定期診察(2週服用・1週休みのインターバル)。薬を服用すると動悸と倦怠感で気分が落ち込んでしまう。当初は口内炎もできて難儀したが今は収まっている。
診察は採血と胸部腹部レントゲンのあとに内診。結果は悪くない旨をドクターから伝えられた。しかし。この抗がん剤治療が一年間にも及ぶと知り、またちょっと落ち込んでいる。
晴天の金曜日、本間病院向かいの立体駐車場の屋上から望む鳥海山。いいもんですな。
木々の中に見えるレンガ色の酒田文化センターの手前に、本間家菩提寺の浄福寺が見える。先日の春山先生の楽知六講座では本間家系図についての講義で、本間光丘(第3代当主)、本間光道(第4代当主)後の嫡男光和、嫡孫光貞について菩提寺の墓の位置から考察する話だった。そして友次郎へと繋がる。
気持ちの良い晴天の冬の空気の中、本間病院初代院長の本間誠医師のエピソードを思い浮かべていた。郷土史を識るのは面白い。
本日は術後の診察と検査結果の告知があった。
午前9時半過ぎに病院に入り、最初に採血が行われた。胃カメラ健診のときの傍にいた看護師さんが処置してくれた。
「久しぶりです」
「あら、良くなっていがったのー」などと和やかに採血後、腹部レントゲン室へ。
レントゲン室待合通路で、5階病棟の夜勤明けの看護師二人と出会う。
「久しぶりー、どうですか?」と名前も呼ばれた。
「お陰様で、イイ感じですよ」
「良がったのー、お大事にのー」と、満面の笑顔の看護師さんは素敵だと思う。
レントゲン後、主治医から経過と結果と今後の方針を聞いた。
病巣は全て取り除いたこと、リンパ節に転移が見られたことから薬による化学療法を行う旨の説明を受けた。
う~む、どのくら続くのかねぇ、副反応は酷いのかねぇ、などと考えてしまうが、治療だからしょうがない……か。
※写真は、ちょうど10年前の11月に温海岳から眺めた粟島。夕焼け、そして晴れだ。
Coconut Cacao味「砂糖不使用・無添加・高繊維食、100%天然素材」
[栄養成分表示 1本48g(標準)あたり]
・エネルギー:200kcal ・タンパク質:5g ・脂質:10g ・コレステロール:0g ・炭水化物:26g (糖質:15g ・食物繊維5g) ・食塩相当量:0g ・カリウム:330mg ・カルシウム:40mg ・鉄:2.3mg ・ビタミンE:2.9mg ・マグネシウム:65mg ・ナイアシン:0.5mg
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〇鉄・カル ウエハース
チョコクリーム味「国産原料由来の小麦粉が主原料のウエハースで、カルシウム、鉄分が豊富です」
[栄養成分表示 100gあたり (1枚あたり標準6.8g)]
・エネルギー:475kcal ・タンパク質:6.9g ・脂質:23.4g ・炭水化物:59.3g ・食塩相当量:0.5g ・カルシウム:3200mg ・鉄:62.2mg ※ウエハース1枚(6.8g)に鉄が約4.2mg、カルシウムが約218mg含まれています。
いはほたりとも朽ちそしぬへき
≪拾遺和歌集≫
5階病棟から見えた宮野浦沖に沈む夕日。
そして病室から正面に見える日和山公園と砂高山海向寺。
酒田まちなかのH病院で約3週間お世話になりました。主治医をはじめ、温かく励ましてくれた看護師やスタッフの皆さんには感謝の言葉しかありません。ありがとうございました。
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この句は、天和3年(1683)に来酒し、天満宮で酒田の俳人20余人と俳席を開いた大淀三千風の句。
採血に来た年配の看護婦さん、「この病院も昔は筋向いさあっての、中町だもんださげ焼鳥屋の美味い煙が病室さ入ってくるもんだけ」「呑み助方だば大変だっけろの」と、賑わいの酒田を思い出しながら語ってくれた。
ベッドに横たわり楽しく想像してみた。感謝。
健康診断を行った。
昨年から酒田市の医療機関で受診している。昨年の胃カメラ検診で潰瘍が見つかり、再診を通告されたのだが、なんだかんだと受診せずに今回の健診になってしまった。結果は昨年より潰瘍が大きくなっているので組織を採り検査する。結果は来週に判ると告げられた。う~む。そして、胃薬(ランソプラゾール30)が処方された。
健診者専用入口から入り、健診後に診察となり一般外来の出口から外に出ることになるとは……。待合室で会計を待つあいだ周りを見渡し、「酒田の人と鶴岡の人達にはどうも違いがあるなぁ」と感じられた。具体的に……どう? とは上手く表現できないけれど。もう少し観察してみたいと思ってしまった。面白いね。
さてさて、このブログの2つのカテゴリーが無くなって、今後は病気系のこのカテゴリーが充実するのかぁ? う~む年には勝てないか…。