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今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

No.1024    バタバタしそうなこの1年

2011年01月11日 19時33分22秒 | Weblog
自分の性格から言って、バタバタしない毎日は無いんだろうと分かっていながら、今年もやっぱりバタバタする(笑)。

私が悪いんでしょうな・・・きっと。

それにしても同時並行的に多くのプロジェクトが進行していると気の弱い私はひるんでしまう。

新しいことをスタートさせるためには多くのことをクリアしていかないといけない。

わかっていながら、なかなかことはカンタンには進まないものだ。

でもそれをお客さんに悟られないようにしたい。

誰だってプロに求めるものは「安心感」だと思うからだ。

水道に異常があったとき、水道局に電話するのは素人芸で修理して後で大変なことになりたくないのももちろんだが、「もう大丈夫ですよ」の笑顔がほしいからに他ならない。

その安心感のためにきっとお財布は開くのだと思う。

どんなにバタバタしても、そうは見せないスマートさが今年の私の課題である。


No.1023 脳のドアは一度では開かない

2011年01月10日 17時58分44秒 | Weblog
広告はなかなか奥が深い。

自分で勝手にお客さんのマグネットステッカーを車に貼って乗っていると信号待ち等で隣の車の視線を感じることがある。

それがどうした?

成果は出たのか?

と聞かれそうだが、もちろんまだ私に限っては直接的にはない。

ただ本当に無いかどうかはわからない。

人間の脳の記憶のドアは何回目かのノックで突然開くことがある。

まずは1回目のノックになれればとても良い広告なのである。

No.1022 イベントは面白い!

2011年01月09日 15時06分14秒 | Weblog
突然の情報により、急きょ幕張のイベント会場に出かけた。

少し迷ったが、行ってよかった。

判断に迷った時はYESにすべきだな、とわかった。

お客さんが新規参入する市場を少しでもこの目で確認したい。

とは言うものの、お客さんからの依頼はないし、展示会のことを告げると昨年行ったが見るべきものはなかったとのこと。

実はこの一言が迷いを大きくした。

結果的に
(無駄になってもいい。自分の勉強のために行こう)
と決めた。

やはり発見は大きかった。

確かに規模だけ見るとショボい。

だが来場者の滞留時間が桁違いに長い。

それはイベント自体をとても楽しんでいるから。

主催者側の参加型の企画も効を奏していたし、何より来場者同士がコミュニケーションしている。

こんなイベントはなかなかない。

出展しているブースにも特徴があった。

小さなブースでさえほぼ全ての店がクレジットカード対応だった。

金額は小さいものからバカ高いものまであったが、売る店はひっきりなしに売れていた。

来場者の質は高い。

有料イベント(当日大人1200円)と言うことはさておき、身なりや会話から判断するに「中の上」ではないか?

ツボにはまればかなりの金額が見込めそうだ。

よい顧客となる可能性十分である。

イメージしてみた。

来年出展すべきイベントかどうか?

私は「あり」と思う。

出展料は高いが、商品単価から考えればさほどでもない。

早速お客さんに提案しよう。


最後に昔のお客さんが出展していたんでブースに立ち寄ってみた。

すると昔宣伝セクションにいた女性に似た人が見えた。

やっぱりそうだ!

何年ぶりだろう。

私より年下だが、もう『部長代理』だった。

それだけ時間は流れていた。

15分くらい立ち話をした。

変わらず元気印でよかった!

イベントからお土産をもらった気がした。

No.1021   「賭けてるゾ!」という感触

2011年01月08日 18時39分06秒 | Weblog


渋滞中に思わず撮影した看板。
前から気になっていたもの。
コピーが気に入っている
『餅を愛し、餅に生きる  もち吉』
よだれが出てくるのは私だけだろうか?
お店が自社の事業に賭ける意気込みがラクラクと伝わってくる。
専門店ならではの「何か」が必ずあるはずだと暖簾をくぐる前から期待が膨らんでいく。

だからこそブランドステイトメントにしても、スローガンにしてもコピーの責任は思いのだ。
期待させると言うことは、自分たちでハードルをあげていることになるのだから。

人間は不思議だ。
たとえば期待していない高速道路のサービスエリアで夕食を食べざるをぺなくなった場合、接客も食事の内容もテーブルの衛生状態も何もかも期待しない。
おまけに価格も相場の倍くらい高い・・・。

そんな状態で期待せずに入ったレストランが意外にキレイで、接客もよく、食事が美味しかった上にリーズナブルな価格設定だったらどうだろう?
すごくカンゲキしてしまうのではないだろうか?
その秘密はハードルが低かったから、ということになる。
娑婆に出たらそのレストランも普通の店に過ぎないはずだ。

「専門店」の看板を掲げるからには、あらゆる方向からの高い期待をやすやすと超えていくことが期待される。
その困難な状況の中、お客をうならせたら本物だ!
きっと「ライフタイムカスタマー」(生涯顧客)となっていくのに時間はかからないはずだ。

コミュニケーションはいつもその実体の「半歩先」に寄り添っていく存在でないといけない。
言い過ぎたら、店を弊店に追い詰める可能性があり
言わな過ぎたら、閑古鳥だ。

だからこそ、真剣勝負!

No.1020    すべて自由な授業

2011年01月07日 23時23分45秒 | Weblog
仲人でもあり、恩師でもあるT先生から「頼みがある」と携帯に電話があった。
T先生は3月末で定年を迎える。
何でも高校生に社会人からの授業をしてほしいという。
その高校は進学校だ。
だからすぐ就職する生徒は少ない。
でもやっぱりそういう企画ができたんだそうだ。
言われた日がビミョーで、即答できなかった。

電話を切って考えた。
高校時代にあれだけ多くのことを教わり、
何かうまくいかなければ相談に乗っていただき、
今もなお「恐いオトナ」として君臨してくださっているT先生の、
先生としてのおそらく最後の頼みだろう。
四の五の言っている自分があほらしくなってきた。

喜んでお受けすることにした。
先生も喜んでくれた。
「内容はすべて任せる」
とのこと。
昔の自分ならその時点で
「企画の意図は何ですか?」
と聞きまくっていただろう。
でも今は授業が楽しみになっている自分がいる。

たった45分
されど45分

神様がめぐり合わせてくれた私と生徒たち。
どんな空間を
どんな時間を
過ごすべきなんだろう、と。

私は
思い切りスペシャルな
今私が持つ「最高」のものを
全部プレゼントしてみたい気持ちになっている。

誰にもまとめて披露したことのない大真面目な「遺言」。
これをバトンとして受け取る生徒ははたして
幸か不幸か。

No.1019 「いい年」を具体的に

2011年01月06日 19時26分29秒 | Weblog
幼い頃父が元旦に家族に「今年の目標は?」と聞いた。

毎年の恒例行事だ。

私はそれが嫌いだった。

聞かれることがわかっていて用意しない。

理由はきっと何か言っても父が文句を言うからだ(^w^)


誰でも強制されるのは嫌だろう。

いやいや言った内容にケチをつけられては散々だ。


今は少しニュアンスが違うが毎年その年の過ごし方を自分で書いて部屋に貼り出す。

自主的にやっている。

だからやってもやらなくても誰にも文句を言われない。

でももう7年くらい続いている


理由は2つ。

一つは人間だけが言葉により自らを定義される存在だと知ったから。

もう一つはノンベンダラリと生きてしまいそうな自分が嫌だから。


年末年始にテレビなどのマスコミではみな「来年はいい年にしたい」ということに気がついた。

みんな描いている「いい年」は違うんではないか?


私はあと30年働ける身体をつくるため掲げた7項目の内の1つに「水泳トレーニングを年30回行う」を新しく加えた。


私にとって「いい年」は一年後にそれが達成され、目論見通り強いカラダを手に入れることだ。

昨晩早速泳いできた。

爽快な一年の始まりである。

No.1018   「文字魂(もじだま)」

2011年01月05日 11時56分29秒 | Weblog
昨年末ある昔の会社の後輩宛ての年賀状にこう書いた。

「君の年賀状の文字にいつも刺激されてきた。
とても敵うとは思わないけれど、目標にしてきた。
でも昨年からあの美しい宛名が印刷に変わっていてさみしかった。」

たしかこんな内容だった。
(ちなみに裏面に一言はきちんと手書きである)

彼の文字は素晴らしい。
縦の線はどこまでも続くかのごとくまっすぐにさわやかに伸び、払いの線はきれいな弧を描く。
癖がなくシンプルな文字だが、文字として最も重要と思われるバランスが良い。

それは文字の中でのバランス
他の文字とのバランスの両方だ。

素晴らしい文字に出会うと、感動する。
それと同時に自分が恥ずかしくなる。
もっとうまくなりたいともどかしくなる。

こんな刺激が減っている。
印刷文字にバランスもヘッタクリもないから。
だから彼だけにはPCに手を染めないでほしかった。
勝手な片思いと、わがままであることはわかっている。
でも自分の思いだけは伝えておきたかった。
迷惑がられるとしても。

そんな時って、あると思う。
あっていいと、思う。
結果は別として。

No.1017 パワーの充填

2011年01月04日 12時43分30秒 | Weblog
年賀状の一通にこう書いてあった。


「不愉快なことがあるとキョウワタを読ませてもらっています。」

この方は最初に勤務していた会社の先輩で、言葉がとても味わい深く大好きな人だ。


いつぞやキョウワタを読んでくださっていることを知り、嬉しいやら恥ずかしいやら…と感じていた。


今回は「不愉快なこと」に対する『飲み薬』的な捉え方で良いのかな?


だったら嬉しいな。




正月は高校の野球部のOB会の新年親善試合がある。


最近は若手も集まるようになり、盛況だ。


今までは受付が忙しくグラウンドに出ることが難しかったが、今年は是非参加しよう!と思いシートノックを受けた。


しかも中学時代のポジションである三塁手で。


一緒に守るのは一つ下で最後の夏を共に戦ったMくん。


二人で大きな声を出してノックを受けていたら何だか現役時代さながらに盛り上がってきて、ノッカーも本気になってきた。


捕れそうで捕れないギリギリのゴロに飛び付き泥んこになりながら最高の練習をさせてもらった。


やっぱり野球は楽しいや。


グラウンドの土の匂いをいっぱい吸って、パワーをたくさん貯めることができたお正月。

No.1016 第2の人生

2011年01月02日 18時29分23秒 | Weblog
年賀状を読んでいると「そろそろ定年」と言う先輩が増えてきた。

まだ65歳定年制は一部らしく役員でもない限り50代後半からいわゆる『第2の人生』を眼前に突きつけられる。

ある50代の先輩が早期退職制度を使って故郷の長崎へ帰ると聞いた。

東京で一緒に野球をやり、静岡にも縁がある方だ。


静岡に遊びに来たときに何人かの先輩たちに混じってお話を聞いた。


見た目はさておき(失礼)ダンディズムがあるかたで今の時代にはなかなかいない男性だが、未だに独身。


長崎で何をして暮らすのか?と質問すると

何もしない

と答える。


元々東京とはソリが合わなかったのかもしれない。


必要があれば働くし、自分一人であれば何とか生きていける。


ダンディズムである。
これも素敵だ。


私などは会社勤めの観点から考えればあと10数年が第1の人生だが、年金もあてにならないし、まだまだ働く意欲も旺盛なので「30年計画」を考案中だ。

他人に自分のワーキングライフを

「はい、ここまで。
ご苦労さん!」

などと決められたくない。


そのためにはどうすればいいか?

これも「30年計画」の課題だ。


この計画の最終ゴールは(納得のいくワーキングライフ)だ。


今年も微力ながら精一杯クライアント企業のコミュニケーションをお手伝いして行きたい。


そのために自分自身今まで怠りがちだった業界の勉強を再スタートさせたい。

No.1015 今年をどうイメージするか?

2011年01月01日 20時05分47秒 | Weblog
新年早々エスパルスにはいいファイトを見せてもらった。

素晴らしい試合だったのではないか?

もちろんそれ以上に鹿島が素晴らしかったから天皇杯を手にしたわけだが。


私は敗者に興味がある。

自分がよく負けるからだろうか?

判官贔屓?

勝ったアントラーズより負けたエスパルスに。

無事帰還したはやぶさより失敗したあかつきに興味がある。


敗者には美学が必要だ。

残念ながら勝者には美学は要らない。

負けたらインタビューも苦痛でしかない。

でも逃げていては敗者の美学は追求できない。


そしてその敗戦が大きければ大きいほど美学はきわまっていく。

土俵やステージの大きさがその上に上がるものの器を決めるのだ。

2011年
どんな大きさのステージが目の前に来ても臆せず対峙できる自信を身につける年としたい。