昨日「教育は国家百年の計」と書いたのは良かったがなんだか漢字が間違えていそうな気がしてグーグルしてみたところ、漢字はあっていた様なのだが副産物として面白いサイトが見つかった。
”坂爪捷兵の言いたい放題”
というものだ。
目次を見るだけでわくわくしてくる!
今回は『教育は国家百年の計』 (薩摩の御中教育)という項に感激したので紹介したい。
http://www.syohei.jp/html/sikou86.htm
私が不勉強なのか「生麦事件」と言うと、幕末に薩摩藩が身の程知らずにも英国の艦隊に発砲して大敗を喫した幕末の「大海を知らぬ蛙=日本」と言う印象のただよう事件だ。
ところがこのコラムではこんな紹介がしてある。
少し長いが多少省略して紹介する。
なんと素晴らしいエピソードだろう!
●明治時代に、イギリスのジョージ五世の戴冠式に明治天皇の代理で出席した乃木大将は、イギリス各地でボーイスカウトがすばらしい活動をしているのを目の当たりにして同席していた将軍に「あのようなすばらしい青少年の組織をどうやって作ったのですか?」と尋ねた。
彼は「あなたの国、日本の御中教育を真似しただけですよ」と笑いながら答えたと言う。
大将が調べたところ、生麦事件でイギリス人が殺害されイギリスと薩摩の戦争になったが、英軍は指揮官と副官を失い逃走した。
戦争は薩摩藩の勝ちといってもよいのだが大久保利通が率いる薩摩軍がしたことは、賠償金を払い、頭を下げて英国の優れた武力を学びたいと願いでたことで、英軍はすっかり薩摩びいきになり、意気揚々と本国に帰ったのである。
英国人はこのことで日本に関心を持つようになり、じっと日本を観察しはじめたが、どうしても理解できないことがあった。
西郷隆盛や大久保利通といった優れた人物が、薩摩藩から多数出現して明治政府を作ったこと(西南戦争までは軍人や役人は薩摩藩出身者が大多数を占めていた)と、大山巌、東郷平八郎といった無数の優れた軍人が、なぜ出現したのかということである。
イギリスは必死で研究して、薩摩藩には秀吉の時代から続いている 「御中教育」と呼ばれる教育制度があったことに着目した。
すると、西郷隆盛も、大久保利通も、大山巌も東郷平八郎も、この教育からうまれたことが分かった。
当時一等国であったイギリスは「御中教育」を研究して、ボーイスカウトの制度を創立した。
同時に、日本国内では無理だろうと思われた日英同盟にも、イギリスは日本を尊敬していたので、快く応じた。
そして、イギリス政府は日露戦争時に、植民地に寄港するバルチック艦隊に対して、非協力な態度を取った。
その後も、ロシアとの交渉で、裏から日本を援助したのである。