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今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

No.393 白洲次郎が注目される時代

2009年02月28日 22時56分09秒 | Weblog
NHKドラマスペシャルで3回に渡り白洲次郎がとりあげられる。

彼が今注目されるのは偶然ではないだろう。
終戦後「平和が当たり前」「日本は戦争しない良い国」と勘違いしている私たちに対する『警告』だ。

独立国でありながらアメリカの庇護のもとでヌクヌクとしていて平和のことを考えることすら忘れてしまっている。

戦前、戦中、戦後と次郎さんはじめ多くの先輩が必死に守って来た日本。

庇護を受けていても簡単に迎合せず、アメリカが悪い時には悪いと言える強い意志を持て。いつも自分のプリンシプルを持って行動せよ…次郎さんの遺言だと感じた。

No.392 『メッキは、ハートで強くなる。』

2009年02月27日 15時39分12秒 | Weblog
ちょっと前に制作したある会社の企業スローガンがある。
『メッキは、ハートで強くなる。』
というものだ。
それを本職のコピーライターの方に褒めていただいた。
ものすごく嬉しかった。
私は営業である。
本来なら「領空侵犯」である。
でもココロはコピーライター以上にお客さんのことを考えている。
そんな時、自分に表現力があればいいな・・・と思う。
だから私は企業スローガンの収集を怠らない。
新聞や雑誌やホームページなどに掲載されている広告から切り取り(またはプリントアウトして)ファイルしている。

気づいたことは大きな会社であれば必ずよいスローガンを持っているとは限らない、ということだ。
でもいいものもやっぱり多い。
だってかけている時間と、お金が違うものね。
お金があればいいスタッフが使えるから。

シャープさんの「目の付けどころが、シャープでしょ。」はあまりにも有名だ。
私も好きなスローガンの一つである。
これは元々社長直轄のプロジェクトスローガンだったらしい。
しかも「業界No.1」のものにしかつけることを許されなかったとか。
今では緩和されているようですが。
「あしたのもと AJINOMOTO」もいいですね。
「世界は、ひとつずつ変えることができる。 FUJI FILM」もグッと来ます。
ここ数年で最も好きなものの一つが「ココロも満タンに コスモ石油」かな?
なんかいい感じのSSが思い浮かぶし、何しろ従業員に対する指針にもなっていると思うから。
企業スローガンは顧客に対する「約束」だ。
でもそれはすなわち従業員に対しては「こういう会社になるのだ」という方向付けだと私は思っている。

話は戻るが自分が上記のスローガンを書いていたときはその会社の持っている特徴、雰囲気をいろんな角度から書いてみた。
この会社はメッキの会社なのだが、従業員のほとんどが知的障害者なのだ。
しかも重度の子が多い。
でもしっかりと仕事して、ちゃんとお給料も稼いでいる。
すごい会社なのだ。
私は何度もその会社に足を運んだ。
ひたすらに働く知的障害者の方々を見ていて、完成したメッキ製品の出来が変わるのでは?と思ったことから由来している。
その添加物は「ハート」だ。

今日もこのトラックが、街を走っている。
それだけでなんだか嬉しくなる。
クリエイティブって、すごいことだ。

No.391  プロ同士がぶつかり合うプロセス

2009年02月26日 14時07分06秒 | Weblog
馴れ合いは嫌だ。
仕事もスポーツも。
真剣にやらないと「面白くない」。

東京で働いているときは、社内に制作スタッフ、マーケティングスタッフ、SPスタッフ、PRスタッフがいて、外部にもスタッフはいた。
みんなアクの強い人たちで一筋縄ではいかない。
でもそんな人たちが本気でぶつかり合うから、ミーティングはとんでもないことになる!
営業はそれを仕切らなくてはいけないので、もう大変だった。

でも今思えば懐かしい。
大の大人が「たかが広告」に、深夜まで真剣に唾を飛ばしあっている。
たったひとつのコピーをどうするかで、議論を戦わせている。
マーケティングのスタッフだって黙ってはいない。
PRだって、SPだって・・・外部スタッフだってガンガン意見を言う。

・・・まとまる見込みは無い・・・ように見える。
それが営業の絶望とは別に、収束していく。
それが面白い。

元々文系の世界なので「正解」がどこにあるかはわからない。
キャンペーンが成功した場合でも、何が主因かはわかりにくい。

でもプロ同士が本気の意見をぶつかり合わせるプロセスこそが重要だと思う。

静岡では無理だと思っていた。
でも無理ではなかった。
とても嬉しい出来事だ。

今後もそんな仲間を増やしながら、真剣勝負の中で自分を成長させていきたい。

No.390  野菜ジュースの「真実」

2009年02月24日 16時40分32秒 | Weblog
先日お客さんを見舞ったときに、とんでもないことを聞いた。
病院の食事に野菜が出る。
これがお客さんの嫌いなピーマンとかインゲンとからしく全部残すとのこと。
「子供じゃないんだから!」
と笑って言い放ったが、全然聞いちゃいない。

そこでお客さんがポツリ。
「病院の1階に野菜ジュースが売っている。
でも看護婦さんによるとあれは気休めでしかないそうだよ。
やっぱり胃腸で消化するから成分が吸収されるんだって。
だからあれで野菜嫌いを補おうとしてもムリムリ」

どうやら水分だと体の中をス~っと通り抜けてしまい、吸収する時間がとれないそうだ。
人間の体というのは、やはりそんなに簡単には変わらない。
外からの栄養摂取の仕方は、太古の昔から変わらないのだ。

それはそうとどんな業界にも「真実」がある。
広告・マスコミ業界は「嘘の情報でミスリードする」と言う公然の秘密がある。
政治も経済も、そして広告でさえも。
カネにモノを言わせる資本主義社会であっても、最後の「人としての判断力」だけは持ちたいものだ。
「嘘つき」の片棒は担ぐまい。

昔ミドリ十字の非加熱血液製剤で多くの被害者が出たときに思ったことがある。
(広告業界は台風で看板が飛んだりしない限り、人を殺(あや)めることはない。よかったよかった)と。
ただ情報化社会の今、嘘の情報は人を社会を混乱させる力を持つ。
死にいざなう事すらあるのだ!

人間の命を扱う「医療業界」にはもっともっとすごい「真実」があるのだろうと思うとぞっとする。
だが「知らぬが仏」という考え方もある。

「真実」は一つではないだろうが、少しでも「真実」に近づき「嘘」から遠ざかりたいものだ。

No.389  鏡よ、鏡。私を映せ。

2009年02月23日 21時53分38秒 | Weblog
鏡に映る自分は好きでない。
たぶん左右逆だからだ(笑)。

冗談はさておき、自分の顔がずっと見えていたら嫌だろうな、と思う。

ビジネスでトラブり謝っているときの顔。
酔っ払って説教モードになっている顔。
ソフトボールで大人気なく吠えている顔。
美人の前で鼻の下を長くしている顔。

こうやって考えてみると自分が見えないからこそ生きていられるのだな、とさえ思う。
とても自分の客観視などできていない。
だって自分が見えたら嫌だし、怖いし、耐えられない。

よく感じることがもうひとつある。
自分がドンドン年齢が上がって老けていくのにその顔・姿が自分から見えず、つい若い頃の調子でいろんなことを頑張ってしまうこと。
だから「年寄りの冷や水」現象が起きるのだと思う。

自分だけは誰しも、見えない。

だからこそ、直言してくれる友人が必要なんだろう。
でも最近分かったことは古くからの友人が必ずしもいいアドバイスをくれるとは限らないと言うことだ。

新しい友でも、古い友でも関係ない。
お互いを認め、高め続ける関係を大事にしたい。
その人こそが自分の「鏡」となってくれるはずだ。

No.388 お見舞いと墓参り

2009年02月22日 18時18分45秒 | Weblog
お客さんのお見舞いに行った。
少し前に大部屋に移ったと聞いて静かに六人のベッドをみてまわるが見当たらない。
外の名札には書いてある。
もう一度見る。

するとあろうことか!さっき行き過ぎた人がその人だったのだ!

「見たことあるやつだと思ったよ」
見た目は変わっても口は変わらない。
少し安心する。

入院して早くも一ヶ月がたとうとしている。
最初の頃は見舞いに行くなと止められていたくらいだった。
真っ黒だった顔はスッカリ白くなり、体重も10kg以上落ちたそうだ。
わからなくなるはずだ。

肝臓と糖尿らしい。

大の病院嫌いで定期検診ですら行かなかった豪傑だが、さすがに神様の逆鱗に触れたらしい。

回復した姿が見られて安心した。

友人の命日なので墓参りに行った。

彼女に話しかけていると命は大切にしたいといつも痛感してしまう。

No.387 植物にも心が伝わる

2009年02月21日 21時01分15秒 | Weblog
3年前の誕生日に娘にもらった鉢植えがピンチを迎えていた。
全ての葉が枯れて落ちてしまったのだ。

このまま枯らすわけにはいかない。

ただ特効薬も見当たらない。

よく植物にも「声がけ」がいいと聞く。
「ありがとう」と声がけするとイキイキ育ち、「バカヤロー」と言い続けると枯れていく。

正直半信半疑だった。
私は毎朝霧吹きで水を吹き掛ける時に「ガンバレガンバレ」と言ってみることにした。

口にする時と心で思う時がある。

その甲斐があってか新しい葉が伸びてきた。
嬉しい。

なんでも新しいことは騙されたと思ってやってみるものだと再認識した。

No.386  伝えようとする意図をつかみ取る力

2009年02月20日 22時09分33秒 | Weblog
今読んでいる本は漫画家の小林よしのり氏の描いた「パール真論」。
東京裁判で唯一日本の戦争犯罪者全員に無罪を言い渡したインドのパール判事の話だ。
ただ本当のテーマは「日本語を使ったコミュニケーション能力」についてである。

漫画とはいえ彼の著述は文字が多い。
でも徹底的にロジカルなので読みやすいし、わかりやすい。
だから面白くて仕方ない。

小林氏には日本語のコミュニケーション能力があり、しかも徹底的に解釈しようと努力する。
パール判事の書いた「東京裁判への反対意見書」は、とても言葉遣いが難解らしい。
でも彼は徹底的に読み、理解しようとし、最終的にはキッチリとした「要約書」まで本書に収めてしまった。
プロの仕事である。

パントマイム以外はおそらく言葉のコミュニケーションを逃れることは出来ない。
小林氏はそれを身につけていたので「ギャグ漫画家」から「社会批判漫画家」に転身できたのだと思う。

本書の中でパール氏の意見書の真意を故意に曲解した著書を書いている学者のことを徹底的に批判している。
本当だとすればもうそれは「犯罪」に近いほどのことだ。
そんな人たちが大学でのさばっていると思うと、最終学府も怪しいもんだ。

本を読む態度は「自由」である、とよく言われる。
どこに感動しても良いし、作者の言わんとしていることをどう捉えてもいいのだ、と。
その考え方に対し国語学者の斎藤孝氏は反論する。
作者の意図は明らかである。
それを100%とは言わなくとも、8割までは読んだ全ての人が読み取らなくてはいけないと。
私も賛成である。
100人読んだら100通りの解釈が出来る本はデタラメ本と言うしかない。
逆にそんな本は書けないはずだ。

前述の学者は「まず結論ありき」でパールの意見書を切り刻んで引用し、自分の文章でつなぎ合わせ、読者をミスリードしているらしい。

パール氏は戦後何度も来日している。
そして骨抜きになってしまった日本を嘆いていたそうだ。
広島の原爆の碑に「2度と過ちは繰り返しませんから」と書いてあるのを見て、地団駄を踏んで悔しがったと言う。
そして最後の訪日のときも巣鴨プリズンに収容されていた800人のB級戦犯を1人1人面会して行ったそうだ。

最後まで国際法を遵守し、「日本無罪」を貫き通した尊敬すべき「法のスペシャリスト」だった。
改めて敬意を表したい。

No.385  ビッグ3と山一の社長

2009年02月18日 14時09分27秒 | Weblog
経営は難しいと思うが、アメリカの大企業のやり方は狂気の沙汰としか思えない。
千、万という単位の人たちをリストラするから、国の税金をシコタマ低金利で貸してくれ!
・・・何それ?って感じだ。
そのくせトップの給料や退職金は思い切り高いし、そのインタビューだって平気な調子だ。

一昔前、山一證券が破綻したときに社長が謝罪記者会見で顔をクシャクシャにして社会に対して謝罪し、男泣きに泣き、社員と家族に頭を下げた。
その後のマスコミの反応はひどかった。
世界に対して恥ずかしい。
みっともない。
経営者としての資質が問われる。
記者会見がわかっていない・・・あらゆる罵詈雑言が飛ばされ、電波や紙にのって大量にばら撒かれた。

私は違和感があった。
そういう目で見ているとそういう記事が飛び込んでくる。
「あれこそが日本の経営者だ」
という人が現れた時、その記事を熟読した。
日本の「雇われ社長」の給料は海外の一流企業のトップに比べ笑ってしまうほど安い。
最近では公用車もつかなくなっている。
電車通勤だ。
でも山一の社長には「日本的家族経営」が残っていたんだ・・・とその記事を読んで思った。
最後まで彼は自分の社員に詫び、社会からかばっていた。
それは「株主第一資本主義」のアメリカナイズされた人たちからは「株主にこそ謝れ!」という論拠を与えた。

でも株主は自分の財布のことしか考えていない人が多い。
出資した企業の「中身」なんて興味が無い人が多い。
謝罪なんかいらないから「金返せ」だ。

経営者が本当に守らなくてはいけないのは何なのか?
やっぱり「社員とその家族」だろう。
山一の社長の記者会見を私は支持する者である。

No.384  生麦事件とボーイスカウト

2009年02月17日 13時04分05秒 | Weblog
昨日「教育は国家百年の計」と書いたのは良かったがなんだか漢字が間違えていそうな気がしてグーグルしてみたところ、漢字はあっていた様なのだが副産物として面白いサイトが見つかった。

”坂爪捷兵の言いたい放題”
というものだ。
目次を見るだけでわくわくしてくる!
今回は『教育は国家百年の計』 (薩摩の御中教育)という項に感激したので紹介したい。
http://www.syohei.jp/html/sikou86.htm

私が不勉強なのか「生麦事件」と言うと、幕末に薩摩藩が身の程知らずにも英国の艦隊に発砲して大敗を喫した幕末の「大海を知らぬ蛙=日本」と言う印象のただよう事件だ。
ところがこのコラムではこんな紹介がしてある。
少し長いが多少省略して紹介する。
なんと素晴らしいエピソードだろう!

●明治時代に、イギリスのジョージ五世の戴冠式に明治天皇の代理で出席した乃木大将は、イギリス各地でボーイスカウトがすばらしい活動をしているのを目の当たりにして同席していた将軍に「あのようなすばらしい青少年の組織をどうやって作ったのですか?」と尋ねた。
彼は「あなたの国、日本の御中教育を真似しただけですよ」と笑いながら答えたと言う。
大将が調べたところ、生麦事件でイギリス人が殺害されイギリスと薩摩の戦争になったが、英軍は指揮官と副官を失い逃走した。
戦争は薩摩藩の勝ちといってもよいのだが大久保利通が率いる薩摩軍がしたことは、賠償金を払い、頭を下げて英国の優れた武力を学びたいと願いでたことで、英軍はすっかり薩摩びいきになり、意気揚々と本国に帰ったのである。
英国人はこのことで日本に関心を持つようになり、じっと日本を観察しはじめたが、どうしても理解できないことがあった。
西郷隆盛や大久保利通といった優れた人物が、薩摩藩から多数出現して明治政府を作ったこと(西南戦争までは軍人や役人は薩摩藩出身者が大多数を占めていた)と、大山巌、東郷平八郎といった無数の優れた軍人が、なぜ出現したのかということである。
イギリスは必死で研究して、薩摩藩には秀吉の時代から続いている 「御中教育」と呼ばれる教育制度があったことに着目した。
すると、西郷隆盛も、大久保利通も、大山巌も東郷平八郎も、この教育からうまれたことが分かった。
当時一等国であったイギリスは「御中教育」を研究して、ボーイスカウトの制度を創立した。
同時に、日本国内では無理だろうと思われた日英同盟にも、イギリスは日本を尊敬していたので、快く応じた。
そして、イギリス政府は日露戦争時に、植民地に寄港するバルチック艦隊に対して、非協力な態度を取った。
その後も、ロシアとの交渉で、裏から日本を援助したのである。