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今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

何が地球を滅ぼすのだろうか?

2008年01月31日 23時52分14秒 | Weblog
人類の排出する二酸化炭素が主因で地球が温暖化していると世の中では断言されている。
私はひねくれ者なので疑問を持っている。
本当だろうか?と。

昔、地球の気候は太陽の黒点運動ひとつで劇的に変わる、という話を聞いたことがある。
また現代は「間氷期」(氷河期と氷河期の狭間の期間)という説もある。
温暖化したほうが次の氷河期の到来を遅らせることが出来るかもしれないという学者もいるそうだ。

だけど温暖化の原因が人類の環境破壊にあるということを信じ、その生活を見直し少しでもカイゼンしようとしていることに関しては大いに歓迎だ。

ただ歓迎できない事態がある。

二酸化炭素の排出が少ないと言う理由で原子力発電が世界的に「奨励」されていることだ。
アメリカよ、スリーマイル島でのメルトダウンの恐怖を忘れたか?
旧ソ連の国々よ、いまだ半径数十キロにわたり人が住めないチェルノブイリの現状を直視しているのか?
日本よ、「トイレの無いマンション」と数十年前から言われている放射性廃棄物の最終処理場が決まらない現状でどうしてゴミを出し続ける選択が出来るのか?
しかも日本のゲンパツ自治体はカネ欲しさにプルサーマルという当初どのゲンパツも技術的にも耐久性でも予定していなかった危険な手法をも受け入れようとしている。
まだある。
中国をはじめとしたアジア諸国にゲンパツを輸出しようとしているではないか!

世も末である。

二酸化炭素が出なければ、何をしてもいいのか?
どうして自然エネルギーにもっと力を注がない?
金を使わない?
頭を使わない?

原子力発電は最高に高コストの発電方法だと断言できる。
厳重なつくりの建屋の建築コストから始まり、半永久的に管理しなければならない放射性廃棄物まで、すべてを視野に入れれば計算なんかしなくても小学生にでもわかる。
でも日本でも世界でもトップレベルの最高学府を出た政治家たちには「この先50年」ほどしか見えていない。
見えないフリを決め込んでいる。
・・・書いていて切なくなる。

もうあきらめた方がいいのかもしれない。
「人類にとって住みやすい地球」はもう長くない。

温暖化による滅亡
ゲンパツの事故や爆発による放射能汚染による滅亡
食糧危機やエネルギー危機に端を発する核戦争による滅亡

どの滅亡が一番早く来るかだけのような気がしている。
世界の未来に希望は見えない。

「役に立つ・立たない」という基準を疑う

2008年01月29日 14時57分11秒 | Weblog
唐突だけど人間の脳や遺伝子はほとんどが無駄な部分だと聞いた。
意味を持つ部分はほんの少しだと。
あとは「ガラクタ」なんだと。
それは変だと思う。
「今は」その役割がわからない・・・というのが正しい。

だって人間が賢いのは脳の容量が大きいから。
←これだけの容量の脳を保てるのは2足歩行だから。
←やはりサルと人間を分けたのは2足歩行だと。
その大容量の脳の大部分が本当にガラクタだったら、正確には他の動物の脳と単純比較できないのでは?と突っ込みたくなる。

仏教学者の「ひろさちや」という人の本を読んで感動した。
社会にいるすべての人は必要だ。
もちろん生きている人だけではない。
過去に生きていた人も、今生きている人も、これから生まれてくる人も同じ。
もちろん他の動植物も同じ。
「ただそこにあること」がかけがえのないことだ、と。

頑張って社会のため、人のためとやりすぎると戦争になる。
本当に戦う戦争も、経済戦争も、会社の中の出世競争も・・・ろくな結果は生み出さないのだと。
生きていくために「そこそこ頑張る」という概念は、今の私にはすんなりと受け入れられない部分もあったが、根本はよく理解できるし共感できる。

社会の「役に立つ」「役に立たない」などという基準に振り回されない自分でいたい。
とってもむずかしいことだけど、どこか心の隅にメモしておきたい「在り方」だ。

ウドの大木の昔話が好きだ。
どうやっても使いものにならない木として気にも留められなかったウドの大木。
ウドはその時代の人間様には「役に立たなかった」おかげで天寿をまっとうできたんだよ・・・。

いつも心が穏やかになる話だ。

豚もおだてりゃ木に登る?

2008年01月26日 01時50分41秒 | Weblog
私は何事にも大した実力がないので、少しほめられると素直に喜んでしまう。
相手が女性ならなおさらである。
もちろんその場では謙遜するが、内心有頂天である。
その日1日ハッピーだ。
それが社交辞令かもしれないと思ってもありがたくいただく。
我ながらこの単純な性格はおめでたいと思う。
時としてこのおめでたさはよい結果を生むこともある。
いつも以上に頑張ってしまうのだ。
おだてられていることを半分自覚しながらも頑張ってしまう自分がいる。
少しかわいい。
男なら誰でもそいう経験があるのではないか?

昔さだまさしがこんなことを言っていた。
彼は九州の長崎県の出身だ。
「よく九州男児、九州男児と言われるが、そんな男はもともと存在しない。あれは男の扱い方がうまい九州の女がつくった概念だ。『あんたは九州男児なんだから大丈夫!』といって玄関で背中をたたき送り出す。すると男は『そうだよな、俺は九州男児なんだから!!』と張り切って仕事に精を出す。よく九州は男尊女卑だの何だのと言われるが、実は男の扱い方のうまい女性がすべてを仕切っている」
という内容だった。
私は中学生だったがとても共感できた。
それって男も女もハッピーなのでは?とさえ思う。

昨今「男は男らしく、女は女らしく」などというと白い目で見られそうだが、お互いの特徴を理解しながらのコミュニケーションを楽しむ余裕はほしいものだ。
ただ単純におだててほしいだけかもしれないが。
宮崎県で生まれて1年だけいたらしい「なんちゃって九州男児」のひとり言でした。

遠回りの人生

2008年01月23日 23時24分20秒 | Weblog
大学卒業後すぐに大きな広告会社に幸運にも入社できた。
そこで15年弱働いた。
その後思うところあって転職し、起業し、就職し・・・となり今また広告会社に戻った。
いちいち職を変えるには理由があった。
でも現状を見ると昔から私のことを知っている人は決まってこう言う。
「遠回りしたね」
私も友人にそのような立場の人がいたら何の気なしに言うのかもしれない。
軽い気持ちで。

私はその都度その言葉を否定している。
「遠回りではないですよ。おかげでとてもいい経験をしてきました」
と。

これは本心である。
1つの会社にいることを否定しているわけではない。
だが、1つの会社にいたら絶対に見えてこなかったことがあるはずだという確信が今の私にはある。
貴重な出会いもあった。

今の世の中「検索エンジン的」に最短距離を効率よく進む人生が最良とされるのであろうか?
いいではないか、人生一度きり。
紆余曲折、魑魅魍魎(?)、艱難辛苦・・・いろいろである。

いろんなことに出会うたび、いろんな人に出会うたび私の心に年輪が刻まれるのだ。
遠回りに見える人生は、味わいのある人生である。

人生を変えた1通の手紙

2008年01月22日 21時00分47秒 | Weblog
私は大学受験に失敗し、1年間東京で浪人生活をした。
その1年は「あとが無い」という思いと浪人させてくれた両親への感謝から死に物狂いで勉強した。
後にも先にもあんなに勉強したことはない。
その頃私は池袋の小さな予備校に通っていた。
講師陣には「教えるプロ」を感じた。
毎日が新鮮で、勉強が楽しかった。
だが学校の中は零細予備校だからかアットホームないい雰囲気だった。
殺伐としそうであるが、そんなことはなかった。

ある友人Kが夏場に入って入院した。
彼は和歌山から出てきて、予備校の寮に入っていた。
私はKが高校時代に野球をしていたことから親近感を持ち、お見舞いに行った。
その後病状が悪化したらしく、Kは秋口に予備校をやめて和歌山に帰ったとうわさで聞いた。
なぜかとても不安な気持ちになった。
普通の浪人生なら「ライバルが1人消えた」と喜ぶのだろうか?
私は普通ではなかった。
自分の心の空白を埋めるように、Kに手紙を書いた。
でも住所がわからない。
予備校の事務所に訪ねたが、最初はプライベートなことにはこたえられないと断られた。
私はあきらめなかった。
どうしてもこの手紙を出したいとねばった。
最後に事務所は教えてくれた。

その手紙をKは今でも大事に持っている。
いいヤツなのだ。
先日その手紙を24年ぶりに見せてもらった。
なんだかお茶らけたひどく幼稚な手紙だった。
愕然としたがKはメールでこんなことを書いてくれた。
「あの手紙の文面にがっかりしたと書いてありましたが、俺はあれがなかったら、戦意喪失と病気だからしょうがないと受験勉強をやり続けられたかどうか本当に疑問です。
当然、M大合格なんてありえなかったでしょうね。
あの当時いろんな人から励まされたと思うのですが、俺の今の状態がわかりもしないでという感じで素直に受け入れられなかった。
だけど、あの手紙は違った。
心にビンタされ、受かるか受からないかはわからないけどやるだけはやろうという力をくれた本当に大切な宝物です。
本当にありがとう。」

19歳の私があの手紙を書いたことで、私の人生は大きく変わったのではないか?とさえ最近思う。
とても大事なものを得たような気がする。

人を応援するということ

2008年01月17日 00時17分37秒 | Weblog
高校時代、大学時代と野球を続けたことによって、多くの方々に応援していただいた。
それは学生にとってはうれしいと同時に恐縮するほどのものだった。

高校時代は野球と言うスポーツが特別なものであるがゆえに、夏の大会前になると1年生は昼休みや放課後に「応援練習」を強制された。
もちろん野球部以外の学生だ。
私は野球部が強くも無いのに彼らが「練習」に借り出されているのが、申し訳なくて仕方なかった。
できればやめて欲しかった。
夏の大会が始まると1年生は強制的に球場に集合。
上級生は「任意参加」。
すごいプレッシャーだ。
でも試合当日になるとそんなことを考えている暇は無い。
誰のためでもない、自分たちが報われるために戦うのだ。
でも試合が終わると、また我に返る。
勝てばともに喜べるが、負けると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

それは大学時代になると、ちがうカタチで表れる。
大学には体育会応援団というものがあり、私たち野球部を中心に体育会のスポーツ部を応援する専門の学生がいる。
女子のバトントワラーもいる。
彼らの練習量はハンパではない。
しごきも並みではない。
リーグ戦が始まると、彼らの気合が乗り移ってくるような気がするほど球場中に彼ら彼女らの声が響き渡った。
とにかく「勝たなければ」と試合前に思う。
そう、彼ら彼女らのためにも。
だが試合が始まると1球1球に集中して忘れてしまう。
そして試合終了後、我に返る。
いつも同じパターンだ。
勝ったときはいい。
負けると悲惨だ。
応援団の連中は「自分たちの応援が足りなかったから野球部が負けたのだ」と自分たちを責め、球場を狂ったように何十周と走る。
そのヨコを通り過ぎるのが死ぬほどいやだった。
申し訳なかった。
自分たちの弱さが不甲斐なかった。

それでも彼ら、彼女らは4年間応援し続けてくれた。
どうしてだろう?
20年たって本当にそう思う。
彼らに責められた事は無い。
無償の応援だ。
ただただ頭を下げるほかは無い。

ひとつだけ言える事は、技術的にも情熱的にも日本最高レベルの応援を受けられた私たちは最高の果報者であるということだ。
そして彼ら彼女らのおかげで、万年Bクラスに甘んじていた本学の野球部が4年の秋に久々の「2位」になれたと心から思う。
できれば優勝したかった・・・あぁ!悔しい!

結局ご恩返しはできずじまいの野球部だった。

自分が生きた証とは?

2008年01月11日 23時45分49秒 | Weblog
ここ数年同年代や少し上の先輩方の親御さんが病死するケースが増えてきた。
自分自身もある程度の年齢になってきているのだし、私の両親も70歳を超えている。
だから自然の摂理かもしれない。

自分に近い方の親御さんのお葬式に出ると、やがて訪れる自分の親の葬式をイメージしてしまい暗くなっていく。
その時自分はどうなっているだろう?
親不孝ばかりの現在から、少しは孝行をできてからの旅立ちだろうか?
・・・考えれば考えるほど不安要素でいっぱいだ。
どんな顔をして、どんな態度で参列者に対しているのだろう?
それ以前に、親が見送ってもらいたい人たちにちゃんと連絡が出来るのだろうか?
私の両親は父の転勤が続き、日本各地に知り合いが散らばっている。
親戚ですらバラバラに点在している。
心ある人にこそ見送って欲しいだろうと、きっと私たち残された人間は思うだろう。

以前大学の総長をした方のお葬式に出た。
その方は総長になる直前まで野球部長もされていて、とても人望の厚い方だった。
その時の「送る言葉」が忘れられない。

「世間一般では、仕事関係だったからとか、近所だからとかと言った『ワケアリ』の人たちが大半を占めるお葬式も多い。
でも今日この式にそんな人は1人もいないと私は断言できる。
そして心の底から貴方の死を悼み、感謝しているのではないか?
それは貴方の生前の生き方、人との接し方が本当に人間味あふれていたからなのだ。
貴方ほど誠実で、貴方ほど慕われた人は数少ないだろう。・・・」

私も決して褒めすぎとも、不自然とも思わなかった。
本当にそのとおりの方だった。
野球部時代もご自分がまったく野球の素人であるにもかかわらず、本当に熱心にグランドや球場に足を運び、リーグ戦もベンチ入りして、勝てばロッカールームで破顔一笑、負ければチームで一番苦虫を噛み潰し本気で私たちをにらみつけた。
すべての選手に声をかけ肩をたたきながら会話を楽しんだし、キャンパスでも総長になった時でさえ野球部の人間には格別の笑顔で挨拶を返してくれた。
私たちの誇りだった。

でも人は必ず死ぬのだ。
そしてあの世には、千円札1枚も持っていけない。
もっていけるのはきっと生前の「思い出」だろう。
そして私たちの心の中に「その人の生きた証」が残るのだろう。

そう考えると、私と親しくお付き合いいただいているすべての方々こそがきっと私の「生きた証」なのだという気持ちになってきた。
それってなんだかうれしい。

迷惑な人もいるかもしれないけど。

『いつも駆け出せ。口で用を足そうとするな。』

2008年01月08日 23時08分19秒 | Weblog
昔中学生の頃出会った言葉である。
時々ふとしたことで思い出す。
原典をネットで確認したら米国大リーグに残る「野球十戒」というものの一部であった。
このブログではあまり引用はしないが、これに関しては10個の金の言葉を掲載したい。
野球に限らず、人生にも当てはめられないだろうか?
たるんだ心を、言葉で時々引き締めたい。

「野球十戒」

一・球の後をのこのこ歩いているものは決して野球選手にはなれない。
二・肩からかついだバットを離さなければ決して三割打者にはなれない。
三・前日自分がやったことを過大に考えているものは、その日あまりたいしたことは出来ない。
四・頭をもちあげていろ。決してうつむくな。
五・いったんスライドを始めたら、断固としてスライドせよ。途中で決心をひるがえすものはせっかくの良い脚を悪い脚に変えてしまう。
六・あれはバウンドが悪かったので・・・などと言い訳するな。いいバウンドの球だったらどんなものでも処理できる。
七・いつも駆け出せ。口で用を足そうとするな。
八・途中で放棄するな。
九・あまり深く審判の欠点をほじくるな。審判に完全無欠であることを期待してはいけない。君だって完全無欠ではないのだ。
十・コントロールを身につけていない投手は、なにも身につけていないことになる。

トラブルは1つで食い止める

2008年01月07日 23時19分59秒 | Weblog
「トラブルは2つ同時に起きると大惨事になる」というのが私の持論だ。

トラブルは必ず起きる。
でもそのほとんどが落ち着いて対処すれば惨事にはならない。
1つめのトラブルに動転し、次のトラブルを起こしてしまうことで大惨事に発展する可能性が出てくるのだ。

たとえばクルマの運転で言えば自分の車線に停車しているクルマがいたとする。
これはとても小さいことだけど自分にとってはトラブル。
なぜならセンターラインを超えなければ直進できないから。
その際きちんと前方確認すれば、そのトラブルは大惨事には発展しない。
が、ここで前方確認を怠ったり、十分な減速をしないと大惨事が起こる可能性は飛躍的に高まる。

野球でも同じだ。
エラーは誰でもする。
ところがエラーをしたことに動転して、悪送球をする選手がいる。
これだと1塁でとまっていたはずのランナーが楽々2塁に進んでしまう。
ピッチャーにしてみれば、ただの内野ゴロのアウトが取れないだけでなく、スコアリングポジションにランナーを背負う大ピンチを招いてしまう結果になるのだ。

仕事でも同様。
家事でも同様。
恋愛も同様?
とにかく落ち着くことが大事なんだとわかってきた!
これは私の「大進歩」である。

何かトラブルが起こると
「ここであわてると、もっとひどくなるぞ」
とまず自分の気持ちを落ち着かせる。
そして落ち着いて対処する。
少しずつではあるが、馬鹿な失敗が減ったような気がする。

共感される方は、是非お試しを。

思いが言葉に乗り移る。

2008年01月01日 22時36分37秒 | Weblog
日経新聞本紙のスポーツ欄に野球解説者の「豊田泰光さん」とキングこと「三浦和義さん」がコラムを連載している。
私はこのコラムを愛している。
「好き」などという軽い言葉では言い表せないので「愛」を使った。
毎回切り取って、何度も読み返したり、テーマによっては手帳にはさんで持ち歩いたりする。

自分が学生時代にスポーツをやってきたせいもあると思う。
でもそれだけじゃぁない何かが私を惹きつけ続けるのだ。
今年も連載は続くのだろうか?
少しドキドキしている。

2人に共通する部分は「深い人間への洞察」と「プロ意識」。
そして一般的に報道されていることと自分たちの実感の「ギャップ」。

特にカズは現役選手なので、その言葉には迫力がある。
いつも読み終えると「ほぉ~」と感嘆の息が漏れる。
至福のときだ。

言葉というのものはおもしろい。
そして言葉というものは時に、おそろしい。

言葉に「思い」が乗り移ると、とてつもないパワーとなって拡大していく。
よいパワーも、邪悪なパワーも同様に。

今年も「いつ死んでもいいように」ブログは書き続ける。
5年日記とともに。

「小さい思い」と「小さい言葉」がまず自分自身を正していけるように。