お掃除をしても何もきれいにならないところは、やがて誰も見向きもしなくなる。
いやではじめてもお掃除はその後気持ちの良い結果が待っている。
いやそのプロセスのうちに、自分がその行動に関与していることが実感できる。
だから猛暑でも、酷寒でもがんばれるのだ。
「きれいになる」という変化がお掃除という行為の「ご褒美」とも言える。
何かをがんばる時、その成果が見えるまでが苦しい。
たいていその途中でやめてしまうこともあるかもしれない。
でも「しんぼうづよく」続けていけば、変化はきっと現れる。
信じて続ければ、の話だが。
人の教育も、これに似ている様な気がする。
ラジオでいい話を聞いた。
ある先生が風紀の乱れた高校に赴任し生徒指導の担当になった。
その先生は毎朝校門に立って大きな声で一人ひとりの生徒に「おはようございます!」と挨拶したそうだ。
最初はみな嘲笑していた。
1年たつと笑いは消えた。
2年たつとポツポツ「おはようございます」と返事が返ってくるようになった。
3年たつと生徒に変化が現れたという。
もちろん高校生は毎年卒業していく。
同じ生徒ではない。
でも今の私にとって『石の上にも3年』という言葉は重く響く。
本来人間が変化するにはそれくらいの時間が必要なんだと思う。
でも時に急いで変わってもらわねばならないときもある。
今そこに直面している。
焦っても仕方ないが、自分自身を賭けて注力したい。
いやではじめてもお掃除はその後気持ちの良い結果が待っている。
いやそのプロセスのうちに、自分がその行動に関与していることが実感できる。
だから猛暑でも、酷寒でもがんばれるのだ。
「きれいになる」という変化がお掃除という行為の「ご褒美」とも言える。
何かをがんばる時、その成果が見えるまでが苦しい。
たいていその途中でやめてしまうこともあるかもしれない。
でも「しんぼうづよく」続けていけば、変化はきっと現れる。
信じて続ければ、の話だが。
人の教育も、これに似ている様な気がする。
ラジオでいい話を聞いた。
ある先生が風紀の乱れた高校に赴任し生徒指導の担当になった。
その先生は毎朝校門に立って大きな声で一人ひとりの生徒に「おはようございます!」と挨拶したそうだ。
最初はみな嘲笑していた。
1年たつと笑いは消えた。
2年たつとポツポツ「おはようございます」と返事が返ってくるようになった。
3年たつと生徒に変化が現れたという。
もちろん高校生は毎年卒業していく。
同じ生徒ではない。
でも今の私にとって『石の上にも3年』という言葉は重く響く。
本来人間が変化するにはそれくらいの時間が必要なんだと思う。
でも時に急いで変わってもらわねばならないときもある。
今そこに直面している。
焦っても仕方ないが、自分自身を賭けて注力したい。