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今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

No.290 平和を語る「資格」があるか?

2008年10月31日 19時45分19秒 | Weblog
そもそも「権利」とか「資格」とかという言葉には胡散臭さがつきまとう。
きっと人間がこしらえた概念だからだろう。
「人権」という言葉にもいいイメージは私には、ない。

私のテーマのひとつに「自分の国のシアワセを、自分たちの手で守りたい」ということがある。
わが国のヘイワはアメリカ合衆国の駐留基地によって守られている。
このことに異議を唱える人はいないと思う。
もちろんわが国の防衛予算は世界のトップ5に入るそうそうたるものである。
ただし訓練はそれに匹敵するほど出来ていないと思われる。
他国は実弾演習を頻繁に行っている。
わが国は実戦を想定してのものはアメリカとの合同演習をしているくらいではないか?
実戦を想定していないので先日のイージス艦のように民間の漁船を沈没させるというような失態を起こす。
緊張感が他国とは違うように思われる。
大体敗戦国が当時の駐留基地を独立後も残すなど言うことはふつうありえない。
それは「占領軍の継続的駐留」だからだ。
国際法でも否定されている。
だからイラクでは米軍は撤退を迫られる。
戦争状態が終わってからの駐留は「違法」なのだ。
その違法状態を無理やり合法化させたのがいわゆる「日米安保条約」だ。
いまやこの状態が「常態」となってしまい、不思議に思う人は少ないと感じる。

でも8月になると突如として世界に対してヘイワを訴える。

世界で唯一被爆している国民が、
世界でも珍しい平和憲法を掲げ、
この数十年他国と戦火を交えることなくヘイワを維持している。
そして焼け野原からマジメに努力して経済的にも世界有数の国になった。
だから世界も私たちを見習って、ヘイワになるべきだ。

という論理だ。

でも本当にそうか?
自分たちの努力があってヘイワなのか?
ヘイワに対する努力をし続けている国なのか?
疑わしいことはなはだしい!

やっぱり遅かれ早かれ米軍にはお引取りいただくしかない。
それが独立国としての「最低ライン」だろう。
その時わが国ではやっと「自国のヘイワの尊さ」と先の大戦に散った勇士たちのありがたさを骨身にしみてわかるに違いない。

No.289 話が長い!

2008年10月30日 13時02分40秒 | Weblog
私の話は、長い。
自覚しているにもかかわらず、だ。
わかっていれば、直せばいいのに。
迷惑かけている人は、少なからずいる。

先日高校時代のクラスメートに電話したら思い切り言われてしまった。
「お口に、チャック!!」
まだほとんど話していないのに、・・・。
でもそうやってはっきり言ってくれるのは、友人だけだよ。
ありがたいと思う。

なんか伝えたいことが、いっぱいあるみたい。
だからブログも書いているんだろうな。

ブログにナンバーをつけたのは、いつか終わるときのことを考えて。
キリのいい番号で終わりたい。
ちょっとした「美学」。

「あいつの話は長いけど、オモシロイ!」
を目指して、今日もコミュニケーションすることにしよう。
もちろん相手の都合は気にしてだけど。

No.288 省略してはいけないこと

2008年10月29日 13時01分30秒 | Weblog
仕事上、メールやらファクスを入れることが多い。
先にメールやらファクスやらを入れて、電話で内容の確認をするとコミュニケーションの到達度と理解度が格段に上がる。

以前から気になっていたことがある。
ファクスで言うと会社のフォーマットがあったり、PCに入っているフォーマットを使用する場合よくあることである。
「いつもお世話になっております。」
「平素は格別のお引き立てを賜り、ありがとうございます。」
のような文言を予め印刷してあることだ。
その先から書いたほうが、速くかけるし効率がいいということなのだろう。

たしかに、速い。
でもどうなんだろう?

銀行などではATMコーナーに入ると、開店中でも自動音声で
「イラッシャイマセ」
と流れる。
よい店はそれにかぶせるように
「いらっしゃいませ!」と元気に迎えてくれる。
悪いお店は何も言わない。
振り向くと暇そうにしている。
でも誰も入ってきた私に気がつかない。
自動音声が挨拶しているんだから、私たちはしなくていいんだと思っているのだろうか?

ここのところファクスにいかなるフォーマットも使わない。
裏紙に4Bの鉛筆ですべて手書きで送る。
もちろん送り先の会社名、部署名、送る相手の名前から伝えたい内容、自分の会社名と自分の名前まで、すべて。
もちろん
「いつもお世話になっております。」
から始まる。
文字を書くということは、そのことに気持ちが入ること。
うまく書けない事が多いけど、丁寧な気持ちで書く。

これは朝のあいさつが省略できないのと同じだと、最近思うようになってきた。

Np.287 今の時代に生まれて幸せだと思う

2008年10月28日 12時37分47秒 | Weblog
「現代は大変だ!」
環境問題、年金問題、教育の荒廃問題、人口減少問題、食糧危機、テロの蔓延・・・。
マスコミは騒ぐ騒ぐ。
だからみんな「今に生まれなければよかった。もっと幸せな時代があったはずだ」と思い込む。

マスコミは事件がないと生きていけない体質だ。
最も視聴率が取れるのは、大事故、大事件の報道だそうだ。
こんなことを言うとしらけてしまいそうだが、「人の不幸は蜜の味」というのは真実のようだ。
だって平凡な毎日、幸せな瞬間では番組は持たないから。
人間の悲しい性(さが)でもある。

でもよくよく考えてみると、どんな時代にだって不幸なことはあった。
戦争ばかりの時代、食糧難の時代、人種差別の時代、男女差別の時代、病原菌が猛威を振るう時代・・・。

要はどんな時代も「幸せ」と「不幸せ」な状況があり、その中で人は生きてきた。
だから「今に生まれて最高!」と思って生きたほうが「シアワセ」だよ、きっと。

今で言えば不景気、不景気と下を向いたら何にも始まらない。
前を向いて、今を生きるシアワセを再度見つめれば、ヒントは必ず見えてくると思う。

No.286 まだ10月なのに・・・

2008年10月27日 20時56分17秒 | Weblog
なんだか最近とても気がせく。
師走の雰囲気だ。
いろんな理由がある。

仕事のこと。
うまく行っているものもある。
思うように進まないものもある。

プライベートのこと。
中でもOB会12月のイベントのこと。
正月の高校のクラス会のこと。

『せいてはことを仕損じる』

よく母親に言われたものだ。
私は子供の頃からあわてん坊で、よく失敗をした。
母はよくわかっていて家を出るときは必ず
「ハンカチ、鼻紙もったの?忘れ物ない?」
と聞いた。

私たち兄弟のお尻のポケットには必ず右側にハンカチ、左側に鼻紙が入っていた。
そう言う躾だった。

今でもその教えは守っている。

こんな焦る時期こそ、基本のことをしっかりやりたい。
絶対失敗したくない、という強い思いが失敗を招く。
(なんとかなるさ)
くらいの方が私はうまくいく。

きっと母は見抜いていた。
母親ってすごい。

No.285 お節介焼き

2008年10月26日 10時46分10秒 | Weblog
会社帰りに通る道でハザードを点けている軽自動車があった。
この通りは高速の取り付け道路でラブホ街を通り抜ける。
夜間は人通りも疎らだ。
そのクルマは道の側溝に左側前後輪を完全に脱輪している。
ボディーには若葉マーク。
あるホテルのまん前だ。

徐行しつつ右側を通り抜けると若い女性が携帯で連絡をとっている。
クルマの前に停めた。
そして少し躊躇したが振り切りクルマを降りた。

「大丈夫ですか?
怪我はないですか?」すると驚くほど元気に、驚くほど明るい声がかえってきた。
「怪我はありません!
大丈夫です!」
そして
「ありがとうございます!」

それとほぼ同時に大型の高級車が到着した。
年格好から父親らしい。
JAFを呼ぶと言う。
それなら私はいいですね、と立ち去ろうとした時
「ありがとうございました!」
ともう一度彼女が言った。
「いいえ…」
とその場を後にした。
とても気持ちが晴れやかになった。

しばらくすると背後から甘えた声で
「わかんない~!」
と彼女が叫んでいた。
事情聴取を始めた父親に対しての答えのように聞こえた。
どうしていいかわからない緊張感がとけてのことだろう。
微笑ましかった。

一瞬躊躇した私は、今後いやな思いをすることがあったとしても、この日のことを思い出してお節介を続けようと思った。

No.284 長い長いクラクション

2008年10月24日 16時42分33秒 | Weblog
また救われた。
雨のバイパスでのこと。
路肩に古いマーチが停車していて、右にウィンカーを出していた。
が、とっても停車状態から合流できるような状態になく、薄暮の上雨の幹線道路は先を急いでいるかのような状態だった。

私も通常の道路ならパッシングしたり、スピードを緩めたり、停車したりして入れてあげるところなのだが、なにせ全線2車線のバイパス。
制限時速は60kmだが、流れはそれを超えていた。
無理に停まれば、追突の危険が私のクルマに迫った。

そこで通り過ぎようとした瞬間、なんとそのマーチが無理に入ってきた!
「まさか」とは思いながら20%程度の悪い予感があった私は今までの人生の中で最も長いクラクションを鳴らした。
そして急ブレーキ!
祈るように踏まれたブレーキは立ち往生しているマーチの3m手前で止まった。
バックミラーを見ると大型ダンプが直後にいた。
私は心底肝を冷やした。
そしてその現場を少し過ぎたところの路肩で、深いため息をついた。
マーチは動けなかった。
私はまたバイパスに戻った。
バックミラーを見ると時速30km程度のノロノロ運転で、バイパスの左車線を走っている姿が見えた。
モミジマークは見えなかったが、老人だったんだろうか?
それとも私のクラクションにびっくりしてしまったんだろうか?

どちらにしてもお互い助かってよかったですね。
ウィンカーを出しているとき、ブレーキランプがリリースされたのを見て、悪い予感がありました。
やっぱりしっかり前を向いて運転していなければいけませんね。

283番目のお話

2008年10月23日 14時33分18秒 | Weblog
数字にあまり意味はない。
キョウワタの283番目のお話だ。

最近企画書を鉛筆で書く、描く。
正確に言うと企画書の「前段階」をつくる。
4Bの鉛筆をナイフで削り、思ったままをドンドン書き連ねる。
これが企画の閉塞感を打破してくれることに気づいたのだ!

元々PCでつくる企画書や連絡文書は、思ったままにつくるのには時間がかかりすぎる!
だからホワイトカラーの残業は増えているのだ。
間違いない。
その上、技術がないと頭のイメージにとても追いつかない。
ストレスがたまりまくる・・・。

今後は気心の知れているお客様との打ち合わせ用のシートは手書きで行こうと思う。
その方がイメージが伝わるし、ニュアンスもわかる。
しかも、自分らしい。

挑戦してみよう。

御巣鷹山が、やさしさの光を放ちはじめた。

2008年10月22日 12時42分43秒 | Weblog
日航機の墜落事故から23年も経っている。
私も最近ようやく山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』を読んだくらいで、遅きに失している感があった。
本当に520人の人命を奪った事故だったのだな、と思ったものだ。

今朝遺族会と日航サイドの関係が変わってきたという番組があった。

小説の中にも出てくるが、遺族の心の傷は本当に測り知れない。
遺族担当の社員も、もちろん大変だ。
どちらもストレスの中で、時間が過ぎていく。

今回の主役は「持ち主のわからない遺品の処理について」だった。
日航サイドは何度か焼却や廃棄の提案を遺族会にしている。
遺品と言ってもものすごいボリュームなので、管理しきれないという理由だった。
そのたびに遺族会は猛烈に反対をしてきた。
「そこにあるのはモノではない。そこに乗客のいた証なのだ」
と。
持ち主がわからなくても死んだ乗客誰かのものなのだ。
捨ててはいけない、と。
そのたびに遺品は日航の社内で眠り続けた。

その遺品を残った機体の残骸とともに今度は展示させて欲しいと日航が言い始めた。
きっかけは安全意識の欠落から度重なる事故。
遺族会はもちろん歓迎。
話合の上、展示が始まった。
目的は「社員への安全意識の徹底」。
実物は雄弁だ。
事故時間のまま止まっている時計は、ヒロシマを思い起こさせる。
尾翼や圧力隔壁の残骸も、すごいインパクトだ。
見た社員はみな涙ぐんでいる。

御巣鷹山は、23年たってはじめて日航の社員と遺族会が一緒に登山することを許してくれた。
事故の傷は消えない。
でも少しだけ次の世代への光が見えたような気がした。

半分だけのスリッパ

2008年10月21日 18時53分04秒 | Weblog
卒業後初めての同窓会に出席した。
福島から帰って来た日だったので、疲労困憊だったがどうしても出ておきたかった。
なぜかはわからない。
でも無理して出席してよかったし、その理由もなんとなくわかった。

今会っておかなければいけない友人がいた。
私はそう思った。

その中の一人がほぼ卒業以来の再会でこんな話をした。
26年前の話だ。

ある日彼は私の校内用のスリッパを見て驚いた。
それはつま先のみ磨耗して、かかと部分は新品同様のものだった。
それは私が常に歩くときはかかとをつけずに歩いていたからだった。
そんなこと忘れていただが、言われて思い出した。
彼はバスケット部のエースだったが、それに感化されて(本当?)つま先立ちを始めたらしい。
だが3日でやめてしまった。
楽なほうに流れた、と笑っていた。
おまえはえらいもんだと言いながら、顔はからかっている。
それが同級生のいいところだ。

何のことはない。
兄の真似をしたまでだ。
でも3年間やりとおすのは、少しだけしんどかった。
そんなことを覚えているやつがいる!
それがおもしろかった。

あの頃の自分、思い出すのも恥ずかしいほど青かった。
演出も含めて、頑なだった。

本当に楽しい夜だった。
でも楽しいだけでない何かを思い起こす夜だった。