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今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

No.491    テンパイしたら即リーチ!

2009年06月19日 08時53分35秒 | Weblog
世の中にはものすごく博学なヒトがたくさんいる。
読書量も多い。
どんな話題でも他を圧倒する。

ただこういうヒトに限って、行動を起こさない。
「評論家」としてはおそらく超一流だが、世の中は変えられない。

私は知識と会話、ちょっとしたインスピレーションから出たアイディアはすぐに実行に移すことにしている。
マージャンで言えば「テンパイ即リーチ」である。
だからもちろん失敗も多い。
やけどを負うことも多い。

でも失敗して初めて成功へのカギが見えると思っている。

たとえばよりよいコミュニケーションのための行動心理学を学んでも、それを実際のコミュニケーションで活かせないと意味が無い。

他人の話は笑えるが、自分の鏡は見ているか?
時々検証していきたいものだ。

No.490  言葉に癒される

2009年06月18日 16時52分36秒 | Weblog
営業で信号待ち。
右側に気配。
寺がある。
いつも何気なく通り過ぎる寺。
門の脇に書き換えのできるお言葉が掲出されていた。


他人の善行をほめるものは
同じ功徳をいただく。


いいなぁぁぁぁぁ~!
この言葉。

確かに誰かのことを褒めている時って、自分の中からも何かいい「気」が湧き出てくる感じがするもんね!

さすがお寺さんです。
ありがとう。

もっともっとヒトを褒めようと思った。

No.489  字幕テロップ・ノイローゼ

2009年06月17日 08時57分46秒 | Weblog
映画は吹き替えが好きだ。
通の人ほどそれを「邪道」と呼ぶらしい。
言葉は原語で聴くべきである・・・と。
確かに正論のように思う。
しかし、だ。

エニアグラムのタイプ7=ヘッドセンターの私にしてみると映画の進行状況がわからないとまったく内容への興味が無くなる。
そのためにキッチリ字幕に注目してしまうのだ。
そうすると銀幕のスターの表情や、細かいしぐさなど見ている暇は無い。
ほとんど視線は「字幕テロップ」に釘付けとなってしまう。
逆に言うと邦画だと安心して映画の内容や映像に集中できる。
これのほうが私にしてみれば「本質的な映画の楽しみ方」である。

翻訳文化を疑う人もいる。
当たり前だと思う。
文化は映画上映中の数時間では理解できない。
もちろんジョークなんて伝わらない。
でも翻訳家は頑張る。
わが国の文化に置き換えるとどういうフィーリングか・・・と。
とても困難な作業だが、やりがいのある仕事だと思う。

いつからかTVの中で字幕が出るようになった。
とてもわずらわしい。
聴覚障害の方のためと言うわけでもないらしい。
誰かが話し出すともう何をしゃべるのか表示されてしまう。
あとはそのとおりしゃべるのか、を確認するだけだ。
あれでは映像なんていらない。
すべてアナウンサーが語ればよい。
生の映像は「麻生首相が何をどのような表現で語るのか?」に注目しているのだ。
せりふがわかっている芝居をなぞるようないやな感じがするのは私だけだろうか?

どうせやるなら徹底的にしゃべっている言葉にあわせてカラオケの字幕の逆のカタチで字幕が語りを追いかけるように表示したらいいのに・・・。
でも聞き取れる言葉をおせっかいしてほしくないな・・・。

携帯電話の学校への持込禁止の時の大阪の知事や、歯に衣着せぬ東京の知事に「やめろ!」と発言してもらうしかないのかな(笑)。

No.488   鯨に食い殺される?!

2009年06月16日 09時53分44秒 | Weblog
こんなことを言うと「アホか!」と言われそうだが、真剣に危惧している。

言い方を変えると『エセ人権主義が人類を滅ぼす』ということだ。

グリーンピースをはじめとした偏った動物愛護主義が、商業捕鯨を阻んでいる。
日本や数少ない世界の国々がIWCで「商業捕鯨の再開」を主張しているが、道は険しい。
日本国民もなぜ国がそんなに捕鯨にこだわるのかが理解できていないと思う。
日本の食卓に鯨料理が並ばなくなって久しい。
日本国民は鯨が無くても食べるものには困らない。
ではなぜ鯨を捕獲するのか?
それは日本には鯨を頭の端から尻尾の先まですべてを利用する文化があるからだ。
アメリカなどは捕鯨してもその体内の油だけを搾り取り、海に捨てる。
日本人は違う。
殺してしまった命を、捨てることなく、余すことなくいただく。
その文化があるからこそ、鯨がほしいのだ。

もっと大きな見地から言うと「食物連鎖の補正」だ。
鯨は一時期乱獲で減りすぎたが、今は保護しすぎで増えすぎた。
増えすぎるとどうなるか?
鯨は大量の海洋資源を飲み込む。
マグロも何も丸呑みだ。
ガンガン魚が減り続ける。
私はレッドゾーンに近づいている魚たちのいくつかは大きく鯨の増えすぎによるものと確信している。
もちろん人間によるものは大きいが。

鯨は海の王様だ。
知恵で彼らに勝てるのは人間しかいない。
だから捕獲する必要があるのだ。

鯨が人間の食糧を食い尽くすと、人間が飢える。
それを表題のように表現した。

鯨は頭がいいから、殺すのはやめましょう・・・これって「動物差別」じゃないですか?

No.487 伝統のユニフォーム

2009年06月15日 19時57分31秒 | Weblog
法政大学が大学日本一になった。
母校ではないが、同じリーグにいた者として、純粋に嬉しい。

そして改めて六大学のユニフォームはどれも美しいと思った。

申し訳ないが決勝戦の相手の大学などは最近の流行を取り入れているにもかかわらず、弱そうなユニフォームだし凄みも無い。

最近のプロ野球が毎年のようにユニフォームのデザインを変えるのがいやで仕方ない。
ファッションショーじゃあるまいし、チームの伝統や連続性をどう考えているのだろう?

そのチームに憧れて
そのチームのユニフォームに袖を通す夢を見て
ひたすら練習に励む少年たち・・・

ころころ変わるユニフォームは現代の浮ついた世相と商業主義を色濃く表しているように見える。

プロ野球がそうなればなるほど、私がいた頃と寸分変わらぬ伝統の東京六大学のユニフォームは輝いて見える。

No.486 『豚の人生 人間の人生』

2009年06月14日 15時48分53秒 | Weblog
1999年に書かれた落合信彦の本を読んだ。

今読んでみて思うのは10年前の世紀末には既に大変革はスタートしていて、ある意味カオス状態の時代だったと言うことだ。

その混乱は今に続いている。

「何でもあり」の時代だ。

ただしイコール「何でもなし」の時代でもある。

銀行も消える。
大企業も消える。
あり得ないことが起きる。
今まで無理だったことが可能になる。


落合氏は言う。

豚は人間に飼われて考えることをしない。
自分で未来を切り開こうとしない。
豚の人生を送るなかれ!…と。


自分で企画したことをリスクをとってメディア化しようとしている。

久々にドキドキだ。

こういう時に落合氏の本を読むのは運命か?

No.485 二人の先生

2009年06月13日 21時31分29秒 | Weblog
娘は二人の先生についている。
クラシックの世界では普通のことらしい。

私たちのスポーツの世界ではまだなじみがない。

第一先生の指導が食い違うことがあったらどうするのか?

娘は事も無げに言った。
「先生たちの意見を聞いたら自分で考える。
最終的に自分にあった方法を選べばいい。
ひとりの先生だと意見が選べないので良くない。」


分野が変われば先生との付き合いも変わる。
勉強になりました。

No.484 鎮守の森

2009年06月12日 17時59分31秒 | Weblog
暑い中営業で地元を歩いた。
目的地から少し遠いところに車を停めて歩くと、今まで知らなかった光景に出会う。

一番驚いたのがいつも利用させていただいている宴会場に隣接している浅間さんの「鎮守の森」の広さ!

社の背景にぐ~んと森が広がっていた。
木々は高く高く空に伸びている。
竹林も含めいろんな種類の樹木が秩序なく視界を遮る。

神社があってくれて良かったと思う瞬間だ。
雑木林が減ったな
子供の遊び場が欲しいなと思う歳になった。

No.483  きっと誰かが見ている

2009年06月11日 08時54分40秒 | Weblog
昔ギリシアのアテネでパルテノン神殿の屋上の彫刻について彫刻家とアテネ市の役人のやりとりが残っているそうだ。

役人「人間から見て見えやしない屋上の彫刻に見えるところと同じ請求が来ているのはおかしい。減額すべきだ。」
彫刻家「人間には見えなくても、神が見ている。手抜きはできない。」

多少話は美化されているかもしれないが、とても好きな話だ。


私の尊敬する恩師が、甲子園で表彰されることになった。
奥さんにメール!
本人に電話!!
いつもどおり浮かれている様子は無い。
自分でいいのか?とさえ言う。

その監督としての実績もさることながら、教育者としての素晴らしさは誰もが認めるところ。
残りわずかな監督生活をさらに充実させるバネにしてもらいたいと思う。
誰も見ていないようで、その実直さ、謙虚さ、言動を見ている人がいるのだ、と再認識した。

あなたの教え子はみな喜んでいるはずですと伝えた。
それ以上の言葉は見当たらなかった。

No.482   体験しなくちゃ、わからない

2009年06月10日 08時42分27秒 | Weblog
吉原商店街の「つけナポリタン」を体験した。
予想以上のおいしさだった。
それをあるとき言うとある人が
「そうそう!」
と同感してくれた。

やっぱり体験しなくちゃ良さなんかわからない。

今、静岡空港ができて、静岡県の観光は岐路に立っていると思う。
飛行機が用事のあるビジネスマンや観光客を行き来させるだけではつまらない。

コミュニケーション業界の一員として今更ながらに考える毎日。

静岡県は他県に行ってわかったことだが、ものすごい底力を持っていると思う。
離れてみたからこそ、わかる。

最近感じたことは「静岡県は超恵まれているのでは?」ということ。
知れば必ず行きたくなるのが静岡県ではないか?・・・と最近思い出した。
他県には申し訳ないが、レベルが違う。

富士山をはじめとした豊富な観光資源
地場産品(おもやげ)の充実
どこへでもいける交通の便のよさ
温かい人柄   等々

それを何とか渡航先の地方自治体に伝えたい。
それがコミュニケーション業界の使命だ。

かなり遅いがそう思ったからには動き出すほかは無い。