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今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

迷ったら、基本に戻る。

2008年10月09日 13時48分31秒 | Weblog
アクセルとブレーキの踏み違えの事故が多発している。
原因は二つに大別されているようだ。
・あわてて起きる事故
・老人のカラダの硬さに起因する踏み違え

だがよく考えてみるとおかしい。
元々基本的にはアクセルとブレーキの踏み方は違う。
アクセルは写真を見てもわかるようにかかとをつけて滑らかに斜めに踏み込む。
かたやブレーキは足をあげて浮いた状態から奥へぐっと踏み込む。
だから間違えようがないのだ!

・・・だが私も昔はそうだったが、靴を履いているとブレーキもかかとをつけたまま踏めてしまうのだ。
これは危険だ。

私の考えはこの共通の踏み方こそに事故原因が潜んでいる。
バックするときなどは特にそうだ。
踏み違いしやすい状況だから。

私は数年前から基本の踏み方に戻した。
それはブレーキングの効きを良くしたいことと、もっと滑らかに停車したかったことがきっかけ。
基本に戻すとまったく違う!
驚きの違いだ。

踏み換えは最初のうちは不便を感じるが、慣れれば大丈夫。
何か不都合が起きたら、基本に戻す。
いろんなことに使える発想だと信じている。

いいこともあり、悪いこともある。

2008年10月08日 18時28分50秒 | Weblog
今日のプレゼンは散々だった。
何が散々かと言うのはいろいろあるが、自分自身が納得がいっていないのが悲惨だ。
プレゼンとてコミュニケーションなので、きっとお客さんの要望を自分自身がわかっていないもどかしさだと分析できる。
プロとして、情けない。

タイプ7(エニアグラム)の私が朝によくないことがあると通常一日よくない気分が続く・・・。

でも今日は午後いいことがあった!
2つも。
大海に浮かぶ孤独な船のようになりそうな私の心を、つなぎとめてくれた!

楽しいメールも入ったぞ!

よし!
明日も頑張るぞ!

秘密兵器、駆使!

2008年10月07日 13時21分04秒 | Weblog
ICレコーダーと言うのは本当に便利だ。
また曲をつくっているのだが、以前の数十倍のスピードでカタチになる。
単純に忘れる前にICレコーダーが覚えてくれるからだ。
文明の利器とは、よく言ったものだ。

「凡才の中に天才あり」とは私がつくったことわざだが(笑)、凡才の中のほんの少しの天才をこの利器は拾ってくれる。

今弟の結婚式用の曲を作っている。
この曲は、力まずにつくろうと思う。
力むと妙に長くなったり、わかりにくくなったりするから。

それにしても歌詞はむつかしいな。
曲とは全然違うむつかしさだ。
天からもう少しよい歌詞が降りてきてくれることを祈るしかない。
こればっかりは秘密兵器も、役に立たない。

道具によって、世界は変わる。

2008年10月06日 13時13分29秒 | Weblog
いわゆるカッターナイフで鉛筆を削ると、刃が安定せずうまく行かない。
ところが最近気づいたのだが、しっかりとした刃を持つナイフだと、驚くほどきれいに削れる。

同じ人間が、同じ技術レベルで、である。

「弘法も筆を選ばず」
弘法大師のような書の天才はどんな筆を持ってもよい字が書けるものだ。
だから道具に頼ってはいけない。
・・・そんな意味の言葉をよく聞く。

でも私は違う考えを持つ。
ある程度いい道具を使わないと、いい成果は得られない。
それは悪い道具は、練習の過程で悪い癖をつけてしまうから。
さらに悪い道具を使うことでパフォーマンスがなかなか出ないと、本人が面白くなくて練習の継続意欲が落ちてしまうことだ。

ただこの「ある程度いい道具」が難しい。
技術レベルがメチャクチャ低い段階で最高の道具を持つことがいいのかどうか?
これはその道の達人にたずねるほかは無いと思う。

私は文字を書くのは好きだが、万年筆に限ってのことだ。
鉛筆も、ボールペンも、マジックも、うまく書けない。
しかも自分のペリカンで無いと思うように書けない。

やはり道具は重要だ。
握るだけで安心感がある。
フィーリングが合うのだ。

道具によって世界は変わる。
それを実感するためには、多少の「授業料」を払う必要がある。

知らないことは、たくさんある。

2008年10月05日 16時30分21秒 | Weblog
かりがね堤と言えば、このエリアで知らないものはいない。
でもその堤をつくった人と、人柱(!)になった人への感謝のお祭りがあることを最近まで知らなかった。

肌寒いこの時期に、高い目標に向かって炎のついたたいまつを投げる。
なかなか到達しない。
一番高いものは20メートル程度あるのではないか?
でも男衆がなんとかするまで、祭りは次へ進まない。

時間が流れる。
疲れも焦りもでる。
・・・とその時1本のたいまつが目標物に到達!
歓声と拍手が巻き起こる。
見る見るうちにワラでできている目標物は炎に包まれる。
その炎のキレイなこと!!
そして崩れ落ちるときの大迫力!!

こんな祭りがずっと行われてきたことを知らなかった。
いい経験をした。

秋の花火が始まった。
これもまた心に響いた。

集まりたいタイミング?

2008年10月04日 01時10分04秒 | Weblog
先日新卒で入社して15年勤めた東京の広告会社で、辞めちゃった人間も含めた同期会が盛大に行われた。
私は都合が付かず欠席したが、写真とメッセージを送った。
その後写真がネット上で公開されたりして雰囲気もわかった。
みんなあんまり変わってないな。
幹事さんがシッカリしていて、素晴らしかった。
行かなかったが、すごく感じた。
メールで御礼をした。

今度は高校の野球部の同級生から同窓会の話があった。
前回と言うのは知らないのか、無かったのかわからないくらいのことだ。
仕事が無ければ出てみようかと思っているが、はやくも出張の気配がぷんぷんしている。

さらに大学の同級生の応援団だった友人から大学の同窓会をやると聞かされた。
これはあまり出る気は無い。
野球部と応援団しか知らないので、年に一度の新年会で十分だからだ。

でもこうなると笑うしかない。
なぜにこうも重なるものか?
この3つの団体(高校、大学、辞めた会社)に、何の関連も無い。
でもこの短い期間(3ヵ月間)に集まりたいと言ってきた。
これを人は偶然と呼ぶのだろうか?
不思議でならない。

ロング・ドライブ

2008年10月03日 00時46分12秒 | Weblog
最近移動距離・移動時間が長い。
1日に100km以上運転する日々が続いている。
お客様の会社の場所が離れていたり、会社での企画書作業があって直帰できないとかいろいろと事情はあるのだが。

移動中は講演会のCDやら音楽を楽しんだり、ラジオを聴いたりとそれはそれで充実しているのだが、いろいろと考え事をするのにもいい。
問題はすぐ忘れてしまうのでメモが必要だ。
運転席にはいつも大きなノートがペンと一緒に置いてある。
信号待ちでアイディアを書き込む。
セーフ!!
アイディアが脳の中に帰ってしまう前に「生け捕り」だぜ!

机に向かって書こうとするとあんまりヴィヴィッドな企画書にならないが、何かをしながらの案は意外とおもしろい。

脳はリラックスすると、回転が良くなるのかもしれない。
トイレや風呂でもアイディアはたくさん出てくるな、確かに。
メモ帳を置く必要がある場所が増えそうだ。

たりーずの法則

2008年10月02日 00時19分39秒 | Weblog
コーヒーの話ではない。
最近TV等の言い回しで気になることが多いので書いてみる。

「~~をしたり、~~をしていたりするんですね。・・・」
という具合に「たり」は2つセットで使うべきはずだ。
だから複数形の「たりーず」。
ところが
「~~をしたり、~~をしているんですね。・・・」
となることが多いように思う。
少しだけ気になる。

あと最近とみに目立つのが
「麻生首相は解散をするのかどうか、周囲は気にしています。・・・」
とするべきところを
「麻生首相は解散をするのか、周囲は気にしています。・・・」
となっているケースが圧倒的に増えている。
英語で言えば
「A or not」(Aなのかそうでないのか)
ということなので、両方言う必要があるのだと主張したい!
これも少しだけ気になる。

「言葉は生き物」と言うが、なんでもいいわけはないと思う。
たとえば間違った言い方をしている人が多くなれば、間違ったほうに意味をあわせることなんてありえないはずだ。
一生懸命正しい言葉の復権をすべきところだ。
「なすがままに任せる」ということと、「間違いを放任すること」の間には大きな川が流れていると思う。

日本語は文字や言葉の数が欧米に比較すると多いので難しいとされる。
だからこそ明快なルールをもっとしっかり明文化し、守っていきたい。

漢字はたしかに中国からの「借り物」だが、「大和言葉」はそのずっと前から引き継がれてきた大変な文化だ。
しっかりと民族の誇りとして受け継いでいきたい。

よいクセをつけて

2008年10月01日 10時10分21秒 | Weblog
誰にもクセはある。
自然に備わっているものもあるし、後天的につけたものもある。

私は昔自分の子供とキャッチボールをする時にこういうクセをつけた。
始める時
「お願いしま~す」
終わる時
「ありがとうございました」
何のことはない。
自分たちがずっとずっと中高大社会人と続けているキャッチボールの基本を伝えているだけだ。
もちろん率先して自分からする。
子供も従わざるを得ない(笑)。

その内これがないと気持ち悪くなる。
自然にできるようになってくる。
ここがミソだ。

他のことにもいい影響が出る。
何か他のことを始めるときも転用される。
よしよし。

あと運動をする前は「絶対に」準備運動をする。
これもクセづけだ。
自分自身が歳を重ねていくにしたがってケガのリスクは格段に上がる。
でも頭はそれに応じてイメージを下げない。
そのギャップがケガのもとなのだ。

子供にも小さい頃から義務付けている。
そこでポイントは
「他の子がやらなくても、やるのだ」
ということ。

大人でも同じ。
ソフトボールのチーム員で準備運動をするものは約1割。
・・・強くなるためには準備運動と、キャッチボールの徹底。
これは古今東西変わらぬ基本だと私は信じている。
強いチームはキャッチボールを見ればわかるから。

よいクセは大人にも伝えていかないと、だめかな?