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今日、私が、思うこと。【略して「キョウワタ」】

ハンパな知識でも、今日私が思ったことを、素直に書いてみます。

ニームが世界を変える?!

2008年10月20日 23時37分11秒 | Weblog
福島にはインドの植物「ニーム」の勉強に行った。
ニームは「インドセンダン」と呼ばれているが、日本にあるセンダンとは別種のようだ。
インドでは古くから民間療法「アーユルヴェーダ」の中心的存在として知られ「村の薬局」と言われるほど用途も広いし効能も高い。

私は「日本は世界の中で特殊な存在だ」と言われるのは嫌いなほうではないが、今回は少し考えてしまった。

ニームは、アメリカを中心に世界で研究されている。
その効能は果てしなく、そのポジションは揺ぎ無い。
なのに日本ではまったくと言っていいほど研究されていない。
なぜか?
かつて農水省が「ニームの効き目は迷信」と言ってしまったことに起因するらしい。
アメリカではすでに1千億円のマーケットがあり、あらゆる用途に使われている。

・実から取れるオイルは虫を忌避する効果があり、土中に継続してまくと農薬不要になっていく。有機農業をしている人によい。
・土が元気になり収穫量もアップする。
・人間の発毛の効果も確認されている。
・樹皮はがんに効くと確認されている。   等々・・・

この世界でもアメリカは世界制覇をたくらんでおり、着々とG社という会社が拡大しているらしい。


今回の出張ではニーム以外にもインドの薬草の効能をかなり教えていただいた。
パーキンソン病に効くという「ムクナ」。
胆石や尿道結石を溶かしてしまう「トウロウソウ」。
鳥インフルエンザやSARSに効く「ホーリーバジル」。

国連もニームを「今世紀最大の贈り物」と評価したらしい。
BRICSなどど言って経済的にインドをもてはやすだけでなく、5000年の歴史をもつ民間療法「アーユルヴェーダ」の奥深さに日本人として注目していきたい。

年齢も経歴も超えて

2008年10月19日 17時41分08秒 | Weblog
福島に出張に行ってきた。
某社のI社長とK監査役とご一緒だ。
社長のクルマで交代で運転しながらの往復1000kmの旅だった。

車内と言うのは面白い空間だ。
いろんな話ができるから。
私にとってお二人はまだまだ興味津々の対象。
様々な質問や話題を投げ掛ける。
すると教育問題や経済問題で共通点が見つかり大変な盛り上がりを見せた。

後で聞けばK監査役はふだんはこんなにしゃべることはないそうた。
「乗せられちゃったなぁ」
「同年代の仲間ともこんな話はできない。
硬い話はよせ…という雰囲気。
今日はとても有意義だった」
こんな言葉をお聞きするととても嬉しくなる。

年齢でもない。
性別でもない。
そしてもちろん学歴でもない。

自分を常に革新させようとしている人との議論は、私の成長ホルモンだ。

福島県へ

2008年10月17日 22時51分52秒 | Weblog
今日は朝5時集合で富士を出発、福島県に向かった。
東名集中工事の渋滞や久々の首都高の渋滞を体験しつつ昼時に福島市に到着。
美味しいと評判の蕎麦をいただき、気合いも充実。
いざ目的地へ。
全く新しい仕事へのチャレンジ第一幕は予想を超える順調さで幕開けした。

くわしくはまた明日!

祟りの正体

2008年10月16日 18時56分18秒 | Weblog
自分の死後もどうしても維持したいものや事柄があるとき、普通どうするだろう?

知恵や経験のある人なら法律や条例にして維持するかもしれない。
でもそれとて長く続くかどうかは未知数だ。

神社の鎮守の森などは艱難辛苦を乗り越えて今に至る。
考えてみれば奇跡に近い。
神の住むおやしろを次の世代、その次の世代と受け継いでもらうのは至難の技だ。
いにしえの人たちは知恵を絞ったに違いない。

そこで開発された概念が「祟り」だったと思う。
神聖なやしろや森に手をかけた者は呪われる、と言う物語が作られ、広められたた。
時にはわからぬように見せしめのための懲罰も実行したかも知れない。
そうすることでこの「物語」は恐怖感と共にさらに次の世代へ受け継がれて行くのだ。

よくできた概念だしシステムだ。

私はこの「祟りの正体」が突然わかった。

世間では常識かも知れないが、そんなことはどうでもよい。
与えられた知識ではなく、自分の中での発見の体験は何より感動だ。

ただこの「祟りの物語」が先人のあまりにも切実な思いから発明されたことには敬意を表するが、こうまでしないと伝統が受け継がれない人間の性を見透かされているようで切なくもある。

「雨の物語」

2008年10月15日 12時11分04秒 | Weblog
ずっと昔のイルカの名曲である。
市の図書館でCDの無料貸し出しをしているので、時々利用している。
その中に新録音のアルバムがあったので懐かしさも手伝い借りた。
タイトルの曲が入っていたからではない。

そのCDをクルマで聞きながら、中学の同級生の墓参りをした。
最近のお墓は生花を嫌う。
考えてみれば、そうだ。
生花は供えた人は、絶対に枯れたその花を掃除しない。
昔は墓参りをした人間が、前に供えてある枯れてしまった花を当たり前のように掃除していったものだ。
最近はそんな連鎖も途絶え始めたのか、造花がほとんどだ。
少しさみしい気持ちもする。

いつものように墓に行くと、潜んでいた野良猫が墓から飛び出した。
あまりびっくりしなかったのは今思うと不思議だ。
何かを感じたから?
線香に火をつけ、同級生の墓に置く。
いつものように近況を話し、守ってくれている(勝手にそう思っている)ことに感謝し、お墓を後にした。

クルマに乗って自分の祖父の墓に向かうときに「雨の物語」が流れた・・・その時完全に忘れていた記憶が怒涛のごとく眼前に現れた!

なんとそれは中2の自分が同級生の急死を受け入れられずに、下手なギターをジャカジャカ鳴らしながらエンドレスでうたっていた曲だったのだ!

化粧する君の
その姿がとっても
小さく見えて
しかたないから

僕はまだ君を
愛しているんだろう
そんなことふと
思いながら

窓の外は雨
雨が降ってる
物語の終わりに
こんな雨の日
似合いすぎてる

同級生の彼女が、いたずらをしたとしか思えない出来事だった。

いい言葉に出会う。

2008年10月14日 13時08分35秒 | Weblog
孔子という人はずいぶん歳をとってから今で言う「素晴らしさ」を発揮したと言う。
死ぬ前の数年間、70歳を過ぎてからの言動が今に伝わっていることらしい。

キリスト教のイエスも孔子よりはずいぶん若いが、放浪時代の姿を伝えるものはない。
死ぬ数年前までの言動が彼の伝わる全てと言っても過言ではない。
(誕生時の逸話はあるけれど)

今朝先日亡くなった緒方拳さんのインタビュー番組のダイジェストを見ていた。
彼は71歳で亡くなったが、69歳のときの映像である。
芸名は「拳」と書いて「こぶし」と読ませていたところ、「けんさん」と呼ばれることが多く「まいっか」ということで「けん」になったらしい。
嘘のようだが本当で、彼は芸名にかなり迷ったらしく最後に自分のゲンコツが大きいことから「こぶしにしてみようか」となったらしい。

それはさておき彼がインタビューの最後にこんな質問を受けた。
「今後どんな役者生活をなさりたいですか?」
これに対しこうこたえたのが印象的だった。
「ちょっと理屈っぽいけどいいですか?
演技しないのが、最高の演技である、と思う。
70歳を超えてこれからが一番いい演技が出来ると思っている。
ものの道理がわかり、カラダが動かなくなるからこそいい演技が出来るようになる。
こうなると演技しなくても自然に演技になっている。
ここにたどりつきたい。」

やはり偉大な人たちは死期が近づくと、言動が人知を超えていくと感じた。

笑顔の野武士

2008年10月13日 13時49分29秒 | Weblog
前の会社の同僚で共にソフトボールチームを立ち上げた男が会社を辞めたと聞き、かなり驚いて電話した。
どうやら配置転換がうまく行かなかったらしい。
普通再転換の希望を出すか、何らかの環境変化を会社に申し出るだろう。
ところが彼が出した結論はいきなり「退社」だった。
彼の言い分は自分が結果を出せなかったのが一番悪い。
そこでうまく行かないからと言って配置転換を主張したり、環境を変えるよう会社に申し出るのはおかしいと言う。
「会社に申し訳ない」と彼は何度も言った。
彼は人柄がよく、人望も厚いので社内でも人気者だった。
いつもニコニコしていて愛想がよかった。
ただメチャクチャ頑固だ。
他人のアドバイスは聞くが、決してその通りにはしない。
自分の考えは曲げない。
みんな最後には呆れて諦めてしまう。
本人はいつも笑顔だ。
こんなご時世で次の就職先も決めずに34歳で退社して、家のローンもたくさん残して、家族とは相談したのかどうか…。
でも彼のことはみんなが応援している。
これは本当に財産だ。
私も万一の時のために就職先を考えた。

彼は武士なんだと思った。
現代に間違って産まれちゃった武士だ。
彼に見えている世界は狭いかも知れないが、筋が通っている。
このまま生きて欲しい。
そして私たちが忘れかけている「武士道」を見せて欲しい。

ただ今勉強中

2008年10月12日 23時22分50秒 | Weblog
お客様の業界を少しでも知ることは広告マンにとって重要だ。
ただし知らない者の素直な視点はもっと重要だ。
なぜならその視点こそがお客様にとってのお客様の視点だからだ。

どんな業界でも視点は専門化してくる。
そうすると素人の視点や不安から遠ざかる。
私たち広告マンの存在理由はここにある。

お客様の状況や業界の知識を身に付けながら、お客様に同化せず、常にお客様のお客様の素人の視点で商品やサービスを見ること。
そして専門化し過ぎて、当たり前になりすぎて見えなくなってしまっていることにもう一度光を当てること。
これがよき広告マンだと思う。

「言うは易し、行うは難し。」
そんな話ができる信頼関係を作ること自体がなかなか難しい!

今新しいお客様がそのゾーンに入った気がする。
私自身がお客様にとってお役に立てる広告マンかどうかが試される。

国と個人

2008年10月11日 23時29分26秒 | Weblog
突然だが戦争について思うことを書く。

戦争に対する立場についての論争は私の中では何となく整理ができてきたような気がする。
長いことスッキリしないテーマだったので、少し嬉しいが、また新しいハードルが現れることも予感できる。
それはウエルカムだ!
今回論じたいのは、「戦争に対する立場は国と個人では違う」と言うことだ。

国は自国の領土の保全と国民の生命と財産を守る義務がある。
国民主権の現代では国イコール国民となってしまうが、間接民主主義を実施している我が国では国会及び内閣が国となる。
この義務が他国によって脅かされた時、外交手段を尽くしても事態の打開がはかれない時には最後の外交手段として戦争は国際法ど認められている。
だから日米戦争も起こったし、あまり考えたくはないが人間が神にならない限り戦争は無くならないだろう。
この国の立場には崇高な使命感と国家を護ると言う義務感しかない。
ここをまずは真剣に自己投影して考えたい。

大方の視点は個人目線だ。先の大戦ではこんなにひどい目にあった。
だからもう戦争はコリゴリだ…。
そして国民みんなが戦争にノーを突き付ければ国会も戦争ができないはずだ、と。

歴史は繰り返すと言う。
太平洋戦争前のアメリカがそうだった。
ルーズベルト大統領は戦争をしないことを最大の公約にして就任した人だ。
国民には厭戦ムードが漂っていた。
だから軍備の増強をしながら開戦のシナリオを考えた。
どうやったら国民が開戦をやむを得無かったと思ってくれるか?を必死に考えた。
そして日本を徹底的に追い詰めた。
そして先に攻めさせた。
真珠湾奇襲がそれだ。
暗号をすべて解読し回避できた「奇襲」をルーズベルトはわざと黙認。
国民を見殺しにしてまで開戦やむなしムードを作り上げた。
大した役者だ。

9.11のテロも似ている。
アメリカは役者やドラマが大好きだ。
きっと世界の歴史自体をアメリカ中心の歴史として書き続けたい脚本家がたくさんいるのだろう。

要は国民感情などは一夜にして変えられてしまう危ういものだと言うことが言いたい。

その後ルーズベルトは堂々と開戦したのは言うまでも、ない。

私のつたない結論はこうだ。
国として開戦した場合、それは自分たちの代表が決めたことなので個人は従うべきだ。
それが国民主権と言うことだ。
だから万一負けても為政者だけが罰せられることは、今の憲法ではあり得ない。
国民全員に責任があるのだ。

かたや個人は思想、発言の自由はあるが、いざとなったら戦わざるをえないと思う。
それが非常事態の現実だ。

だから国の視点でも戦争を語りたい。
でないと本質はドンドン遠ざかる。

続きはまたいずれ。

インスピレーション!

2008年10月10日 13時09分50秒 | Weblog
弟が来月結婚する。
その招待状を見て、驚いた。
フォイアンセの苗字がとても珍しいものだったのだ。
「風」という文字が入っている。
今までお目にかかったことがない苗字だ。

私が今まで出会った「風」をまとう知り合いは「北風 勝さん」という人だった。
有名なクリエイターでかっこよくて東大卒で仕事も出来るのだが、冷静にフルネームを見ると(お父さんの遊び心か?)と思えるような部分がある。
「北風に勝つのだ!」と読める・・・。
小さい頃いじめられただろうな、と周囲は勝手に同情していた。
これも本人には迷惑な話だが。

私の家の苗字には「雲」と言う字が入っている。
とても珍しく、字もきれいでご先祖様には感謝している。

要はこのふたつの苗字が並んでいたわけだ。
「風と雲」
もう私に言わせればくさいラブストーリー並みに運命的で、素敵だ!
私のインスピレーションは「ピーーーーーん!!」と来てしまった。
ということで、実は今作っている曲は、このめでたい2人のための新曲だ。

今とても忙しい。
が、時間なんてあるものだ。
人間の脳ってすごい。
いつもフル回転している。

仕事をしながらも、歌詞は出てくる。
車で移動しながらも、メロディーは出てくる。
本当に不思議だ。

あの招待状から受けたインスピレーションが強烈だったからだ。
その炎が今自分の中で燃えている。
素敵な曲が出来そうな予感がする。