鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

カンパニー松尾「燃えよテレクラ 風は南へ」

2015-09-21 03:41:36 | 雑記

 旅人というものは非日常の体現者として我々の前にふらりと現れてる。自分は旅人というものを見事に表現した「寅さん」の映画をどういうわけだかほとんど見ていないのだが、理屈でも感覚でも、旅人というのが「向こう側」からやってくる人だというのはわかる。旅行というのは日常から飛び出すことであり、普段の生活を短い時間殺してしまうものであり、それは自殺にも似ている。我々は生き続けているかぎり、時々死なないと生きていけない。だから旅行というものがあるのだし、遊びであるとか、博打であるとか、虚構の世界に耽溺するとかなどの異世界=死を息継ぎする水泳者のように時々味わっていくのだ。
 カンパニー松尾はAV監督として、仕事して旅をする。テレクラで出会えてお金を払えばセックスしてくれてAVにも出てくれる女、というものも異世界の住人である。いや、彼女たちにも日常があって、そこでどうにもこうにもうまくいかない事情があっていろいろ考えて、いや、考えていない人もいるのだけれど、まあそういうことが数多ありAVに出演する素人というのが存在しているのは百も承知でいうがAVに出てくれる女性というのは本来は異世界の住人である。そして人前でセックスをして、撮って、それを編集して商品として発表、流通させてしまうAV監督という職業の人もこれまた異世界。
 この作品が撮影された90年代後半はテレクラはいまより多かった。街中の景色に溶け込んでいたが、それでもそこは非日常だった。モラルだとかしがらみだとかそういうものを捨てて、捨てられると信じて人々はそこに通っていた。そこにカンパニー松尾はカメラを持って出演交渉。舞台は九州である。九州という場所は人によって受け取り方は違うだろうが関東育ちの自分としてはそれだけでも異世界の要素を持ってしまっている。出身、在住の方には申し訳ないが。
 要するに、雑に説明しちゃえばテレクラ全盛期(?)の時代に九州に車で行って車中泊をしながら一ヶ月かけて十数人もの女性と出会ってそのセックスを記録した映像がこの「燃えよテレクラ 風は南へ」(と「風はもっと南へ」。前後編合わせていまはDVDで復刻)という作品。十数年経てしまった現在の目で見ると「過去」というものも異世界になっていてその「まれ」の構造が幾重にも複雑に交錯してしまっている。
 それで、この誰からも発注受けていないこの文章を誰に読んでほしいかといえば、どちらかというとカンパニー松尾とか、そもそもAV監督なんかよく知らないという人にこそ読んでほしかったりするのでまあ大袈裟かつ大雑把に書きますが、そもそも性行為をカメラを持ちながら撮影する「ハメ撮り」というものを普及、定着させて立役者の一人にカンパニー松尾という人がいて、それは映像の歴史から考えても実はすごいことであって、その監督がテレクラで出会った素人女性とのハメ撮りを、仕事ですが、まあ仕事ですがライフワークにしているんですよね。見たことない人は好色一代みたいな、日本中を旅していろいろな女性と情事に及んでいる伊達男、みたいなのを想像するのかもしれないのだけどそうじゃなくて、カンパニー松尾はいつも冷めているし、醒めている。愛嬌を振りまいたり、女性に対してユーモアを発したりするんだけど、どこか寂しげだし、何もかも諦めているような、達観しているような雰囲気がある。それは作品としてAVが出ている時はそのセックスはそもそも過去のこととして編集されているのだし、もう過ぎたことだから醒めているのかもしれないのだけど、いやAVやドキュメントを撮っている人のなかでも過去の自分自身のセックスに対してここまで冷静で、どこか他人事のようにしている人は稀有ではないのか? 近い時代、近い場所でこれまた飛びぬけたAVを撮っている平野勝之には少なくてもこんな冷静さ、何もかも他人事のように語るユーモアはない。まあ当然別の種類のユーモアはあるけど。閑話休題。AVというものをイメージするときにやはりそこは羨ましいと思えるようなエロ行為の記録された映像であるという大前提があるのだけどカンパニー松尾作品の、特にテレクラ素人モノは違う。撮らなきゃいいのに、セックスしなくてもいいのに、そもそも見たくない、といった女性たちも、まあせっかく出てくれた人には悪いのだけど、本当にそういう人が結構な確率で出る。そういう、「いい話ばっかりじゃないね」というのもリアルだし、またそういう女性相手にそれでも必死に性行為を成立させようと奮闘する監督の姿になんとも魅力を感じてしまうのだ。結果としてAVとしては成立してないかもしれない女性たちとの性行為も魅力であるし、またなかにはさほど美人ではないんだろな、という人(顔を隠して出演する女性が多いので)が魅力的に見える、そんな場面もある。
 この「風は南に」前後編もそういうシーンが盛りだくさんである。そこも面白いのだが、やはり「いま」の目で「過去」を見てしまうとその独特の暗いトーンに目がひかれる。ふたたび書くが、大勢の素人女性と性行為をしているのだけれどどこか醒めている。「これは仕事だから」と割り切っているわけでもない。そもそも「仕事」割り切るのならもっと道化なり英雄なりを演じたほうが楽だろう。それをしない。女性との行為を編集して、これまた独特なテロップで彩りをする。何か紀行文を読んでいるような、厭世観と享楽が同時にある、奇妙なニヒルを感じるのだ。そこが、自分が20年くらいカンパニー松尾に感じている魅力なんだけれど、それをなかなか伝える媒体も、自分に対する需要もなくて、しかも久しぶりに人に読ませる目的でそこそこの量の文章を書いたのでうまくまとまらないし、伝わらない。自分の無力さに呆れながらも、カンパニー松尾作品は面白いのでみんな見ましょう、というところでいったん終わる。多分AVに対してはこれからもちょくちょく書く。


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